第5話 勇者の決意と美貌の未亡人

 

 王宮の正門から謁見の間までの通路沿いに庭園がしつらえてある。

 季節の花々とよく手入れされた生垣が、平素は来訪者の目を楽しませているが、今のラグナの目には庭園の美など益体やくたいもない。


 ツカツカと大股で庭園を通り抜け、正門そばで入城時に番兵に預けてあった剛剣サザンクロスを受け取る。

 腰に帯びた愛剣の重みが、ふつふつと煮えたぎっていた鬱憤うっぷんを多少は紛らわせてくれる気がした。


(この街の景色も、今日で見納めかよ……)


 ラグナは眼下に広がる王都ガンバラ市街を見下ろしながら心の中で嘆息たんそくした。

 どうにもやりきれない気分になるが、ドラゴン討伐の報奨金を受け取りに行かせたセバスチャンが合流するまで、正門そばで手持ち無沙汰で待っているしかない。


「あ、勇者にいちゃんだ~」


 そんな折、庭園の方から、幼子おさなごがラグナに向かって走り寄ってきた。

 国王ガンバッティウス6世の孫、次期国王ガンバッティウス8世王子である。


「おう、ハチじゃねーか」


 多少、説明が要る。

 ガンバーランド王家の嫡男として生まれた者は全てガンバッティウス・ガンバーランディアの名を持つ。

 つまり祖父も子も孫もみな同じガンバッティウスという名なのだ。

 非常に紛らわしくて不便極まりないのだが、王家の風習などというものは概してこんな物かもしれない。因習であろう。


 現国王の嫡子7世が先代の王であったが、不運にも数年前に病に冒され、幼子と美しき妻を残し世を去った。

 そのため、先々代6世王が復位し、現在再度国王を務めている状況である。


 ラグナが目の前の少年をハチと呼んでいるのは8世だからだ。

 ハチと呼ばれた少年は現在6歳。

 やや癖っ毛の前髪とくりくりとした無垢むくな瞳が何とも愛くるしい。


「勇者にいちゃん久しぶり~どこ行ってたの?」

「あ、ああドラゴンをちょっとな」

「え~⁉ ドラゴン! にいちゃんすげ~」

「まあな。俺だからな」


 年の近い子供が身の回りにいないせいか、精神年齢が近いからか、ハチはラグナによく懐いている。


「ねえにいちゃん僕にも剣術おしえてよ」

「まだお前にゃ剣術ははえーよ」

「じゃあ、いつ~?」

「そうだなあ、お前がもっと――」


 そこまで言って、ラグナは言葉に詰まった。

 ハチ王子が剣術を学べる程の年まで成長した時、自分は彼のそばにいないだろう。


「もっとっていつ~?」

「あ、いや……」

「ティウス、およしなさい。ラグナ君が困ってるでしょう?」


 庭園の奥から、天界の楽器の音を彷彿させる美声が聞こえてきた。

 ラグナが声の主の方に振り向くと、ハチ王子の母にして美しき未亡人、『ガンバーランドの白百合カサブランカ』と称えられる王妃マレーネの姿があった。


「マレーネ様……!」


 ラグナの口から憧憬どうけいにも似た呟きがこぼれる。

 国王の事ですらジジイ呼ばわりするこの傲岸ごうがんな男が、唯一“様”を付けて呼ぶ存在が王妃マレーネであった。

 

(なんとお美しい……)


 美しく透き通るような肌の輝き、優雅なレースと精巧な刺繍の施されたドレスに身を包むその姿は美の女神も妬心としんを抱きかねぬ程だ。

 しかしこの若き未亡人の本当の美は身の内から溢れる慈愛と気品にある。

 たとえ簡素なリネンシャツにその身を包んでいたとしても、その魅力は微塵も色褪いろあせないだろう。


「ドラゴン討伐ご苦労様でした。よく無事に戻ってきてくれましたね」


 そう言って、マレーネはねぎらうようにラグナの肩に手を置いた。

 ラグナのように日々を冒険と戦いに生きている男にとって、美女からのボディタッチは相当たまらぬものがある。 


 マレーネの身を包む甘い香気がラグナの鼻孔をくすぐる。

 これもまた、ラグナにはたまらぬ芳香であった。


(ま、マレーネ様……!)


 ラグナの鼻の穴もひくひくせざるを得ない。


「にいちゃんどうしたの?顔赤いよ」

「は、ハチ君急に何を言い出すんだねハハハ……」


 図星である。子供の勘は妙に鋭い時がある。


「ラグナ君、どうしました?」

「えっ?いや、あの、別に何も……」


 マレーネはラグナの目をじっと見つめる。

 地上のどんな宝石も、この美しき未亡人の両の瞳に勝る輝きはあるまい。

 そしてこの美しき眼は、ラグナの目の奥に伏せられた影までも見通していた。


「お義父とう様と何かあったんですね」


 そして女の勘というものも、得てして鋭い。

 有無を言わせぬ眼差しがラグナに重い口を開かせる。


「実は……」


 ラグナは観念したかのように、ぽつぽつと自身が追放の身であると語った。


「追放……!まさかお義父とう様が……」


 しばしマレーネは言葉を失ったが、すぐに気を取り直し、白百合カサブランカの異名に違わぬ威厳と優しさをもってラグナに語り掛ける。


「ラグナ君、決して気を落としてはなりませんよ。お義父とう様の事です。きっと深い事情があるに違いありません」

「そうは言っても、俺も何が何だか納得がいかねえんですよ」

「ははうえ~追放ってなに~?」


 ハチ王子が母のスカートを引っ張りながら尋ねる。

 マレーネは優しく我が子の頭を撫でながら言った。


「しばらくの間、旅に出る事よ」

「たび?」

「そう。ラグナ君はね、ティウスや私たちみんなを守れるように、もっと強くなれるように、修行の旅に出るの。だからそれまで会えなくなるけど、ティウスは我慢できるわね?」

「にいちゃんまた強くなるの~。すげ~」


 ハチ王子の穢れを知らぬ視線が、ラグナに注がれる。


「おうよ。俺ぁ今のままでもすげー強えがな、もっと強くなってやんのよ」


 そう言って吹っ切れたようにラグナは自分の胸をドンと叩いた。


「あなたの帰りを待ってますからね。遠からず恩赦も出るはずです」

「お、お待ちいただけるので?」

「あたりまえでしょう。期待していますよ、勇者ラグナ・ロック。男を磨いて帰ってらっしゃいね」


 そういってマレーネはいたずらっぽくウィンクをした。

 気品の塊のような王妃の、こうしたお茶目な一面を目にする幸運に恵まれた者は決して多くはない。

 そしてこれほどの美女を待たせて旅に出る冥利に尽きる男はただ一人、ラグナ・ロックだけであろう。


「旦那ぁ~お待たせしました~」


 時を同じくして、ようやくドラゴン討伐の報奨金受け取り手続きを終えたセバスチャンが大きなカバンを抱えてやってきた。


「おう、遅えぞセバスチャン!」

「すいません、この金貨の入ったカバンが重たいんすよ~」

「ほら、持ってやるからよこせ、行くぞセバスチャン! マレーネ様。俺ぁ必ずでっけえ男になって帰ってきます! 待っててください!」


 そう言って、勇者ラグナと従者セバスチャンは王妃と王子に暇を告げる。


「ええ。しっかり励むのですよ。キツネ君も気を付けて、行ってらっしゃい!」


 王宮正門から延びる階段を速足で下りゆくラグナ達の背中に向け、若き未亡人は力強く手を振った。

 日暮れの町を行く若者の前途が実り多きものになるよう、祈りを込めて。

 



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