第8話

 十七夜は今、ラミラと春月とともに、安西が乗る公用車で異世界対策室の本部へ向かっていた。


 あの後、ラミラと春月に安西との会話について伝え、どうすべきか話し合った結果、安西の提案どおりに本部へ向かうことに決めた。

 異世界対策室に身を寄せた異世界人が、ラミラの身内を騙っている可能性も当然考慮したが、エルーザについての手がかりが全くない現状、虎穴に入ってでも情報を得るべきだと十七夜たちは判断した。

 それに、襲撃者たちを安西たちの手で捕縛されてしまったため、エルーザについて襲撃者たちに尋問することも難しくなってしまった。

 結局のところ、安西の言うとおり、十七夜たちには本部へ向かう以外に選択肢は残されていなかった。


 安西の掌から抜け出せない状況には、苦虫を何匹噛み潰しても足りないくらいだけれど。

 三列ある座席の中部座席セカンドシートに座る安西が、十七夜とラミラとともに後部座席リアシートに座る春月に対して、戸惑いと警戒を抱いていることを気配だけで察した十七夜は、ちょっとだけ小気味よさを覚えていた。


 どうにも安西は、公園にいたのは、襲撃者たちを除けば十七夜とラミラの二人だけだと思っていたらしく、三人目――春月が土管遊具から出てきた際は、わずかながらも眉をひそめていたことを十七夜は見逃さなかった。

 春月が何者であるのかを問われた際、十七夜はただ一言「友達です」とだけ答えたが、状況的に春月がただの友達に見えるわけもなく。

 言動もいちいち奇っ怪なせいで、安西からしたら、春月の存在こそが妖怪に見えているのかもしれないと、十七夜は人知れず溜飲を下げていた。


 実際春月の存在は、十七夜にとっては切札だった。

 いくら朱宮女学院の生徒といえども、まさか春月が凄腕ハッカーかつ凄腕エンジニアだとは、さしもの安西も夢にも思っていないだろう。


 公園から移動する前、安西は「こちらから君たちが学校を早退することになった事情を説明しておこう」と言って、十七夜たちには聞かれないよう車の中で学校と連絡をとった際、春月の素性を確かめるくらいのことはまず間違いなくやっているだろう。

 だが、たとえ公権力が相手でも、女学院が生徒の個人情報を漏らすような真似をすることは絶対にない。

 令状があるならともかく、権力に屈して個人情報を売るような学校に、日本中の若き才媛たちが集まるわけがない。

 その点に関しては、在校生である十七夜も春月も信頼していた。


「それにしてもこれ、どこに向かっているのかねぃ」


 乗車前に余計な会話はしないよう釘を刺された手前、今の今まで黙っていたが、もうこらえきれないとばかりに春月が口を開く。


 運転席と助手席がある前部座席フロントシートと、十七夜たちと安西が座る中部並びに後部座席の間は壁で遮られており、そこに設けられた小窓もカーテンで閉ざされていた。

 窓ガラスは車外からも車内からも黒色以外は何も見えないスモーク仕様になっており、視覚的に外界から隔絶されているため、今この車がどこを走っているのかはわからない状況になっていた。


 それゆえの春月の言葉だったが、最初に口を開いた人物が、安西からしたらよりにもよってだったのか、ひそめそうになった眉を眼鏡のブリッジを指で押し上げることで誤魔化してから答えた。


「生憎だが、それを教えるわけにはいかない。現状本部の存在は国家機密になっているからな」


 そんな安西に対し、春月は「あ~」と気の抜けた声を返す。


「ごめ~ん。今のお役人さんじゃなくて、カナに訊いてたのよねぃ」


 赤っ恥もいいところな言葉に、安西は今度こそ眉をひそめてしまう。が、さすがに後半の言葉は捨て置くわけにはいかなかったのか、すぐに気を取り直して十七夜に訊ねた。


「菜式君の言葉から察するに、神村君は車外の状況がわかるのか?」

「ええ、まあ。車の中にいても、どの方角に向かって走っているのかくらいはわかりますし、都内とその周囲の地理は大凡把握していますので」


 それだけではなく、車に伝わる振動と車外から聞こえてくる微かな音で、見えずとも車外がどういう地形になっているのか、どれくらいの人間がどのようにして動いているのかくらいは把握できているが、そこまで手の内を晒す義理はないので黙っておくことにする。


 とはいえ、話した内容だけでも安西を驚かせて余りあるものだったらしく、


「……神村君。仮に本部の場所がわかったとしても、菜式君も含めた他の人間には他言無用で頼む」


 春月が「えぇ~」と不平の声を上げる中、安西はこちらに向かって小さく頭を下げてくる。

 さすがにここまでされては十七夜も「NO」とは言えず、「わかりました」と答えるしかなかった。


(と言っても、ハルなら街頭カメラをハッキングして、自力で本部の場所を特定しそうだけど)


 とは思っても、やはり口に出さない十七夜だった。


 数十分後――


 車が停まり、運転席と助手席に座っていた二人がドアを開けて外に出る音が聞こえてくる。


「到着だ」


 安西が告げると、外に出た二人が中部座席と後部座席のドアを開き、外に出るよう促してくる。

 ここに至るまで、緊張した面持ちのまま一言も喋らなかったラミラに、十七夜は心配げに声をかける。


「大丈夫? ラミラちゃん」

「大丈夫……デスっ」


 ニッコリと笑って、ラミラが気丈に返してくる。

 安西の言うラミラの身内が、本当にエルーザなのか? 

 それとも、ラミラを狙う異世界人が身内を騙っているだけなのか?

 もし後者が、自分を狙う恐い人たちだったら?

 そんな不安が透けて見える笑顔だった。


「とりあえず、車酔いの心配はなさそうだねぃ」


 と、違う方向性でラミラを心配する春月を尻目に、十七夜はラミラの小さな手を優しく握る。


「約束して。大丈夫じゃないって思ったら、すぐにわたしに言うって」


 ラミラは思わずといった風情ふぜいで目をパチクリさせると、今度は本当に嬉しそうに笑いながら「ハイっ」と返してくれた。


 ラミラの表情が晴れたところで、十七夜は彼女の手を取りながら一緒に車の外に出る。

 遅れて出てきた春月が、周囲を見回しながら呆れ混じりに独りごちた。


「これはまた徹底してるねぃ」


 そんな言葉のとおり、車外に出てなお十七夜たちは外の景色を拝むことができなかった。

 車が停まった場所は、おそらくは本部と直結しているであろう地下駐車場。

 規模は大手百貨店のそれを彷彿とさせるほどだったが、周囲を見渡しても、十七夜たちが乗ってきたもの以外の車は見当たらない。

 一緒に出発したはずの、襲撃者たちを捕縛、収容した車すらも見当たらなかった。


「帰りは、君たちをこの地下駐車場から車に乗せて、女学院に送る手筈になっている。先に断っておくが、迷ったフリをして外への出口を探すような真似は決してしないように」


 しっかりと釘を刺してくる安西に、春月は「本当に徹底してるねぃ」と、ますます呆れた声を零した。


「ついてきたまえ」


 そう言って、安西はこちらを先導する形で歩き出す。

 十七夜たちがその背中を追って歩き出すと、前部座席に座っていた黒スーツの二人が、こちらの背中を追う形で歩き出す。

 安西を先頭に、十七夜たち三人を挟み込む格好になっていた。


 安西は、車を停めた場所から程近いところにあるエレベーターに乗り込み、十七夜たちもそれに続く。

 エレベーターのコントロールパネルを見た限りの話になるが、建物が、下はこの駐車場がある地下二階、上は一三階まであることを、十七夜が抜け目なく確認する中、安西は八階のボタンを押す。


 エレベーターが動き出し、腹の底すらも重くなるような重力を感じたラミラが「わぅ……っ」と怯えと驚きが入り混じった声を上げた。

 職業病と言うべきか、故障や自然災害で停止する危険リスクを避けるために、十七夜は常日頃からエレベーターに乗らないことが癖になっていた。

 そのせいで、一度もラミラをエレベーターに乗せたことがなかった事実に今さら気づいた十七夜が、エレベーターがどういう乗り物であるのかをラミラに教えている間に、目的地となる八階に到着する。


 エレベーターを出て廊下を進み、その途上にあった部屋に足を踏み入れる。

 その部屋は、一〇人くらいまでなら楽にくつろげる、大きな応接間だった。


 十七夜たちに続いて中に入った黒スーツの二人が、閉めた扉の左右に、立哨さながらに仁王立ちする。

 その間にも安西はソファの一角に腰掛け、十七夜たちにも座るよう促してから話を切りした。


「お互い訊きたいことが山ほどあるだろうが、まずは私の方が君たちの質問に答える形式で話を進めるとしよう。質問の内容そのものが、君たちが異世界についてどこまで知っているのかを知る指標になるからな」


 十七夜はラミラと春月に「わたしでいい?」と断りを入れ、了承を得てから安西に訊ねる。


「まずは、この子の身内の名前を教えてください」


 そう言って、十七夜はラミラの頭にポンと掌を乗せる。


「やはり最初はそうくるか。ラミラ嬢の身内の話をした際、君は本物かどうかを疑っていたからな」


 そう前置きしてから、安西は答えようとするも、


「ラミラ嬢の身内の名は――っと、失礼」


 一言断りを入れてから立ち上がり、懐からスマホを取り出す。

 どうやら電話がかかってきたらしく、部屋の隅に移動しながらスマホを耳に当てる。


「私だ。…………そうか。わかった」


 短い通話が終わったところで安西はこちらに戻り、再びソファに腰を下ろしてから十七夜たちに告げた。


「ラミラ嬢の身内だが、もうすでにこの部屋に向かっているとのことだ」


 相手の動きの早さに、十七夜は舌打ちを漏らしそうになる。

 本当にラミラの身内だったならば問題ないが、そうでなかった場合は、彼女と会わせるのは危険がすぎる。

 だからあらかじめ名前を聞いて、本物であるかどうか、偽物だったとしてもラミラの言う〝恐い人たち〟かどうかを確認してから、会う会わないを決めるつもりだった。が、算段を修正するいとますらなく、コンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえてくる。


 安西が「どうぞ」と促すと、


「失礼する」


 扉の向こうから男の声が聞こえてきたことに、十七夜は眉根を寄せる。


 エルーザという名前に加えて、〝ばあや〟と呼ばれていることからもわかるとおり、ラミラの身内は間違いなく女性。男の声が聞こえてくるのはおかしい。

 身内を名乗る者を先導した、異世界対策室の職員の声という可能性もないとは言い切れないが、すでに来客がいる応接間に入るのに敬語を使っていない時点で、その線も薄い。


 嫌な予感ばかりが積み上がる中、扉が開く。

 そうして中に入ってきたのは、白色のスーツに身を包み、左手に竹刀袋を携えた、金髪碧眼の美丈夫びじょうふだった。


 美丈夫の双眸が、ラミラに向けられる。

 その視線からは敵意らしい敵意は感じられなかったが、


「ぁ……ぁぁ……」


 ラミラの顔色が急速に青ざめていくのを見て、十七夜は確信する。

 この美丈夫こそが、ラミラの言っていた〝恐い人たち〟――その一人であることを。


「まさか本当に、ラピドゥムまで逃げていたとはな」


 聞き慣れない単語はともかく、声音にしても、多少なりともラミラを気遣う響きが入り混じっていた。

 だからこそ十七夜は、この場においてどう動くべきか躊躇してしまう。

 この場そのものが、政府機関の只中という難しい場だから、なおさらに。


 春月ですらも不穏な空気を感じて居心地悪そうにする中、誰よりも冷静だった安西が、緊迫しつつある空気を無視して美丈夫に提案する。


「オルガルド氏、どうやらラミラ嬢はお疲れのようです。話をするなら、彼女が落ち着いてからの方がよろしいのでは?」


 美丈夫――オルガルドは一つ頷いて返すと、


「確かに、我のせいで封印が綻んでしまっては元も子もない。一旦出直すとしよう」


 聞き分けよくきびすを返し、部屋から立ち去っていった。


 ただでさえ山ほどあった気になることが、さらに山ほど増えてしまった。

 けれど今最も優先すべきはラミラの心のケアなので、十七夜はすぐさま彼女に話しかけた。


「大丈夫!? ラミラちゃん!?」

「大丈夫……デス……」


 明らかに大丈夫ではない顔色で、ラミラは言う。


「やっぱり今の人が、ラミラちゃんを狙っていた〝恐い人たち〟だったの?」


 ラミラはわずかな逡巡を挟み、ぎこちなく首肯する。

 こうなってしまった以上はもう、本部ここにはいられない。

 だがその前に、ラミラを護るためにも知っておかなければならないことが山ほどある。


「……安西さん。ラミラちゃんが休める部屋、用意してもらってもいいですか?」


 暗に、オルガルドが絶対に接触できない部屋を用意しろと催促する十七夜に、安西は顔色一つ変えずに応じる。


「勿論構わない。ラミラ嬢を別室へ案内して差し上げろ」


 後半の言葉は、扉の左右に立っている黒スーツの二人に向かって言った言葉だった。


「ハル。ラミラちゃんのことお願いしていい?」

安西あの人が相手だと、相性的にぼくがいた方が良い気もするけどぉ……」


 一人にしないで――と見上げてくるラミラを見て、春月は「にへら」と笑う。


「こんな顔されちゃぁねぇ。まぁ、精々頑張りなよぉ」


 そう言って、春月がさりげなく小型集音マイクを手渡してくる。

 場合によってはラミラには聞かせられない話に発展する可能性もあることを考えると、確かに、春月一人に盗み聞きしてもらった方が話が早く、後で会話の内容を説明する手間も省ける。

 ゆえに十七夜は、素知らぬ顔で小型集音マイクを受け取った。


 ラミラと春月が、黒スーツたちに案内されて部屋を出たところで、十七夜は安西に視線を戻す。


「それじゃあ、話を聞かせてもらうとしましょうか」


 雰囲気を、ただの女子高生から、業界五指に数えられるボディガードのそれに変える中、


「いいだろう」


 安西は眼鏡のブリッジを指で押し上げ、泰然とかえした。

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