鳳来蓮という男
都内だと言うのに、一際大きく存在感のある武家屋敷。ここが霧谷一家の本拠地である。アニメや漫画で見るような典型的なヤクザの拠点と言った感じだ。
「若、お久しぶりです。総裁が若に凄く会いたがっていましたよ」
組員の一人である男が蓮に話しかけるも、愛想笑いを一つするだけで通り過ぎる。途中、何人も蓮に対して頭を下げ挨拶をしたが、全て受け流した。
やがて広い屋敷の中で中庭に面している一室に辿り着くと、扉をノックする事無く無造作に入って行った。
「全く、少しは礼儀を学ばんか。頭は良いくせに礼儀と節度は全くだな」
「酷いな、親父が呼び出したんだろ?」
呆れたように言葉を放つ
いくら今は実質親子という関係であるとは言え、礼儀知らずと言わんばかりの蓮の行動や言動に信義は頭を悩ませながらも、蓮が自分の意思に反する事をしない限りは放任していた。若頭という立場でありながら本家に顔を全く見せようとしない事もだ。
「何故この前の宴会に顔を出さなかった。相手は重要な取引相手になるかもしれないんだぞ」
「知らないよ。親父だけで十分だろ、俺はただの医大生だし、あんたらの取引やらについての知識は皆無だからね。説教がしたかっただけ?それならもう帰るよ」
足早に立ち去ろうとする蓮を信義は、まあ待てと引き止める。
「
言葉ではそう言うものの、信義の表情はどこかいきいきとしており、楽しんでいるかのようだ。
蓮は暁月の事を思い出すが、確かに初対面の時と先程とでは随分印象が違う。あの晩の時は猫を被っていたのだろう。しかし一体誰がそんな噂をたてたのだろうか。
信義はというと、近頃は事ある毎に暁月が暁月がと口にしている。本性は知り得ないが、語学も堪能で頭の良い暁月と話が合ったようで、おまけに気も利くときたから内心大層気に入っているのだろう。
「わかってるよ」
ただ一言、そう吐き捨てると今度こそは部屋から立ち去った。部屋の前に立っていた組員が食事を食べていきませんかと聞いてきたが、断った。蓮にとってここは居心地の良い場所では無い。幼少期に長くここで過ごしたというのに、一刻も早く立ち去りたいのだ。自身の車に乗り、特に誰に挨拶するでも無く本家を立ち去った。
自身の住居であるタワーマンションの一室へ帰ると、とある少女が出迎えた。
「おかえり、お兄ちゃん」
ニコリと微笑む少女に蓮は同じくニコリと微笑み返す。
「ただいま」
目の前の少女は
澪と少しの会話を交わした後、蓮は自室に籠りパソコンを開き、密かに続けている研究のレポートをまとめ始めた。
蓮と澪は八年前までは大阪で両親と暮らしていた。しかし、両親が事故死してから母親の兄であった信義に引き取られたのだ。
全てはそこから始まった。
最初こそ慣れない生活ながらも、幼い妹がいるから蓮は自分がしっかりしなきゃと身を奮い立たせていた。しかし、本家へ来て半年程経った頃、蓮は澪に対してどこか違和感を覚えるようになった。成長とかでは無い何かだ。見た目や声は全く変わらないのだが、日常のとある仕草一つ一つを凝視してみれば違和感を感じる。それに、ぼーっとする事が多くなった。以前はとても活発で元気な子だった。それこそ、今の澪のように落ち着いた雰囲気とは程遠い感じの子だ。何より、笑顔が引きつっているような、心の底からの笑みでは無いような気がするのだ。機械的で、どこかプログラムで仕込まれたような。
蓮は最初は環境の変化や両親の事でショックが大きく、精神疾患を患ってしまったのではと、霧谷一家専属の医者、と言っても所謂闇医者である加藤に診せた。加藤は、やはりストレスが大きな要因だろうと診断し、内服薬や定期的に自分の所に通うようにと言った。しかしその後も改善は見られなく、四年後、加藤は抗争に巻き込まれて死んでしまった。
その時蓮は十八歳、進路について考える時期になっていた。元より医学に興味があり、尚且つ澪の事もあった蓮は医学部に進んだ。
そして、興味本位で加藤の自室に忍び込み、資料を漁っていた時の事だ。まるで隠すかのように本の後ろ側に隠されていたファイルを見つけ、手に取った。一見ただの資料であるが、他の資料とは違い題名も何も書かれていない。ペラペラと資料に目を通してみると、どうやら薬か何かの研究資料らしかった。
見た事の無い計算式や数列、薬物の配合や細菌類の組み合わせを目にした蓮はそこでまた興味を抱いてしまった。加藤のパソコンを開いて、パソコン内のファイルを漁っていくと、同じく無題のファイルが幾つかあった。開いてみようとするが、そのファイルだけ他のファイルよりセキュリティが厳重になっており、ここまではハッキングで何とか入り込めたものの無題のファイルだけは開く事が出来なかった。しかし、一番最後のファイルだけは開くことができ、そこにはどうやら地図らしき物が載っていた。しかも場所は東京では無く大阪だ。
加藤のパソコンや資料は誰かに荒らされたりログインされた形跡は無く、おそらく他人が触るのは蓮が初めてだろう。蓮はその地図と幾つかの資料を写真に収めると、その次の週末に大阪へ向かった。地図の場所は大阪府の南東部にある
逆に違和感を感じた蓮は、部屋の壁を手で触りながら隠し部屋が無いかをくまなく探した。が、そんなものは無く、仕方ないと諦め、予約していた旅館へ戻ろうとした。しかし外は雪が降っており、バスまでの時間もまあまああった為、小屋で一休みすることにした。冷え込んでいたため、外に積み上げていた薪を取ってきて暖炉の中に入れようと暖炉周辺の床のタイルに腰をおろしたその時だ。タイルの一部分に僅かに切り込みのようなものがあり、そのタイルに拳をあててみると、下は他の床やタイルの部分とは違い空洞のようだった。その部分のタイルは以外にも簡単に持ち上げる事が出来た。下は案の定空洞になっており、地下へと続く階段がある。スマホの懐中電灯機能を頼りに階段を下って行くと、やはり地下室があった。だが、鍵がかかっており、扉は開かない。一瞬躊躇いはしたが、ここまで来て引き返すなんて蓮には考えられなく、古びた扉は何度か蹴り上げると簡単に壊す事が出来た。部屋の中は研究室のようで、窓が無いものの何とか換気扇は通っているようだ。壁にはぎっしりと本や資料が詰まっており、棚には日本では正規ルートで手に入らないような危険な薬物までも置いてある。そこで気になったのが、ホルマリン漬けの瓶だ。恐る恐る持ち上げて確認してみると、何かの幼虫のようだ。
"npt"と書かれたラベルを貼られた瓶にはどうにも見覚えがあり、スマホの写真に収めていた資料を見返す。やはりどの資料にもnptという単語はふんだんに使われており、蓮が予測するにnptとはこの幼虫の名前なのだろう。
瓶を鞄の中にしまい、役立ちそうな資料も厳選して持ち出した。
それから二年間、ずっとnptに関する研究を密かに続けている。研究については医学と言うより生物学に近いだろう。サンプルがこのホルマリン漬け状態の物が一つだけの上に、nptに関する情報がほぼゼロの状態から、ずっと研究を続けて何とか掴んだ事がある。
nptは恐らく人工的に創造された、あるいは交配種の虫で、この幼虫のような姿が成虫である事。そして、動物や他種の虫に寄生する事。
自分で思うのも何だが、蓮は人よりIQが高く頭が良いという自覚がある。今の大学も自身の学力で入ったし、首席という立場も自身の能力で勝ち取った。そんな蓮が、医学と並行しているとはいえ、約二年間研究を続けてきてこれだけの事しか分からなかったのである。
しかし、いくら蓮と言えども所詮は大学生だ。自分一人の力では限度という物がある。最近はそれで途方に暮れており、その上信義は自分に闇医者の仕事を押し付けてこようとするため余計に霧谷に嫌気が差しているのだ。
ふと時計に目をやると、もう夜中の二時をまわっている。本日も大学で解剖実習があるため、パソコンを閉じてシャワーを浴び、仮眠を取る準備をする。澪はとっくに寝ているようで、リビングは電気がついていない。
水を飲もうとリビングへ出た時、ちょうどスマホの着信音が鳴った。ディスプレイを確認すると、どうやら信義のようだ。
「こんな夜遅い時間に何?」
「明後日の予定だけ空けておけ。それを昨日伝え忘れてな」
信義はこういつも突然予定を空けておけと言う。この前の楊家との宴会だってそうだ。あの日は組織実習があり、学校に少し居残らねばならなかった。その為宴会には出席出来ないと言ったのだが、真夜中に人を待たせてあるから旅館に来いと言われたのだ。
「今度は何?」
「楊家と正式に取引をする事になってな。ちょっとした食事会をするから若頭であるお前も出席しなさい」
信義には両親が亡くなった時に引き取ってもらい、育ててもらった恩は確かにある。だが、蓮はどうしても信義の事を好きになれなかった。その理由の一つとして、蓮が望んでもいないのに勝手に若頭に仕立てあげた事がある。他にもまあ理由はあるのだが、それが一番大きいだろう。
「……前にも言ったけど、俺は親父の跡を継ぐつもりは無い。俺は医者になるんだ」
「お前の手には既に血の臭いが染み付いているだろう。今更カタギに、それも人の命を救う医者になれるとでも思っているのか?」
確かにそうだ。蓮の手は既に汚れている。霧谷の仕事を請け負わされ、非人道的な事も沢山してきた。癪ではあるが、信義の言葉には返す言葉も無い。悔しさといたたまれない気持ちで拳をぎゅっと握り、無言で電話を切った。
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