4話 イリス


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!なんで僕、なんですか!奴隷なんか連れても、貴方に利はないのに!」

「ぐだぐだ抜かすな。お前は俺様に買われたんだ、文句言わずに着いてこい」


屋敷を出る前に、「これは要らんな」とガルムが指を一振りし、全ての枷は破壊されたしまった。

マグニにとって、青天の霹靂だった。この先も村長一家の奴隷として働くものと受け入れていただけに、突然枷を外される日が来るなどと思ってもみなかった。

すかすかになった首や手足の感触を確かめる。まだ枷の痕は、濃く少年の肌に刻まれたままだ。


「……おい、マグニ。聞いているか」

「はっひゃい!?」

「今夜はお葬式でしょう。それが済んだら、町の案内をしてほしいの。昨日で旅糧が尽きちゃって」

「は、はい。分かりました」


何とも奇妙な気分だった。少年はきょときょとと、煤けた灰色の目を周囲へ向ける。

これまで足枷の鎖につまづかないよう、俯いてばかりいた。両腕の鎖が扉や壁に引っかからないよう、気にして立ち回っていた。

なのに今は、大手を振って、足元を見下ろすことなく、村の通りを歩いている。自分を知る村人たちが、訝るような視線を首や手足に向けてくる。

視線が煩わしくなったのか、ガルムはさっさと村の宿屋に入ってしまった。


「ったく、人を見世物みたくジロジロと見おってからに。不愉快な村だ」

「す、すすすみません。多分、僕のせいです。この村で、自由になった奴隷はきっと、僕が初めてなので……」

「フン。それだけじゃなかろうに。随分としらばっくれるな、演技派め」

「へ……わあっ!?」


やおら少年の顔にがっしりと手で触れる。

マグニは息を飲んで「やめて」と抵抗するが、指は構わず長く伸びた髪へと移動する。

鋭い手甲の爪が、薄汚れた青髪をかきあげて、マグニの「丸い耳」を露わにさせた。


「やはり。お前、<イリス>か」


その言葉に、マグニは言葉を詰まらせ、俯いた。


この世界──ファンタジアには様々な種族が存在する。

ポリマン族をはじめとして、長身痩躯で耳の長いエルー人、獣の特徴を持つウルラン人やペルビット人、樹木の肌を持つドゥナラ人や、角を有するガオ人、海に暮らすミーマン人など多種多様。

だが、多種多様な姿を持つ種族がありながら、この世界には、<イリス>、すなわち「丸耳ヒューマン」と分類される種族は本来、存在しない。

人間はファンタジアにおいて「伝説上の生物」と認識されており、大変珍しい生物として扱われる。

時に奴隷として、時に愛玩生物として、時に兵士として、時に実験体として、──彼らはこの世界では、迫害に等しい扱いを受けている。

この世界では、人間の定義はイリスを除く、「知性が高く、文明を有し、社会を築く生命体」を指すのである。


「だ……黙って居て、すみませんでしたッ!お願いです、この事は誰にも話さないで……!」


マグニはすぐさま、二人へ這いつくばって頭を垂れた。

突然のことで驚くステラをよそに、マグニは何度も額を地面に擦りつけ、打ち付ける。


「ぼ、僕、7年前にこの世界に来て……2年間エラブッタ様に仕えてきました。

あの人が一番マシな御主人様だったんです。偉そうだし守銭奴だし奴隷をこき使う人だけど、僕を真っ当に可愛がってくれていたのは、あの人だけだったんです。

ツボネ夫人にだって、僕の正体は話してないんです!

あの人にばれたらきっと、前金の話だって蹴って、国に高値で売り飛ばされてしまいます。もう、どこへ行ったって、イリスが普通に暮らせる場所なんて、この世界にはどこにもありはしない!

イリスだってだけで、血を沢山抜かれたり、魔獣と戦わされたり、色んな魔術の実験に使われて……もうイヤなんです。なんでもします、だから……!」

「そんな、私たちはそんなつもりで貴方を身受けたわけじゃ……」


少年は埃と煤にまみれた顔をあげる。

ステラは絶句して、しわくちゃな少年の顔を見つめた。

恐怖に青ざめていても、少年の双眸は頑なな意志を宿している。

果たして、どう扱ってやるべきが一番なのだろうか。考えあぐねるステラの横で、ガルムの蜂蜜色の目がぎょろり、と楽しげに見やった。


「おうおう、その”目”だ」

「?」

「口や態度では命乞い。だがその目はさっきから、俺様の急所をずっと探してる。隙あらば俺様の喉元を突いて逃げ出してやろうって目だ」

「へっ?い、いや、そんなつもりじゃ……」

「良い。むしろ、それくらいの反骨精神がなければ、お前のような痩せぎすなど欲しがらん。立て、小僧。俺様は卑屈な奴が一番嫌いだ」


マグニは弾かれたように、よろよろと立ち上がる。ガルムはやおら、少年の顎をぐいっと掴む。

痩せっぽちで背の低いマグニは、顎を引っ張られて背伸びする。


「ふむ。マグニ、そのエラブッタとやらは幾らでお前を買った?」

「へっは、はい?」

「俺様は奴隷の相場は知らん。お前がイリスであることを考えれば、金百万ドラー(※現代日本換算で五百万円ほど)は下らんと思うが」

「お、オレも覚えてない、です。多分、金五十万だった、かも」

「金五十万か。そこそこ高価いが、イリスともなれば値は張るか」


ぱ、と顎から手を離され、ふらふらと揺れるマグニの体を、ステラが抱き留める。


「マグニ。俺様は女々しく命乞いするような手法は好かん。己の自由が欲しければ、自分自身の手で勝ち取れ」

「……どういう意味です?」

「言葉の通りだ。マグニ、グリファントは丸くて輝く石などを好むことは知っているか?」

「そ、それなら聞いたことあります。旅する宝石商や、鉱山の辺りで人がよく襲われる話を聞いたことがあるので」

「ああ。連中は固く輝くものを、巣を増強する素材や、己の嘴や爪を研ぐために用いるのだ。

特に好まれるのは、硬貨や小さな宝石の類いだな。つまり、奴等の巣はお宝で出来ているというわけだ」


そこで、とガルムは得意げにニヤリ、と笑うと、ぴんと人差し指を立てた。


「宝探しだ。連中の巣から宝の類いを戴き、お前は己を俺様から買い返せ。さしあたって、まずはこの依頼で金十ドラー分をな!」

「え……ええーッ!?」

「ガルム、子供になんて無茶な要求をするの!すぐそうやって碌でもないことばかり思いついて!だいたい、そんな大金、そうそうあるわけないでしょ!」

「何を言うステラ、これも立派な【善行】だろう。マグニと村の連中はエラブッタ達の仇が取れて、奴等に奪われた財産を取り戻す。

こいつ自身も、自分の力で己を買うことが出来れば、おのずと自尊心も取り戻せよう」

「発想と手段がよこしますぎ!私たちの目指す【善行】とは程遠いわよ、ガルム!」


二人はそのまま、言い争いを始めてしまった。

マグニは突然の提案に驚きながらも、激しく口論する二人を「待って」と制した。

少年の仲裁でやっとクールダウンしたことを確認して、マグニはガルムに向き直った。


「あの、どうして僕を助けてくれるんですか?そして今も、やり方はさておいて、僕を助けようとしてくれている。

僕は貴方と何の縁もないし、僕は一文無しの奴隷で、力も知恵もない。貴方に得なんてないはずです」

「……あー……それ、説明しなきゃ駄目か?」

「言いたくないなら、それでも良いけど。僕が納得できなきゃ、その提案は受け入れたくないです」


ガルムは目を泳がせ、あからさまに面倒臭そうに唇をひん曲がらせた。スープを作るときと全く同じ顔だ。

ちらり、と蜂蜜色の瞳がステラに目配せする。お前がどうにか説明しろ、と言いたげだ。

ステラは少しばかり考え込むように手で唇を撫でると、意味深に頷いて口を開いた。


「良いでしょう、貴方がイリスだというのならば、どのみち私も放ってはおけないし。貴方には知る権利があるわ」

「どういう意味?」


一瞬の沈黙。ステラは悩ましげに顔を伏せるも、一呼吸置いて、マグニと目を合わせた。


「私たちはね、「世界の外側」からやってきたの──己の罪を、贖うために」


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