第3話 三食昼寝付き、住み込みのお仕事

 あやかしに噛まれた肩も痛いけど、とにかくお腹がペコペコだ。


「ようこそ『三ツ島みつじま』へ! お前、何をして島流しにされたんだ?」

「……特に何もしてない」

「冤罪か? そりゃ運が悪かったな!」


 どうせ行くあてもないんだろ?

 いい働き口があるから、やってみないか!?


 見るからに怪しいこの男は、千歳に向かって続けざまにまくし立てる。


「食事も出るし、綿がつまった布団で昼寝もできるぜ」

「食事と昼寝付き……!!」

「な、最高だろ!? しかも住み込みだ」


 年の頃は二十代前半、といったところか。

 見ず知らずの千歳に突然仕事を紹介するなんて怪しすぎると思いつつも、食事と昼寝付きは魅力的。


 ちょっといいな……。


 興味を惹かれた千歳に目ざとく気付き、男はニヤリと口端を歪めた。

 千歳が羽織っている単衣は使用人のおさがりで質も悪く、渦潮に呑まれた際にあちこち引っ掛けて破けている。


 身にまとうボロ布と、水仕事でかさついた手が、貧しさを思わせてしまったようだ。


「年頃も丁度いい。薄汚れているが、よく見れば顔もなかなか……綺麗にすれば見違えるぜ?」

「……触るな下郎」

「下郎!? 何だその言い草は!? わぷっ、おいヤメろ」


 おっと、いけない。

 うっかり前世の癖で、偉そうな言葉が口を衝いて出てしまったようだ。


 放っておくとしつこそうなこの男。

 大事な食材だったが、背に腹は代えられない。


 なれなれしくも肩を組まれそうになり、千歳は握りしめていた海藻を、男に向かってペチッっと投げつけた。


「……なんで海藻!?」

「今日のお昼飯です」

「こ、これが昼飯ッ!?」


 食事と昼寝付きには惹かれるが、無事に記憶も思い出した上、生贄が必要になるほどの差し迫った状況下。


 もし三ツ島から異形が溢れたら最後、霊力を殆ど持たない本土の人間に抗う術はなさそうだ。

 早急に涅家へ行き、対応を考えないと……遊んでいる暇はないのだ。


「もしかしてお前、腹が減ってるのか?」

「それはまぁ……」


 その身ひとつで船から放り出されたため雨をしのぐ場所すらなく、勿論お腹は空いている。


 投げた海藻を名残惜しそうに見る千歳。

 その物欲しげな眼差しから、はらぺこ具合を推察したようだが――。


 とはいえ、いくらなんでも怪しすぎる。

 ――ファイナルアンサーは勿論、『逃げる』の一択。


 身を翻して逃走を図るが、強い力で腕を掴まれ……柔らかな物腰が一転、強めの圧をかけられた。

 残念ながら、千歳を逃がす気はないらしい。


「ならば決まりだ! あとはこの証文に判を押すだけだ」

「証文? ちょっ、待……痛ッ」


 男が尖った爪先で、千歳の親指の腹をつま弾くと、小さな傷口からジワリと血がにじんだ。


 そのまま千歳の親指を、ギュッと証文に押し付ける。


「よしよし、これで契約成立だ。今日はツイてるぜ!!」


 つい先程まで人好きのする笑顔を浮かべていた男は、商品を値踏みするように無遠慮な視線を千歳へ向けた。


 前世は箱入り、そして今世も一応、箱入り令嬢。

 このような破落戸ごろつきにはとんと縁がなかったのだが――。


「励めば贅沢も出来るし、運が良ければ大店への身請けも可能。あとはお前次第だ!」

「身請け!?」

「……ああ、自己紹介がまだだったな」


 年頃の娘があてもなく、夕刻に一人浜辺で佇んでいたら、悪い男に声をかけられるに決まっている。


 だというのに、何が何やら分からないまま証文に血判を捺してしまった。


「俺は松五郎。花街に女を斡旋するのが俺の仕事だ」


 つまりは女衒――。


 辻斬りに遭うよりはマシだろ? と、とんでもないことを悪びれもせずに言っているが、こんな辺鄙へんぴな島の浜辺に辻斬りがいるとは思えない。


「昔は花街など無かったのに」

「いつの話だ? 島流しで送られた者にも職は必要だからな。安心しろ、お前を売った金は俺が預かっておいてやる! なんなら増やして……うおッ!?」


 突如バチッと音がして、目元で小さな火花が散ったことに驚き、松五郎は体をのけぞらせた。

 口数の多い松五郎を黙らせるつもりが思ったよりも威力がなく、千歳は自分の手のひらを覗きこむ。


 なるほど三ツ島だけでなく、この身体もだいぶ様変わりしているようだ。


 前世の記憶が戻ったものの、これまでロクな教育を受けていないからか、霊力がまったく身体に馴染まない。


 ――慣れるまで、少し時間がかかるかもしれない。


「松五郎とやら、三ツ島を治めている涅家の屋敷へ案内してもらいたい」

「涅家!? 無理だ、花街の先へは許可を得た者しか入れない」

「ではどうやって許可を得れば?」

「し、知らな」

「……まぁいい。花街の先にあるならば、行ってみたほうが早そうだ」


 どうせ売るつもりなのだから、早く連れていけと命じる……粗末な着物に身を包む、薄汚れた小さな娘。


 何故か抗えない松五郎は、ブツブツ文句を言いながら歩きだした。


「主導権を握られると途端に連れて行く気が失せる」

「その前にお腹が減ったのだが」

「クソッ、少しは人の話を聞いたらどうなんだ……!? ホラ、黙って喰え!!」


 腰元に結んであった握り飯は、少し塩気を帯びて疲れた身体に染みわたる。

 モグモグと頬張るたび、からっぽの胃が満たされていく。


「松五郎、水をください」

「なんて図々しい奴なんだ!! しかも呼び捨てだと!?」

「……松五郎様、千歳は喉が渇きました」

「ぐっ、腹立つなお前」


 俺の分も残しておけよと騒ぎ立てる松五郎を無視して、千歳はゴクゴクと竹筒の水を飲み干した。


 ふぅ、と一息ついて見上げた空は、と変わらず淀み、重い雲に覆われている。


「本土とは全然違うだろ? こんな湿っぽい空を見上げても何の価値もないぜ」


 チクショウ全部飲みやがったと、腹立たしげに竹筒を振っている。


 決して晴れることのない、三ツ島みつじまの空。

 それでも千歳は、星の瞬きすら見えないこの空を、ひとり見上げる夜が嫌いではなかった。


「しかし、よもやの二回目とは」


 ――遥か昔。


 三ツ島みつじまで涅家の当主を務めていた千歳は、花嫁となったその朝に、抑えきれなくなった瘴気を祓うための『鎮め石』として水底へ沈んだ。


 時を経て、またしてもとは。

 ……なんの因果かは知らないが面白い。


 早く歩けと騒ぎ立てる松五郎を一瞥し、千歳はその口元を綻ばせた。







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