10話 英雄の一歩
◆
マグニたちが村に戻ると、ツボネ夫人らは驚きながらも喜んで一行を出迎えた。
脅威的な数のグリファントの群れから、五体満足で戻れただけでも、驚くべき偉業である。
持ち帰った金貨や財宝は、ガルムたちの取り分を除き、これまでに被害を受けた者たちに平等に配分されるという。
尚余った分は、マグニの提案により、ショウサイ村の発展の予算として提供されることとなった。
その采配にガルムは不服そうではあったが……。
「あーあ、あの余りも貰っておきゃあ、当分の旅費に困ることはないってのによ」
「無理を叶えて貰って感謝します、ガルム様。僕に出来る、数少ない、エラブッタ様への恩返しですから」
「…彼らからすれば、エラブッタ氏を連れ戻したことが、一番の恩返しだと思うわ。きっとね」
ステラは言いながら、村から少し離れた、小高い丘に建つ、エラブッタ氏の豪奢な墓の方へと視線を移す。
魔獣に食われた者の骸が戻ってくることなど、この世界では奇跡に近いといっていい。
遺品の指輪と、主人の骸を受け取ったツボネ夫人は、何度も何度も、両目から涙をはらはらと流して、マグニ達に礼を尽くしていた。
彼女の口からマグニに向けて、「ありがとう」という言葉を聞いたのは、これが初めてのこと。
葬式では絶対見せることのなかった涙を見て、不意にマグニも瞼がじんわり熱くなった。
エラブッタの骸は、三人が戻ってきたその日のうちに、棺に納められたという。
「新米勇者よ、まずまずの戦果といったところだな」
「いえ、僕は結局何もしてませんよ。殆どガルム様の力で勝てたような戦いでしたし」
「初めから俺様のように戦えるなど、塵ほどにも期待しとらん。だが長の背に自力で跨がり、お前の元主人に義理を果たした。勇者の行いとしては、出だし順調だろうさ」
「はァ……それはそうと……なんで僕、体がぴくりとも動けないんでしょうかッ……!」
グリファントの巣での戦いから一夜明け。
現在、マグニは指の先すらまともに動かせない状態で、ベッドの上に寝転がっていた。
高熱、疲労感、筋肉の痙攣、手足の麻痺感。体をちょっとでも動かすだけで、電流を流されたように体が痺れる。
呆れたようにステラが、ガルムを睨み付けた。
「だって、ガルムと同調して、無理矢理体を動かされたんでしょう?無理もないわ。体を壊して当然よ」
「ヤワな体だ。もう少し頑健だと思ったんだが」
「もうっ相手はロクに戦ったこともない子供よ!貴方の魔力が常人には強烈な毒だってこと、忘れないでってあれほど言ったじゃない!」
「鍛え方が足りんのだ。グリファントの群れを相手に、一昼夜逃げ続けた強靱な体力と、探索の時の我慢強さを信頼してのことだ。今後、もっと鍛錬させるからな」
「それ以前に、今後当分はマグニと同調して戦わせること自体、禁止ですッ!禁止!」
二人がマグニの頭上で言い合いを始めてしまった。こうなったら一時間は止まらないだろう。
ぼんやり天井と二人の顔を見やりながらも、不思議と満足感のようなものが、マグニの胸に満ちていた。
目を閉じれば、あの遠く広がる鮮やかな景色が、瞼の裏に広がっていく。
これから先、自分は己の足で、彼らと共に旅をするのだ。──ガルムが望む、「英雄」となるために。
「(何年かかるんだろう。英雄になるって、どういうことなんだろう)」
それでも、ぼんやりとだが、実感が持てた。夫人の涙ながらの「ありがとう」に、自分を認めて貰えた気がした。
自分に英雄の素質なんてものは感じないけれど、この「ありがとう」の為に働くことは良いことかもしれない。
奴隷生活を続けたこの数年よりも、あの瞬間に初めて「自分は誰かのために働いていた」という達成感があったのだ。
「……ガルム様、ステラ様。お手をわずらわせて申し訳ありません」
「良いのよ、気にしないで。元はといえばこんなにボロボロになるって教えなかったガルムが悪いんだもの」
「フンッ、謝る位ならさっさと治せ、惰弱者」
そう言いながらガルムは唇を尖らせ、耳の穴をかっぽじる。
マグニは苦笑いを浮かべながらも、二人の顔を見上げた。
「はい。それから……有難うございます。僕、もっと鍛えて、強くなります。ガルム様の強さに追いつけるように」
「俺様に追いつく?はっ、二千年早いが……ま、確かにそれくらい強くなって貰わねば困る。なにせお前は、英雄になるのだからな」
「そうやって自分の目的を押しつけないの!……あ」
ステラの杖がぽうっと輝くと、あの白銀の天秤が現れる。
気づけば、一粒だけだった善行の石が、数個ほど増えている。この様子にはガルムも意外だったようで、間抜けに小さく口が開いていた。
きらきら輝く石を見つめ、マグニはにっと歯を見せた。
「ガルム様が世界を支配するか、善行を積み終えるのが先か。分からなくなってきましたね」
「……ケッ!俺様は反省もせんし、善き行いなぞするつもりなどないッ!必ずやこの世界を手中に収めてくれるわ!」
「まったく、この強情者ときたら……素直に感謝されたことを喜んだらどうなのよ!」
ぷりぷり怒りながら、ステラは井戸の水を汲みに行く。
強烈な眠気を覚えながらふと、どうしてステラがガルムにこれだけ辛く当たるのか、何故この旅に同行することになったのか、少しだけ気になった。
◆
──その日の夜。マグニは珍しく、夢を見た。
真っ暗な闇の中にいる。周囲には幾つもの鎖がじゃらじゃらと、床を擦る音が響いている。
己の手足はギチギチに固まって動けず、半ば引きずられるようにして歩みを進めている。否、実際に誰かに引きずられているのだろう。
目隠しをされているのだと気づくまで、少し時間が掛かった。
……臭い。硫黄と強烈な酸臭を混ぜたような、反吐が出そうな匂いが、己からとめどなく溢れている。
「(音が、遠い。ここはどこ?僕、なんで縛られてるの?)」
刹那、全身を焼き焦がすような熱と激痛が走り、嫌が応にも絶叫が口から出てくる。一瞬遅れて、雷鳴が間近で鳴り響いた。
辛うじて己を支えていた筋力が潰れ、床に倒れ伏す。それを支える者は誰もいない。
マグニは今の激痛に恐怖を覚えた。常人であれば、骨も残さず死んだのではないかと思うほどの、全身が痺れるような激痛だった。
こんなもの、夢であってもそう体験できる痛みではない。
「……以上、729の罪状が、被告が犯した罪の数である。これより、……………による協議の結果、下された判決を言い渡す──」
ぼやけた声が、ほんの少しだけ聞こえてきた。マグニの体の主は、すら潰れて声を発することは出来ない。
直後、暴風が吹き荒れるような音が辺りを満たした。
かつかつと、静かな足音が近づいてくる。誰だろう。身構えていると、柔らかく温かな感触が身を包む。細い腕だ。
己の後頭部に手が回り、かちりと何かを外す音。顔に掛かっていた拘束具が、ずるりと自重で落ちていく。
柔らかな手が、両頬を挟んで、ゆっくりと撫で回された。その手の主が、暗闇の隙間から現れる。
「絶対、貴方だけは、許さないって決めたのよ」
──目の前にあったのは、涙を流し、憎悪に潤んだ目を向けながらも、歪んだ笑みを浮かべるステラの顔であった。
◆
「…………チフ、プッチフフ!」
「ッ!……ち、チチフか……おはよう」
チチフの鳴き声に驚いて、思わず身を起こす。全身の倦怠感や熱、痺れなどはなくなっていた。
顔に伝う冷や汗を拭う。未だに、さっきまで見ていた景色が脳裏にこびりついている。
まだ朝日が僅かに差す暗い空。そっと身を起こすと、隣のベッドではガルムが背中を向けていた。驚くほど寝息が聞こえない。
寝ている可能性を考えて、そっと足音を忍ばせ、外に出る。気晴らしに散歩がしたかった。
あたたかく湿った風が、汗ばんだ肌を乾かしていく。
人がぽつぽつと顔を出す通りをぶらついていると、エラブッタの墓の方へ、ステラが登っていく姿を見かけた。
夢に出たステラの、底冷えするようなあの表情のことが思い出される。
優しくて献身的、少し説教くさいが他人思いな彼女のことが、マグニは好きになっていた。
だからこそ、あの憎悪と恍惚と、例えようもない感情をない混ぜしたあの顔の真意を測りかねていた。
「(……でも、夢は夢、だし……)」
何となしに気になって、後を追いかける。ステラはエラブッタの墓の前で、不思議な振る舞いを見せていた。
片膝をつき、両手の五指を絡めて固め、額につけて目を閉じている。
か細い声で、常人には分からない言葉を朗々と唱えている。
けれどマグニには、その言葉の意味が分かる。まるで頭の中で、マグニの言葉に置き換えられていくかのよう。
【月に召します我らの母よ、全ての命の源よ、天を支える創世樹よ。
どうか土に還りて肉を脱ぎ捨てた貴方の子を、再びその腕に抱いて迎えてくださいますように】
朝日が墓を柔らかく照らす。
ステラが面を上げると、墓から無数の光がふよふよと浮かぶと、ステラとマグニの周りをくるくると回り、空へと吸い込まれていく。
立ち上がったステラは、マグニに気づいて振り返る。
「あ。おはよう、マグニ。居たのに気づかなくてごめんなさいね」
「あ、いえ、勝手についてきてしまったので。……今のは?」
「ユグドラシル神に祈りを捧げていたのです。貴方の元主人であるエラブッタ氏が、どうか安らかに眠りにつけるようにと」
「……ありがとうございます。きっとエラブッタ様も、喜んでくださったと思います」
ゆっくり頷くと、ステラは「宿に戻りましょうか」と言って、マグニに手を差し出す。
マグニがその手の意味を考えあぐねていると、無邪気に笑って、手を繋いだ。温かくて柔らかい手に、マグニはまた戸惑って、おずおず握り返す。
誰かと手を握るなんて、マグニにとって初めてのことだった。
「一緒に帰るときは、こうして手を繋ぐのよ……ごめんなさいね、男の子はこういうの、嫌いかしら?」
「いえっ!そ、そんなことは。少し、むずがゆいですけど、イヤじゃないです」
「そう、良かった」
「……ガルム様ともこうして、手を繋ぐのですか?」
歩きながら尋ねると、ステラは何か思い出したのか、くすくす笑う。
木々の隙間から、黄金色の朝日が差し込んで、二人の影がゆらゆら揺れていた。
「あの人はね、手を繋ぐと肌が真っ青になっちゃうのよ」
「……?」
「だから手を繋がないの。それに、爪が食い込んで痛いしね」
はぐらかされたな、と子供心ながらに少年は察した。
それ以上は踏み込んではいけない気がして、マグニは黙り込むと、心なしか強めに、ステラの手を握り返す。
旅の目的は、自分がもっと強くなって、信頼を得てからにしよう。そんな小さな目標を、胸に抱いて。
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