第2話

 お風呂に入ろっか――とは言ったものの、よくよく考えるまでもなくラミラの着替えがなかったので、十七夜は少しだけ部屋で待つよう彼女にお願いしてから、ホテルの売店でサイズの合いそうな下着と服を見繕う。

 それからすぐに部屋に戻り、服を脱いでラミラと一緒に浴室に足を踏み入れた。

 同性とはいえ、初対面の相手の前で裸になるのは抵抗があるのでは――実際、十七夜はちょっとだけ抵抗があった――と思っていたが、幸いラミラからはそういった様子は見受けられなかった。

 それどころか、


「これが、異世界のお風呂……」


 目をキラキラさせているところを見るに、気分テンションが上がっているご様子だった。


 ちなみに浴室は、大手不動産開発会社の社長が手配してくれたホテルなだけあって、個室に設けられたものとは思えないほどに広く、浴槽も子供と二人で入る分には問題ないくらいに大きかった。


 着替えを買いに行っている間に湯張りは済ませておいたので、今すぐにでもお風呂に浸かることができるけど。

 その前にラミラの汚れを落とさなければ浴槽が汚れてしまうし、十七夜自身、今日の仕事でかいた汗を先に流しておきたかったので、シャワーのハンドルを捻ることにする。

 最も高い位置のフックにかけられたシャワーから、お湯が降り注いだ途端、


「わわっ! これ、お湯が雨みたいに出てきマスっ!」


 興奮気味にシャワーを指さすラミラに、つい頬を緩めてしまう。

 

「シャワーといってね。とりあえず、そのお湯で汚れを洗い流すといいよ」

「ハイっ」


 シャワーを見たせいか、それとも単純にお風呂が好きなだけなのか。

 ラミラはテンション高めに返事をしてからシャワーの雨に入り込み、手始めに長い銀髪をワシャワシャと洗い流し始める。

 その時だった。

 お尻が隠れるほどにまで髪が長かったせいで気づかなかったが、ラミラの背中に魔法陣が描かれるのが見えて、十七夜は眉をひそめる。

 背中の中心が魔法陣の中心にくるようにして描かれた大きなものが一つ、その魔法陣の中に点在するようにして描かれた小さなものが九つ、ラミラの背中に描かれていた。


「ラミラちゃん、これって……」


 こちらの反応を見ただけで察したのか、ラミラは微妙に誇らしげな顔をしながら答える。


「背中の魔法陣はデスね、ラミラの中にいる神様の力にラミラが負けないよう〝ばあや〟が施してくれたものなのデス」

「負けないようって……」


 さすがにその言葉フレーズには、不穏なものを感じずにはいられなかった。

 けれど、見るからに〝ばあや〟ことエルーザが大好きなラミラに、彼女を疑うような言葉をかけるのは気が咎めるものがあったので、今は自分の心の内に留めるだけにする。


 気を取り直してアメニティのシャンプーハットを手に取った十七夜は、無駄にあくどい笑みを浮かべながらラミラに言う。


「それじゃあ、そろそろこっちの世界の体の洗い方を体験してもらおっかな~」


 十七夜の笑みにちょっと引いている一方で、「こっちの世界の体の洗い方」に興味津々だったのか、風呂椅子バスチェアに座るよう促すとラミラは素直に従ってくれた。

 エルフの耳が長く尖っていることを考慮して選んだ、上方に反っているタイプのシャンプーハットをラミラの頭に取りつけながら訊ねる。


「大丈夫? 耳痛くない?」

「ハイっ」


 素直な返事がかえってきたところで、十七夜は今さらすぎることを確認していなかったことに気づき、さらに訊ねる。


「ラミラちゃんって、エルフ……なんだよね?」

「ハイっ――って、こちらの世界にもエルフがいるんデスか!?」

「いないけど、魔法と同じでおとぎ話には出てくるよ。やっぱり魔法が得意だったり、わたしたち人間よりも寿命が長かったりするの?」

「そうデスね……」


 ラミラは唇の下に人差し指を押し当てながら考え込み、言葉をつぐ。


「エルフの方が人間よりも魔力が高いから、得意と言ってもいい……とは思いマス。寿命は、大人たちが言うには人間の一〇倍くらいはあるというらしい話デス」


 予想していたとおりの答えだったが、それでも、あらためて言葉にされると、思った以上に受ける衝撃は大きく、十七夜は思わず言葉を失ってしまう。

 だが、またしても今さらすぎることを確認していなかったことに気づいてしまい、恐る恐るラミラに訊ねた。


「ところで、ラミラちゃんって何歳なの?」

「九歳デスっ」


 元気よく答えるラミラに、十七夜は内心安堵する。

 エルフゆえに見た目と実年齢が乖離していたことで、ラミラの方が年上だった場合はどう接すればいいのか本気でわからなくなりそうだったので、彼女の年齢が見た目どおりで本当に良かったと十七夜は思う。


「そういうカナキは、何歳なのデスか?」

「一七歳だよ」

「わぁ……思ったよりも若いんデスね」


 褒め言葉と受け止めるべきかどうかわからなかった十七夜は、曖昧に笑うしかなかった。

 正直、エルフ基準の「思ったよりも」がどの程度なのか、聞くのが恐い。


「というかカナキっ、いつになったらカナキの世界の体の洗い方を体験させてくれるんデスかっ」


 ぷんすか怒りながら抗議してくるラミラに「ごめんごめん」と謝ってから、ボトルトレイに置かれていたシャンプーボトルのポンプを押し込み、出てきた洗髪液を掌で受け止める。

 興味深そうに目を輝かせているラミラに見せつけるように、洗髪液を両掌で擦って泡立ててみせると、


「わっ! その液体、石鹸だったんデスかっ!?」


 期待どおりの反応を見せてくれて、またしても頬が緩んでしまう。


「石鹸とはまた違うけど、髪と頭を洗うための液体だと思ってくれればいいよ」


 答えながら、泡立った両手でラミラの髪と頭皮をワシャワシャと揉み洗う。

 鏡越しで自分の頭がモコモコと泡立っていくのを見て、ラミラはますます目を輝かせた。


「なるほど……頭につけたは、目に泡が入らないようにするための物なんデスね」


 シャンプーハットを摘まむラミラに、「そのとおり」と笑顔で答えながら、髪についた泡を、シャワーを使って入念に洗い流していく。

 続けてコンディショナーをしてあげたけれど、こちらは泡立ちという視覚的なわかりやすさがなかったせいか、ラミラの反応はいまいちだった。

 そこはちょっと残念だったけれど、どのみちコンディショナーの良さを実感できるのは髪を乾かした後なので、十七夜は気を取り直してラミラのシャンプーハットを外し、長い髪をまとめた上でタオルを彼女の頭に巻いてあげた。

 続けてボディタオルを手に取り、ボディソープを垂らしてしっかりと泡立てたところで、ふと思う。


(相手が子供でも、人の体を洗ってあげるのってなんか妙に恥ずかしいかも……)


 そんな十七夜の胸中など露ほども知らないラミラが、泡でモコモコになったボディタオルを物欲しそうに見つめていたので、試しにこんな提案をしてみる。


「体、自分で洗ってみる?」


 途端、ラミラの表情がパァ……っと華やいだ。

 渡りに船だと思った十七夜がボディタオルを渡すと、ラミラは喜々として体を洗い始める。

 なんだかんだで汗や汚れを気にしていたのか、洗いっぷりは先程彼女にシャンプーをしてあげた十七夜以上に入念だった。

 最後に背中を洗おうとするも、さすがに思い通りにはいかなかったようで、物言いたげな視線をこちらに向けてくる。


「わたしが洗ってあげよっか?」


 と訊ねると、ラミラはコクコクと首肯を返した。


「でも、魔法陣ごとゴシゴシ背中を擦っても大丈夫なの?」

「そこは大丈夫デス。魔法陣は霊的に刻まれたモノなので、背中の皮を剥いでも消えたりはしマセンから」


 魔法絡みだからか、ラミラが難しめな表現を使ってきたことにちょっとだけ驚かされたことはさておき。

 文化の違いというべきか、生きてきた環境の違いというべきか、しれっと物騒な言葉が出てきたことに気後れしそうになりながらも、十七夜はラミラの背中をしっかりと洗ってあげた。


 十七夜自身もさっと体を洗ったところで、二人一緒に浴槽に浸かる。


「あぁ……」


 肩までお湯に浸かりながら、ラミラはとろけるような声を漏らす。

 こういうところは、人種の違いも世界の違いもないのかもしれないと思いながら、十七夜もお湯に身を沈め、


「はぁ……」


 つい蕩けるような吐息を漏らしてしまい、二人してクスクスと笑う。

 けれど、ラミラはすぐに笑みをどこか寂しそうな微笑みに変えて、ポツポツと語り出した。


「異世界に転移させられる前、〝ばあや〟に一緒に行けないって言われた時は、すごく心細かったんデス……」


 そして、ちょっとだけ照れくさそうに、言葉をついだ。


「だから……異世界で初めて出会った人がカナキで、本当によかったデス」


 もっとも、照れくささを覚えているという点においては十七夜も同じ――いや、ラミラ以上で、子供ゆえのてらいのない好意がこそばゆくて仕方なかった。

 けれど、


「さすがにそういう台詞は、会ってまだ半日も経っていない相手に言うものじゃないと思うけど……そう思ってもらえたことは……その……素直に嬉しい……」


 衒いがないからこそ、こちらも素直に返すべきだと思った十七夜は、ますます照れくさそうにしながらも、嘘偽りのない気持ちをラミラに伝えた。

 お湯に浸かっている以上に頬が上気していないか、少しだけ心配だった。


「ハイっ。ラミラも嬉しいデスっ」


 こちらとは対照的に、何の恥ずかしげもなくニッコリと笑って返すラミラを直視できなかった十七夜は、つい視線を逸らしてしまう。


 それからしばらくお湯に浸かり、体が温まったところで二人はお風呂から上がり、しっかりと体を拭いてから下着とバスローブを身につけ、洗面所に備えつけられたドライヤーを持ってベッドに移動する。

 その上に二人して座り、ラミラの髪を乾かすためにドライヤーのスイッチを入れると、


「わわっ! あったかい風が出てマシタ! 灯りや〝しゃわー〟もそうデスけど、これもカガクの力なのデスかっ!?」

「シャワーが科学かって言われたら違う気もするけど……このドライヤーに関しては、そう思ってくれて構わないよ」


 答えながらも、ラミラの髪を乾かしていく。

 その途上、自身の髪の感触がいつもと違うことに気づいたラミラが、髪の一房をすくい……目を輝かせた。


「ふぉぉ……ラミラの髪、サラサラになってますっ! もしかして、あのぬるぬるのおかげデスかっ!?」

「そのとおり。泡立つ方がシャンプー、ぬるぬるの方がコンディショナーっていうの」

「しゃんぷー……こんでぃしょなー……」


 女の子が美容に興味津々なこともまた、世界と人種の違いは関係ないのかもしれないと思いながら、きっちりラミラの髪を乾かしきる。

 続けて十七夜も自身の髪を乾かした後、ドライヤーを仕舞うために洗面所へ向かい……戻ってきた時にはもう、ラミラがベッドの上で健やかな寝息を立てていたことに苦笑する。

 恐い人たちに追われてこっちの世界に逃げてきたことを鑑みると、疲れが出てしまうのも、緊張の糸が切れてしまうのも、無理からぬ話だった。


 起こすのも悪いので、そっと毛布を被せてから、十七夜は椅子に腰掛ける。


(妙は妙でも、とんでもなく妙なことになっちゃったなぁ……)


 異世界に、エルフに、魔法。

 サブカルチャー好きの親友の影響でその手の知識があったおかげか、自分でも驚くほどすんなり受け入れられたものの、こうして一人冷静に思い返してみると、とんでもない話に巻き込まれたことを痛感させられる。

 だからこそ、好奇心を刺激されているのも否定できなくて。


「まあ、なるようにするしかないか」


 そう言って、天井を仰ぎ見る。

 明日からは、たぶん今まで経験したことがないタイプの忙しさに追われることを予感しながら。

 その割りには、思いのほかワクワクしている自分がいることを自覚しながら。

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