第9話 名乗れ偽名!入試は俺に任せとけ!



 『オッサンのため息亭』の一室で、勇者ラグナは頭にタオルをきつく巻いたまま、じっと正座をしていた。


「旦那、動いちゃ駄目っすよ。動くと髪色にムラが出るっすからね」

「動くなって、どれくらいだ?」


 セバスチャンが髪染めポーションの説明書きを確認した。

 薬液を頭髪に塗った後タオル等で頭を包み2時間ほど時間を置くよう書いてある。

 勇者ラグナは見事な金髪の持ち主として知られているため、勇者だとバレないように髪を黒く染める必要があるのだ。


「2時間って書いてます」

「え~そんなにかよ」


 19歳児のラグナに2時間じっとしてろというのは酷である。


「その間色々やる事あるっすよ。コレ入学願書と偽造の身分証です。必要事項に記入しといて下さい」

「おう。……ん? 身分証の名前んとこが空白だぞ」


 セバスチャンは、ラグナが昼食を食べていた間に旧知の裏業者を訪ね、入学願書に必要な偽造身分証を揃えてきた。

 手渡された身分証には、しっかりした紋章や王国公式に見える細工がほどこされており、どこからどう見ても本物にしか見えない。

 手際の良さと情報網の広さは、さすがラグナが信頼を寄せる従者である。


「学園で使う偽名を決めてください」

「偽名……偽名か~何か悪い事してるみてえだな」


 しているといえばしている。

 

「で、何て名前にすんの勇者さま?」


 猫獣人キャットヒューマンの少女キャミイがラグナに頬を寄せて聞いてくる。

 相変わらず他人との距離感が近い。


「ラッキーかロッキーか……どっちにするか」


 それぞれラグナとロックのもじりである。

 ラグナのような単純な男が本名とかけ離れた名前を名乗ると自分の名前を忘れかねないので、ある意味ではいいチョイスかもしれない。


「ラッキーの方がかわいいわね」

「ロッキーの方が強そうだな、ロッキーにしよう」


 ラグナ・ロックはよわい19にして、強いとかデカいとか、そういうのに目がない年頃なのだ。


「ふーん。じゃこれからはロッキー君って呼べばいいのね」


 キャミイはニヤリと笑い、彼の肩を軽くポンと叩いた。

 その無邪気な態度に、ラグナの眉がピクリと動く。


「なんだよ君付けかよ」

「だってあたし先輩だよ~」

「俺は勇者だぞ小娘」

「学園では勇者じゃないんでしょ? ロッキー君」

「ぐぬぬぬぬ」


 年齢はラグナが上だが、学年的にはキャミイの後輩になるので当然と言えば当然である。

 入学試験に受かれば、の話だが。


「それじゃロッキー君。タオル巻いてる間、“防護シールド”魔法の練習しよっか」

「“防護シールド”魔法だと? おいおい攻撃は最大の防御って言葉を知らないのかよ」

「入学試験に出るんだからワガママ言わないの」


「何でそんなもんが出るんだよ」

「サバイバル試験で、召喚精霊のペイント弾から身を守るのに使うの。シールドの耐久力と咄嗟とっさの判断力を採点されるのよ」

「好みじゃねえな」


 ラグナは眉間にしわを寄せた。

 “守るための魔法”はどうにも性に合わないが、試験のためしぶしぶ納得する。


「やってみせるから見てて。魔力マナを感じて光の膜で自分を守るイメージね」


 キャミイは右手を前に出し、目を閉じて静かに呪文を唱えた。

 すると右手の周囲に小さな光の粒が集まり始め、空中に透明なガラスの膜が広がっていく。

 光の粒が弾けるたびに、シールドの輪郭が滑らかになり、まるで月光を受けた水面のように輝く。


「これがシールド。結構固いよ」


 ラグナは驚き半分、不満半分の表情で光の膜を軽く叩いた。

 コンコンと軽い音がする。


「結構固えな、なかなかやるじゃないか」

「でしょ? サバイバル試験でこれを張りながら逃げるんだよ。試験用の精霊がペイント弾を撃ってくるから、それを防ぎつつ持ちこたえるのが目的」


「逃げ回るのは俺の性に合わねえな。こっちから――」

「精霊に攻撃したら失格になるよ~」


 キャミイは悪戯っぽい笑みを浮かべながらラグナを脅かすような仕草をする。

 猫少女に思考を先回りされ、ラグナは「ぐぬぬ」とうめいた。


「さっ! ロッキー君! 文句言ってないで練習、練習!」

「しゃあねえ、やってやるぜ」


 キャミイのペースに乗せられ、その後夕食の直前まで“防護シールド”魔法に打ち込んでみたが、キャミイの手取り足取りの指導をってしてもラグナの右手から生み出されたシールドはせいぜい、一人前のピザくらいの大きさがいい所であった。


「うん、初日にしちゃまあまあだと思うよ?」


 慰めるようにキャミイが言った。 

 実際、今日初めて魔法の練習をした人間にしては悪くない成果である。

 勇者ラグナ・ロックが初めて魔法に挑んだ結果としては、はなはだ地味ではあるが。


「まあまあだと……? 小娘、お前は俺のすごさを何も分かっちゃいねえな。これだけ出せれば問題なしだ」


 しかし、当のラグナ本人はすこぶる満足そうである。


「そうっすね。旦那ならこれだけ出せれば十分っすね」


 セバスチャンも余裕綽々よゆうしゃくしゃくといった様子だ。

 二人の余裕には確固たる裏付けが有る事を、キャミイはまだ知らない。


「よし、じゃあ腹も減ってきたし飯にしようぜ。小娘、奢ってやる」

「やった~! 勇者様ありがと~!」

「あんま食べ過ぎちゃ駄目っすよ。お金そんなに残ってないっすからね」


 セバスチャンがくぎを刺すように言ったが、ラグナとキャミイの耳には入ってないようだ。


 その後、『オッサンのため息亭』1階の食堂にて三人で夕食をとることにした。

 安宿ながらなかなか美味い食事を供すると評判があり、宿泊客だけでなく地元の常連も多く、食堂は今日も活気に満ちていた。

 香ばしい焼き魚や温かいスープの匂いが漂う中、ラグナ達もそれぞれ思い思いのメニューを注文する。


「なかなかうめえなコレ」


 すっかり黒髪になったラグナがパンを巻いたソーセージにかぶりつく。

 その様子を見つめながらキャミイが口を開いた。


「ねえロッキー君、ちょっと気になったんだけど聞いていい?」

「なんだ」

「どうして魔法学園に入ろうって思ったの?」


 ラグナはソーセージを頬張りながら、少しの間を置いて語りだす。


「賢者のオッサンにそそのかされたってのもあるが……小娘、お前初代の勇者様の事知ってるか?」

「千年前に魔王を討伐した伝説の勇者のこと? 知らない人いないでしょ」

「初代の勇者様は、優秀な魔法戦士でもあらせられたんすよ。キャミイちゃん」


 たまごサラダを食べる手を止め、セバスチャンが補足するように言った。


「魔法戦士か……それじゃロッキー君、初代様目指してるってことね。意外と真面目じゃ~ん」


 そう言ってキャミイはテーブルに身を乗り出しラグナを見つめる。

 口調は軽いが、その視線には尊敬の色が見える。


「旦那はこう見えて真面目な人なんすよ」

「まあな。初代様が伝説の魔法戦士なら、当代の俺も伝説にならねえとな」

「よ~し、じゃあ――」


 キャミイが手にしたヤキトリの串をピシッとラグナの眼前に突きつける。


「明日からはロッキー君! 筆記試験の勉強だよ~!」

「ひ、筆記試験だと……!」


 ラグナの顔から血の気が引いた。

 野生の勘と無双の膂力りょりょくであらゆる危難きなんを乗り越えてきた勇者ラグナ・ロックだが、座学には腕力が通用しない。


 試験当日まで、地獄の日々の幕が上がった。




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