第6話
電話の後、春月のドローンで朱宮女学院の周辺を見て回ったところ、物陰に隠れて遠くから正門の様子を窺っている、パーカーとショートパンツに身を包んだラミラを発見する。
外出許可をもらいに行く時間も惜しんだ二人は、学院を囲う壁を乗り越えて――春月は自力では登れなかったので十七夜が手を貸したが――ラミラのもとに急行した。
留守番をお願いしたのに、勝手に家を飛び出してきたことを怒るべきか。
こうして無事に合流できたことを喜ぶべきか。
それとも、自分の浅慮で彼女を独りにしたことを謝るべきか。
堂々巡りの懊悩に陥る十七夜とは対照的に、
「ゴメンなさい……でも……独りは寂しかったデス……ゴメンなさい……」
迷うこと抱きついてきたラミラが、ちょっと涙目になりながら謝ってきた。
この時点で怒るという選択肢が彼方へと吹き飛んだ十七夜は、抱き返しながらもラミラに謝り返した。
「わたしこそごめんね。まだこっちの世界に来て日が浅いのに、独りでお留守番をしろだなんて言って」
「ん~ん、カナキは悪くないデス……悪いのは九歳にもなってお留守番もできない、ラミラなんだから……」
そんな二人の様子を、
「デュフっ、デュフフフっ」
春月が恍惚とした表情で眺めていた。
目の下のクマのせいで視線が怪しいせいか、笑い方が不気味なせいか、春月の存在に気づいたラミラが思わずビクリと後ずさる。
「大丈夫だよ、ラミラちゃん。彼女が人捜しに向いてる特技を持ってる、わたしの友達だから。……笑い方はちょっと恐いけど」
「恐いだなんて人聞きが悪いねぃ。それよりカナ、場所変えた方がよくない?」
自身のセーラー服のリボンを緩く引っ張りながら、春月は言う。
昼休みでなおかつ女学院とは目と鼻の先とはいえ、外出許可もなく外に出たことが学院にバレるのはよろしくない。
というか、正門にいる守衛に気づかれてしまったらその時点で一発アウトなので、学院から少し離れたところにある公園へ向かい、そこに設けられた土管遊具に三人一緒に身を隠すことにした。
そして、ラミラがエルフである証拠として、長く尖った耳を春月に見せると、
「はぁ……はぁ……本物ぉ……本物のエルフだぁ……」
ますます言動が不気味になった春月から逃げるように、ラミラはビクリと震えながら十七夜に抱きついた。
「ハル……さすがにわたしでも、今のハルを擁護するのは難しいよ」
「いやぁ、でもぉ、本物のエルフだよぅ? 興奮するなって方が無理だよぅ」
「そのエルフに嫌われてもいいの?」
言われて、春月はラミラの顔を、じ~っと見つめる。
その表情は一目見ただけでわかるほどに、春月に怯えていた。
さすがにまずいと思ったのか、春月は焦りながらも自身のリュックサックをまさぐり、「にへら」と笑って二つのぬいぐるみを取り出す。
一つはパンダの、もう一つはレッサーパンダのぬいぐるみだった。
いずれもラミラの世界にはいない動物だったらしく、彼女の目はみるみる内に二つのぬいぐるみに釘付けになっていった。
「このお二人は……なんていう名前の動物なのデスか?」
ぬいぐるみに対して「お二人」呼びするラミラの可愛らしさに、春月の頬が不気味に緩みそうになる。が、ラミラに嫌われたくない一心で、頬をひくつかせながらもかろうじて耐えきった。
なお、「お二人」呼びにキュンときたのは十七夜も同じで、緩みそうな頬を誤魔化すために口元をモニョモニョさせていた。
春月は今にも緩みそうな頬を引き締めながら、されど引き締めきれずに「にへら」と笑いながら、ぬいぐるみを指差しながら説明する。
「こっちがパンダ、こっちがレッサーパンダと言ってねぃ。ぼくらの世界でも人気の高い動物なんだよぅ」
十七夜は一瞬、人気という点においては、パンダに比べたらレッサーパンダは劣るのでは?――と考えそうになるも、どっちも可愛いことには違いないので、野暮な比較はしないことにする。
「お二人はなんてお名前がついて――」
と言っている
「その……ラミラは……ラミラ・フォン・ルーア・ライラと言いマス……アナタは……なんて名前……なのデスか?」
今さらすぎるせいもあるだろうが、春月の名前よりも先にぬいぐるみの名前を確認しようとしたことを恥じているのか、ラミラは心底申し訳なさそうにしていた。
そんな彼女を前にして、春月が「ニチャァ……」と笑う。
そんな春月を前にして、ラミラはビクッと十七夜にしがみつく。
この親友は、どうしてこうも笑い方が不気味なのか――痛ましさを覚えずにはいられなかった十七夜は一人、片手で頭を抱えていた。
「ぼくは菜式春月と言ってねぃ。きみを保護したカナとは親友なんだ。ぼくのことは、カナと同じように『ハル』って呼んでくれたら嬉しいなぁ……デュフ、デュフフフっ」
慣れてきたとまではいかないまでも、春月がこういう笑い方をする人間だと受け入れ始めているのか、今度はビクリと震えることなく、されどおずおずとしながら、ラミラはコクリと首肯を返した。
「ちなみにこの子たちの名前は……え~っと……パンダの方が『イチローくん』で、レッサーパンダの方が『ジローくん』だよぅ」
「……ハル、その名前今考えたでしょ?」
十七夜のツッコみに、春月は「そんなことないよぅ」と泳ぎっぱなしの目を逸らした。
そんなやり取りが聞こえてなかったラミラは、目をキラキラさせながらイチローくんを両手で持ち上げ、「むむ……」と声を漏らす。
「思ったより重いデスね……」
「
「色々?」
小首を傾げるラミラの仕草が可愛らしかったからか、春月は「デュフっ」と呻くように笑ってから答えた。
「そうだよぅ。ラミラちゃん、ちょ~っとイチローくん下ろしてもらっていいかなぁ?」
ラミラはコクリと首肯を返し、イチローくんを地面に下ろす。
その間に春月は、自身のスマホを操作し……ほどなくして、イチローくんとジローくんが本物の動物っぽく動き出したことに、ラミラが「わぁ……」と目を輝かせた。
イチローくんがパンダらしくゴロゴロと寝転び始め、ジローくんがラミラの足に抱きつき、いよいよ彼女の頬が綻んでいく中、十七夜は小声で春月に訊ねる。
「どうせ、ただ動くだけじゃないんでしょ?」
「もちろん。ああ見えて、イチローくんとジローくんは護身用につくった
「お願いだから、誤作動だけはやめてね」
特に今は土管遊具の中に隠れているため、催涙スプレーなんて噴霧されようものなら土管内に丸々籠もってしまうし、ラミラに絶賛抱きつき中のジローくんは言わずもがなだ。
自然、十七夜の頬は引きつってしまう。
この親友はハッカーとしてだけではなく、
(とりあえず、外国の富豪だか外交官だかから急な仕事が入って、ラミラちゃんを護衛することになったということにして、学校に早退届を――)
と考えていた十七夜の表情が、不意に
害意とまではいかないまでも、明らかに友好的ではない気配を孕んだ者たちが、この公園に足を踏み入れてきたがゆえに。
「……ぇ?」
今度は、ラミラが怯えるような声を漏らす。
笑顔から一転して怯えを見せるラミラに、春月は微妙に
「ど、どったのラミラちゃん?」
「い、今……魔力を感じマシタ……誰かが結界系の魔法を使った感じの……」
「魔力っ!? 魔法っ!?」
興奮した声を上げる春月をよそに、十七夜はラミラに言う。
「ラミラちゃん、わたしちょっと今から
だが、ラミラがこちらのスカートの裾をギュッと掴んできたため、十七夜は思わず言葉を途切れさせてしまう。
「ダ、ダメデス……危ないデス……ラミラを追ってきた、恐い人たちかもしれないデスから……」
スカートを掴むラミラの手が震えているのを見て、十七夜はあえて強気な笑みを返した。
「大丈夫。言ったでしょ? わたしはボディガード。人を護ることをお仕事にしているの。だからわたしに任せて。恐い人たちの扱いには慣れてるから」
気負いも虚勢もなく、ただ事実を述べるように、十七夜は断言する。
そんな十七夜を見て安心したのか、ラミラはまだ少し怯えた顔をしながらも、スカートから手を離してくれた。
「ハル。ラミラちゃんのことお願いね」
「任された――って言いたいとこだけど、あんまりアテにはしないでねぃ。ぼくがクソザコナメクジなことは、カナだって知ってるでしょぉ?」
「でも今日は、イチローくんとジローくんがいる。で、出入り口が二つしかない
「なぁる」
と、春月があくどい笑みを浮かべるのを見届けたところで、十七夜は一言「いってくる」と言い残し、土管遊具の外へ出て行った。
周囲に視線を巡らせると、真面目そうなリーマンに、不良っぽい見た目をした青年、女子大生と思しきギャルに、作業服に身を包んだ中年男性、小太りの主婦に、いやに背筋がしっかりとした老爺と、接点の欠片も見当たらない六人の老若男女が、土管遊具を遠巻きにしながら、こちらに警戒の視線を向けていた。
ラミラが言っていた結界系の魔法によるものなのか、公園外の景色が、様々な色の液体がかき混ぜ続けているかのようにグチャグチャになっていた。
顔には出さなかったものの、さすがにこの異常現象には十七夜も驚かずにはいられなかった。
(魔法を使ってきたってことは、やっぱり異世界の人間と見て間違いなさそうだけど……揃いも揃ってこっちの世界に溶け込みすぎでしょ)
思わず、心の中で愚痴ってしまう。
ラミラが怯えていなければ土管遊具の外に出てもらって、ここにいる老若男女が敵なのか味方なのかを判断してもらいたいところだったけれど。
これではラミラに見てもらったとしても、顔見知りでもいない限りは判断がつかないだろうと十七夜は心の中で嘆息する。
「すみません。
とりあえず、土管遊具には自分一人だけしかいないという
「あなたには用はない。我々は、その遊具の中にいる我らが神をお迎えに上がっただけなのだからな」
六人を代表してリーマンが応じたので、十七夜はそちらに向き直りながら訊ねる。
「用があるのは、その神様だけということですか?」
「そのとおりだが……何が言いたい?」
訊ね返したところで気づいたのか、リーマンは得心したように「ああ」と漏らしてから答えた。
「依代の少女のことを言っているのか? 勿論、丁重に保護させてもらうつもりだ」
「嘘ですね」
微塵の躊躇もなく、断言する。
「何を根拠に、そんなことを言っている?」
「あなたが『丁重に保護させてもらう』と言った瞬間、殺意とまではいかないまでも、確かな敵意を露わにしました。少なくとも、あなたが依代の少女を憎く思っていると断言できるほどに」
「殺意だの敵意だの、そんなものが根拠になると本気で思ってるのか?」
「思ってますよ。わざわざわたしたちを結界の中に閉じ込めて、多勢で取り囲んでいる状況と合わせれば」
結界魔法がどういう代物なのかも、どういうつもりで使ったのかも十七夜にはわからないが、あえてふっかけてみる。
すると、リーマンは面倒くさそうにため息をつき、こちらに向かって掌を向けてきた。
瞬間、相手の敵意が爆発的に膨れ上がったのを察知した十七夜は、ほとんど勘で真横に飛び、
「【トニトゥルム】」
呪文を唱えると同時に、リーマンの掌から迸った
かわされるとは思ってなかったのか、リーマンはおろか、他の五人も驚きを露わにしながら臨戦態勢に入る。
未知とまではいかないまでも、間違いなく超常に類する魔法。
十七夜といえどもそんな力の持ち主と戦った経験がないのは言うまでもなく、そういう意味では、ここから先の戦いは彼女にとっても未知の領域だった。
(こうなることは多少は覚悟してたけど、どうせ相手をするなら、数は一人とか二人にしてほしかったなぁ……)
六人全員が魔法を使ってくるとは限らない――という希望的観測を捨てる。
ボディガードたるもの、想定するべき事態は常に最悪。
六人全員が魔法を使えて、なおかつ近接戦闘もこなせると仮定した上で、十七夜は未知の戦いに身を投じた。
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