第四幕 華族会館泥棒ポルカ

(1)パーティーへの潜入

 茶色と灰色の屋根、ベージュの外壁、明るい青のアーチと黒の鋳鉄の手すりに囲まれたベランダが、左右に大きく広がっている。

 旧鹿鳴館――華族会館だ。


 階段を上って玄関ホールに入っていくと、白いクロスのかかった受付が作られていた。

「あ、鏡宮先生! ようこそいらっしゃいました!」

 編集者の森がめざとく見つけて、声をかけてくる。

「こちらにご芳名を」

 進み出た悧月は、ダークグレーの英国風スーツにベスト、そしてネクタイを身に着けている。今日の出版記念パーティーは比較的カジュアルなドレスコードということで、それに合わせたいでたちでやってきていた。

 彼の左腕には、真顔の花墨がぎこちなく掴まっている。

 スミレ色のイブニングドレスは腰より少し下に切り返しがあり、プリーツの入った裾はひざ下までの長さ、模様入りのストッキングを履いた細い足が覗いている。袖もなく、襟ぐりも開いていたけれど、白いレースの大きな襟が清楚だ。

「お美しいお連れ様で! よろしければお嬢さんもお名前を」

 森が促したが、悧月はやんわりと断った。

「叔母の知り合いのお嬢さんにつきあってもらったんです。名前は勘弁してほしい。ところで……あ、ちょっと待ってて」

 悧月は花墨に声をかけてからいったん離れ、森とホールの隅に行った。彼にだけ聞こえるように耳元でささやく。

「森さん。別館の吸烟きゅうえん室(喫煙室)って、今日、使ってます?」

「え? いえ。今日は本館だけ使っているので、あちらは鍵を」

「じゃあ……後で僕ら・・使って・・・もいいかなあ」

「……あっ」

 森は目をぱちくりさせてから、ニヤ、と笑った。

「いやー、先生も隅に置けませんなぁ。ちょっとお待ち下さい」

 彼は階段を回り込んで事務室に入っていき、すぐに戻ってきた。

「鍵です。どうぞごゆっくり」

「ありがとう」

 渡された鍵をすぐにズボンのポケットにしまい、悧月はサッと花墨のところに戻った。

「さ、花墨ちゃん、行こうか」

 腕を差し出すと、花墨は不思議そうにしながらもその腕に掴まった。

「はい」


 二人は、吹き抜けのホールの階段を上がっていく。

「先生、さっきのって、金庫のある部屋の鍵ですか? 何て言って手に入れたの?」

 花墨に尋ねられた悧月は、明後日の方向を見てすっとぼける。

「ヒミツ」

「え、何でですか?」

「君も金庫の番号を秘密にしてるから、おあいこ」

 むっ、と花墨はバラ色の唇を尖らせて膨れたものの、すぐに周囲を見回した。

「……これから何人も、先生の知り合いに挨拶するんですよね。私、ちゃんと振舞えるかしら」

「いやー、その、そんなに知り合いいないから」

 苦笑いする悧月に、花墨は目を瞬かせる。

「そうなんですか?」

「白状すると、僕はまだ本を出していないんだ。雑誌に寄稿してるだけ。一応、もうすぐ出版の予定はあるけど、本当に出るまではわからないからね! だからその、僕を知ってる作家先生はそんなにいないと思う」

 ははは、と乾いた笑い声を上げる悧月に、花墨は肩をすくめる。

「見栄張ってたなんて。私なんかを相手に」

「いやあ、作家的にはアレでも、やっぱり花墨ちゃんには頼りになるところを見せたいんだよ」

 自分を助けてくれた少女に恩返しをしている最中、また迷惑をかけてしまった悧月は、再び彼女と出会えた奇跡に感謝している。今度こそ、彼女の望みを叶える手助けをしたい。

(僕が実家を離れて東京に来たのも、そして戦地で起こった出来事・・・・・・・・・・も……まるで全て、彼女を助けるために導かれているような気さえする)

「先生、音楽が始まったわ」

 階段の上を見ている彼女の横顔を、悧月はじっと見つめた。

「うん。行こう」


 玄関ホールの真上が、舞踏室だ。赤を基調にした壁紙に、艶やかな板張りの床。大きな暖炉の上の鏡が、きらめくシャンデリアを映している。

 バルコニーが開け放たれており、そこで楽団がカドリール(方舞)を奏で、一部の招待客は踊り始めていた。

(華族だけではないみたい。でも、裕福そうなひとばかりね、当たり前だけれど)

 花墨は緊張しながら、悧月についていった。まずはパーティーの主役、自叙伝を出版した華族の男性に挨拶だ。

 羽織袴の恰幅のいい男性に、悧月があいさつする。

 彼は生返事し、花墨のことは完全無視で、すぐに他の人と会話を始めた。もはや二人のことは見えていないようだ。

 二人もすぐに、その場を離れた。


「私はともかく、先生のことおざなりにして。感じ悪い」

 こっそりむくれる花墨を、悧月は「まあまあ」となだめた。

「僕らも自分たちの都合で来ただけだからね。出版おめでとうございます、利用させてもらいますありがとう! それでは! てなもんさ」

「……それもそうか」

 早く金庫を探しに行きたいところだが、パーティーは始まったばかりだ。皆が広間に集まっているため、今は他の場所に行くと目立ってしまう。

 曲順は事前に決まっており、カドリールの次がワルツ、そしてポルカと続くことがわかっていた。ワルツとポルカを踊ったら休憩を装って広間を出よう、と二人は決めている。

 花墨が掴まっている悧月の腕が、きゅっ、と力を込めて彼女の手を挟み込んだ。

「花墨ちゃん、僕のそばから離れないようにね」

「? はい、そのつもりですけど……何かありましたか?」

「そりゃ、若くて綺麗な令嬢なんだから。男性が声をかけてきたり、女性がライバル心燃やしてきたり、あるだろうさ」

「そんなに本物の令嬢っぽく見えます?」

 花墨はドレスのスカートをちょっと摘む。悧月は前を向いたまま言った。

「とにかく綺麗で、心臓に悪い。僕意外とは絶対、踊らないで」

(褒めてくれるんだ。先生は優しい……いつも)

 花墨は、踊りの輪を見つめながらささやき返す。

「先生こそ、英国風のスーツ、すごくお似合いです。こういった場に相応しい方なんだなって、思います。私みたいな娘を連れていて大丈夫? おつきあいしている方がいたら、きっとご不興を買うわ」

 悧月は鼻にしわを寄せた。

「叔父の家に居候してる駆け出しの怪奇小説家に、そんな相手がいるわけないでしょ。君の方こそ、ご実家のことを考えると、本来ならこのくらいのパーティーに参加していてもおかしくないだろうに」

「でも、今は違う。私、いかがわしいことだって考えてますよ」

「えっ⁉」

 花墨は片手で扇を広げ、その陰で続けた。

「こんなに素敵な、しかも裕福そうな男性、私が私娼とか不健全なカフエーの女給だったら絶対に逃さない上客だな、って」

 自分は悧月と違う世界にいるから、物の見方も卑しいのだ、と知らしめる。悧月には、花墨の境遇のことであまり気を使ってほしくなかった。

「あ。いかがわしいって、そういう」

 悧月は何やら誤魔化し笑いをし、そして軽く肩をすくめる。

「考えるだけでいかがわしいなら、怪奇小説を書いてる僕なんか、いかがわしさの極みだよ」

(……先生はやっぱり、優しい)

 花墨は少し黙り込んでから、きゅっ、と悧月に掴まる手に力を込めた。

 頬が、いつもよりも熱かった。

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