第9話
十七夜は、ラミラの中の神様については伏せた上で、自分たちが異世界について知っていることを――というより、ほとんど何も知らないことを話した。
それを聞いて安西は、
「ならば、基礎的な話から始めるとしよう。神村君は、異世界もののウェブ小説を嗜んだことはあるか?」
まさか政府の役人からそんな言葉が出てくるとは思わなかった十七夜は、少しばかり面食らいながらも問いに答える。
「はい。あくまでもラミラちゃんから話を聞いた印象になりますけど、彼女の世界は、まさしくウェブ小説に出てくる異世界そのものだと思いました」
「
「グランネ……それが、異世界の名前なのですか?」
「ああ。政府が勝手に名付けたものになるがな」
まさかの言葉に、十七夜は目を丸くする。
予想どおりの反応だったのか、安西は間を置かずして話を続けた。
「考えてもみたまえ。我々は、我々の世界に名前をつけているか? 住んでいる星を地球と呼んでいるだけで、この世界そのものには名前をつけていない。そしてそれは、我々の世界に限った話でもない」
言われてみれば確かに――と得心したところで、十七夜はハッとする。
「まさか、さっきオルガルドさんが言っていた〝ラピドゥム〟というのは……!?」
「察しのとおり、グランネ側が名付けた我々の世界の呼称がラピドゥムになる。もっともその呼称を使っているのは、我々の外交相手であるレグヌム王国の使者だけだがな」
十七夜がグランネという呼称を知らなかったのと同じように、ラミラがラピドゥムという呼称を知らなかったのは、双方のごく一部の人間が決めた呼称だったからか――と、十七夜は得心する。
「レグヌム王国は、グランネきっての大国であり、宗主国と言っても過言ではない立場にある。公用語のイァポニカが日本語と酷似していることも含めて、異世界相手の外交窓口としてはこれ以上ないので、懇意にはさせてもらっている」
「ずっと気になっていたのですが、どうして異世界であるはずのグランネの公用語が、日本語とそっくりなのでしょうか?」
安西の片眉がわずかにピクリと動く。
「……機密に関わる部分もあるが、ここまで深く関わっている以上は今さらか」
諦めたように独りごちてから、安西が訊ねてくる。
「仮説な上に、答える前に知っておいてもらわなければならない話があるため多少長くなってしまうが、それでも構わないか?」
十七夜が首肯を返すと、安西はすぐに語り出した。
「グランネから我々の世界に転移を試みた場合、その出口はどういうわけかこの本部がある地域に集中する傾向にある。異世界対策室を立ち上げる以前から、この地域以外にグランネ人が転移してきたかどうかを徹底的に調べたが、少なくとも表向きは、日本国外はおろか、この本部を中心とした半径一〇〇キロ圏外においても、グランネ人に関する記録は一つも残されていなかった」
もっとも、エルフの言語が英語と酷似していることを鑑みるに、裏向きはどうなっているかわかったものではないがな――という安西の補足を聞きつつも、十七夜は得心する。
「なるほど……異世界対策室本部が
それを聞いて、安西の眉根が寄る。
「まさか本当に、車がどこを走っていたのかを把握できていたとは……。ここに来る前にも言ったが、本部の場所については他言無用で頼む」
「わかりました」
と、ここに来る前と同じ返事をかえす十七夜だったが。
会話は小型集音マイクを通じて現在進行形で春月も聞いているので、この件については他言するまでもなく彼女の耳に入っていることは黙っておくことにした。
これくらい、相手の腹芸に比べたら可愛いものだと開き直りながら。
そんな十七夜の心中に気づくことなく、安西は話を続ける。
「レグヌム王国の使者が言うには、こちらからにせよグランネからにせよ、極稀に次元の壁に綻びが生じ、偶発的に転移することもあるという話らしい。本部の半径一〇〇キロ圏内――外津市とその周辺においては、古今の為政者が関知していなかったというだけで、グランネ人と接触したと思しき記録がいくつか残っている。そして、古くから囁かれている神隠しが、こちらの世界から偶発的にグランネに転移した現象を指していた場合、図らずも日本人とグランネ人は交流を持っていたことになる」
「だから、グランネの公用語が日本語になっていると?」
「こちらから言語をもたらしたのか、それともグランネからもたらされたのかはわからないが、交流があったから言語が酷似していると我々は考えている。もう一つ、こちらの世界とグランネが並行世界か、それに類する関係にあるという説もあるが、こちらは仮説というよりも空想の域だからな。私個人としては支持できん」
まさしくその仮説を疑っていた十七夜は、なんとなく視線を逸らしてしまった。
「さて、そろそろ話を本筋に戻させてもらうが……神村君。君はラミラ嬢からグランネの神について何か聞いているか?」
「それは……」
思わず、口ごもってしまう。
ラミラは言っていた。
自分の身には神様が宿っており、〝恐い人たち〟がその神様を狙っていると。
そして〝恐い人たち〟の一人がオルガルドであることを鑑みるに、レグヌム王国の使者も〝恐い人たち〟と見て、まず間違いないだろう。
情報を引き出すために、ラミラに宿った神様について話すべきか。
それとも、ラミラの身の安全を優先して黙っておくべきか。
そんな十七夜の逡巡を見透かすように、安西は言う。
「先に断っておくが、今話したグランネの神が、ラミラ嬢の体に封印されていることは我々も知っている。それを話すか話すまいかで悩んでいるのであれば、きつい言い方になるが無意味とだけ伝えておこう」
という安西の言葉は、後半になればなるほど十七夜の頭には入ってこなかった。
なぜなら、それ以上に気になる言葉が前半に紛れ込んでいたから。
「……封印? そういえばオルガルドさんも、ラミラちゃんに向かって同じ言葉を言っていたような……」
この反応は安西も想定していなかったらしく、わずかに眉をひそめながら訊ねてくる。
「何か気になることでもあるのか?」
「あ……いえ……ラミラちゃんからは『神様が体に入り込んでいる』と聞いていたので……」
「……そういうことか。察するに、
まさかすぎる言葉に、十七夜は目を見開いてしまう。
「ちょ、ちょっと待ってください! 安西さんはエルーザさんのことを知ってるんですか!?」
「オルガルド氏からは、
邪神。
それが人に災いをもたらす神を指した言葉であることは、勿論十七夜も知っている。
知っているから、受けた衝撃は尋常ではないほどに大きかった。
「ラミラちゃんの体に……邪神が……?」
「その様子だと、グランネの神については何も知らないようだな」
一つ息をついてから、安西は語り始める。
「グランネにおける神とは、こちら風に言えば
十七夜が、衝撃を受けていようともしっかりと話に耳を傾けているのを見て取り、安西は続ける。
「邪神マリティアはもともとはダークエルフで……と、先に断っておくが、こちらに関しても我々が想像するダークエルフとは多少異なり、世界に仇なす闇堕ちしたエルフのことをそう呼称しているという話だ」
だから、ダークエルフだからといって肌が黒いわけではない――と補足してから、なおも安西は話を続ける。
「マリティアは、グランネでは禁忌とされている憑依転生を繰り返しているため、いったいどれほどの時を生きているのかは定かではないが、少なくとも、最初に封印されたのは一〇〇〇年前とされている。そして今より三年前、封印から解かれたマリティアは、レグヌム王国を含めたグランネの国々全てに戦争を仕掛けた」
「たった一人で……ですか?」
「いや、マリティアには、彼女の名を冠したマリティア教団と呼ばれる邪教集団が味方についている」
「まさか、マリティアの封印を解いたのは……」
安西は首肯を返し、十七夜に代わって言葉をついだ。
「教団の仕業だ。そして教団以外にも、マリティアには、彼女が手ずから魔法で召喚した眷属が一〇〇万超いるという話だ。ゆえにグランネは、レグヌム王国を中心に国々が一丸となってマリティアと戦った。結果グランネ側が勝利したが、その戦争によって数十万ものヒトが亡くなったと、実際に戦争に参加したオルガルド氏が言っていた」
桁違いの死者数に、十七夜は思わず言葉を失ってしまう。
「敗北し、瀕死の重傷を負ったマリティアは、教団が用意した依代に憑依転生することで起死回生を図ろうとした。その依代がラミラ嬢であり、次の邪神になるはずだった彼女の体にマリティアを封印することで、ラミラ嬢の肉体の主導権を死守したのが、エルーザ氏になるというわけだ」
そこまで話を聞いたところで、十七夜はラミラの言葉を思い出す。
『ラミラもよくはわからないんデスけど……〝ばあや〟が言うには、ラミラの体には神様が入りこんでいるらしいんデス……。その神様は〝ばあや〟が……えと……すうはい?……しんこう?……している神様なんデス……』
崇拝と信仰――その言葉が本当なら、
「エルーザさんは、マリティア教団の信徒だったのですか?」
ラミラが〝ばあや〟と慕い、肉体を奪われないようにするためにマリティアを封じたエルーザは、間違いなくラミラの身内と呼べるだろう。
だが、他ならぬラミラの口から、エルーザが邪神を崇拝、信仰していると聞いた手前、どうしても声音が震えてしまう。
「オルガルド氏が言うにはな。もっともエルーザ氏は、教団から逃げ出してレグヌム王国に身を寄せたという話らしいが」
それを聞いて十七夜はホッとしそうになるも、
「でも……だったらどうして、身を寄せた国の使者であるオルガルドさんを、ラミラちゃんは〝恐い人たち〟だって言ったんだろう?」
ラミラは、教団が用意したマリティアの依代。
封印されたとはいっても、その身にマリティアが憑依転生したことに代わりはなく、ラミラの存在そのものがマリティアそのものと言っても過言ではない。
その考えに至った瞬間、十七夜は、ラミラが
「まさか……レグヌム王国は、ラミラちゃんごとマリティアを殺すつもりなのですか!?」
血の気が引くのを感じながらも問いを投げかけた十七夜に対し、安西はただ黙って眼鏡のブリッジを指で押し上げるだけだった。
無言の肯定を前に、十七夜は、
「どうりで、わざわざ身を寄せた国から逃げ出すわけだ……!」
と吐き捨ててから、糾弾するような勢いで安西に問いかけた。
「安西さん……あなた、オルガルドさんがラミラちゃんの身内ではないとわかった上で協力しましたね!?」
「否定はしない」
安西のことを、妖怪じみたどころか正真正銘の妖怪だと思いながらも、十七夜は言葉を荒げた。
「わかってるんですか!? レグヌム王国にラミラちゃんを引き渡すことは、殺人を幇助したことと同義なのですよ!?」
「日本の法律に照らし合わせればそう言えなくもないが、向こうとて、こちらの法をないがしろにしてまで、この地でラミラ嬢を処したりはしない」
「逆に言えば、グランネに戻ってラミラちゃんを殺す分には、法的には問題ないということになりますよね!?」
凄まじい剣幕の十七夜とは対照的に、安西はどこまでも冷静で、どこまでも冷淡だった。
「ああ。問題ない。それに日本とて、各国から死刑制度を糾弾されながらも、制度そのものは
「問題しかありませんよ!! 平和のためだからって九歳の子供を犠牲にするなんて、絶対に間違ってるっ!!」
「ならば訊くが、大人ならば犠牲になってもいいのか? ラミラ嬢に施された封印の強さは、彼女の精神状態によって左右されるとレグヌム王国の使者は言っていた。何かの拍子でラミラ嬢の心が乱れ、封印から解かれたマリティアが、今度はこの世界で何十万人の人間を殺しても、君は構わないと言うつもりか?」
「構わないわけないでしょう」
打って変わって静かに即答する十七夜に、さしもの安西もわずかに目を見開く。
「わたしはボディガードであり、その本分は人を護ることです。だからわたしは、ラミラちゃんを護った上で、マリティアもどうにかしてみせます」
「子供だな。自分ならば、全てを護れるとでも思っているのか?」
「思ってませんよ。ですが、足掻きもせずに結論を下せるほど大人ではないとは思っています」
これまでの意趣返しも込めて、皮肉混じりに返す。
安西の口から、深く、長い、ため息が漏れる。
「……第三者の暴走という形にすれば、一応は言い訳が立つか」
十七夜には聞こえない、蚊の鳴き声よりも小さな声音で独りごちると、「これはただの独り言だが……」と前置きしてから言葉をつぐ。
「もし自分の足で帰りたくなった場合は、北西方面へ向かうといい。あまり使われていない非常階段があるから、上手くいけば職員に見咎められることなく下まで行けるだろう。外への出口は二階から地下一階の間ならば複数箇所設けられているが、まあ、こちらに関してはどこから出ようが守衛がいるから、騒ぎでも起こして場を離れさせるくらいの小細工は必要になるだろうがな」
思わず、十七夜は目を丸くしてしまう。
「どういうつもりですか?」
「言っただろう。ただの独り言だと。フィクションの世界では特段珍しくもない、傍にいる人間に聞かれてしまうくらいに声のでかい手合いのな」
ますます目を丸くする十七夜を尻目に、安西は〝独り言〟を続ける。
「そういえば、ラミラ嬢のいる別室は七階、位置はこの真下になるんだったな。普通の人間ならば迷って辿り着けないかもしれないが、どこぞの女子高生ボディガードならば問題ないだろう」
どういうつもりなのかは結局答えてもらえなかったけれど、安西が、
十七夜はソファから立ち上がり、安西に向かって一礼してから部屋の外へ出て行く。
安西は閉められた扉を一分ほど見つめ……戻って来ないと確信したところで深く息をつき、懐に手を伸ばす。
そうして取り出したのは、水なしでも服用できる、液体タイプの胃薬だった。
既婚者である安西には一人、子供がいる。
今年で五歳になる、目に入れても痛くないほどに可愛い女の子だった。
目に入れても痛くない云々は、異世界対策室の部下たちに言っても、タチの悪い冗談としか思われなかったことはさておき。
安西とて、ラミラのような幼い子供を犠牲にするようなやり口は、心の底では避けたいと思っていた。
けれど、自分には立場があり、養わなければならない家族がいる。
こちらの世界でたまたまラミラを保護した人間が、業界でも五指に入る女子高生ボディガードでなければ、彼女のラミラを護るという意思が強固でなければ、こんな危ない橋は渡ろうとも思わなかっただろう。
もっとも、本当に危ないと判断した場合は、家族を護るためにも非情な決断を下さなければならない可能性があることは否定できないが。
そんなことを考えたせいか、いよいよ胃が痛みを発してきたところで、安西は胃薬を口の中に流し込む。
痛みを訴える胃が多少なりとも落ち着くのを待ってからスマホを手に取り、ラミラを別室に案内した二人の部下に、十七夜が到着し次第こちらに戻ってくるよう電話越しから命令した。
たとえほんの少しでも、勝算を上げるに越したことはないと思いながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます