(2)ワルツ、ポルカ、泥棒

 カドリールが終わる。

 広間にはさらに人が増えてきた。次のワルツは一番ポピュラーな曲で、今日も一番多く奏でられる予定になっている。

「行こう、花墨ちゃん」

「はい」

 緊張して声が硬くなる花墨に、悧月は目を合わせて微笑んだ。

「これだけ人がいれば、うまいとか下手とか全然わからないでしょ」

「……そうかも」

 二人は、広間の中央に出て行く。

 大きな手が、花墨の手を握り腰を抱いた。

 ゆったりと、弦楽器のワルツの調べが始まる。

 くるくると、人々はホールに輪を描く。

 花墨もついていってはいたものの、やはり付け焼き刃なので足元ばかりが気になった。苦労していると、悧月がささやいた。

「不思議なものだね。出会った頃は、まさか花墨ちゃんと踊ることになるなんて夢にも思わなかった」

 顔を上げると、視線が絡まり合う。

(そう……もう、十二階下にいた頃の子どもじゃない。私たちは、大人の男女なんだ)

 視線が離せない。

 互いだけを見つめて回る二人を、音楽はふわふわと運んでいった。


 ぜえぜえと息を切らした悧月に、花墨はグラスを差し出した。

「お水、もらってきました」

「あ、ありがとう。ごめん。運動不足が祟った……」

 廊下のソファに座った悧月は、水を飲み干してため息をつく。


 ワルツこそ、彼の巧みなリードで花墨は『踊らせてもらっていた』ところがあったのだが、次のポルカは逆だった。

 ポルカは跳ねるステップが多く、動きも大きい。花墨は慣れている上に、普段から立ち働いているが、机の前でひねもす原稿を書いている悧月にとっては大変だったようだ。


「それでいいんですよ先生」

 花墨はフォローする。

「疲れたーって装って下さったから、自然に休憩をとるために広間を抜け出せたし」

「はは……装ってるんじゃなくてホントにしんどい……」

 しかしとりあえず、名簿に名前を書いた人物がきちんとパーティーに参加していた、という形式は整った。パーティーも時間が経過して砕けた雰囲気になってきたため、動きやすくなる。

「よ、よし。落ち着いた」

 悧月はグラスをサイドテーブルに置くと、ちらりと周囲を見回して立ち上がった。

「行こう」


 まずは、階段で一階に降りた。金庫があるのは、一階の渡り廊下の先にある別館だ。

 別館、といっても平屋で、広々とした一部屋に便所がついているだけの場所である。吸烟室として使われることが多いけれど、今日は本館の一階・二階にそれぞれ吸烟室を作って、別館は閉めているらしい。

 ジョン・バーネット元大使が主催したパーティーでは、舶来の美術品の展示も行ったため、その保管場所として元大使自身が別館に金庫を持ち込んだそうだ。壁に固定されており、開け方は元大使だけが知っている。


 踊り場で、人声が聞こえてきた。手すりの隙間から下を覗いてみると、玄関ホールから渡り廊下へと抜ける通路で、数人が談笑している。

 あの横を堂々とすり抜けて行ってもいいが、できれば見られたくない。

「先生、他に道はないかしら」

「ええと、前に別のパーティーに出た時は確か……花墨ちゃん、こっちへ」

 悧月の案内でいったん二階に戻ると、会館の右翼側廊下へと回った。一番奥に、正面階段とは別の、細く薄暗い階段がある。業務用、といったところだろうか。

 降りきったところに、飾り気のない通用口があった。

 扉の内鍵を外し、静かに開く。

 中庭に出た。庭を照らすガス灯が立っているものの、建物沿いは暗く、二人は闇に紛れて別館へと進むことができた。


 庭から直接、渡り廊下に上る。すぐに別館の両開き扉までやってきた。

 悧月はポケットから鍵を取り出すと、扉を開けた。音を立てないように忍び込み、閉める。

 二人はため息をついた。

「とりあえず、誰にも見られずに来れた、たぶん」

「泥棒の気持ちがわかる気がするわ。……あ、先生、あれ」

 花墨は、部屋の奥を指さした。


 光源は窓からだけなので覚束ないが、布のかかったソファーセットやチェストがぼんやりと見える。

 そのさらに奥の隅に、腰の高さほどのダイヤル式金庫が鎮座していた。


 壁に固定されている金庫に、二人は近づいた。先に悧月がレバーに手をかけ、動かしてみる。

「やっぱり鍵がかかってる。奥方の持ち物の何かを、バーネット氏はここに隠したんだな」

「番号、合わせてみます」

 花墨は進み出た。


 巣鴨監獄で面会した時、元大使はこう言った。

『いつ、大事な人と別れることになるかわかりません。誕生日などの記念日も、大切に過ごして下さいね』

 これが金庫のダイヤル番号のヒントだと、花墨はふんでいた。『大事な人の誕生日』──おそらく奥方の誕生日が番号になっている。


(きっと誰か、大使夫人の誕生日を知ってる人がいるはず。だってイギリスにいた時、上流階級の方々は、大勢の人を招いて誕生日パーティーをしてたもの)

 そう確信していた花墨は、監獄に行った翌日から、聞き込みを開始した。『カメリア』常連の外国人客と雑談する際に、

『英大使夫人が亡くなったと聞いて驚きました。お会いしたこと、ありますか? 何かのパーティーとか』

 といった言い回しで聞いてみたのだ。

 すると、それを小耳にはさんだ鞠子が、控室で話しかけてきた。

「花墨ちゃん、どなたかお客様関係の方の誕生日を知りたいの? 贈り物?」

「あ、はい、そんなところ……です」

「なら、いいコト教えてあげよっか」

 鞠子は後れ毛をかきあげながら、嫣然と微笑んだ。

「『人事興信録』、っていうのがあんの」


『人事興信録』は、いわゆる人名録の一種だ。有名人の情報が掲載され、一般に公開されている。

『日本紳士録』だと日本人の高額納税者を中心に掲載されているが、『人事興信録』には在日外国人の情報も載っているのだ。

「家族の情報も見れんのよ。帝国図書館で調べてごらん。ちょっとお金がかかるから、調べたいことは事前にまとめて行くのよ」

「わかりました、ありがとうございます。さすがは鞠子さん」

「うふ。あのね、旦那様が……オーナーが偉い人に取り入るために、ご本人や奥方の誕生日に贈り物をすんの。贈り物を選ぶのは私だから、いつも調べてんのよ」

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