宴会場

「またこのような場を設けて下さりありがとうございます」

「いやいや、何の。この結び付きは強く堅いものにしたいのでね」


 霧谷きりや一家とヤン 家で取引が成立し、今はその宴の最中だ。この前と同じようにパーティー会場には、関東地方では一強の霧谷一家と中華全土と華僑を束ねる陽家、両家の重役も揃っていて、黒社会では中々の顔ぶれが揃っている。


楊龍瀏ヤンロンリュウ殿。初めまして。鳳来蓮ほうらいれんと申します。この前はご挨拶が出来ず申し訳ございません」

「ほう……鳳来蓮殿。何も気にする事はありませんよ。にしても、やはり聞いていた通りとても端正な顔立ちだ」

「ははは、ありがとうございます。暁月さん程ではありませんよ」


 蓮はと言うと、信義のぶよしから電話が来てから、この宴に出席するかどうかはかなり悩んだ。信義とはただ単に馬が合わない、出来れば顔を合わせたくもないし、霧谷一家の今後なんて正直どうでもいい。なんなら今日の夕方まで行く準備すらしていなかったのだ。

 だと言うのにそれを見越してか、信義は蓮の自宅まで迎えに来たのだ。どうせ重役の年寄りばかり集まる宴だ。楽しみなんて何も無いのに、信義は蓮を後継者として確立させたいがために、こうやって宴やら会議やらに連れ出そうとする。引き摺りこまれるかのように参加させられ、次々と酒を勧められ、気分は最悪だ。鍛え抜かれた表情筋だって今にも吊りそうである。


「そういえば、暁月シャオユエ殿はどちらへ?」

 信義が周囲を見渡しながらそう言った。

 今ここにいるのは、信義、蓮、龍瀏の三人と互いのボディーガードが二人の五人のみ。どうやら蓮が席を外している間か蓮が宴会場に入る前かに、信義には挨拶を済ませていたようで、宴会場に来ている事は間違いない。

 信義は完全に暁月に興味津々で、今回の違法武器類の取引だって暁月が取り付けたものだ。ここに来る時も、車の中で暁月の話術は素晴らしいと何度も何度も聞かされた。


「挨拶回りへ行っているようです」

「なら、僕も楊家の皆さんへ挨拶に行かせていただきます。暁月さんにも挨拶がまだでしたし」


 そう言ってその場の席を離れる。信義がこちらを見ていない事を確認すると、龍瀏には挨拶をしたし、もういいだろうと会場を出て、ホテルの客室へ向かった。

 ここも霧谷の息のかかったホテルであり、今日は貸切状態だ。先程の宴会場もホテルの最上階である三十五階に造設されており、下の階に行くと客室になっている。

 蓮はもうこれ以上誰かに話しかけられるのが面倒で、人目に触れにくいように手前のエレベーターではなく、フロアの奥にある従業員専用のエレベーターを使おうと、誰もいない廊下を突き進んだ。エレベーターホールに着くと、そこには既に人がいた。おそらく楊家の者と、その者に横抱きにされている暁月の姿があったからだ。暁月は眠っおり、一切動く気配は無い。楊家の者とはお互いの言語がわからないため、会釈をして特にこれと言った会話は無かった。エレベーターに乗り込むと、楊家の者は三十階のボタンを押した。

 体調が悪いのか、ただ単に眠ってしまっただけかはわからないが、最初は楊家の者が暁月を客室まで送っていくのかと思った。しかし、確か今日の暁月の部屋は隣の本館の三十五階だったはずだ。何故三十階なのか、気になるがその理由も聞く事が出来ない。ただ、何の根拠も無いが、不審に思った蓮はエレベーターが三十階に着くと、バレないように後をつけた。暁月を抱えた者は一番端の客室の前で立ち止まり、周囲を見渡して誰もいないのを確認すると気持ち悪い笑みを浮かべた。

 咄嗟に危ないと感じた蓮は、その者がドアを開けた瞬間に、後ろに回り込み首に手刀を入れた。その衝撃で男が失神しその場に倒れ込む瞬間、一緒に崩れ落ちる暁月を何とか抱きとめる。顔を覗き込むと少し赤らんでおり、僅かだが酒の匂いもする。酔って眠ってしまったのだろう。

 この事態をどうしたものかと蓮が考え込んでいると、腕の中の暁月がもぞもぞと動き出した。


「ん……」

「暁月さん、大丈夫ですか?」


 起こすように少々揺さぶると、暁月はゆっくりと目を開けた。潤んでとろんとしている目はとても妖艶で、見てはいけないものかのように思えてしまい、無意識に目を逸らしてしまう。


「……れんさん?」

「お酒、飲んだの?」

「んー」


 蓮の問いにはふわっとした返答しかしなかったが、確実に飲んだのだろう。一体どれほど飲んだらここまで酔えるのだろうか。どちらかと言うと酒が強い蓮には未知の感覚だ。

 とりあえず、この場を収拾するために霧谷側の人間に連絡し、人が来るのを待った。普段の威勢の良い暁月の姿からは想像出来ないほどふわふわしており、とりあえず客室に入った蓮はベッドに暁月を寝かせた。水を飲ませるために客室の小型冷蔵庫にあるペットボトルを手に取り、暁月を起こして飲ませる。だが、上手く飲めずに口端から水が垂れてしまう。


「……」


 嫌でも暁月がこれまで相手をしてきた男達の気持ちがわかってしまう。二人きりでホテルの部屋にいるという状況も相極まり、煩悩が湧いてしまう。

 これはいけないと、蓮は暁月から距離を取って客室内を意味も無くうろうろし始めた。すると、ワードローブに縄やら口枷やらの拘束道具が入っており、中には房事で使用するような道具まで入っている。予め用意されていたそれらから、やはり蓮の感は当たっていたのだろう。

 間もなくして、霧谷の構成員が来て失神している楊家の者を拘束した。どうやら男は楊家の香主ヒョンジュー(分家の組長)らしく、今日の宴にも参加していた。


「若、こいつどうしますか?」


 楊家の者である以上、これ以上は蓮にも手出しは出来ない。暁月が何か言ってくれればいいのだが、生憎意識もふわふわしている状態でそんな判断が出来るとは思えない。


「とりあえず楊龍瀏に……いや、彼には知らせずに張偉ジャンウェイという男を探して連れて来てくれ。おそらくこのホテルの何処かにはいる。他の者には悟られないように」

「わかりました」


 蓮は張偉の写真データを霧谷の構成員に送信し、探させた。どちらにしても龍瀏に報告はしなければならないだろうが、今騒ぎ立てた所で暁月はこんな状態だし、事を大きくすれば暁月の立場というものもある。

 楊家香主は構成員によって別室に押さえ付けられており、再び暁月と二人きりになってしまった。


「どうしてそんなになるまで酒なんか飲んだの?危ないじゃないか」

「ぼくはお酒飲んでないもん……」

「じゃあ何でそんなに酔ってるんだ?」

「知らない……ぼくが飲んだのノンアルだよ……」


 妙にふわふわしていて、蓮は不覚にも可愛いと思ってしまう。これでは世の中の気持ち悪いおじさん達と同類ではないかと自責する。

 まあ、おそらくノンアルだと言われて酒を渡されたのだろう。にしても気が付かなかったのだろうか。


「……とにかく、今張偉さんに来てもらってるから」


 それだけ言って、ベッドの傍を離れようとした時だ。


拜托お願い……请不要走行かないで……」


 突如中国語で何かを言われ、服の袖を掴まれて引き止められた。


「どうしたの?」


 今度は今にも涙か零れそうな程目が潤んでおり、その様子に蓮も少し焦る。中国語だから何を行っているのかもわからない。


軒哥シュエン兄さん……」


 それは誰かを呼び止めているようであり、その相手が自分では無い事を蓮は何となく気が付いた。言葉は理解出来なかったが、袖を掴まれていることから行って欲しく無いのだろうと感じ取る。


「大丈夫、ここにいるよ」


 もう一度ベッドサイドの椅子に腰掛けると、暁月は安心したのか再び目を閉じた。

 慌てた様子の張偉が客室に駆け込んで来たのはこの少し後の事だ。


「暁月様!」


 張偉は暁月の様子を確認した後、蓮に向かって頭を下げた。


「霧谷の若様、暁月様を助けて頂きありがとうございます」


 蓮としては護衛であるあなたが何故傍にいなかったのか、と問いただしたかったが、おそらくこれは計画されていた事で張偉も足止めされていたのだろう。


「いえ、そんな。それより、楊家香主は別の客室で取り押さえています。我々は外側の人間なので処分はそちらでお願いしたい」

「とりあえず、この事は老大に報告します。すぐにうちの者が香主を引取りに来ますので」

「わかりました。この部屋は自由に使ってもらって構わないので、俺はもう行きます」


 張偉も来た事だし、自分はもういいだろうと蓮が席を立った時だ。未だに暁月は蓮の袖から手を離していない事に気が付いた。


軒哥シュエン兄さん……你去哪里どこに行くの……?」


 朦朧とする意識の中で、暁月はただそれだけを呟いた。やはり何を言っているのかわからず、張偉に助けを求めようと振り向くと、張偉は顔を歪ませ俯いていた。


「張偉さん、暁月は何と……?」

「……厚かましい事を言うようで申し訳ないのですが、今日は暁月様の傍にいてあげてくださいませんか?どうかお願いです」


 先日まで蓮に対して警戒心丸出しであった張偉がこんなに誠実にお願いしてきた事に驚いた。それに張偉の様子から見て、どうにも只事では無いように思えた。


「……わかりました」


 その間も暁月は何度も"軒哥シュエン兄さん"と呟いていた。

 

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