第3話

「これでよし」


 翌朝――を通り過ぎて昼前に目を覚ましたラミラを、昨日ホテルの売店で購入した服に着替えさせる。

 エルフ耳を隠すためのフードが付いているパーカーに、ショートパンツ。靴は動きやすいスニーカーを選択チョイスした。


「えへへ……」


 へにょりと笑いながら、ラミラは姿見の前で前に後ろに振り返りながら、自分の姿を確認する。

 服装そのものを気に入ったというよりも、異世界の衣装に身を包んでいる特別感に酔いしれているご様子だった。


 そんなラミラを微笑ましく思っている十七夜の服装は、仕事時のスーツ姿とはある意味正反対の、トレーナーにカーゴパンツにスニーカーと、ラフかつ少年的ボーイッシュな服装。

 ホテルの売店でラミラの服を購入した際、隣に並んでも違和感のないよう、自分の服もついでに購入していた。


 忘れ物がないことを確認した上で部屋を出て、ホテルをチェックアウトする。

 ボディガートという仕事柄、自身が宿泊しているホテルに護衛対象を匿うことも珍しくない。

 今回の依頼主クライアントである社長にホテルを手配してもらった際も、万が一に備えて、人数ではなく部屋単位で料金が設定されているルームチャージ方式のホテルにしてもらっているため、いつの間にか女の子が一人余計に宿泊していても、受付に咎められることはなかった。

 もっとも受付は、「どこから入ってきた?」とか「いつの間に?」とか、言いたげな顔をしていたが、事情なんて話せるはずもないのでラミラについては一言も話さなかった。


 そして、ラミラの手を引いてホテルの外に出ると、



「ぅわぁ……」



 どこか圧倒されるような声音が、彼女の口から漏れる。

 林立するビル群。

 馬車とは比較にならない速度で走る自動車。

 歩道を行き交う大勢の人。

 その全てが彼女にとってまさしく〝異世界〟だったのか、ラミラはただただ言葉を失っているご様子だった。


「やっぱり、ラミラちゃんの世界とは全然違う?」


 小声で話しかける十七夜に、ラミラはコクコクと首肯を返し、恐る恐る訊ねてくる。


「この辺りにある四角い建物……全部、人が住んでいる建物なんデスか?」

「全てというわけではないけど、そう思ってくれて問題ないよ」

っきな通りを走ってるのは……車輪みたいなのが付いてるから……車……になるのデショウか?」

「そ、そうだよ。自動車って言うの」


 と答えつつも、ラミラの口から「車」という単語が出てきたことに、内心驚かされてしまう。

 しかしよくよく考えてみると、ファンタジー世界でも馬車や荷車といった車が存在し、今ラミラの口から出てきた「車輪」も、まさしく車から生まれた単語だ。

 異世界でも、車という存在は存外馴染み深いものなのかもしれないと思い直す。

 もっとも、十七夜はこの後すぐに、「車」発言以上に驚かされるハメになるが。


「デスが、言葉だけでなく文字もラミラたちの世界と同じでよかったデス。あそこの『ステーキハウス ジョニー』が、お肉を食べるお店だってことはラミラにもわかりマスし」


 そう言って、ホテルの前を横切るっきな通り――幹線道路の向こう側に見える、『ステーキハウス ジョニー』を指でさす。


「ちょ、ちょっと待ってラミラちゃん……っ」


 言いながら周囲に視線を巡らせ、ホテルの右隣にある『眼鏡のハイパー』の看板を指でさす。


「じゃあ、アレも読めるの?」

「ハイっ。『眼鏡のハイパー』って書いてマスね。も交じってるから、ちょっと難しいデスけど」


 ホテルから出た直後のラミラと同じように、十七夜はただただ言葉を失ってしまう。

 そんな彼女の顔を見上げながら、ラミラは「むふん」と笑った。


「今度は、カナキが驚く番だったみたいデスね」


 なんにもしてやれていないのに、してやったりと言わんばかりの表情を浮かべるラミラが微笑ましかったおかげか、なんとか我に返れた十七夜は訊ねる。


「ち、ちなみにだけど、ラミラちゃんの世界では、今わたしたちが喋っている言葉や文字は何て呼ばれてるの?」

「イァポニカって呼ばれてマス。ちなみにアレが東文字で、アレが西文字、あの一番難しい字が北文字になってマス」


 説明しながら『眼鏡のハイパー』の『の』、『ハイパー』、『眼鏡』の順に指差していく。

 どうやら平仮名が東文字、カタカナが西文字、漢字が北文字になるようだ。


「ちなみにアレが、ラミラたちエルフの言葉――エルヴィッシュになりマスっ」


 そう言って、ラミラはどこか誇らしげに、十七夜たちが泊まっていたホテルの銘板――『HOTEL ROYAL PALACE』を指差した。


(いやいや、それはいくらなんでも……)


 と思っていたら、


「それにしても、ラミラたちが泊まっていたお宿、イァポニカだと『王宮』って意味になるのデスか……。なんというか、凄い名前デスね」


 苦笑混じりのラミラの言葉に、いよいよぐうの音も出なくなった十七夜は、またしても言葉を失ってしまう。


(名称は違うけど、ラミラちゃんの世界では日本語も英語も存在してるってこと!? いや、でも、よくよく考えたら、こっちの世界にもエルフや魔法といった概念は存在するし……もしかしてラミラちゃんの世界は、わたしたちの世界と並行世界みたいな関係になってる……とか?)


 推測の域は出ない。けれど、そう考えれば辻褄が合うのも事実で――などと、思考の海にどっぷり浸かりそうになったその時、



 ぐぅ~……。



 ラミラのお腹から空腹を訴える声が聞こえてきて、十七夜は我に返る。

 見やると、ラミラは真白かった頬を朱に染め、物言いたげな視線をこちらに向けていた。

 なんとも可愛らしい仕草につい頬を綻ばせながら、十七夜は提案する。


「とりあえず、ごはんにしよっか」


 ラミラは、少し恥ずかしそうにコクンと首肯を返した。


 いざという時に備えて、ホテル周囲の地理をしっかりと把握していた十七夜は、ラミラの手を引いて、飲食店が密集している繁華街を目指して歩き出す。


「ちなみにだけど、ラミラちゃんの世界ではごはんを食べる時、何を使って食べるの?」

「カトラリーのことデスか? それなら、ナイフとかフォークとかスプーンを使ってマス」


 日本語が使われている一方で、文化が西洋寄りになっているところに不均衡アンバランスさを覚えながらも、十七夜は人知れず、箸で食べる店を候補から外した。


「それにしても、すごくヒトが多いデスね……。王都でも、こんなにいっぱいのヒトはいなかったかも……」


 やはり圧倒されながら、ラミラは物珍しそうにキョロキョロと周囲に視線を巡らせる。

 おのぼりさん全開な仕草だが、ラミラが子供な上に、フードの内で見え隠れしている銀色の髪を見れば、大抵の人間は観光客の子供だと勝手に解釈してくれるので、すれ違い人の多くは微笑ましそうな視線を彼女に送っていた。

 十七夜自身も微笑ましいとは思っているが、あまり視線が集中しすぎるとエルフ耳に気づかれてしまう恐れが出てくるため、ちょっとだけ気が気ではなかった。


(それにしても、悩むなぁ……)


 飲食店の選択肢は、それこそ無限にある。

 だからこそ、余計に悩んでしまう。

 ラミラにも馴染みが深いであろう洋食店を選ぶのが無難だということはわかっているが、どうせなら彼女が全く知らない料理を食べさせてあげたいという思いもある――などと、ウンウン悩みながら歩いていたところで、不意にラミラが足を止め、即座に反応した十七夜も立ち止まる。


「どうしたの?」


 と訊ねると、ラミラは好奇心で目をキラキラと輝かせながら、ハンバーガーショップのガラス壁に貼られているポスターを指でさす。

 ビッグサイズのソフトクリームの写真が印刷された、宣材ポスターだった。


「十七夜っ! アレはなんデスか!?」

「ソフトクリームと言って、氷菓……じゃわかりにくいか。そうだなぁ……冷たいお菓子と言えばわかるかな?」

「冷たいお菓子? とゆうことは……シャーベットみたいなものデスか!?」


(シャーベットあるんだ……)


 と内心ちょっと驚きながらも、十七夜は答える。


「冷たいお菓子という点では同じだけど、シャーベットとはまた違ったおいしさのお菓子だよ」

「むむ……」


 と、なぜだか悩む素振りを見せているラミラだったが、彼女の顔には思い切り「ソフトクリームを食べてみたい」と書いてあった。

 ソフトクリームはもとより、ハンバーガーもラミラの世界にあるとは思えないし、食べ方も単純シンプルに手掴みでわかりやすいので、存外これ以上の最適解はないかもしれない。

 そう思った十七夜は、ラミラに訊ねてみる。


「お菓子だから食べるのは食後になるけど、あのお店でごはんにする?」

「ハイっ」


 元気な返事がかえってきたところで、十七夜はラミラを連れてハンバーガーショップに足を踏み入れる。

 レジには並ばず、店内の壁にかけられた写真付きのメニュー表の前へ向かうと、十七夜は一つ一つ指差しながらラミラに説明した。


「基本的には、パンとパンの間にお肉を挟んだハンバーガーと、ジャガイモを油で揚げたフライドポテト、飲み物が一つのセットになってるの。ハンバーガーのお肉は、牛や鳥以外にも、お魚や海老を揚げたものもあるから、好きなのを選んでくれていいよ」


 ラミラは「むむむ……」とメニュー表とにらめっこしながら、ブツブツと独りごち始める。


「む~……絵と名前を見てもいまいちよくわからないものもありマスね……十七夜はこれ全部ハンバーガーで言ってマスし……それならこの、一番定番っぽい『ハンバーガー』にした方が……」


 散々悩んだ末にラミラが選択チョイスしたのは、普通のハンバーガーだった。

 飲み物に関しては、写真がない上に、メーカー品ゆえに名前が固有名詞全開だったので、十七夜は説明を試みるも、


「コーラは甘くてシュワシュワする飲み物で、スプライトは酸っぱくてシュワシュワする飲み物で、ファンタグレープは葡萄味のシュワシュワする飲み物で――」


 飲み物のメニューの大半が炭酸飲料だったせいで、説明の多くが「シュワシュワ」になってしまったことに、我が事ながら頬が引きつりそうになる。

 実際、説明を聞いたラミラの首は、斜めに傾くばかりだった。

 炭酸飲料を知らない人に、炭酸がどういうものなのかを説明するのが如何に難しいか、痛感させられた瞬間だった、

 最後に、説明が極めて楽な冷たい紅茶アイスティー温かい紅茶ホットティーを紹介したところで、十七夜は訊ねる。


「飲み物はこんな感じだけど、どれにする?」

「この『ファンタグレープ』にしマスっ。葡萄は好きデスし、シュワシュワも気になりマスのでっ」


 飲み物も決まったところで、十七夜はレジに並んでハンバーガーのセットを注文する。

 十七夜自身は別の物を頼んでラミラと共有シェアすることも考えたが、彼女に食べ方や飲み方を教えるという意味では同じ物の方がいいと思ったので、ハンバーガーのセットを二つ注文することにした。


 二人分のセットが載ったトレイを受け取ったところで、空いている席につき、手始めに飲み物を飲み方を教えるために、細長い紙袋からストローを取り出して、ファンタグレープの入った容器の蓋に差し込んで見せる。

 こちらに倣ってラミラもストローを容器に差し込んだところで、十七夜はストローを口に咥え、ファンタグレープを飲んでいるところをラミラに見せつけた。


 再びこちらに倣ったラミラが、ストローを口に咥えてコップの中のファンタグレープを吸い上げる。

 途端、ラミラのまん丸い瞳が見開かれた。


「これっ、ほんとにお口の中がシュワシュワしマスっ」


 病みつきになったのか、もう一度ストローにかぶり付いて、ファンタグレープを飲んでいく。

 このままだとハンバーガーを食べる前に飲み物がなくなってしまいそうだったので、程々のタイミングで止めに入ってから、ハンバーガーを食べるよう促した。


 ハンバーガーにしろフライドポテトにしろ食べた時のラミラの反応は上々だったが、未知の衝撃という点では炭酸飲料ファンタグレープほどではなかったらしく、あくまでも「普通においしい」という程度の反応だった。


 ならばと、再びレジに並んで二人分のソフトクリームを買って席に戻ると……ソフトクリームをガン見しながらソワソワしているラミラの姿があった。

 食べる前の時点でもう、ハンバーガー以上の反応を見せるラミラに満足しかけたところで、十七夜はふと思う。

 サブカルチャー好きの親友に薦められて読んだ、異世界転生もののウェブ小説の中に現代知識を用いて成り上がっていく物語があったが、その主人公も、今の自分と同じような満足感を味わっているのかもしれない――と。


(ラミラちゃんの反応がいちいちかわいいから、ちょっとクセになるかも)


 などと思いながら、ラミラにソフトクリームを渡す。

 もう我慢できないとばかりに、ラミラはソフトクリームをチロリと舐めて……まん丸い瞳に、満天の星がまたいた。


「ん~~~~~~~~~~~っ」


 テーブルの下で足をパタパタさせ、テーブルの上をソフトクリームを持たない手でペシペシと叩く。

 どうやら大変お気に召したようで、以降はもう夢中でソフトクリームにかぶりついていた。


(こういうのを、「酒のさかなに」って言うのかな?)


 さすがに違うか――となど思いながら、十七夜もソフトクリームに口を付ける。

 目の前でラミラがとても美味しそうに食べているせいか、前に食べた時よりも美味しくなっているような気がした。


 ほとんど同時に食べきったところで、十七夜はラミラの顔を見て苦笑する。

 右のほっぺたに、ソフトクリームが付いていたのだ。


「しょうがないなぁ」


 お姉さんぶった物言いを零しながら身を乗り出し、紙ナプキンでラミラの右頬を拭う。

 ちゃんとクリームを拭えたことを確認してから、身を引こうとしたその時、


「しょうがないデスねぇ」


 意趣返しとばかり同じ台詞を口にしながら、ラミラがこちらの鼻先を人差し指で拭ってくる。

 ほどなくして引っ込んでいった彼女の指先には、クリームが付いていた。


 何が起きたのかすぐには理解できなかった十七夜を尻目に、ラミラは人差し指に付いたクリームを美味しそうに舐め取る。

 そこでようやく、自分の鼻先にソフトクリームが付着していたことを、そのことに気づかずに「しょうがないなぁ」とお姉さんぶってしまったことを理解した十七夜は、



(あぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!)



 心の中だけで、身悶えんばかりの悲鳴を上げるのであった。

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