5話 ガルムの野望


ぽかん、とマグニは目を丸くする。


「世界の外側……贖う……?一体、何の話を……?」

「私たちは3週間前、このファンタジアにやってきたの。有り体にいえば、追放ね」


その言葉を聞くと、露骨にガルムは不機嫌になった。

明らかに剣呑な空気を発しているが、気にすることなくステラは説明を続ける。


「彼は元いた故郷で、数々の大罪を犯したの。その罪状の数、実に729!」

「な、729も!?(……キリ悪いな)」

「あまりにもその罪は重すぎて、神々ですら正しく彼を罰することが出来なかった。故に、この人にとある刑罰を与えられたの。それこそが<贖裁巡界しょくざいじゅんかい>!」

「しょくざいじゅんかい?」


ステラは空いた手で指を鳴らす。宙にぱっと現れたるは、白銀に輝くひとつの秤。

片方の皿はドス黒い炭のようなものが堆く積まれ、もう片方の皿は一つだけ宝石のような純白の丸い石が置かれてある。

感心するマグニの隣で、ガルムは「要は面倒ごとを俺様に押しつけたってだけの話だよ」と不貞腐れたようにぼやいた。

ステラは聞こえなかったふりをして、話を続ける。


「この広大なファンタジアの大地を巡り歩き、悩み苦しむ人々や、問題の数々を解決し、人々を幸福にすること。それこそが彼に対する刑罰、というわけ」

「なるほど……あれ、じゃあその綺麗な石が……」

「彼の行った善行の証左よ。この罪業の石と、善行の石の重みが等しくなったとき、彼は初めて神々に許される。そして神々との謁見を受けた後、故郷へ戻る権利を得られるの」


ステラが言葉を一区切りすると、マグニは目をしばたかせた。

説明の内容が壮大すぎて、にわかには受け入れがたい事ばかり。

ふとガルムを見れば、彼の首と手足には、黒い枷にも似た、金属質の飾りがあしらわれている。

さしずめ、彼は大罪の奴隷といったところだろうか。

その時、マグニは輝く石を見つめながら、至極真っ当な疑問を口にしてしまった。


「たった一個だけってことは……ここにきて3週間、善行は何もしてなかったってこと?」


途端、二人とも黙り込んだ。さっとガルムが目を逸らし、明らかに気まずい空気が流れる。

どうやら指摘は図星だったらしい。ステラは呆れを露わにして、ガルムを睨んだ。


「ええ、まったく困ったことに!この人ったら、やることなすことが無茶苦茶なものだから、誰も感謝するどころか、怖がったり逃げてしまうのです。

その上、乱暴者だから、すぐに喧嘩を始めてしまうし、モノは壊すし……」

「おいおい、その言い草はなんだ!俺様は不届きな山賊共をやっつけたし、村を狙う魔獣どもを追い払って、川をせき止めていた土砂だって退かした!立派に善行を積んでる。感謝されて崇め奉られてしかるべきだろうが!」

「モノは言いようだけどね、貴方のやってることはただの破壊行為でしょ!

山賊どもは一族郎党根絶やしにして木にくくりつけて晒し者にするわ、魔獣たちのことは住む洞窟を山ごと吹き飛ばして家畜たちの餌場を壊すわ。

あげく川だって、貴方が面倒臭がって川の流れを変えちゃったせいで、田畑を水浸しにして台無しにしちゃったじゃない!皆怖がって逃げるに決まってるでしょう!」

「流れを変えたんじゃない、川を増やしただけだ」

「もっとひどいでしょ!気軽に山の生態系まで変えるんじゃありません!」

「(思ったより滅茶苦茶のスケールが段違いだ……)」


二人はそのまま、また口論を始めてしまった。止めるだけ無駄だろうか。

これまでの話を聞くに、贖罪というものは、単なる人助けを為せば良いというものではなく、人に感謝されることが大切なのだろう。

たった一つだけ輝く石は、マグニが心から彼に感謝したという唯一の証拠でもある。……ガルムは気づいていないようだが。

彼の乱暴な言動や経歴を見るに、天秤の皿が等しく並ぶ日は、果てしなく遠い未来のことだろう。

小一時間の口論の末、ガルムはとんでもない言葉を発した。


「それに元より、俺様はあんなカビ臭い所に戻る気など毛頭ない!」

「なっ……!自分で何を言っているのか分かってるの、ガルム!」

「当然だ。もう一度言ってやる。あの陰気くさい楽園などに未練などない。どうせ事実上の永久追放なのだ、この際利用させてもらう」


その口調はあまりに堂々たるもの、ともすれば傲慢不遜。

しかし不思議と、マグニはこの男の揺るぎない立ち振る舞いに、目を奪われ始めていた。


「この世界だ。空も、海も、大地も──ファンタジアそのものを、俺様がこの手で──支配する!

あの枯れ木同然の創造神や腰巾着の神々どもからの信仰、世界を運営する力を、丸ごと戴いてやるのさ!く、くははははははは!」


その口から語られた、壮大かつ尊大な計画に、ステラは今度こそ呆れはて、開いた口が塞がらなかった。

マグニも、そのスケールの大きさについていけず、ぽかんとガルムの顔を見つめる。

本気なのだ。その目に偽りも、口ぶりに冗談の類いも感じない。

この男は本気で、ファンタジアを手中に収めるつもりなのだ。


「ゆっ許されるわけないでしょ、そんな背信行為!大体、この広大な世界を貴方一人でどうやって治めるというの!今は只の二本足のくせに!」

「お前がいるじゃないか、ステラ。別に俺様とて己の力のみでこの世界を管理しようとは思わん」

「私を勝手に巻き込まないでよッ!神の意向に背く行為に加担などできません!何がなんでも、善行を積んで、楽園に帰らせますからね!」

「フン。俺様を誰だと思っている。月をば喰らう狼、マーナガルムとは俺様のことだ。有言したからには必ず実行するさ」

「こら!みだりにその名前を出さないの!貴方、どれだけファンタジアで悪名高いか自覚してよ!」

「黙れ、お前こそ空気同然の知名度のくせに偉そうに」

「ああーっ気にしてることを!人が地味に気にしてることをーッ!」


ふんぞり返るガルムを、激しく揺さぶって怒り狂うステラ。

それにしても、マグニの中で引っかかるものがあった。マーナガルムという名に、聞き覚えがある気がする。

確か、神話に出てくる悪神の名前だった気がするが──悪神の名を名乗るこの男は、一体どこの何者なのだろう?


二人の口ぶりから察するに、この広大なファンタジアの他にも、大陸があるらしい。現実的に考えれば、彼らはその出身なのだろう。

ガルムの立派な鎧や、ステラの上等なローブの質を見るに、王族や貴族の類いだろうか?

流刑という言葉が、脳裏をよぎった。


「話は長くなったが──つまり俺様は、この世界を統治しようと考えている。その上で一番必要なものは何か分かるか?小僧」

「えっと……お金と、土地と、軍隊と、政治への理解……?」

「まあ堅実な問題ではあるが、一番は「求心力」だ」


だが、とガルムは頬をかいた。頭上の黒い耳が所在なさげに揺れる。


「俺様にはヒトの心なぞ分からん。どうすればヒトが喜び、ヒトが俺様を信奉するのかなど、想像する能力がない。

俺様の故郷では力こそ正義だったが、ファンタジアではそうもいかんときた。そこで、お前の出番だ、小僧」

「僕が、ですか?」

「そうだ。マグニ、貴様は俺様の元で強くなり、俺様と共に善行を為し、このファンタジアの「英雄」となれ」


英雄。その言葉を少年が噛み砕き、飲み込むまでに、たっぷり三十秒は有しただろう。

え、とマグニは今度こそ目を丸くして、素っ頓狂な声を上げた。


「え、英雄!?ぼ、僕が……ですか!?」

「幸い、素質はある。お前は卑屈で、無口で、虚弱だと思い込んでいる。だが戦いのセンスの欠片と、相手の急所を狙い定めようとする観察力、何より生き汚さがある。それはお前の強みだ」

「(ほ、褒められてる気がしない……)」

「お前が強くなり、行く先々で共に善行をなせば、きっと人間はお前に着いてくる。そしてお前を育てた俺様は英雄より強い存在として讃えられる!

蛮人共は俺様を崇めるようになり、貴様をはじめとした、俺様を信奉する者達が新たに国を統治し、ゆくゆくはファンタジアを統一する!まさに完璧な計画!」

「実現不可能なことを除けばね!馬鹿な夢物語を計画してないで、真っ当に贖罪なさい!」


ステラも寝耳に水という顔であった。当然ながら、反対されると思って今まで話していなかったのだろう。

きゃんきゃんとまた説教が始まるが、ガルムは撤回する気などないようだった。

英雄。具体的なビジョンなどないし、自分がそんな大それたものになれる気などしない。

けれど、本気でこのファンタジアを支配しようとするガルムの言葉に、嘘偽りも虚勢もない。

だからこそ、マグニはきっ、とガルムの方を向いた。


「僕は、このファンタジアがどうなろうと興味ありません」

「…………ほう」

「だからこそ、僕は貴方達に着いていきます。善行を積み終えて神の国に戻るとしても、このファンタジアを支配することになるとしても。

僕は貴方達に救われて、僕を必要としてくれている。なら、僕はそれに全力で応えたいです。たとえ、貴方の望む「英雄」になれないまま終わるとしても」


マグニの伸びきった前髪の隙間から、銀色に眩い決意の色が輝いた。

その銀の光を覗き見て、ガルムは満足げに笑うと、そのままベッドに寝転がる。


「……夜は葬式なんだろう。元はといえど主人を見届けるんだ、身なりくらい整えろ。せめてそのみすぼらしい前髪をどうにかするんだな」

「あ……」

「はあ……マグニ、私が髪を切ってあげる。こっちにおいで」


掛ける言葉もなくなったのか、ステラはマグニを連れ、宿の外に出る。

長く話し込んだせいで、既に日は西へと傾き始めていた。椅子にマグニを座らせ、布を肩周りに被せると、ステラは器用にもマグニの髪を切り始めた。

鋏を持つ手はしなやかに、優しい手つきで髪の毛をつまむと、淡々と髪がはらはら地面に散っていく。


「まったく、ちっとも反省の色がないんだから!裁決が下された時はもう少ししおらしかったのに……いうことにかいて世界征服だなんて!突拍子がないのはいつものことだけど、今回も大概、呆れるほどとびっきりなジョークね!」

「(今回も、ってことは……かなり苦労してるんだな、ステラ様……)」

「自分勝手だし、飽きっぽいし、好きなことにしか関心が向かないし、乱暴だし!そう簡単にファンタジアが手に入ると思ったら大間違いなんだから!」


ぷすぷす愚痴を垂れながらも、ステラの手は止まらない。

余分な毛を綺麗に切り捨てて、あっという間にマグニは小綺麗な少年へと変わっていく。


「……でも、意外だった。あの人がたった一人の人間にここまで心を傾けるなんて、そうないことよ」

「え……そ、そうなんですか?(なんか照れくさいな……)」

「あの人は、生きとし生ける、全ての生命を憎んでいるもの。あそこまで買うってことは、余程あなたに何か感じるものがあるんだろうね」


ぱさり、と最後の一房の髪を切り落とすと、二人の周囲に風が舞う。

切られて尚へばりついていた残り毛が綺麗に散っていき、足元にまとまっていく。


「だから、マグニ。私も貴方に期待していい?あの人を……マーナガルムを変えられるって」

「僕が……ガルム様を?」

「世界征服のためとはいえ、善行を積むなら大いに結構。あの人が善の心を知っていけば、あの粗野な言動も、乱暴で凍てついた心も変わっていくんじゃないか……そんな風に思ったの。協力してくれる?マグニ」

「…………はい。出来る限り、努力はします」


尤も、あの自我の塊のような男が、自分なんかの言葉に耳を傾けるかはさておきだ。

散髪も終えた後、ステラはマグニを連れて喪服を買いに服屋を訪れる。

顔馴染みである雑貨屋のオババは、意外な客に目を丸くしていた。だが主人が替わったことで村を出ること、エラブッタの葬式のために服を買いに来たと知ると、綺麗な服を一式揃えてくれた。


「あんたは愛想はないけど、真面目で働き者で、エラブッタ様が可愛がっていたからね。餞別がわりさ」

「……………ありがとう、ございます」

「その真面目さで、新しい主人に、せいぜい可愛がってもらうんだよ」


葬式には、マグニは勿論のこと、ステラとガルムも参列した。

村じゅうの住民が葬式に参列し、エラブッタの死を悲しんでいだ。

父の死を知った息子たちも、隣の村から飛んで戻ってきて、空っぽの棺に縋りついて泣き咽ぶ様を、マグニは葬式会場の片隅でじっと見つめる。

啜り泣く声と嗚咽が混じる会場で、ツボネ夫人は毅然とした態度で喪主を務め、葬式はつつがなく終わりを迎える。

参列者が全員去るところまで見届けて、宿へと戻った。ひどく静かな、夜の帰り道であった。


その夜、マグニはほんの少しだけ、藁のベッドに俯せて泣き、眠りについた。

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