第19話

「室長! あの光は!」


 部下が指差している、数キロ先に見えるビルから放たれた鮮光を、異世界対策室室長――安西は目を細めながら見つめていた。


 レグヌムの騎士から魔力反応に関する報告を受け、異世界対策室の職員二四名と、オルガルドを含めた騎士一二名とともに、安西は再開発エリアへと赴いた。

 反応は何者かが長距離転移魔法で転移してきたものだったらしく、転移者がラミラ、あるいは彼女の身内のエルーザである可能性があるため、騎士団が再開発エリアへ赴くのを許可してほしいとオルガルドが申し出てきた。

 それに対して安西は、自分も含めた異世界対策室の人員を同行させることを条件に、申し出を了承した。


 転移してきた術者が、反応があった場所に留まっているとは限らず、そうなった場合は夜の再開発エリアで人捜しをすることになるため、対策室も騎士団も今動ける限りの人員を投入した。計三六名の人員が動いているのも、それゆえだった。

 くだんの反応地点に赴いたものの、案の定そこには人っ子一人おらず、対策室は四人一組で、騎士団は三人一組でグループをつくり、手分けして転移者を捜した。


 そして、


「どうやら、誰かが当たりを引いたようだが……」


 安西は眼鏡のブリッジを指で押し上げ、思案する。

 グループをつくる際、安西はオルガルドに対策室の職員と騎士を混合するよう提案したが、それだと連携に支障が出てしまい、そのせいでまたラミラを取り逃がしてしまう恐れがあると言われ、揉める時間を惜しんだ安西は引き下がった。


 だが、


(やはり今回のオルガルド氏の行動には、わずかだが違和感を覚える)


 もしこの違和感が正しかった場合、オルガルドも含めた騎士一二名は、全員〝あそこ〟にいるかもしれない――そう思いながらも、ビルから放たれた鮮光を今一度注視する。


 神々しくもあり、禍々しくもある、見ていているだけで寒気を覚えるような不穏な光。

 さすがに再開発エリア外まで光は届いていないだろうが、現在安西たちがいる、あつらえたように人がいない区画の外には、数多くの関係者たちが再開発の仕上げに勤しんでいる。

 どれだけ多くの人間があの鮮光を目の当たりにしたのかを考えるだけで、胃が疼痛とうつうを訴えてくる。


(……今は、後の心配をしている場合ではないな)


 そう自分に言い聞かせることで頭を切り替えると、安西はグループを組んでいた三人の部下に、鮮光が放たれたビルへ向かうよう命じた。



 ◇ ◇ ◇



 気がつけば、三六〇度どこを見渡しても〝白〟以外は何も見えない地平に立っていた。


 ……いや。〝白〟以外にも色は見える。


 遠く離れた場所に、豆粒ほどの〝黒〟が見えていた。


 その存在に気づいた瞬間、居ても立っても居られなくなったは走り出した。


 豆粒だった〝黒〟は徐々に大きくなり、その正体が、一糸すら纏っていない女性の、地面につくほどにまで長い黒髪であることには気づく。


 は女性に近づこうと、走って、走って、走り続けたところで、ふと気づく。


〝黒〟の正体に気づいて以降、どれだけ走っても女性との距離が縮まらなくなっていることに。


 それでも構わず、走って、走って、走り続けて。


 やはり距離は縮まらなくて。


 手が届かないなら、声だけでも届けてやると思ったは、女性の名前を力一杯に叫んだ。



 ◇ ◇ ◇



「マリ……ティア……」


 オルガルドが、眼前に十七夜てきがいるにもかかわらず、ラミラの方へと振り返って呆然と呟く。


 十七夜もまた、眼前のオルガルドてきを倒す絶好の好機には目もくれず、悔恨の滲んだ目で、鮮光がその身に収束しつつあるラミラを、玄関の方へと吹き飛ばれた、背中を血の赤に染めたエルーザを、身を挺してエルーザの緩衝材クッションになった春月を見つめていた。


(わたしのミスだ……)


 悔恨を超えた自己嫌悪を、心の内で吐き出す。


 エルーザの魔法でこのモデルルームに長距離転移した際、十七夜はこう思ってしまった。

 ここなら、しばらくは安全を確保できるだろう――と。


 魔法で転移する前、エルーザはこう言った。



『あたしなら、クソジジイの〝天眼〟も無効化できるからねえ。だから、一度行方をくらましたが最後、あんたらじゃあたしらを見つけることはできないって寸法さね』



 魔法という力が、十七夜にとっては未知の部分が多いゆえに、エルーザの言葉を聞いて、ひとまず追っ手の心配はしなくてよさそうだと思考停止してしまった。

 よくよく考えるまでもなく、エルーザが『見つけることはできない』と断言したのは教団に対してであって、異世界対策室やレグヌム騎士団に対して言ったものではない。

 転移先が異世界対策室の本部がある外津市だとわかった時点で、何らかの方法で捕捉される可能性があることを考慮して然るべきだった。

 ボディガードたるもの、常に最悪を想定しなければならないのに、怠ってしまった。

 結果、悔やんでも悔やみ切れない事態を招いてしまった。

 悔恨も自己嫌悪も、いくらしてもし足りないくらいだった。

 もっとも、今日一日色々すぎるほどに色々な事態が起き、魔法やドラゴンといった未知の領域の戦いが連続した疲労を鑑みると、十七夜でなくても気が緩むのは無理からぬ話だが。


 神々しいまでの鮮光が完全に消え失せていく中、ラミラは体の調子を確かめるようにして、両手を握っては開くを繰り返す。

 いっそ無防備にすら見えるその姿を見つめながら、十七夜は怒りを押し殺した声音でオルガルドに訊ねた。


「オルガルドさん……あなたはさっき『マリティア』と言っていたけど、それってつまり、ラミラちゃんに施された封印が解けて、ラミラちゃんの体がマリティアに乗っ取られたことでいいの?」


 本当は「あなたたちのせいで」と言いたかったが、今だけは、ぐっとこらえた。


「……うむ。エルーザが斬られたことで、ラミラの精神に致命的な揺らぎが生じ、封印が解けてしまったのだ。あの禍々しい神気と威圧感は、間違いなくマリティアのものだ」


 禍々しい神気と威圧感――その言葉の意味を肌で理解していた十七夜が、知らず滲んでいた手汗を握り締めていると、


『「肉体は脆弱だが、信徒たちがわざわざ用意してくれただけあって、素晴らしい魔力の持ち主だ。悪くない」』


 怨霊じみた女性の声と、ラミラの声が重なって聞こえる不可思議な声音で、ラミラの肉体を乗っ取ったマリティアは独りごちる。


 オルガルドは十七夜から完全に背を向けると、剣を持たない手で突然指笛を鳴らした。

 やはりというべきか、このビルに来ていた騎士はオルガルドたちだけではなく、さらに六人の騎士が、割れた窓から、開け放たれた玄関から闖入してくる。


『「だがこれは……なるほど。依代の中から見ていたが、ここは確かに異世界のようだな。こうも次元が異なっていては、わらわの眷属をし出すのは、だいぶ骨が折れるやもしれぬ」』


 騎士たちに一瞥すらくれずに独り言を続けるマリティアに、オルガルドは剣の切っ先を向ける。

 瞬間、オルガルドのみならず、六人の騎士の殺意が、最高潮にまで膨れ上がる。


「かかれぇえぇええぇえぇえッ!!」

「ダメぇっ!!」


 十七夜が、号令をあげるオルガルドの肩を掴んで引き止める中、六人の騎士が一斉にマリティアに斬りかかる。


 だが、


 間合いに入ると同時に六人が一斉に振り下ろした剣は、マリティアに当たる数十センチ手前で、硬質の絶叫とともに静止してしまう。

 六人はなお懸命に剣を振るうも、マリティアを護る目に見えない障壁によって、攻撃の全てを阻まれてしまう。


 自分に剣が届かないことがわかっていたのか、それとも本当に騎士たちが目に入っていないのか。

 マリティアは、なおも独り言を続けていた。


『「レビヤタン……は、さすがにダメか。バルベリト……カレアウ……ベリアス……オリウィエルもダメか」』


 ため息をついた直後、マリティアの周囲に不可視の波動が迸り、六人の騎士が一斉に吹き飛ばれる。

 内二人が窓の外に向かって飛ばされていることに気づいた瞬間、十七夜は床を蹴り、比較的近い位置に飛んできた一人に、鉄山靠てつざんこうさながらに背中から体当たりをくらわせて吹き飛ばし、もう一人にぶつけることで勢いを相殺。

 二人が窓の外に墜落するのを食い止めた。


「我の邪魔をした其方そなたが、なにゆえ我の仲間を助ける?」


 困惑を滲ませた声音で訊ねるオルガルドに、十七夜はにべもなく返す。


「ラミラちゃんの体で人殺しなんてさせたくなかっただけ」


 そうこうしている内に、マリティアの周囲の床に七つ、人一人がすっぽり入る程度の大きさの、円形の光が具象する。

 その光から、全身が病的なまでに白い、かおのない人型の〝何か〟が這い出てくる。


『「結局、召し出せたのはイウウァルトだけ。しかも一度に呼び出せる数が、たったの七体ときたか。次元の壁とは、とかく厚いものよのう」』


 マリティアは〝何か〟の名前を口にしながらも、ここに来てようやく意識を別のものに――オルガルドに向ける。


『「そこの貴様、見覚えがあるぞ。妾の腹を刺した、レグヌムの騎士団長とともにいた騎士だな?」』


 オルガルドも掌に汗が滲んでいるのか、剣を握り直しながら不敵に返す。


「まさか邪神に顔を憶えられていたとはな。光栄の至りとでも言えばいいか?」

『「それこそまさかというものだ。レグヌムの犬にへりくだられるくらいなら、その辺の蛆虫にへりくだられられた方が余程マシというもの」』


 マリティアの〝圧〟が膨れ上がり、物理的な風となって十七夜たちの髪を揺らす。


『「レグヌムの犬が視界にいるだけでも虫酸が走る。まだ息がある犬ともども、ここで葬ってやろう。だが……」』


 マリティアの視線が、十七夜に向けられる。


『「妾が滅ぼしたいのは、あくまでも妾が生きる世界。異世界ではない。依代を護ってくれた借りもある。妾の気が変わらぬうちに、くと消えるがよい」』


 まさかの恩情に、十七夜は逡巡してしまう。

 マリティアに乗っ取られたラミラのことは放っておけない。

 そもそも、ラミラの自我がどうなっているのか気になって気になって仕方ない。

 おまけに、このままマリティアとオルガルドを戦わせた場合、どちらが勝とうが負けようが、迎えるのは最悪の結末。

 オルガルドの勝利はラミラの死を意味しており、マリティアの勝利はオルガルドたちの死を意味している。

 先程オルガルドにも言ったとおり、ラミラの体で人殺しなんてさせたくない十七夜としては、後者の結果も許容することができなかった。


 だからこそ結論が出ず、表情に苦渋を滲ませていると、


「カナ!」


 エルーザとともに玄関近くまで吹き飛ばされた春月が、こちらを見つめながら名前を呼んでくる。

 その瞳にただならぬものを感じた十七夜は、一つ頷いてから春月のもとへと走った。


『「これで、依代への義理は果たしたであろう」』

「ならば次は、其方が無茶苦茶にした世界への義理を果たしてもらうとしようか」


 転瞬、オルガルドは床を蹴り、道すがらにイウウァルトを二体斬り捨ててから、マリティア目がけて刺突を繰り出す。

 例によって刺突は不可視の障壁に阻まれたものの、静止した切っ先を起点に、蜘蛛の巣状の亀裂が何もないはずの空間に刻まれ、ものの数秒で消え失せていく。


『「ほう……良い剣を使っているではないか」』

「否定はせぬが、我の業前わざまえも含めての結果だと知れ」


 応じながら、オルガルドは飛び下がる。

 マリティアの周囲に迸った不可視の波動が、半瞬前までオルガルドが立っていた空間に、歪みにも似た痕跡を残していく。


 その間にも、イウウァルトが獣のような挙動でオルガルドに飛びかかり、閃いた剣の軌跡がその数だけ獣を斬り捨てる。

 斬り捨てられた端から、マリティアの周囲の床に円形の光が具象し、次々とイウウァルトが這い出てくる。


 十七夜はその戦いを横目で見ながら、春月のもとへ辿り着き、荒い呼吸を繰り返しながら横になっているエルーザの傍に腰を落としてから痛ましげに訊ねる。


「ハル。エルーザさんの傷の具合は?」

「いざという時のために持ち歩いてた、合成ハイドロゲルの止血剤全部使ったから、なんとか止血はできたよぅ」

「ご、合成? ハイドロ?」

「体液に触れた瞬間に固化する止血剤。便利そうだから、ちょっと自分で作ってみたんだよねぃ」


 もはや技術者エンジニアの領分を超えている気がしないでもないが、今はエルーザのことが心配だったので、親友のとんでもっぷりは脇に置いて、容態を確かめることに専念する。


「背中じゃなけりゃ……直接治癒魔法をかけることもできたん……だけどね……」


 苦しそうに言いながらも、エルーザは暖かな光に包まれた掌を自身の胸の押し当てていた。

 直接傷に治癒魔法をかけなくても、多少なりとも効果があるのか、傷の深さの割りには顔色は悪くなく、止血もされているおかげで、十七夜が診た限りでは命に別状はなさそうだった。

 そのことに安堵の吐息をついてから、十七夜はエルーザに言う。


「今は無理に喋らず、治癒魔法に集中してください。たぶんそれが、今できる治療としては最も適切だと思いますから」

「とは言っても……今は無理をしてでも喋らせてもらうよ……。ラミラはまだ消えちゃいない……ラミラも……マリティアも……まだ救える……!」

「カナを呼んだのも、そのためだしねぃ」


 そう言ってエルーザと春月が、真剣な表情でこちらを見つめてくる。

 片や重傷者に、片や戦闘能力皆無の親友。

 二人には今すぐにでもこの場から離れてほしいというのが本音だが、自分一人だけが留まったところで、肉体を乗っ取られたラミラを救えるとは思えない。


 だから、


「ごめん。ハルも、エルーザさんも、ラミラちゃんを助けるためにわたしに力を貸して」

「謝られる筋合いはないんだけどねぃ」

「力を貸してほしいのも……こっちだからねえ……」


 そんな二人に感謝の気持ちでいっぱいになりながらも、十七夜は訊ねる。


「それで、ラミラちゃんを救う方法はあるの?」


 その問いに対し、春月がエルーザに目配せをし、頷き返すのを確認してから、言葉を発するのもつらい彼女に代わって答えた。


「エルーザさんと話し合って考えた、ぶっつけ本番かつ行き当たりばったりの方法になるけどねぃ」

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