第10話

 十七夜が、ラミラと春月が案内された別室――ちょっとした休憩室になっていた――に到着すると、立哨さながらに扉の左右に立っていた黒スーツの二人が立ち去っていく。

 おそらくは安西が手を回してくれたのだろうと推測しながら、部屋の中に入ると、


「わっ」


 十七夜を認めるや否や、体当たりするような勢いでラミラが抱きついてきた。


「大丈夫……もう大丈夫だから」


 こちらのお腹に顔をうずめ、小刻みに震えるラミラの頭をフード越しから優しく撫でていると、


「ぼくも混ぜてぇ~」


 春月までもが横合いから抱きついてきて、あまつさえ頬をスリスリしてきたことに、十七夜は眉根を寄せる。


「ハル?」


 こちらの呼びかけには応えず、春月は頬を密着しているのをいいことに十七夜に耳打ちする。


「この部屋、録画と録音されてるよぉ……っと」


 黒スーツの二人が何の躊躇いもなくこの部屋を離れた時点でそんな気はしていたが、それでも、この手の分野に強い春月に断言されると息を呑みそうになる。が、どうにかこうにか顔に出さずに、囁くような声で春月に返した。


「これくらいの声なら、音を拾われる心配はないと思っていいの?」

「うい。マイクの性能も、仕掛けられている場所も把握済みだからねぃ。この位置でこんくらいの声で話す分には、音を拾われる心配はないよぅ。でも……」


 春月は視線を下に落とし、いまだ十七夜のお腹に顔を埋めているラミラを見て「にへら」と笑ってから言葉をつぐ。


「ラミラちゃんにはその辺の理屈を説明するのは難しそうだし、脱走の話もしにくいから、五分ほど適当に時間潰しててくんない? ハッキングして映像と音声をダミーに差し替えるから」

「勿論構わないけど、五分だけでいいの?」

「よゆ~よゆ~。てゆ~か、映像にしろ音声にしろ、ダミーはカナと室長さんの話を聞きながら大体つくっておいたし。……ラミラちゃんを慰めようと思ったら、ちょっとガチめに引かれたから手は空いてたし……」


「室長さん」という言い回しが、異世界対策室〝室長〟である安西を指した言葉であることはさておき。

 最後の言葉は、いやに哀愁にち満ちていた。

 いったいどうしてガチめに引かれたのかは、聞かぬが花だろう。


 春月はラミラに懐いてもらえないことを哀しむようにため息をつくと、十七夜から離れ、備えつけのソファに腰掛けてスマホをいじり始める。

 当然そのスマホはただのスマホではなく、高性能パソコンに匹敵する性能と、通話しようがウェブに接続しようが一切痕跡が残らず、傍受も探知もされないよう春月自らが改造した特製スマホだった。


「カナキ……」


 ラミラが顔を上げて、上目遣いで話しかけてくる。


「ラミラ……大丈夫じゃないかも……デス」


 不安そうな目で、声音で、言ってくるラミラに、十七夜はニッコリと笑いかける。


「だったら、わたしとハルが大丈夫なようにしてあげる。だから、今はちょっとだけ休んでて。ね?」


 そう言って、ソファに座るよう促す。

 十七夜が春月と一緒に何をするつもりでいるのか見当もつかなかったのか、ラミラはちょっとだけ小首を傾げながらも、促されるがままにソファに座った。


 そして、五分を迎える少し前に、春月が声を上げる。


「っし。もう楽にしていいよぉ」


 それを聞いて十七夜がほうと息をつく中、ラミラはおずおずと訊ねる。


「えと……カナキとハルは、いったい何をしようとしているのデスか?」


「「脱走」」


 声を揃える十七夜と春月に、ラミラは目をパチクリさせる。


「……え? 脱走って……本部ここから逃げるってことデスよね? そんなことして、大丈夫なのデスか?」

「逆に訊くけど、このまま本部ここにいて、ラミラちゃんは大丈夫なの?」

「それは……」


 オルガルドのことを思い出しているのか、ちょっとだけ顔色を青くするラミラに、十七夜は微笑みかけながら訊ねる。


「〝恐い人たち〟がいる以上、ラミラちゃんも本部ここにはいたくはないでしょ?」


 ラミラは少し迷った末に、ぎこちなく首肯を返した。


「カナにしろラミラちゃんにしろ、話したいこと聞きたいことが沢山あるだろうしねぃ。てゆ~か、ぼくだってラミラちゃんに根掘り葉掘り聞きたいけどねぃ」


 突然会話に交ざってきた春月が「ニチャァ……」と笑いかけてきたせいか、「根掘り葉掘り」という言葉のせいか、ラミラがビクリと震え上がる。

 そんなラミラの反応にそろそろショックを受け始めながらも、春月は言葉をついだ。


「まずは本部ここからサクッと脱走しよぅ。室長さんだって立場上、ぼくらのことをあんまり長い時間ほったらかしにはできないだろうし」


 十七夜は首肯を返し、春月に訊ねる。


「この建物の監視カメラ全部、ハッキングできる?」

「できるってゆ~か、もうしてあるよぉ」

「さすがハル。本部ここ出たらパフェ奢ってあげる」


「「パフェ!?」」


 春月だけでなくラミラまで食いついてきたことに、十七夜は苦笑する。

 やはり、子供が甘い物が大好きなのは万国ならぬ共通のようだ。


(まあ、わたしも人のことは言えないけど)


 と、心の内で独りごちてから、春月に訊ねる。


「道案内と監視カメラの映像の差し替え、お願いしていい?」

「お安いご用だねぃ」


 ハルが特製スマホで監視カメラの映像をモニタリングし、現在十七夜たちがいる部屋の前の廊下には誰も居ないことを確認してから、カメラの映像を差し替えた上で部屋の外に出る。

 念のため十七夜が周囲の気配を探りつつも、安西が言っていた、北西方面にある非常階段へ足早に移動した。


 十七夜は音を立てないよう慎重に非常階段の扉を開き、先にラミラと春月に入ってもらってから自身も入り、開けた時と同じように音を立てることなく扉を閉めきる。

 非常階段には監視カメラは設置されておらず、だからこそ安西は非常階段を利用することを十七夜に薦めたのだろうが、


「カメラがない方が、人がいるかいないか確認できない分、ちょっと面倒だねぃ」

「安西さんも、まさかハルが凄腕ハッカーだとは夢にも思っていないだろうから、こればっかりは仕方ないよ」


 言葉どおり面倒くさそうにため息をつく春月の肩に、十七夜はポンと手を置く。


「それより、外に出るには何階からがよさそう?」

「ちょっと待ってねぃ」


 春月が特製スマホをいじり始めたところで、ラミラが背伸びして画面を覗こうとしてきたので、「デュフフ」と笑いながら腰を落とし、ラミラに画面を見せながら操作する。


 監視カメラの映像が目まぐるしく変わっていく様を見て、よくわかっていないけどラミラが「ぉぉ……」と感嘆の吐息を漏らす中、春月は、同じように腰を落としていた十七夜に提案する。


「案の定一~二階は人が多いから、地下一階から外に出るのが無難ベターだねぃ。まあそこも、室長さんが言ってたとおり守衛さんがいるけどぉ」

「一応訊くけど、他の脱出経路は?」


 十七夜の問いに、春月はゆっくりとかぶりを振る。


「一応窓はあるけどぉ、職員が大勢いる部屋と、警備員が常駐している廊下だけにしか設置されてないから厳しいねぃ。監視カメラがない屋上なら緩降機なり救助袋なりあるかもしんないけど、これはこれで目立つし、何もなかった場合は袋の鼠になるから、ぼくはオススメしないかなぁ」

「となると、春月の提案どおり地下一階に向かうことになるけど……大丈夫なの?」

「なにが?」

「ハルの体力」


 春月は一瞬呆けた顔をするも、すぐにダラダラと冷汗を垂らしながら、十七夜から視線を逸らした。


「上にあがるならともかく、下におりるだけなら八階分くらい、よゆ~よゆ~」

「ラミラも余裕デスっ」


 明らかに余裕ではない春月の言葉を額面どおりに受け取ったラミラが、元気に、されど空気を読んで声音を小さくして同調する。

 春月の表情が、引きつっているのか笑っているのかよくわからない有り様になっていく。


「とりあえず、ハルのペースで下りて行こっか」


 ラミラとは別の意味で空気を読んだ十七夜の提案に、春月はコクコクと首肯を返した。

 非常階段の外側の気配を探るためにも、十七夜が先頭に立ち、されど提案どおりに春月のペースに合わせながら、三人一緒に階段を下りていく。


 だが、


「ぜ~……ひ~……ぜ~……ひ~……」


 四階まで下りたところで、春月の呼吸がおかしくなり、


「デュフ、デュフフフっ」


 二階まで下りたところで、春月が意味もなく笑い出し、


「ぜ~……ひ~……ぜ~……ひ~……ほら……よゆ~……だった……」


 目的地である地下一階に到着した頃には、春月はもうその場から一歩も動けないほどにまで消耗しきっていた。

 十七夜が危惧したとおり、見た目から肩書きに至るまで室内インドア全開の春月には、階段を八階分下りるのは相当厳しかったようだ。

 ちなみに、十七夜は言わずもがな、ラミラも「余裕」という言葉どおり、まだ充分余力が残っているご様子だった。


「ハル、肩貸したら歩けそう?」

「おんぶ……おんぶ……しるぶぷれ……」


 棒読み気味のフランス語でおんぶを所望されて、十七夜が苦笑いする中、ラミラは遠慮がちに春月に向かって掌をかざし、


「【クラティオ】」


 小さな掌から放たれた暖かな光が、春月の体を包み込んだ。


「え? これもしかして魔法? 魔法だぁ……デュフフフっ」


 死にかけの表情が不気味な笑みに変わる中、掌から放れていた光がゆっくりと消失していく。


「ハル……どうデスか? 楽になりマシタか?」


 言われて片眉を上げた春月が、その場で屈伸しながら「お? おぉ?」と不可思議そうに声を漏らす。


「すっご。だいぶマシになった」

「もしかして今の、回復魔法?」


 十七夜の問いに、ラミラはコクリと首肯する。


「回復というよりも治癒魔法になるので、〝ばあや〟には体力回復の効果はあまり期待できないって言われてたんデスけど……その言い方だと、少しくらいなら体力も回復するんじゃないかと思って、かけてみマシタ」


 自慢げに「ふんす」と鼻で息を吐く。


「はぁ……はぁ……ラミラちゃん……抱きついてスリスリしていい?」


 だが、息を荒くしながら両手をワキワキする春月の不気味さを前に、ラミラはビクリと震え、怯えた表情で十七夜にしがみついてしまう。


「ハル……ラミラちゃんのこと、わざと恐がらせてないよね?」

「わざとなわけないでしょぉ。てゆ~かこれでも、何度も怯えられて、けっこう傷ついてるんだからねぃ」

「……ゴメンなさい」

「あ……いやいや、ラミラちゃんはな~んにも悪くないからねぃ!?」


 親友としては、「ハルもなんにも悪くないよ」と擁護したいところだけれど。

 エルフに魔法に異世界と、サブカルチャー好きの春月が興奮するのはある程度仕方がないと思っている十七夜でも、ラミラを前にした彼女の興奮っぷりは、ちょっと擁護しきれないほどの不気味さだと言わざるを得なかった。


 とはいえ、親友が必要以上に傷つくことも、ラミラに不必要に罪悪感を覚えさせることも、十七夜の望むところではないので、今は目の前のことに二人を集中させるためにも話の流れを一八〇度変えることにする。


「ハル、地下一階の監視カメラの映像出してくれない?」

「ぅえ? あ~、今出すよぅ」


 春月は特製スマホを操作し、地下一階の監視カメラの映像を画面に表示する。

 監視カメラが設置されている場所が、階段とエレベーター、外への出入り口周りに限定されているため、状況確認にはあまり使えなさそうだった。


 だがそれでも、地下一階が、地下二階と同様駐車場になっていること、十七夜たちが乗ってきた車しか見当たらなかった地下二階とは対照的に、地下一階にはかなりの数の車が停められていることは確認することができた。


「たぶんだけど、地下一階が職員の車や、資材搬入のトラックとかを停める駐車場で、地下二階がお偉いさんとか、グランネの人とかを乗せた車を停めるって感じになってるんじゃないかなぁ?」


 言いながら、春月は特製スマホを操作し、トラックの搬入口と、地上へ上がる階段――二つの映像を拡大する。


「外への出入り口は、この二つ。だけど、搬入口の方は今は隔壁が閉まってるから、実質出入り口はこの階段の一つになるけどねぃ」


 説明を続けながら、地下と地上――双方の階段前の映像を表示する。

 案の定階段前には、守衛が二人ずつ配置されていた。


 十七夜は顎に手を当てて黙考してから、春月に訊ねる。


「搬入口には、守衛はいないの?」

「いないねぇ。搬入口に下りてる隔壁はシェルターかよってくらい分厚いし、部署が部署だからそんなしょっちゅう資材を搬入してるとも思えないし、搬入口を開ける時だけ守衛さんを立たせるって感じじゃないかなぁ?」

「それなら……ハル。搬入口の隔壁を操作している端末、ハッキングできない?」


 春月は楽しげに片眉を上げながら、特製スマホをいじり始める。


「ちょっと待ってねぃ……建物の管理システムから独立してなければぁ…………うん、イケるねぃ」

「決まりだね」


 ニヤリと笑う十七夜に、春月は「にへら」と笑い返す。

 話について行けないラミラは、小首を傾げるばかりだった。


「地下一階も監視カメラの映像は差し替えといたけど、ご覧のとおり設置場所が限定的だからねぃ。こっからは十七夜の感覚だけが頼りだから頑張ってねぃ」

「言われずとも」


 と返したところで、十七夜は音を立てることなく非常階段の扉を開け、人の気配がないことを確認してから、二人を先導する形で地下駐車場をコソコソと移動していく。

 目的地である搬入口と、守衛がいる階段は位置的には離れているものの、春月がハッキングで隔壁を開けた際、どれほどの音と震動が発生するかわかったものではない。

 邪魔をされないためにも、隔壁を開けるのは搬入口の近くまで辿り着いてからベストだろう。


 そうして十七夜たちは、駐車された車の陰から陰に移動し……搬入口が見える位置まで辿り着く。


「そんじゃ、隔壁を開け――」

「ちょっと待って」


 ワゴン車の陰から搬入口を覗き見ながら、十七夜は春月を制止する。


「どったの?」

「誰かいる」



「ほう? 只者ではないとは思っていたが、まさか気取られてしまうとはな」



 そんな言葉とともに柱の陰から姿を現したのは、竹刀袋を携え、白スーツを纏った金髪碧眼の美丈夫――オルガルドと。

 同じく竹刀袋を携え、白スーツを纏った、見た目二〇代半ばの二人の男だった。

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