第16話

 牢の鍵を開け、同じ鍵を使ってエルーザの両腕に嵌められていた鍵穴付きの腕輪――これで魔力を封じていたらしい――を外したところで、彼女は伸びをしながら牢の外に出る。


「カナキにハル……だったね。すまないね。ラミラの頼みとはいえ、こんな老いぼれのために無茶させちまって」

「い、いえいえ、そんなことは……」

「てゆ~か、どこをどう見ても〝ばあや〟とか老いぼれとかには見えないんですけどぉ」


 そんな春月の言葉を聞いて、ラミラは「だってさ」と言いたげな視線をエルーザに送る。


「ま、エルフは見た目が老いぼれ始めるのは、一〇〇〇歳の大台が見え始めたあたりだからしょうがないけど、こう見えてもあたしゃ七三四歳だからね。老いぼれもいいところさね」


 七〇〇歳という想像もつかない年数に十七夜も春月も言葉を失う中、エルーザは、いまだ意識を失ったまま床に寝かされているダナンを横目で見やる。


「けどま、そこで寝てる九〇〇オーバーのクソジジイに比べたら、確かにあたしゃ老いぼれと呼ばれるほどじゃないかもしれないけどねえ」


 などと言っている内に、エルーザの表情がどんどんあくどくなっていく。


「しっかしまあ、大導師なんて言われてたあんたがイイザマだねえ。カナキでもハルでもいいから、このジジイの憐れな姿をスマホで撮っといてくれないかい? 向こう一〇〇年は笑えるだろうから」

「〝ばあや〟……」


 さしものラミラも苦笑し、十七夜がどう反応したものかと迷う中、春月はノリノリで気絶しているダナンを激写していた。


「ハル。それからエルーザさんも。ダナンさんのことはいいから、そろそろ館を出ないと。というか、問題はここからなわけだし」

「ここから?」


 と、小首を傾げるラミラに、十七夜は首肯を返す。


「この人数で、追っ手を気にしながら車もなしに逃げ切るのは、なかなか骨だからね」

「おまけにもう夜だしねぃ……」


 とため息をつく二人に、エルーザはあっけらかんと言う。


「ああ、それなら気にしなくていいさね。あたしがクソジジイに捕まったのはわざとだから、ちゃんと逃げる算段はついてる」


 ラミラが「さすが〝ばあや〟」と言いたげな顔をする中、エルーザは説明する。


「さすがにあたしも、異世界でラミラ一人を見つけるのは厳しくてねえ。それならこっちにいる教団にあえて接触して、もしラミラが捕まっていたならそれで良し。捕まってなかったとしても、ラミラの方から教団を見つけるか、教団の方からラミラを見つけるかまで待っていた方が、ラミラと会える公算が高いと思ったわけさね」

「だから、逃げる算段はもうついてると?」


 と訊ねる十七夜に、エルーザは首肯を返し、懐から鍵を一本取り出す。

 いったいどうやって手に入れたのか、その鍵は、エルーザを閉じ込め、魔力を封じていた牢と腕輪の鍵と全く同じ形状をしていた。

 これには十七夜も春月も、目を丸くしてしまう。


「勿論、逃げる算段ってのはこれだけじゃないさね」


 と言いながら、エルーザはダナンを一瞥する。


「あたしなら、クソジジイの〝天眼〟も無効化できるからねえ。だから、一度行方をくらましたが最後、あんたらじゃあたしらを見つけることはできないって寸法さね」


 そう言って、牢部屋の隅で緊張した面持ちで成り行きを見守っていた執事を、横目で睨みつけた。

 その眼光に執事がたじろぐ中、エルーザは十七夜たちを手招きする。


「てなわけだから、ちょいとあんたら、あたしに寄りな」


 言われたとおりに十七夜たちが近づくと、エルーザは三人まとめて抱き寄せ、


「【ウォールモル】」


 呪文を唱えた直後、視界に映る景色が歪み始め、床を踏みしめる感覚が消え、浮遊感に襲われる。



『〝ばあや〟に異世界に転移する魔法をかけてもらったら、目の前がグニャグニャして――』



 ラミラと初めて会った日に、彼女が言っていた言葉を思い出した十七夜は、エルーザが使った魔法が転移魔法の類であることを確信する。

 

 ラミラが、エルーザの魔法で一度に異世界に転移させられるのは一人だけだと言っていたことを鑑みるに、転移先が向こうの世界グランネである可能性はゼロ。

 ならばどこに転移するのか――と思案している内に、視界の歪みが収まっていく。

 浮遊感もいつの間にか消え失せており、両脚はしっかりと地面だか床だかを踏みしめていた。

 周囲の様子については、


「ま、真っ暗デスね……」


 ちょっと怯えたラミラの言葉どおり、三六〇度見渡しても闇一色しか見えないため、様子の確認しようがなかった。


「ちょいと待ってな。【ルクス】」


 エルーザが呪文を唱え、柔らかに輝く光球が十七夜たちの頭上に浮かび上がる。

 そうして照らし出されたのは、新築を思わせるほどに真新しいリビングダイニングキッチンだった。

 広さは、調度品の類が一切置かれていないことを差し引いても、二桁人数で余裕でパーティを催せるほどだった。


「ここは……?」


 疑問をそのまま口にする十七夜の隣で、春月は特製スマホを操作して、現在位置を確認する。


「ぅわぉ」


 驚愕と呼ぶには珍妙がすぎる声を上げる春月に、十七夜が「どこかわかったの?」と訊ねると、


「ここ、こないだカナが仕事で来てた、外津市の再開発エリアの中だよぉ」


 まさかすぎる転移先に、十七夜は思わず目を見開いてしまう。


「まさかこの部屋、再開発エリアのモデルルーム!?」

「っぽいねぇ……調べてみたけどこの建物、分譲マンションとして売り出す予定になってるし」

「って、どこ調べて言ってるの!?」


 しれっと再開発計画の関連会社をハッキングしていた春月に、十七夜は思わずツッコみを入れてしまう。


「どうやらカナキとハルは、この場所について知っているみたいだね」


 興味深そうに会話に交ざってくるエルーザに、十七夜は訊ねる。


「エルーザさんは、この部屋を拠点にしているのですか?」

「まあね。ラミラを異世界に――って、異世界人のあんたらと話す場合、やっぱこれじゃややこしいね…………しゃあない、異世界対策室の連中の言葉を借りるとするか」


 あんたらも知ってたらの話だけど――と付け加えるエルーザに、十七夜は首肯を返す。


「確かに、その方がよさそうですね」

「てなわけだからさっきの質問に答えさせてもらうけど、あんたらの世界――ラピドゥムにラミラを転移させた後、すぐにあたしも転移したんだけど、その出口がここの部屋だったから、そのまま使わせてもらってるってわけさね。インフラは死んでるけど、周囲一帯人があんまりいないから隠れ家としちゃ上等すぎる上等さね」


 当然のようにスマホを知っていたことといい、インフラという単語が当たり前のように出てきたことといい、ジャケットとジーンズをバッチリ着こなしていることといい、エルーザが妙に異世界ラピドゥム慣れしていることが気になった十七夜は、直球に訊ねることにする。


「エルーザさんは、こっちの世界には何度か来たことがあるのですか?」

「ラミラの乳母を任されてからはご無沙汰だったけど、ラピドゥムに来るのは今回で三回目になるね。ま、クソジジイの協力なしに来たって意味じゃ、今回が初めてになるけど」

「〝ばあや〟、前の二回はいつ来たデスかっ?」


 自分の乳母になる前の〝ばあや〟の話に興味津々なのか、ラミラはまん丸い瞳に好奇心を漲らせながらエルーザに訊ねる。


「そうだねえ……ラピドゥムには大体一〇年おきくらいに来てる計算になるね。二回目に来た時は一回目と比べて色々と進歩してたせいで随分と戸惑ったもんだけど、今回はそこまで大きく変わってなかったおかげで、一人でも何とか馴染むことができたよ」


 一七年しか生きていない十七夜と春月にとっては実感しにくい話だが、それでも、ここ一〇年は文明としてはあまり進歩していないと言われたことに、なんとも言えない気持ちになってしまう。


「なんか複雑そうな顔してるけど、一〇年やそこらの変化なんて普通はもっとちっぽけなもんさね。あたしらからしたら、ラピドゥムの進歩の早さは、はっきり言って異常に見えるくらいに早いよ」


 七〇〇年以上生きているエルフだからこそ醸し出せる重みか。

 実感の籠もった物言いに、先程とは別の意味でなんとも言えない気持ちになる十七夜と春月だった。


 エルーザは「さて……」と言いながら床に腰を下ろし、十七夜たちにも座るよう促してから話を切り出す。


「そろそろ、ラミラがラピドゥムに来てからのことを話してくれるかい? 気が気じゃなかったってのもあるけど、ラミラと十七夜あんたらがどうやって出会ったのかも気になるからね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る