第22話.ヒューは意外と繊細なの
「お……、よう」
起きたら、隣のベッドには誰もいなかった。時計がないから何時くらいかわからない。そもそも一日、二十四時間なのかも不明。ただ、日本のゲーム会社が作ったから同じだといいなと思う。
といっても、下請け会社が日本とは限らないけど。アニメもゲームもグッズも精密機器もすべてメイドインジャパンは古き時代……。でも反対に、国産物がブランドになっているしな。
と、どうでもいいことを考えながら年季の入った木造りの階段を降りて行けば、下の台所には小さな机と椅子があって、そこにヒューがいた。
「おはよう……で、いいのかな。それとももうお昼ぐらい?」
「いや、まだ朝の八時だ」
「一日は二十四時間?」
頷くヒューが立ち上がり、背を向ける。
「ピーピーのミルク飲むか?」
「お願い」
ピッチャーから器に移してアリスに渡してくるヒュー。どこか静かすぎるし、二人きりは気まずい。渡されたアリスはそれを受け取り口に入れる。昔、牧場で飲んだ牛乳みたいに濃厚だ。獣臭くないし、美味しい。
「おいしい……」
「パン食べるか?」
「うん」
ヒューが面倒をみてくれる。意外だけど、今日の彼は優しい。そしてどこか気まずそう。
アリスも気まずい、あの姿に関して取ってしまったアクションについて、彼に悪かったと言いたい、でもそれをどうやって伝えればいい? 「反省している」「怖かったけど気持ち悪くない」と、今しか言えない。
「――みんなは?」
「第二区への障壁までイヴァンとレジー、ローランドで様子を見に行った」
「ヒューはどうして行かなかったの?」
「女達がここにいるからな、俺は護衛だ」
「そう。ヴィオラ達は?」
「この家主を手伝って外にいる」
とつとつと会話が続く。
「私、何も手伝ってないね、ごめん」
パンを直接手渡してくるヒューから受け取る。かまで温め直したパンがアツアツで、手で持ちきれなくて思わず落としそうになる。それをヒューが受け止める。
「あつ」
「あ、わりぃ」
ヒューは手の皮が厚いのか、落ちかけたそれをキャッチしてアニスの机の前に置く。
「あの――」
「昨日は、大丈夫だったか?」
二人の声が重なる。どこか気まずそうで何かを言いかけている二人。アリスのほうが年上だ、彼に手で促すと彼の方は口を閉ざした後、再度アリスに促す。
「私、みんなに任せて寝ていたのね」
「仕方ないだろ。その……」
精気を与える聖女だけど、今日は元気だ。それを伝えるとまだヒューは硬い顔だ。
「それはいいが……イヴァンは、無理をさせなかったか?」
言って沈黙になる場。アリスはパンを手にしたまま首を傾げる。
イヴァンの自分勝手はいつものこと。二人きりにさせて何を言うんだか。
「その……俺はここで寝てたんだ。……アンタの叫び声という暴れる音に……いや、その」
「は?」
「その、アイツは騎士になったのだから、反対できなかったが優しくしてくれたか……」
「え、ええ!?」
「飛び込もうか迷ったけどな……そのあと静かになったし……」
顔を逸らし言おうかどうか迷っていたヒューは、意を決したというようにアリスを見上げてまっすぐに見つめてくる。
何か、とんでもない誤解をされている。アリスはパンを手にしたまま、立ち上がる。
「ちょっと待って、誤解! っていうか、そういうのデリカシーがない!」
身を乗り出せば、ヒューが慌てる。
「もち、もちろん。そういうことを聞いちゃいけないのはわかる。けどよ、心配で――」
「ないよ、何もないっ」
「だって、男と女が二人で何もないわけないだろっ」
「ない、何もないよ! そんな偏った考え今どきどうなのよ」
「手を出さない男はいない、ましてやお前みたいに綺麗ならば……」
もしかして、みんなにそう誤解された? だから二人きりにされた? アリスは息をふぅと吐いて椅子に腰かけた。そして冷めたパンを口に運ぶ。もそもそしてる。
これ、温かかったら美味しいんだろうな。
「何も――なかったのか?」
「ないよ」
「じゃあ、あの騒ぎは――。イヴァンが無理に――」
眉根を寄せるヒューにアリスは笑った。まあ二十五歳にもなって、貞節がどうのは言う気もならない。
「私が怖い夢を見て落ち着かせてくれただけ」
「――そうか」
ホッとした顔で向かいに座るヒューに、悪い人ではないと思う。少し乱暴なだけだ。
ていうか、騎士になったから反対できなかったって言ったけど……。それって肉体関係含めての関係?
「もしかして騎士と聖女って恋人になるというか、肉体関係結ぶの前提?」
はっきり聞くとヒューは赤くなる。びくっと肩を揺らして目を見開いて何を答えようかとしている。
「おま、お前、女がそんなことハッキリ言うな!」
「でもさっきそのまま聞いたでしょ?」
とはいえ、若い男の子に訊いたらいけなかったのかな。
「聖女はそれを許すの? それとも近い関係になるから恋人になるの?」
ヒューは黙る。赤みが引いていくその顔をじっと見ていく。
「――二人は最も近い距離になる。そうじゃなきゃ騎士に聖女はさせないだろ。その仲は裂けない。イヴァンが同じ部屋に行くと言ったから、もうそうなんだって、俺は」
詰まるヒューは男の子だな。絶対ではないけど、そりゃ騎士と聖女様。そうなって言っても仕方ないよね。でも、喧嘩して仲が最悪になったらどうなるんだろ。それでも嫌々守るのだろうか。ゲームだとそんな展開ないしな。
「そもそもイヴァンを騎士にはしてないし、肉体関係もない。だから邪推、は言いすぎだけど気にしないで、私もみんなと居づらい」
そういうと、目に見えてヒューはホッとした顔で肩から力を抜いて落とした。まあ下で音をきかされたらやだよね。って、私もそう思われてて相当恥ずかしいんですけど!
しかもヒュー黙るし! というわけで話を変えます。
「教会の支部で助けてくれたでしょ。ありがとう」
彼は横を向いて背もたれに預けていた腕を外してアリスに振り向く。
「獣化っていうのかな? 大きくなって助けてくれた。それを言うの遅くなってごめん」
告げるとヒューはアリスの方を振り向いて呆然と驚いている。
「なんで……」
「なんでって、助けてくれたから」
「聖女を助けるには当たり前だが……その」
言いよどみ、それから眉を寄せて歯を食いしばっている。あ、彼もなんか抱えている。
「怖かっただろ。気味悪いっていうか――みせちゃいけなかったつーか」
「そんなこと――ないよ」
確かに、最初に見せられた変化には驚いたけど、容姿に関して差別はいけない。
「初めて見たから驚いただけ。私の世界にはヒューみたいな人はいないから。でも助けてくれたのは変わりないし、驚きを見せた私の方が嫌な思いをさせてゴメン。今は、ありがとうとしかないよ」
ヒューは驚いて、まだアリスを見つめている。頬を搔いて、それから息を吐いて、顔を逸らす。挙動不審で顔を逸らしたり回したり、足を組んだりもどしたり。どうしていいかわからないという態度だ。
「普通は獣化すると驚かれる。だから人間たちの前でしちゃいけないし、実際に迫害も受けてきた。だから俺達は人間達とは混じらない」
「そうなんだ――」
黙り込み、目が赤い気がする。泣きそうになっている? 確か公式では、十八歳くらいだったよね。だとすると、まだ多感な時期なのかな?
「でも“普通”なんてないよ。色んな見た目の生き物がいる。それが共存しあっているんでしょ? みた目だけで差別する方が悪いんだよ」
もちろん、迫害や偏見の歴史があったとすればその意識は簡単にはなくならない。相手が悪いとは言えないけれど、ここは単純な言葉にしておこう。
アリスが言うと、彼は呆然としていた。そんな、と口が動く。
王子なのに、そんなにコンプレックスがあるのかとアリスの方が驚いてしまう。
けれど、“普通”なんて、今はない。多様性の時代だ、そう思って一つ気づく。
「俺の国は、
「……うん」
パンにはもう手が付けられなかった。こんな真面目な話の時にもぐもぐ食べられない。
「
「そう、だったんだ」
(聖女達? ……複数いたんだ)
それは、一区なのか他の区のも含んでいるのだろうか。
アリスも沈痛な面持ちになる。毎回聖女達に嫌われるのは辛いよね。それでもあっけらかんとアリスに接してくれたのはありがたい。
「どうして、国を出て魔王を倒すパーティになったの? 聖女は嫌いでしょ?」
「……俺の国も滅ぼされた。魔王を倒すしかないんだ。――俺は聖女に嫌われても」
そっか、とアリスは頷いた。普通なんてない、その考えは多様性の時代と言われる世界からアリスが来たから。徒歩での移動手段が主なこの世界では、情報伝達が遅い。
テレビもSNSもない。場合によれば、国から一歩も出ない人たちがほとんどだろう。そんな世界では、人間と他の種族と断絶されていて、人間からするとヒューはマイノリティだ。普通は怖がられる、と人間たちの目の前に出てこないのは当然かもしれない。
じゃあ、魔王達はどうなのだろう。人間からすれば恐ろしい存在でも彼らには彼らの生きる存在理由がある。共存できないのだろうか。
(――襲ってくるなら無理か)
人間も刈って食用にしているしね。
「私はあなたのことをそんな理由で嫌わない」
たまの失言でイラっとするけどね。
確かに、怖いことは怖い。でも、魔物の方がもっと怖い。とはいえ“聖女”はアリスと同じ世界から来ていたのだから容姿で判断してはいけない、普通なんてない、という観念がついていたはずじゃなかったの?
しかも、ヒューは会話ができるし、人間の知能がある。基本的には悪い半獣じゃないのに。
聖女は、彼をここまで追い詰めるような人達だったのだろうか?
「驚いたのは私が精神的に未熟だから。そんな様子を見せたのは、私が悪い。だから……ごめんなさい」
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