第1話

「えと……よくわかりマセンが、どんまい……デス」


 開口一番、〝少女〟が慰めてくる。

 それだけで〝少女〟が良い子だということはよくわかったが……だからこそ十七夜が負った精神的ダメージは、かえって余計に大きなものになってしまった。

 正直、ちょっと泣きたい気分だった。


 けれど、さすがにこのままでは話が進まない上に、〝少女〟には訊きたいことが山ほどあるので、


「ありがとう。もう大丈夫だから」


 と強がってから〝少女〟に椅子に座るよう促し、自身はベッドに腰掛けてから自己紹介に移る。 


「わたしは神村十七夜。……あ、でも、そうか……きみにはカナキ・カムラって名乗った方が伝わりやすいかな? とにかく、わたしのことは十七夜って呼んでくれていいよ」


〝少女〟は舌の上で転がすようにして「カナキ……」と呟いてから応じる。


「ラミラは……ラミラ・フォン・ルーア・ライラと言いマス。ラミラのことは……ラミラって呼んでください……デス」


 少しばかりたどたどしい物言いで、〝少女〟――ラミラは名乗る。

 彼女がもし本当にエルフだった場合、こことは違う世界から来たことになる。

 ラミラの方から普通に話しかけてきたため、つい流してしまっていたが、当たり前のように日本語が通じるのはさすがにおかしい。

 名前の長さは如何にも本物っぽかったり、鍵のかかった部屋にどうやって侵入したのかという疑問は残るものの、普通に考えたら、ラミラはエルフの仮装をした外国人と見るのが妥当だろう。


 う。

 妥当なのだが……ラミラに対して少なからず好奇心を刺激されたことは否定できなかったので、ちょっと迂遠な言い回しで確かめてみることにした。


「ラミラちゃん……きみは、どこから来たの?」

「それなんデスけど……カナキ……?」


 向こうの方から直球を投げ込んできて、十七夜は心の中で(ふえっ!?)と狼狽うろたえてしまう。


「ど、どうしてそんなことを訊くのかなぁ?」

「だって……〝ばあや〟が魔法で、ラミラのことを異世界に逃がすって言ってたから……。それに……この部屋自体、見たこともない物ばかりデスし……」


 当たり前のように「魔法」という言葉が出てきて、十七夜は(ふえぇっ!?)とますます狼狽えてしまう。

 それ以外にも「逃がす」という言葉が気になるが、今は一旦脇に置いておくとして、


「ラ、ラミラちゃんは魔法、使えるの?」


 コクリと、微塵の迷いもなく首肯を返してきたラミラに、十七夜は疑い半分好奇心半分に訊ねる。


「たとえば、どんな魔法を?」

「〝ばあや〟みたいに難しいのは無理デスけど、属性別の攻撃魔法とか……あとは治癒魔法や結界魔法くらいなら使えマス」


 思わず、ゴクリと喉を鳴らしてしまう。


「さっきラミラちゃんは、ここが異世界かどうかってわたしに訊ねたけど、それを確かめるためにもちょっと魔法を使ってみせてくれないかな? わたしたちの世界では魔法は空想の産物だから――」


 と言っている最中さなかに気づく。

 ラミラの小さな顔が斜めに傾いたことに。

 どうやら「空想の産物」という言い回しが、彼女には難しかったようだ。


「えっと……おとぎ話って言えばわかるかな? とにかく、わたしたちにとって魔法は現実には存在しないものだから、ラミラちゃんがわたしの目の前で魔法を使うことで、わたしたちの世界とラミラちゃんの世界が別々の世界だってことをはっきりさせたいの」


 こじつけが過ぎる部分もあるが、言い分そのものは理解してくれたラミアは、コクリと首肯を返してくれた。


「それじゃあ……魔法で灯りをつけることってできる?」

「それくらいならできマスけど……」

「なら、その魔法でお願い。今灯りを消すから」


 そう言って、十七夜はベッド脇の壁に設置されたコントロールパネルを操作し、部屋内の照明を全て消す。

 途端、ラミラが素っ頓狂な声を上げた。


「え……? えぇっ!? 灯りが全部消えた!? 呪文も唱えずにどうやって!?」


 素直すぎる反応に、十七夜は頬が緩みそうになる。


「科学と言ってね。詳しいことはわたしもわからない部分の方が多いくらいだけど、とにかく、魔法が存在しない代わりに発達した力だと思ってくれていいよ」

「カガク……」


 十七夜の名前を聞いた時と同じように、舌の上で転がすようにして呟いていたラミラだったが、


「あ……ゴメンなさいっ。魔法で灯りをつけなきゃデシタねっ」


 と慌てふためいてから、ラミラは先程までより少し大人びた声で唱えた。


「【ルクス】」


 予想していたものよりも短い呪文が唱えられた直後、眩い光が室内を煌々と照らした。

 反射的に閉じた瞼をゆっくりと上げると、ラミラが「小さく前へならえ」をするようにして胸の前に掲げた右掌と左掌の間に、小さな太陽にも似た光が灯っている様を確認することができた。

 ラミラのように素っ頓狂な声は上げなかったものの、十七夜を驚愕させるには充分すぎる奇跡だった。


「これでいいデショウか……?」


 恐る恐る、ラミラが訊ねてくる。

 十七夜は一つ息をつき、コントロールパネルを操作して室内の照明をつけてから答えた。


「充分だよ。ラミラちゃんも、ここがラミラちゃんにとっては異世界ってことは、もう充分わかったでしょ?」


 ラミラはコクコクと何度も首肯してから、胸の前に掲げていた光を消す。


「さっきラミラちゃん、〝ばあや〟さんに――って、そういえば、〝ばあや〟さんって何て名前なの?」

「エルーザって、言いマス」


 どこか誇らしげに答えるラミラを見て、本当に〝ばあや〟――エルーザのことが好きなんだなと微笑ましく思いながら、十七夜は話を戻す。


「さっきラミラちゃん、エルーザさんに異世界に逃がしてもらったって言ってたけど、どうしてこっちの世界に逃げてきたのか、よかったらわたしに聞かせてくれないかな?」


 さすがに相当込み入った事情があるのか、ラミラはしばし逡巡した末に答える。


「ラミラもよくはわからないんデスけど……〝ばあや〟が言うには、ラミラの体には神様が入りこんでいるらしいんデス……。その神様は〝ばあや〟が……えと……すうはい?……しんこう?……している神様なんデス……」


(「崇拝」に「信仰」か。それはそれで気になるけど、肝心のラミラちゃんがわかっていないようじゃ、これ以上聞きようがないか)


 などと十七夜が思案している間にも、ラミラは話を続けていく。


「ラミラ、その神様を狙った恐い人たちに追われて……このままじゃ逃げ切れないからって、〝ばあや〟が魔法でラミラのことを異世界に逃がしてくれたんデス。さすがに、世界が丸ごと違えば、恐い人たちも簡単には追ってこれないだろうからって……」


(確実に逃がすためとはいえ、この子一人を異世界に飛ばすのは少し違和感があるけど……)


 エルーザのことを心配しているのか、それとも全く知らない世界に一人放り出された不安のせいか。

 徐々にラミラの顔色が悪くなっているのを見て、十七夜は知らず痛ましげな表情を浮かべてしまう。

 そのことに気づいてもいないラミラが、話を続けていく。


「〝ばあや〟に異世界に転移する魔法をかけてもらったら、目の前がグニャグニャして、いつの間にか気を失って……目を覚ましたらあそこのテーブルの下にいて……十七夜がベッドの上に転がってて……」

「……それは忘れて。お願いだから」


 羞恥がぶり返して真っ赤になった顔を両手で隠しながら、十七夜は懇願する。


「ゴメンなさい……」


 心底申し訳なさそうに謝ってくれたラミラの気持ちは汲みたいところだけど、このタイミングでガチ謝罪は辱めを受けるに等しいので、素直に受け止め切れない十七夜だった。


 数十秒かけて顔の赤みを引かせた後。

 ラミラには酷な質問であることは承知した上で、今最も確かめなければならないことを彼女に訊ねる。


「エルーザさんは、こっちの世界には逃げてきてないの?」

「……〝ばあや〟は、異世界には一度に一人しか送れないから、ラミラを異世界に転移させた後、〝ばあや〟がどうなったのかはわからないんデス。あとで自分も追いかけるとは言ってマシタけど……」


(それを確かめる方法はなし、か)


 あえて口には出さず、天井を仰ぐ。

 事情を聞いた以上、いや、事情を聞くまでもなくこんな小さな子供をほうっておけなかった十七夜の中に、ラミラを見捨てるという選択肢は初めから存在しない。


 問題は、自分が女子高生でなおかつボディガードである点にあった。

 学校に通いながらボディガードの仕事をする生活は、言うまでもなく多忙だ。

 学校は勿論、仕事場にもラミラを連れて行けないため、必然、彼女のことを一人にする時間が多くなってしまう。


(それでも、エルーザさんを見つけるか、ラミラちゃんのことを安心して預けられる人を見つけるまでは、わたしが面倒を見るしかないよね……)


 と考えていたところで、ふと気づく。

 ラミラが、不安そうにこちらを見つめていることに。

 十七夜は硬くなっていた表情を意識的に緩めると、ラミラの頭を優しく撫でながら宣言するように言った。


「大丈夫。エルーザさんはきっと、こっちの世界に来てる。エルーザさんを捜すの、わたしも手伝ってあげるから……」


 十七夜はラミラの頭から離した掌に、泥と砂が付着しているのを見て、苦笑混じりに言葉をつぐ。


「とりあえず、お風呂に入ろっか」

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