ラブペテロン様と魔法の銃
十坂真黑
ラブペテロン様と魔法の銃
日曜日。
リーヤは一人、薄暗い部屋の中でベッドに潜り込んでいた。
王宮騎士である彼女の仕事は過酷で、週に一度の休日は寝ていることがほとんどだ。
本来であれば美しい金色の髪をしているのだが、忙しさにかまけて手入れをサボりがちなため、今では煤けた荒れた箒のような有様である。
窓の外を乙女たちが姦しく囁き合いながら横切っていく。
まるで妖精みたいだな。
リーヤはため息をつく。
それにひきかえ自分は……と、自らの服装に目を落とす。
寝巻代わりにしている布服は可愛げのない男性物。王宮騎士は高級取りではあるが、遠方に住む両親に半分を送金しているので暮らしに余裕はない。先ほどの少女たちのような華やかさとは無縁だ。
男性ばかりの職場である。女だからと馬鹿にされないよう、同僚たちと接する時には意識して女性らしさは排除していた。
自分の生き方に後悔はないが、先ほどの街娘たちを見ていると、違う人生もあったのではないかと考えてしまうことがある。
ドアポストを見ると手紙が一通届いている。
差出人を見る前から見当はつく。
「また母さんか……」
リーヤが二十五を超えた頃から、母は結婚に焦り出した。
「いい人はいないのか」だとか、「地元の友人は既に子供を産んでいる」とか、どっと疲れが溜まるようなことばかりが書いてある手紙が毎週のように届く。母は女だてらに働くリーヤを必ずしも良く思っていない。毎月欠かさない仕送りも、そんな母を宥める為にリーヤが自らしていることである。
申し訳ないがあとで読もう。そう言い訳しながら封も開けずに棚の中にしまい込んだままになっている手紙の数は、かれこれ十は超えている。
しかし、今日の便箋には妙な膨らみがあった。
しかもよく見ると差出人どころか宛先人すらも記載のない、真っ新な便箋である。
どうしてこんなものが届いたのだろうかと、一瞬はてなが浮かぶ。
が、きっと母の仕業に違いないと結論付ける。リーヤがあまりに手紙に返事を出さないから、しびれを切らして差出人未記名で届くようにしたのだ。
リーヤの暮らす寮の管理人に頼めば、リーヤの部屋のポストに手紙を投函してもらえるだろう。
便箋を開けると中に入っていたのは、色も形もハートを模した宝石がついた首飾りだった。
うわあ……と顔が引き攣るのを抑えられない。
「母さん、私いくつだと思ってるのよ……」
女学生なら微笑ましいものの、成人を超えた女が着けるような装飾ではない。
しかし宝石は大きく、赤子の拳ほどのサイズがある。
これだけの石だ、相当値も張るだろう。
母からの心意気を無碍にするのは申し訳ない。しかしこれを首から下げる勇気はない。
どうしようかと悩んでいるリーヤだったが、突然背後から「あなたがリーヤね」と、舌足らずな少女の声が響き、「ひょえっ!?」と奇声を上げ、飛び上がった。
振り返ると、そこには見知らぬ女の子がいた。
年齢は十にも届かないくらいだろう。糸のような銀色の髪は透き通り、眩しいほどだ。
「私の名はラブペテロン。運命をつかさどる女神よ」
ははん、とリーヤは得心する。
「はいはい。遊ぶなら外で、お友達とね」
おそらく鍵を掛け忘れてしまい、入ってきてしまったのだろう。
「ちょっ、子供扱いしないでよ!」
悪いが、見知らぬ子供と遊んでやる気力はない。
喚く少女をなんとか追い出し、やれやれと戸を閉める。今度は戸締りも忘れない。
ところが部屋に戻り、リーヤは驚愕した。
なんと、今しがた部屋から追い出したはずの少女が何事もなかったようにベッドに腰かけている。
私はまだ寝ぼけてるのか? リーヤは頭を抱えた。
「無駄よ。神の進路を人間が邪魔することはできない。それより、あなたに世界の命運がかかっているのよ」
「何の話だ?」
「この国の未来の話よ」
ラブペテロンと名乗る少女は言った。
「平たく言うと、あと十日以内に運命の恋に落ちなければあなたは一生結婚できない。連鎖的に将来世界を救うはずの救世主が生まれて来ず、なんやかんやでこの世界は滅亡するわ!」
途方もない話だった。なんだ、なんやかんやって。
とりあえず少女の話を聞くことにしたリーヤだったが、つい鼻で笑ってしまう。
最近の子供は凝った設定のままごとをするらしい。
「生憎、私は恋愛になんか興味はないんだ」
「あらぁ、本当にそうかしら。神に隠し事は無用よ?」
そう言って少女がすうと手を挙げると、前触れもなく室内の本棚が前方に倒れてきた。
「な、なんだ突然!?」慌てて本棚を抑える。倒れることはなかったが、収めていた本が床に散らばってしまった。
少女は動じる風もなく、落ちてきた一冊のノートを手に取った。
その表紙を目に留めた途端、リーヤは悲鳴を上げた。
「ひゃわあああ‼︎ ななな、なんでそれを!」
少女はぱらぱらとページをめくり、不敵な笑みを零す。
「あらあら。ふふふ。あなた官能作家に向いてるんじゃない?」
そのノートには数年前、リーヤが衝動のままに書き連ねた青い春の夢物語が記されている。ありていに言えば妄想日記である。日記の中のリーヤは現実とは違い、数々の男と恋をし、経験したこともないような快楽におぼれていた。
執筆中は恍惚感に包まれていたものの、我に返って読み返すといっそ殺してくれと懇願したくなるような代物だった。己の中にこんな欲望が潜んでいたのかと、激しい羞恥に襲われる。そのため、封印したのだ。
自分ですらどこにあったか忘れていたのに、まるで少女はその存在も、封印場所すら知っていたかのようだ。
「どう? これで私が神であることを認める?」
「くうう……認めるから、それは返してくれ」
ノートを無事手に入れると、リーヤは鍛え上げた握力でびりびりに裂き、ゴミ箱に捨てた。
危険物を地上から抹消した達成感を覚えていると、少女はぴょんとベッドから降りた。
「こんな部屋の中に引き篭もってて出会いなんてあるわけないわ。まずは街に繰り出すわよ」
「私は出会いなんか……!」
「いーのよ、強情張らないで。っと、その前に着替えね。あなたが持っている一番かわいい服はどれ?」という問い掛けに、仕事着か寝巻きぐらいしか持っていないことを告げると、「それはまずいわ」真っ先に服飾屋に連れて行かれた。
「まずは外見から。恋は第一印象から始まるのよ」
少女は店頭にならぶ服の中から薄桃色のドレスを手にリーヤに迫った。
「着てみなさい」
言われるがままに着替えた。
数年ぶりにコルセットで腰を締め上げられ、息が詰まる。
しかし出来上がりは想像以上だった。
鏡に写っているのが自分だとは到底信じられない。
筋肉質な体系のリーヤだが、ふんわりとしたこのドレスなら引き締まった肢体も気にならない。ついでに髪にも櫛を通し顔に粉をまぶすと、そこらを歩いている街娘と変わらない。
「これが……私なのか?」
ぽうっと鏡を眺めるリーヤを見て満足そうに頷くラブペテロン。
会計を済ませ、新しい衣装に身を包んだまま、ぽわぽわした気分で店を出る。
服を着替え、軽くメイクをして外見を整えただけで生まれ変わったような気分だ。
息をつく間もなく、運命の神ラブペテロンは言う。
「次は自分から男に声を掛けるのよ。待っていてはダメ」
「えええ!? 急すぎじゃないか」
「あなたにはあと十日しか残されていないのよ、息を吸うように男を漁らないと」
「そ、そんなこと言われても、私は男を誘うような不埒はことはしたことがない」
「あんな過激な日記書いておいてよく言うわ。仕方ないわね。それっ」
「ぎゃっ!」
ラブペテロンは思いのほか強い力でリーヤの背中を物理的に押した。
勢いあまって前を歩いていた青年に激突する。「ぐあっ!」
リーヤと青年は、重なり合うように倒れた。
「いてて……」
「すみません!」
慌てて起き上がり、青年に手を差しだした。ところが相手の顔を見て、リーヤは凍り付いた。
「ぜ、ゼンヤ?」
ゼンヤはリーヤの所属する部隊の後輩だ。実力はあるのだが生意気なところがある。隊で最も若く、学生気分が抜けきらないのだろう。そのため、リーヤは人一倍彼に厳しく接していた。ゼンヤにとって自分は目の上のたん瘤のような存在に違いない。
「まさか……リーヤ先輩?」
向こうもリーヤに気付いたらしい。
リーヤは咄嗟に、靴に仕込んでいた折りたたみナイフを取り出した。
「特殊訓練だ、ゼンヤッ‼︎ 休暇だからと言って気を抜くな、私が本物の刺客だったら貴様死んでいたぞ」
相手に何も言わせる暇を与えず、リーヤは駆けだした。
広い公園へと逃げ込んだリーヤが息を整えていると、後ろから声がした。
「世間は狭いわね。まさか知り合いだなんて」
ラブペテロンが他人事のように言う。
「あぁあ……おしまいだあ。こんな姿をあいつに見られてしまうだなんて」
「あら。とっても似合ってるわよ?」
ラブペテロンの言葉などもはや慰めにもならない。きっとゼンヤは翌日、面白可笑しく同僚に今日のことを言いふらすだろう。普段自分に厳しく当たる先輩に対する意趣返しのつもりで。
――あのリーヤ先輩が。休日。似合いもしないドレスでめかしこんで。婚期の遅れを取り戻そうと……。
妄想力の豊かさが災いし、脳内が被害妄想で埋め尽くされる。
「やっぱり私がこんな服……やめておけばよかった」
「リーヤか? どうしたんだ、こんなところで」
男性の声が耳に届いたとたん、心臓が跳ねた。
この声は。
「シュミッツ隊長……」
心配そうにリーヤの顔を覗き込んだのは、所属部隊の上官、シュミッツだった。
胸襟の開いた彼のシャツから爽やかな汗の匂いが漂い、リーヤの心を酔わせる。
「顔が赤いじゃないか。本当に大丈夫か?」
「い、いえ! 自主訓練をしていたもので!」
「相変わらずだなお前は。せっかく可愛らしい服を着ているんだから、休日くらい肩の力を抜いたらどうだ」
「は、はい! 努力して休みます」
はは、とシュミッツが白い歯を見せて笑う。
可愛らしい……可愛らしい……可愛らしい……。
シュミッツの言葉が脳裏を駆け巡る。
「俺は家族サービスだよ。まったく、気が休まらんな。じゃあ、また明日」
「は、はい!」
リーヤは去っていくシュミッツの後姿を見つめた。
「これしかない!」
端で見ていた運命の神が突然叫んだ。
「間違いなく、これが運命の恋!」
言わんとしていることを察し、リーヤは慌ててラブペテロンを茂みに引っ張り込んだ。
「馬鹿なことを言うな、シュミッツ隊長には奥さんもお子さんもいるんだぞ!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。あなたが恋をしないと、世界が滅びるのよ」
ラブペテロンの目に、これまでの揶揄うような雰囲気はない。
「世界の命運に加えあなたの幸せと、ありふれた家族の日常。天秤にかけて、どちらが重いかしら?」
――部隊唯一の女性という立場もあり、王宮騎士として配属された当初は体力面、精神面共にきつかった。
そんなリーヤを、新人の頃から指導してくれたのがシュミッツだった。
厳しい訓練に耐えられたのも、シュミッツの温かい言葉と優しい笑顔があったからだ。
そんな彼の結婚を涙を飲んで祝福したのは、もう五年以上前のこと。
ふと見るとラブペテロンの手に、見慣れない鉄の塊が握られている。
「これは特別な銃。弾丸を当てても相手は傷付かない変わりに、撃った人にメロメロになるわ。家庭があろうと関係なく、シュミッツはあなたのとりこよ」
どうしてそんなものを、という問いには「神だから」という返答が待っているのだろう。
ラブペテロンはリーヤに銃を握らせた。
冷たい銃の感触が掌に宿った。
「撃って」
言われるがまま、照準をシュミッツに合わせる。
「撃つのよ」
引き金に指を掛ける。
リーヤは深く息を吸った。
子供と戯れるシュミッツ。妻と思しき女性は、いかにも幸せそうにその様子を見守っている。
その姿を、横顔を、自分と重ね合わせる。
……。
…………。
数秒後、リーヤは無言のままを銃下ろした。
「できない」
神の悪戯でシュミッツの心を奪ったところで。
「私は、あの人の笑顔が壊れてしまうことが怖い」
リーヤは彼の笑顔を今のようには受け止められないだろう。
「そう」
ラブペテロンは意外にもあっさりと頷き、銃を受け取った。
「仕方ないわ、あなたの選択だもの。救世主は生まれず、あと二百年もすればこの国は滅亡する。その前に、地上観光でもしようかしら」
そう言って、人混みの方へと歩き出すと、そのまま少女の姿は見えなくなってしまった。
運命の神に見放された以上、リーヤは一生男と縁がないまま過ごすのだろう。
大したことはない。これまで通りの日常が続くだけだ。
元より二百年もあとの世界の命運など、知ったことではない。
そう心の中で呟いて、帰路に着こうとした時だった。
「リーヤ先輩!」
びく、とリーヤの肩が揺れる。
先ほど振り切ったはずのゼンヤが、立っていた。
「やっと見つけました! 何で逃げるんですか」
「に、逃げてなど無い」
リーヤの口から虚勢がするりと飛び出す。
「さっきはいきなりだったんで驚きましたけど、その恰好似合いますよ!」
「……揶揄わないでくれよ」
「揶揄ってませんって! あ、その首飾りも似合ってます。イメージと違いますけど、可愛いっすね!」
言われて気が付く。
いつの間に、リーヤの胸元には大ぶりのハートの宝石が輝いている。
彼女の脳裏に、悪戯な神の顔がチラついた。
そういえば、彼女が現れたのは、この首飾りを手にした直後だった。
リーヤはすう、と息を吸い込む。
「ゼンヤ……よかったら、この後付き合ってくれないか。休日の過ごし方が分からないんだ」
一年後、リーヤはゼンヤと結ばれ、のちに元気な女の子を産む。
その子供はリーヤの文才を引き継ぎ、世界的に名の知られる作家へと成長した。
彼女の記した恋愛物語は世代を超えて読み継がれ、やがて諍い続けていた二つの大国の王子と王女の手にそれぞれ渡る。
どちらの国も強大な軍事力を有し、死力を尽くして戦えば世界が終わるとさえ言われていた。
リーヤの娘が著した恋愛小説をきっかけに彼らは結ばれ、長年争っていた二つの国は合併し、平和な巨大一つの国へと生まれ変わったのであった。
ラブペテロン様と魔法の銃 十坂真黑 @marakon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます