(6)復讐のために

 他に手がかりもなく、花墨は菊まつりについて何人もの大人たちに聞き、あの神社を探し始めた。菊まつりを行っている神社は一つではなかったので骨が折れたが、娼婦たちも時々は子守の仕事を休ませてくれたので、一つ一つ出かけては確かめた。

 ある日、ついに、見覚えのある神社にたどり着いた。

「時庭さんの娘さんか! よく無事で」

 そろそろ還暦という年頃の神主は、父と花墨のことを覚えていた。

「本当に大変だったね。今はどうしているんだい」

「知り合いのところで、お世話になっています」

 そのあたりは曖昧にしておいて、花墨は尋ねる。

「父のこと、思い出したくて来ました。ここで父が菊の花のお世話をしたのを、私、手伝ったなって……何だか、千代見、っていう名前を言っていたような覚えがあるんですけど、千代見ってなんでしょう?」

「千代見? 千代見姫のことかな。昔、ここからそう遠くないところに、雛菊神社という小さな神社があったんだ。そんな名前のお姫様が祀られていたよ」

 姫。

 あの、裾の長い着物姿は、確かに姫という雰囲気だった。

「どういうお姫様なんですか?」

「あまり詳しいことは知らないんだ。祀られていたのは、林の奥にある目立たない小さなお社でね」

 神主は、思い出し、思い出し、口にしていく。

「僕が子どもの頃――徳川様の世の終わりだから本当にずいぶん前の話だけど、その頃は冬にだけ神職の人が来て、何やら儀式をしていたな。それも、明治になってからは来なくなった。ただ、雛菊神社には菊がたくさん植えられていて、大丈夫そうな株をそのままにしておくのも可哀想だから、私の父がこっちに少し植え替えたんだよ」

「その、雛菊神社があったのって、どこですか? 教えてください!」

 ようやくつかんだ手がかりだ。花墨は頼み込んだ。

「いいけど、もう廃神社になってしまったよ?」

 神主は不思議そうにしながらも、場所を教えてくれた。


 もう時間も遅くなっていたが、花墨はすぐに雛菊神社を目指した。

 神主の言っていた通り、雑木林の中に隠れるようにして、小さな社があった。境内には枯れた手水舎と朽ちた祠、二つの石灯籠が残っていた。

 しかし。

 石畳に足を踏み入れたとたん、声がした。

『ははうえ?』

 はっ、と声の出所を探すと、左の石灯籠の陰で何かが動いた。

 幼い女の子が、顔を覗かせている。

『ちがう……ははうえじゃない。おまえは、だれじゃ?』

「私は……私は、千代見という姫を探しにきたの」

 声を強めて聞くと、女の子は石灯籠の陰から出てきた。すうっ、と、まるで滑るように花墨に近づいてくる。

 真っ白な着物、おかっぱの黒髪。その子もまた、まるで幼いお姫様のようだった。

 その姿は――半透明に透けている。

(! この子も、化け物……!?)

 女の子は、目を細めた。

『おまえ、ははうえのにおいがする。ははうえに、あったのじゃな? ははうえはどこじゃ』

「母上? ……もしかして、千代見のこと?」

 この女の子は、千代見の娘なのだ。

(娘がいたなんて)

 動揺しながらも、言葉を続ける。

「だから、探してるんだってば。その……返さなくてはいけないものがあって」

 借りを。大きな借りを返すのだ。

 女の子は警戒を解いたのか、再び大きな目で花墨を見つめる。

ほしみ・・・も、ははうえをさがしておる。どこかにいってしまったから』

「そう。……あなた、ほしみというのね」

 とっさに、花墨はこう言った。

「わかった、見つけたらあなたにも教える。だから色々、聞かせて」

 利用できる、と思ってしまったのだ。復讐したい相手の情報を、その幼い娘から聞き出せると。

 一瞬、罪悪感が頭をよぎる。

 けれどすぐに、千代見への憎しみがそれを塗りつぶした。

「ほしみの母上は、いつからいないの?」

『もう、ずーっと、いない。しらないおとながきて、ははうえを「うつす」とかいっていた。ははうえはそやつらとどこかへいった。それからずっと、いないのじゃ』

(移す?)

 どういう意味かはわからなかったが、とにかく、娘の星見は一緒には「移されなかった」。ここに残っている。

「そう。……私も、母様がいないの。父様も」

(あなたの『ははうえ』が、殺したからよ)

『ふうん』

 じっ、と、ほしみは花墨を見つめる。

 ハッとした時には、大きな黒目が花墨の目の前に迫っていた。

『おまえ、名はなんともうすのじゃ?』

「え」

 教えるつもりはなかったのに、勝手に口が動く。

「花墨……」

『かすみか。おまえは「しらないおとな」ではないし、こどもじゃからこわくない。ほしみは、ははうえにあいたい。だから、おまえといっしょにいく。いっしょにさがす』

「あっ?」

 女の子の姿がぼやけ、青い炎になってふわりと浮かんだかと思うと、花墨の胸にじわじわと入り込んできた。炎に見えるのに、冷たい。身体は反射的に抵抗しようとする。

 声がした。

『ほしみのははうえにあいたいなら、ほしみをつれていけ』

(……会いたい!)

 その瞬間、花墨は『星見』を受け入れ、憑かせたのだ。


 十二階下で子守をする暮らしを、星見は意外にも楽しんでいた。

『こどもがいっぱいいおる、たのしいのぅ』

 普段はおとなしくしているが、花墨が子どもたちと遊ぶ時、勝手に花墨の身体を乗っ取って遊ぶこともあったくらいだ。

 けれど、星見は本当に、千代見の居場所についての手がかりを知らないようだった。『しらないおとな』というのが、いったい誰のことなのかすら、わからない。

 いったん手がかりが途切れてしまい、焦りを感じている時――

 ――花墨は悧月に出会った。


(お兄さんには言えない。千代見のことも、星見のことも。私が、子どもを利用して母親に復讐しようとしてるなんて)

 だから、聞かれても詳しいことを言えなかった。

 花墨は表情もなく、雨の中を歩いていく。

(それでも。あの化け物に、必ずたどりついてやる)



 その日以来、花墨は十二階下から姿を消した。

 悧月は私娼たちに彼女の行き先を尋ねて回ったが、誰も居場所を知らない。

「仕方ないよ、あの子も訳ありみたいだったからね」

「今まであたしらの子の面倒見てくれて、本当に助かった」

「こっちは何とかするから、花墨も無事でいてほしいね」

 私娼たちも生きていくのに精一杯で、花墨を探す余裕などない。

 一方で、悧月は何ヶ月も花墨を探し続けた。戸口の壊れたあの家に泊まり込んで待ってみたこともあるが、彼女は帰ってこない。

 読み込んだ跡のある教科書だけが、寂しく置き去られている。

 花墨を別の私娼街で見かけたとか、下町で住み込みで働いているらしいとか、ちらほら噂はあった。しかし悧月が確かめに行っても、空振りに終わった。


◆   ◆   ◆


 翌年、第一次世界大戦が始まった。

 戦争中に悧月は二十歳になり、徴兵されて帝都を離れた。

 そんな中、大正五(1916)年、警視庁は大規模な私娼撲滅運動を行った。特に十二階下は、多すぎる私娼たちの情念が怪異を引き寄せてしまうため、憑捜も協力して大勢の私娼たちを検挙した。

 彼女たちは、運良く他の仕事に就けた者を除いて、再び客を取るために、帝都の他の暗がりへと散っていった。

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女給と作家の大正メイズ(迷図) 遊森謡子 @yumori

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