第4話 すべてのものが入り交じる街


 神避諸島かむさりしょとうで最も面積の大きい『三ツ島みつじま』の外周は、大人の足で丸二日あまり。


 貧民街、一般街、花街……と、島の中央に向かって円を狭めるように区画が分かれ、最奥の中心部に、涅家の屋敷があるらしい。


「……ま、まだ着かないなんて」

「お前、体力が無さすぎやしないか?」


 いくらなんでも遠すぎる。


 前世も今世も、由緒正しい家門の生まれ。

 平民育ちの健脚な成人男子と比べられ、同様に歩けと言われましても、それは無理な相談である。


「安心しろ、あと半刻ほどだ」

「そんなに!?」


 涅家の当主をしていた前世は、病弱ゆえの引きこもり。

 そして今世は屋敷の外へ出ることを許されないがゆえの、引きこもり。


 しかも漂流明けで、充分に体力が回復していない。

 今現在、都合のいい『島流しにされた罪人』の設定に甘んじおり、身分を隠しているので反論すらもままならない。


「歩くのが遅すぎて、このままだと夜が明けちまう。買取先の置屋が閉まったらお前のせいだからな!?」

「……ハァハァ、誰に向かってモノを……」

「息切れしながら威張る。まったく……ほら、手を引いてやるからとっとと歩け」


 証文に血判を捺すところまでは問題だらけだったが、粗野な見た目に似合わず、意外と面倒見がいいのだ。


 少しでも楽をしたくてズルズルと引っ張ってもらう姿が、『貧民街の娘をムリヤリ連行する女衒』の絵面になるようで、道行く人々に気遣わしげな視線まで送られてしまう。


「……その恰好じゃいくらなんでも汚ねぇよな」


 少し寄り道するぞと言い捨てるなり連れていかれたのは、傾いた木造の棟割り長屋だった。


「ほら、これをやる」

「……ありがとうございます」


 とっぷりと日が沈みきった暗がりに、灯した提灯がぼんやりと浮かび上がる。

 差し出された浴衣は丁寧に畳まれ、金魚が描かれた柔らかな生地の上に、広幅の三尺帯が乗っていた。


 鮮やかな朱の帯に指先が触れる。

 礼を述べて受け取ると、金魚の目が動いた気がした。


「……ん?」


 気のせいだろうか。

 じ――っと見ていると、今度は口がパクパク動く。


「松五郎、コレ……金魚が!?」

「何言ってんだお前は」


 早く着替えろと促すなり松五郎は後ろを向き、相手にもしてもらえない。

 だが確かに、金魚が動いたのだ。


「んん――?」


 金魚の絵が動く不思議な浴衣は、小柄な千歳をもってしても短い身丈。


 着替えを終え、一転して言葉少なになった松五郎に手を引かれ、いつのまにか夜明けを迎える時間帯へと差し掛かかる。


「外れの離島に、よくもこんな花街を……」

「すげえだろ? これが四方を囲んでるんだぜ」


 当主はきっと、とんでもなく女好きの享楽主義者だったに違いない。


 見上げる先には、天まで届きそうに高い壁。

 花街をグルリと囲むその高壁一色に視界が覆われ、千歳はゴクリと喉を鳴らした。


「ここからは言葉を慎んで、年齢に合った娘言葉を使え。少しでも中の役人に怪しまれたら、手形を取られて女衒を続けられなくなっちまう」

「……心掛けます」


 そういう理由ならば仕方ない。

 再三にわたる指摘に飽食気味なのもあるが、余計なトラブルを避けるためにも、言葉遣いは改めたほうが良さそうだ。


 流れ着いた罪人や貧民街の娘のみならず、血筋の良い、身代を失った家門の娘が売られることもある女の牢獄。


 ……『雨催あまよもいの花街』。


 高壁で一切を覆い隠す花街は通常、大門おおもんと呼ばれる出入り口がたった一つだけ設けられ、昼夜問わず詰所つめしょにて監視する。


 それはどこも同じはず……だったのだが、ここ・・三ツ島にある『雨催あまよもいの花街』だけは、南北にそれぞれ一つずつ、計二つの大門を備えていた。


「外側から出入りできる唯一の門は、『南の大門』。一般街と花街を行き来するためのものだ」

「目の前にあるこの門ですか?」

「そうだ。ここから花街に入る」


 複数の柱に冠木かぶきを渡し、本瓦葺ほんかわらぶきの切妻屋根きりづまやねを被せた『人間用・・・』の高麗門。


 外側から出入りすることを目的としたその門は、花街の外側を囲う……一般街との間を隔てる高壁に備えられている。


「涅家の屋敷に行きたい場合は?」

「涅家に出入りするためには、花街のを囲う高壁……特別な手形が必要な『北の大門』を通る」


 花街を介した、内と外。

 用途に応じて二つの大門を行き来する、ということのようだ。


「じゃあ入るか。頼むから、それっぽくしてくれよ?」

「勿論です」


 詰所に手形を見せ、ぐいっと腕を引っ張り罪人を引っ立てるようにして、南の大門へと引きずり込む。


「芸妓に娼妓、咎人、……ここから先は、すべてのものが入りじる」


 賑賑にぎにぎしさに慣れない千歳の目の端を、あやかし達がすり抜けていく。


「……たまに人を襲うヤツもいるからなぁ」

「異形ですか?」

「いや、異形じゃなく、あやかしでもだ」


 花街は活気であふれ、明らかに人でないものも散見される。


 なるべく関わりたくねぇんだよなと嫌そうにする松五郎だったが、歩みを進めるうちに、千歳の腕を掴む手がじっとりと汗ばんできた。


「おい……何かおかしくないか」

「?」

「すれ違う、あやかしの数が多すぎる」


 普段がどうだか分からないので、多いと言われても分からない……だが確かに脇を通り過ぎるたび、ギョロリと視線を向けられるのは気になっていた。


 通り過ぎた後も立ち止まっては振り返り、千歳達の後ろ姿を追っている。


「……お前、随分と見られてないか」


 青褪める松五郎の、ざんばらに切った後ろ頭が千歳の瞳に映り込んだ。


 興味深げなものから、悪意にまみれたもの。

 ……ほのめく意図は、様々に。


 あやかし達の視線を一身に感じながら、千歳は身を隠すようにして松五郎の影を踏む。


「いつもは違うんですか?」

「違う……こんなこと、初めてだ」


 不穏な気配を察知し、千歳の腕を開放した松五郎は、たもとに入れていた小さな呼子笛よびこぶえを握りしめた。


「いざという時は、この笛を吹けば大丈夫……な、はず」

「心許ないです松五郎様」

「うるせぇ! 助けが来るから問題ない……はず」


 頼りないこと、この上ない。

 言ってるそばから不安気に、キョロキョロと辺りを見廻している。


 本土にいた頃、神宮司家の屋敷にもあやかしはいたが、こんな風にあからさまに見られたり、後をつけられることはなかった。


 死にかけて前世の記憶を取り戻した際、霊力の質が変わったことが原因だろうか。


「急ごうぜ、早くしねぇと夜が明けちまう」


 見上げる空が、白々と淡みを帯びてくる。

 もう夜明けも近いというのに、あやかしが入り交じる花街は、まるで祭りの最中さなかのように途切れることのない往来で賑わっていた。




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