第15話

 転瞬、十七夜はドラゴンの背後にいるダナンを狙って、回り込むように畳を駆ける。

 当然ダナンも術者である自分が狙われることは想定しており、十七夜から見てドラゴンの背後に立つ位置へと移動し、ドラゴンも十七夜の方へと体を向け、威嚇してくる。

 もっとも、十七夜の真の狙いは術者ダナンを狙うことではなく、火炎ブレスを吐かれてもハルが巻き込まれない位置に移動することにあるが。


 これくらい距離を離せば大丈夫だろうと思った矢先に、ドラゴンが大口を開けて火炎を吐き出してくる。

 十七夜は駆ける勢いをそのままに畳を蹴り、半瞬遅れて十七夜がいなくなった一帯を炎が舐めていく。

 ダナンが言っていたとおり、薄い結界に覆われた畳には焦げ目一つつかなかった。


 続けてドラゴンがその身を旋転させ、尻尾で薙ぎ払おうとしてくるも、十七夜は跳躍することで事なきを得る。

 そのかんも、油断なくダナンの動向に目を光らせるも、


(魔法で攻撃してこない?)


 てっきりドラゴンと連携し、攻撃魔法で援護してくるものだとばかり思っていたが、ダナンは呪文を唱える素振りすら見せなかった。


(ドラゴンを召喚したことで魔力を使い切ったとか、そもそも魔法で召喚した怪物モンスターを使役している間は他の魔法が使えないとか?)


 実際ドラゴンの動きは、本能のままに動いているというよりも、ある程度手綱を握られている印象がある。

 それなら、ドラゴンだけに集中しても問題ないかも――と考えていたところで、ドラゴンが左前脚を振り上げ、叩き潰すような勢いで爪を振り下ろしてくる。

 軌道を完全に見切っていた十七夜は、大袈裟に飛んで回避するような真似はせず、半身になりつつも二歩分横に移動することで、紙一重で爪撃をかわした。


 次の瞬間、無防備になった左前脚目がけて、十七夜は回し蹴りを叩き込むも、


(ふえぇっ!?)


 鉄柱を蹴ったような感触に、心の中で狼狽の声を上げた。

 ウェブ小説の知識により、ドラゴンの鱗が硬いことは十七夜も知っている。

 だからこそ、どの程度の硬さなのかを確かめるために、脚を痛めないよう力を加減セーブした上で蹴ったわけだが……この硬さは、十七夜の想定を大幅に上回っていた。

 というか、加減してなお蹴った脚がちょっと痛かった。


(これってもうしか無理っぽい感――じ!?)


(じ!?)に合わせて、ドラゴンが蝿を払うようにして横に振るった左前脚を、飛び下がってかわす。


「無駄じゃ。いくらお主が強いと言っても、それは対人の話。このラピドゥムにはいない怪物モンスター、それもドラゴンが相手では、お主といえども手も足も出ない」


 そんなダナンの台詞を聞いて、春月が「ぶふぉっ」と噴き出している様子を、視界の端で確認する。


(確かに、今のダナンさんの台詞はフラグ全開だったけど……)


 だからって噴き出すのは、ちょっと緊張感がなさすぎるのではないかと十七夜は思う。


(こっちは、けっこうヒィヒィ言ってるのに……!)


 と内心で愚痴る十七夜も、それはそれで緊張感がないことはさておき。

 十七夜のすばしっこさに業を煮やしたのか、ドラゴンは畳を舐め尽くすようにして首を横に振ることで、放射範囲を拡張した火炎を放ってくる。


 さすがにまずいと思った十七夜は、ドラゴンの首の動きに合わせて迫り来る火炎から逃げる形で畳を駆け、それでもなお間に合わないと判断するや否や、進行方向に飛んでゴロゴロと畳を転がることで、なんとかかわしきった。


 この攻撃方法は有効だと思ったのか、ドラゴンが首を横方向に振りかぶりながら口内に火炎を溜め込んだその時。

 十七夜はあえて前に出て、ドラゴンの首の下に滑り込むことで、吐き出された火炎を回避。

 滑り込んだ勢いをそのままに、四つ足で立っているドラゴンの腹の下に潜り込み、突き上げるようにして放った掌底でドラゴンの土手っ腹を強打した。


「無駄だと言っておるじゃろう。素手ではドラゴンの鱗を破ることなどでき――」



「ガァアァアァアァッ!!」



 ドラゴンが胃液とともに苦悶を吐き出したことに、ダナンは瞠目する。


「カナキ……お主いったい何をしたのじゃ!?」

「企業秘密です」


 わかりやすく狼狽するダナンをけむに巻きながら、十七夜は即座にドラゴンの腹の下から抜け出す。

 直後、十七夜を押し潰そうとしたドラゴンが四肢を曲げて腹を畳に叩きつけてくる。

 それによって体高が低くなったのをいいことに、十七夜はドラゴンの背に飛び乗り、翼の間を走り抜けて跳躍。

 落下の勢いをそのままに、ドラゴンの脳天目がけて掌底を叩き込んだ。


 どれほど鍛えていようが女の細腕の一撃。

 人間の十数倍に及ぶ巨体を沈められる道理はない。

 そんなダナンの常識を覆すように、ドラゴンは白目を剥いて口を半開きにしながら、首を横たえるようにしてその巨体を畳の上に沈めた。


 日本武術では鎧通よろいどおし、中国武術では浸透勁しんとうけいと呼ばれている、体の内側――ひいては内臓にまで打撃を〝技〟。

 十七夜の繰り出す掌底こそが、まさしくその〝技〟であり、屈強な男はおろか、ドラゴンすらも沈めた一撃の正体だった。


 そんな理合りあいなど微塵も知らないダナンは、即座に狼狽を押さえつけ、再び召喚魔法を唱えようとするも、


「【インヴォ――かはッ!?」


 ドラゴンが倒れるのを見届けることなく肉薄してきた十七夜の掌底を鳩尾にくらい、内臓を揺さぶり尽くすような衝撃に胃液を吐きながら、その場でくずおれる。

 十七夜がダナンを抱き止め、畳の上に寝かせている間に結界が解け、色の濁流と化していた和室の出入り口の景色が元に戻っていく。

 ドラゴンも、体が透けるようにしてその場から消え失せていった。


 次の瞬間――


「動かないでっ!!」


 十七夜が鋭く叫ぶと、彼女に駆け寄ろうとした春月が、和室の外に避難していた執事たちが、言われたとおりに動きを止める。


。その意味、皆まで言わなくてもわかりますよね?」


 ダナンを人質にすると迂遠に宣言する十七夜に、執事たちは苦虫を噛み潰したような顔をしながらも踏み止まる。

 その間にもこちらにやってきた春月が、「にへら」と笑いながら十七夜に話しかけた。


「おじいちゃんを人質に使うなんて、い~けないんだいけないんだぁ――ってのは冗談でぇ、実際、ラミラちゃんとエルーザさんの安全も確保しなきゃとなると、人質それくらいしか手はないよねぃ」

「手段としては好きじゃないけど、手段を選んだせいで何も護れなかったなんてことになったら、ボディガード失格だからね」

「で、生まれて初めてドラゴンと戦った感想は?」


 十七夜は数秒ほど沈黙を挟み、親友にしか見せない情けない顔で、正直に答えた。


「こわかったぁ……。心臓だってまだバックンバックンいってるし」

はたから見てると、そういう風には全然見えないんだけどねぃ」


 言いながら特製スマホを取り出し、十七夜がドラゴンと戦っている時の動画を見せつけてくる。

 これには、十七夜も思わず仏頂面になってしまう。


「人が必死に戦ってる時に、なに暢気のんきに動画撮ってるの」

「そこはほらぁ、カナが勝つって信じてたから」

「その期待は、ちょっと重すぎると思うんだけど」

「いやいやぁ。魔法だろうが何だろうが、理屈さえわかれば何とかできるとかぼくに言っちゃうカナの期待に比べたら、そこまでだと思うけどぉ?」


 二人はしばし睨み合い……十七夜はクスリと、春月はニチャリと笑った。


「そろそろラミラちゃんのところに行こっか。いつまでもお喋りしてると、あの人たちが痺れを切らすかもしれないし」


 言いながら、和室の外でこちらを睨んでいる執事たちに視線を巡らせる。


「だねぃ。とゆ~わけでぇ、そこの執事さ~ん。ラミラちゃんとエルーザさんがいる牢まで案内して~。あ、もちろん牢の鍵もちょうだいねぃ」


 春月はあくどい笑顔を浮かべながら、リュックサックから取り出したレッサーパンダのジローくんをダナンの顔に近づける。

 春月に呼ばれた執事が、ジローくんにスタンガンが内蔵されていることなど知るわけもなく、困惑しながらも別の執事に牢の鍵をとってくるよう頼んでいた。


「……ハル。それでよく、わたしに向かって『い~けないんだいけないんだぁ』なんて言えたね」

「だからあれは冗談だってぇ」


 などと軽口を叩いている間に執事が牢の鍵を持って来たので、十七夜はダナンをおんぶしながら、春月は「ちょっとでも怪しい動きを見せたら、カナが足を滑らせちゃって背中から転んじゃうかもよ~?」と執事を脅しながら、和室を後にした。


 やはりというべきか、牢は洋館の地下にあるらしく、執事は下へおりる階段を進んでいく。

 そこからさらに廊下を進み、その奥にあった扉を開くと、



「カナキ! ハル!――に、じじさま!?」



「おやま……」



 驚き混じりのラミラの声と、が、二人の耳朶じだに触れた。


「あの二人のおかげで、ラミラはこうしてあたしに会いに来れたってわけかい?」

「ハイっ、〝ばあや〟っ」


 という、女性とラミラのやり取りを聞きながら、十七夜と春月は呆けた声音を交わす。


「ラミラちゃんから、エルフの寿命はわたしたち人間の一〇倍くらいはあるって聞いてたけど……」

「〝ばあや〟って聞いて、あんな女性ひとが出てくるなんて普通思うぅ?」


 思わない――と、意見を一致させながら、二人は牢の中にいる、ジャケットとジーンズをバッチリと着こなしている女性を見やる。


 左肩の前に垂らした、ルーズサイドテールにまとめたピンクブロンドの髪も、おばあちゃんどころかおばちゃんにすら見えない肌も、妙齢を思わせるほどに艶やかな、大人の魅力を漂わせたエルフの女性。


 彼女こそがラミラの〝ばあや〟――エルーザ・ギブルその人だった。

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