7話 グリファントの巣
ショウサイ村を旅立って4日が経過した。
拍子抜けするほどに旅路は順調で、魔獣の一匹にも出会うことなく先へと進む。
予想していたよりもペースは速いものの、マグニたちにとっては僥倖といえよう。
実際のところは、ステラの獣避けが思いの外強く作用していることと、ガルムが発する殺気のせいで、並大抵の魔獣達が近寄れないという側面が大きいのだが。
これ幸いにと、ガルムは敢えて常人では着いていけないペースで歩き続けた。
「グリファントは主に、丈夫な樹木か断崖絶壁の壁、洞穴なんかに営巣する。
お前も知ってるだろうが、成熟したメス1頭に対して若いメスが2〜3頭、そしてオスは20、多くて30頭ほどのハレムを作る。
オス達が縄張りを巡回し、メスのための巣をつくり、外敵からメスと子を守るってわけだ」
「結構大きな群れなんですね」
「奴らの生態によるところが大きいがな。群れの規模が大きければ大きいほど、群れの長となるメスは巨躯となるという話もある」
曰く。グリファントは卵生であり、繁殖期は7〜10年に一度である。
メスはハレムの中から好きなオスを選び、交尾したすべてのオスの子を産むことが出来るのだ。
何十頭といるオスたちの子を全て産み育てるのだから、メスの労力は計り知れない。
そしてオス達もまた、己の子を育ててもらうために、メスに労働力でアピールするのだ。
固くて輝くものを好んで巣の材料に加える習性も、よりメスに好んでもらえる巣作りの一環なのである。
「昨日のメスは若獣だった。おそらく年長のメスに食わせる餌を探していたんだろうな。
営巣域に入れば否応なしに戦闘になるだろう。1ファン(約30センチ)でも俺様から離れたら奴らの餌になると思え」
「は、はいっ」
「それよりっ、休憩、入れましょうよッ!もう5時間はぶっ通しで歩いてるでしょ!」
「もう音を上げたのか、根性なし。マグニは文句一つ言わないってのに」
「私が、鍛えられた神官といえどっ、貴方達とは体力が違うんですーッ!」
やっと休憩を入れようと提案したのは、最初に脱落したステラであった。
マグニは滝のような汗をかいてこそいたものの、ガルムの指摘する通り、文字通り「疲れた」の一言も言わずに付き従い続けていた。ステラが先日の傷を診ようとした際には、足裏がひどく腫れていたにもかかわらず、だ。
おそらく二人が「休もう」と言わない限り、精根尽き果てるまで歩き続けるつもりだったのだろう。
「あのねマグニ。痛い所があったらちゃんと、痛いって言わなきゃダメよ」
「すみません……我慢出来る痛みだったので」
「これは我慢しちゃいけない痛みなの!」
「過保護め。足裏が軟弱ならば鍛えればいいだけの話だろう」
「これは怪我の一種ですっ、貴方と違って放置し続けたら悪化しちゃうわよ!」
ぎゃんぎゃん叱りながらも、ステラの手はしっかり手当を施す。
極力、癒やしの術は使わないことがステラの方針だ。「魔術での医療に慣れると、ヒトは傷つくことを恐れなくなってしまうから」という考えの元だ。
夕食作りを終えて、ステラはガルムに対し、わざとらしく咳払いひとつ。
「この際だから釘を刺しておきますけどね。グリファントは極力殺さない、卵や子どもを傷つけない、巣を無闇に壊さない!約束だからね」
「ちっ、口煩い奴め。俺様がそんなに獣を節操なく甚振る暇人に見えるか?」
「前科があるから口を酸っぱくして言ってるんじゃない!「ナマズの辛味スープが食べたい」なんて気まぐれで、ペイラーナマズを絶滅させてしまったのはどこのどなたでしたっけ?」
「まだその話ひきずってるのか、面倒くさい……」
「それ、全部食べたんですか?」
「勿論だ。正直、煮込むより焼いたほうが美味かったがな」
翌朝になっても、ステラは何かにつけてガルムの昔の話を引っ張り出した。
やれ「力試しのつもりで青銅の自動人形を木っ端微塵にした」だの、「酔っ払って故郷の宮殿の柱を引っこ抜いて半壊させた」だの、話題には事欠かないようだった。
「だから、全部昔の話だろ。いい加減蒸し返すのはよせ!」とやいのやいのと口論が絶えない二人。
ガルムの足はよどみなく森の獣道を掻き分け、南東を目指す。一方で反省の色が見られないからか、ステラはすっかりむくれていた。
彼女の不機嫌な態度なぞ、どこ吹く風。時折ガルムは鼻をひくつかせ、獣の耳がひょこひょこと頭の上で忙しなく動く。
巣の場所が分かるのだろうか。マグニは黙って後ろを歩きつつ、二人の様子を伺い見た。
「あの、具体的な作戦とかはあるんですか?」
「何、至極簡単な話だ」
ガルムは耳の裏を、鋭利な爪先でがりがり掻いた。
「グリファントには面白い習性があってな。
奴等は群れ同士が衝突した際は、「決闘」を行い群れを吸収することがある。勝った方の頭が、相手の
だが、時に別の種族が頭を倒してしまった場合、群れはその異種族を群れの長として迎えることもあるそうだ」
つまりは、だ。とガルムは悪戯っぽく笑う。
「群れの頭である雌と
「えっ!?さ、流石に無茶ですよ、グリファントの雌はとても獰猛です、冒険者が束になってやっと討伐できるほどの強さですよ?
しかも他の若い雌や雄の群れも全員相手しなきゃいけないし!いくらガルムさんが強くても単独じゃ無理です!」
「それを決めるのはお前じゃない。俺様だ」
歯牙にもかけぬとは、まさにこのことといわんばかりの態度。
ステラは杖を左右に小刻みに震わせ、ぶつぶつと小声で唱えると、光の球を生み出した。
光の球は三人にぶつかった途端、すうっと消える。途端、自分が生み出す音がどんどん小さくなっていく。
「あれ?音が消えていく……」
「
成程、確かに足音を立てても、まるで何も聞こえない。
更に先へと進むうち、やにわに強烈な獣臭と、ギャアギャアとつんざくような鳴き声が聞こえてくる。
はっと視線を向ければ、数頭のグリファントが森の中を駆け回りながら、互いに吼えている。
「見張りの雄たちだな。メスの気が立っているらしい。巣は近いぞ」
「はあ。お願いだから、無闇に巣や森を壊すようなマネはやめてね」
「口うるさい奴め、何度繰り返すつもりだ。ほら行くぞ」
身震いしつつも、マグニは生唾を飲んで、口喧嘩する二人の後に続く。
森が終わりを告げ、切り開かれた空間に出た。
その先は断崖絶壁。まさに山の壁と呼ぶべき場所に、いくつもの巨大な丸みを帯びた出っ張りがある。
ざっと数えただけでも、三十以上はありそうだ。
それら全てが──グリファントの巣、ということになる。
「おお、結構あるな。ひいふうみい……ざっと三十六個か?」
「相変わらず目がいいのね。確か、巣ひとつにつき最大五頭のグループが巣にいるから……」
「ひ、百八十頭くらい……!?」
「計算が速いな。……かなり大きい群れとみた。ちと異様だな」
一行の気配には気づかず、グリファント達はのびのびと暮らしているようだった。
獲ってきた獲物を引き裂いて喰らい、あるいは互いの頭や背中を嘴で搔いてやったり、砂浴びをするものもいる。
中には、グリファントの雄の一頭に、雌がのしかかって、翼の付け根に噛みつく行為をするグリファントもいる。
「(何やってるんだろう、喧嘩……?)」
「(マウンティングだ。グリファントは背中に乗せた相手を「格上」とみなすのさ)」
やおら、マグニの視線は、いくつも連なる巣のなかで、一際大きな巣へと視線が向いていた。
その巣だけは、他の巣と違い、朝日を浴びてやけにきらきらと輝いて見えたからだ。
巣の穴から突き出る半身を見れば、いやでも理解せざるを得ない。
他のグリファントたちと比べ格段にも大きい体、鋭い鉤爪、巣穴からはみ出る翼──。
間違いない、グリファントの群れの長たるメスだ。
その大きさたるや!ポリマン人の暮らす一軒家ほどもある巨体である。マグニが十人は乗れそうな背中だ。
「おお、あれだな、群れの長は」
「こ、今度こそ死にますって!あんなの相手に一人で戦うんですか!」
「くは、まだ俺様の身を案じるか。ぎゃあぎゃあ喚くくらいなら、貴様も来い」
「へ?……わあっ!」
マグニの視線ががくんっと上昇する。
ガルムに担がれていると気づいた直後、二人の体が宙に飛んでいた。
すかさずステラは杖を翳し、呪文を詠唱し始める。
「ああもう、なんて危険なことを!≪移ろう風よ、彼らの足音を攫って!
途端、ガルムとマグニを、緑に輝く煙の煌めきが包む。
煙が晴れた途端、奇妙なことに気づいた。ガルムの足音や鎧の揺れる音が消えたのだ。
二人が群れのまっただ中を走るというのに、グリファントの群れたちは何も気づく気配すらなく、縄張りを呑気に歩き回る。
ガルムは当然の如く、その異常を受け入れたまま、断崖絶壁を軽々と登り始めた。
生きた心地がしないとは、まさにこのこと。
巨大な巣がいくつも連なる壁、岩場を跳躍し闊歩するグリファントの真横を、二人は登っている。
鋭い鉤爪が、血の乾いた獣臭が、巨大な嘴がすぐ脇を掠めるたび、ひゅっと息を飲む。
ガルムは気にする様子などなく、ずんずんと岩場を上がっていく。
ステラは見つからぬよう、やや離れた位置から身を隠し、呪文を唱え続けながらも状況を確認し続けてくれている。
「(ひええ……チチフ、絶対外見ちゃダメだよッ……!)」
「(プキュウ、プキュ、プッチフ……)」
「(怯えている暇があったら、周囲を観察しろ。依頼の宝石を探すのは、ちと骨だからな)」
『二人とも、群れに目をつけられたら、すぐ逃げるのよ。いいわね』
耳元に直接、ステラの声が響いてくる。風念信という、風魔術を用いた遠隔会話術だ。
極力、マグニは息を止めて、周りの様子を伺う。
球状の巣には、若い雌が体を休めたり、雄たちがしきりに出入りをして、幼体に新鮮な餌をやっている。
巣は普通の白い石から黒曜石、鉄の礫、果ては布の切れ端や木屑、銅貨なんかを、土や泥などで固めたものらしい。
より質のいいものでこさえられた巣ほど、大きく、幼体たちも体が大きいようだ。
「(登れば登るほど、巣が大きくて立派になってる……)」
「(興味深い生態だろう。ヒトが財産の有無で序列が決まるように、グリファントも序列が高いほど、巣という財産は立派になるのだ。奴等なりの社会性というやつだな)」
見ろ、とガルムが顎でさす。促され見上げれば、崖の上には一際大きな巣。
他の巣と異なり、金貨や財宝がこれでもかと埋め込まれ、日を浴びてキラキラと輝いている。
そして巣の丸い入り口から半身を出すようにして、堂々たるさまで、艶やかな翼を生やした、巨躯のグリファントが佇んでいた。
遠目で見るよりも、圧倒されるそのスケール。嘴だけで人間を丸呑み出来そうだ。だがマグニは、思わずその大きさに恐怖を忘れ、魅入った。
その巨躯を覆うブラウンの羽の美しさは、日差しを受けて色彩が微妙に異なっていく。鳥よりもウマに似た毛並みだ。羽一本をとっても、上質な絹よりも肌触りが良さそうだ。盛り上がった筋肉はしなやかで、この森を支配してきた年数だけの貫禄が、その肉付きに表れているといってもいい。顔に浮かぶ星の形にも似た傷痕は、この巣の長として君臨してきた勲章なのだろう。
「(……凄いや。怖いはずなのに……綺麗って思ってしまう。ずっと見ていたい……)」
「(くく、随分と豊満な群れの長だ。巣の内側は宝石だらけとは、随分着飾り好きなご婦人らしい)」
やおら、長のグリファントが、じろりとガルムたちの方を見据えた。
大きな艶めく嘴から、空を切り裂くような咆哮が巣穴という巣穴へと突き抜けていく。
途端に、それまで見向きもしなかった雄たちが金切り声をあげ、崖を登るガルムたち目がけ駆け上がり始めた!
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