第20話 仮初の平和
「一体いつになったら神宮寺の娘が見つかるんだ!?」
流れ着くとしたら
そう思い、三ツ島だけでなく各島にも通達を出したのだが、一向に見つかる気配がない。
「このままでは間に合わなくなってしまう……!!」
――数時間前。
煉宝山の麓にある湖が、数メートル先も見えぬほど黒く染まった。
これまでも定期的に瘴気が発生していたのだが、これほど濃くなるのは初めてである。
千歳から返してもらった『護り石』は何故か力を失ったが、依然として存在している……つまり、本来の持ち主はまだ生きているということだ。
「御守様が次に白羽の矢を打てるまで、あと一週間。何か手を打たないと、瘴気を抑えきれなくなるぞ!?」
「ですが、ハレの煉獄だけでなく『雨催いの花街』も、
「クソッ、どうしたら……!!」
連絡係から報告を受けた蒼士郎は苛立ちを隠せず、拳を壁に叩きつけた。
「当主様、『護り石』の娘が見つかる保証はございません。ましてや刻一刻と事態は悪化しています。どうか、ご決断を」
「…………決断?」
「何が功を奏するか、もはや誰にも分かりません。他の手ごろな娘を見繕い、沈めるべきかと」
その言葉に蒼士郎は平静を保てず、連絡係の胸ぐらを掴むと、強く引き寄せた。
「……ふざけたことを言うなよ? ならばお前が一番に沈むか!?」
分かっている。
何か手立てを取らねば、手遅れになるのは分かっているのだ。
だが、それは本当にギリギリの、――最後の手段。
鋭い眼差しと怒りを含んだ低い声に、連絡係は一瞬たじろぐが、それでもなお言葉を続ける。
「私で収まるのなら、それでも一向に構いません。ですが生贄は娘であることが条件。必要であれば『雨催いの花街』から、霊力のある娘を探しましょう」
「祓い屋でもない娘を身請けし、娶った挙げ句に沈めろと?」
小さく舌打ちし、蒼士郎は掴んでいた胸ぐらを乱暴に放した。
連絡係はわずかによろけ、だがすぐに体勢を立て直すと、一礼して去っていく。
「……ッ」
一人になった途端に襲いかかる、鈍器で殴られるような頭の痛み。
以前もたまにあったのだが、千歳から『護り石』を返してもらって以降、頻繁に頭が割れるように痛くなった。
「一体、何なんだ……」
断片的に差し込む映像は、知らないはずなのに、だが見たことがある。
堰を切ったように襲いかかるのは、絶望にまみれた怒りだった。
額に汗がにじみ、堪えるように寄せた眉間に力が入る。
抗えない感情に心を蝕まれ、何をしているわけでもないのに消耗していく。
蒼士郎は壁に背を預け、唇を固く結んだ。
そして覚束ない足取りで、壁伝いに自室へと戻って行ったのである――。
***
「おい、千歳起きろ! 仕事の時間だぞ!?」
役に立たない上に寝坊までしてからにと豆千代に蹴り飛ばされ、千歳は目覚めた。
「ノックもなく女性の部屋に入るとは……」
「何が女性だ、貧相な小娘が! 俺たちの納屋に住む以上、出入りは自由にさせてもらう!!」
「お前達の納屋じゃなく、涅家のものだろう?」
ひとつ屋根の下に住む困った豆狸達は、文句を言いつつ、暇を見つけては千歳のいる屋根裏部屋へ突撃してくるのだ。
顔も洗う間もなく、服だけ着替えて炊事場に向かうと、豆太が鬼山さんに宙吊りにされていた。
「うわぁん、兄ちゃん助けて! 鬼山さんが……鬼山さんが、豚汁に長ネギ入れるなって!!」
「うるせぇ、俺は長ネギが嫌いなんだよ!!」
口の中でシャキシャキすると、オエッてなるだろうが!
ニオイも嫌だから、長ネギは後入れにしろと豆太を脅している。
実にくだらない戦い……正直邪魔だから、さっさと自分の持ち場に戻って欲しい。
「鬼山剛、
先日結んだ『使役契約』は、契約主が死ぬか、解除されるまで永久的に有効である。
そして今のところ千歳は、この扱いづらい小鬼を解放してやるつもりはなかった。
突然命じられて、驚いた鬼山さんがシュルシュルと縮み、小鬼の姿に戻る。
千歳と同じくらいの背丈なので、豆狸達よりはだいぶ大きいが、普段大男に化けているため随分と可愛らしく見えた。
「いっつもコレなら可愛いのになぁ」
薪割りを終えた松五郎が、動けなくなった鬼山さんの頭を撫でる。
「どこがだよ!? 俺らのがよっぽど可愛いだろうが!!」
豆千代からすかさず不満の声が上がった。
「日頃の恨みぃッ!!」
棒立ちになった鬼山さんの脛に豆太がジャンプキックをかまし、「てめぇ後で覚えておけよ!?」と睨まれている。
「平和だな」
今日は炊事場の仕事が終わったら、手の空いた者が文字を教えてくれると聞いている。
炊事場の格子窓から、千歳は切れ目すら見えない重い曇天を見上げた。
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