第17話.聖女は証をどうしたの

 アリスの頬をイヴァンが両手で挟む。目と目を合わせてくる。


「いいか。動くな」

「でででも」


 あちこちから石の塊が落ちてきて、あちこちで叫び声が消えてくる、皆が出口を探して走り回っている。


「にげ、」


 逃げなきゃいけない、地震の時には建物内は危険だ。地震じゃないけど、あちこちが崩れてきている。そう教わったのだけど、腰が抜けている。


「コングコングは聖女を狙って来た、お前が出ても追いかけてくる」


 アリスは息を呑んだ、コングコング!? なんで赤ちゃん語のようなモンスターなの!?


「――お前には聖女の守りがある。建物の下敷きにはならない」

「ほ、ほんと?」

「ここで、待ってろ。すぐに片付ける。唱えるのは――?」

「イ、イヴァン……」

「いい子だ」


 そう言ってイヴァンがアリスの頭にポンと手を置く。そしてすくりと立ち上がる。

 目がすわったアリスを見て、イヴァンが何を思ったのかはわからない。


 イヴァンは槍を手にしていた。そしてすぐに走り出す、その背を見つめる。

 キャーとかワーとか騒いでるし、皆が外に行くのに、ここで座っている自分が嘘みたいだ。


「アンタ、逃げろ!」


 青年が焦った様子で手を差し出してくる。ですよね、ですよね。アリスが手を取ろうとしたけれど、腰が抜けている。ていうかイヴァンには約束した。


「へいき、ですので」

「平気じゃないだろ!」


 相手が舌打ちして、背を向けていく。


(イヴァン、イヴァン、イヴァン……)


 呪文のように唱える。――ああ、どうせなら抱きしめられる荷物が欲しかった。荷物持ちをしていたら気がまぎれるのに。


 せめてポケットの聖女証明書を握り締めていればと、手を入れて……何もない。


(……ない!!)


 慌ててアリスはネグリジェのポケットに手を入れて、それからひっくり返す。紙切れがない、証明書がない。


(ちょっと待ってちょぅと待って!!))


 フランネルの偽物のただのポリエステルのパジャマはふわふわで、ポケットも口が大きく浅くてゆるゆるだ。中のものが落ちても仕方ない。


 瓦礫の中でアリスは四つ這いになって探す。そこらへんに書類やらえんぴつやらプラスチック板などモノが散乱している。


 ポケットから番号札は出てくるのに、四つ折りの証明書がない。もっと大切に扱っておけばよかったー!


「きぇーーーー」


 一際高い叫び声に目の前を見れば、イヴァンがコングコングと死闘を繰り広げているところだった。体を切りつけたらしい。


「アリス!!」


 イヴァンの注意を促す叫び声には“この野郎”という響きが入っていたように思える。彼は今飛び上がり、コングの手を切りつけたところだった。空中からはアリスの下に駆け付けられない。


 アリスの上に影が降る、コングの手だった。伸ばされてつかみ取られそう。あ、死んだ、と思った。


(この世界で死んだら、夢が覚めるのかな?)


 その時、影が消えていきなりすさまじい振動が身体を揺らす。また倒れこもうとしたアリスを支えたのは、後ろからの存在。


「けがはないかな、ミスアリス」


 そっと優しく支えていてくれたのは、レジナルドだった。彼はアリスの上にふわりと自分のマントをかけ降ってくる石片を避けてくれる。


「レジナルドさん……」

「レジーと呼んでくれ」


 はい、ゲームではそう呼んでました。そう心の中で呼びかけながらも、イケボの彼は目の前の闘いを鋭く見据えている。アリスに優しくしながらも、けして闘いにも気を抜くことがない。


「これだけ大騒ぎだからね。さすがにイヴァン一人に任せておくのも……と言ったら彼には失礼だろうが」


 コングの後ろに大きな手が回り、後ろに引き倒す。またもやすさまじい振動。大丈夫? この建物。


 暴れるコングに後ろから首を絞めているのは、一回り小さな動物だ。

 目の下に二本の紋様、立った猫のような耳。二本足の虎のようだけど、体毛は赤。 


 コングの首を絞める手は容赦がない。噛みつき、首を引きちぎる。


 コングが絶叫をして、暴れ、動かなくなる。


 その後ろの動物が立ち上がる。目つきは悪いけど、その目には理知的な光があり、アリス達を見据えていた。口から滴る血を乱雑に腕で拭う。


「……ヒュー?」


 アリスの予想通り、その姿が縮み、やがて人と同じ背丈になり……ヒューの姿になる。肩で息をして呼吸を整えていたヒューは、呆然としていたアリスを見て、顔を強張らせた。何も言わずに、顔をそむける。


(……獣人……)


 そういえば、そんな設定だった。ゲームの時は何とも思わなかった。時間制限があって、彼は獣化している時は強いけれど、人間に戻ればさほど強くない。


 だから彼の使い方には工夫が必要で。


 でも口から血を滴らせている彼の姿にアリスは、何も言えなかった。凍り付いてしまって、気まずそうに目をそらしている彼の目は明らかに傷ついている。


「あの……ヒュー」


 何か言わなきゃいけない、今この機会を逃したらだめだ。イヴァンがこちらに歩んでくる。アリスが口を開いた時、真後ろから爆風が吹いてきた。


「「アリス!」」


 声は前からだから、イヴァンとヒューの声のような気がした。胸にかばわれている、頭からすっぽりのマントに包まれて腕にかばわれている。次には、その拘束がなくなっていた。


(あれ?)


 誰の腕の中にもいない。石交じりの風が目に入ってくるのを避けて腕で庇う、その先にはレジーがいた。結い紐がほどけ、金の髪がたなびいている。


 彼が抜いた剣は下におろされていたころだった。目の前の先ほどより大きなコングコングが、頭と体を斜めにずらしながら崩れていく。


 そして大きな衝撃が床を揺らす。誰も何も言えなかった。

 レジナルドが、コングコングの真っ赤な血がしたたる剣を払いアリスを振り向く。


「怖い思いをさせて済まなかった、アリス」


 微笑み、そして歩んでくる。上品でまるで舞踏会でダンスを誘うような手。腰には彼の剣が戻されている。ゲームでは最強の両手剣、クレイモア。


 ワンファンⅡでは、知将にして勇者に次ぐ剣の使い手だったレジナルドは、自らのマントを外してアリスの肩にかけた。


「アリス、イヴァン、街の人々がこちらに来る! 早く逃げるぞ」


 コングコングが壊した壁から、ローランドが顔を覗かせる。


「え? え?」


 なんで街の人が来たらダメなの!? というアリスの様子には誰も構わず呼ばれた二人、レジナルドことレジーが顔に緊張をみなぎらせる。


「立てるかい、アリス」

「ありがとう」


 差し出される手は大きいな。イケメンに手を伸ばされることなんて、これまでの世界ではなかった。恥じらいながら手を重ね立とうとしてアリスは足に走った痛みに膝を折った。


「つ……」

「捻挫かな」

「ううん。わからないけど」


 足裏が薄い靴では痛かったのは確かだけど、今は足首。石ころだらけで電気も消えて薄暗い建物の中ではよくわからない。


「失礼するよ、アリス」


 レジーがそう言ってアリスの背中に触れる。温かくて逞しい腕だ。驚いていると、ついでに膝裏にも片方の腕を差し入れる。


「あ、あの……レジーさん!」

「首に腕を回してくれると助かるな」


 彼はすでに大きな瓦礫をまたいで、みんなが待つ方へと歩んでいた。慌ててアリスは彼の太い首に両手を回す。顔が近い、どうしよう。金髪が頬に触れる。


 イヴァンが歩んできて強張った顔でレジーの前を塞ぐ。


「俺が代わろう」

「――それより早く出よう」


 彼がさらりとイヴァンに行って、集まり始めた人々の方へ顎をしゃくる。


「早く早く!」「急いで」


 ヴィオラとグレースの女二人に急かされて、イヴァンは硬い顔のまま伸ばしかけた手を引っ込める。


 レジーに抱かれたままでアリスは出てこないヒューを振り返る、彼は手をだらりと下げたまま、立ちつくしていた。


(私の態度が、そんなに悪かった……から?)


 何か、フォローしなきゃいけない?


「ヒュー早く!!」


 ヴィオラに急かされて我に返ったヒューが慌てて追いかけてくる。


「待ってローランド。――私、証明書なくした」


 目の前の背中のローランドに呼び掛けると彼は振り向く。


「他の街で再発行してもらえばいい」


 その時、アリスを抱くレジーの胸がわずかに動いた気がする、空気を取り込む喉が動いたというか。


 でも抱き直す動きでそれも勘違いだったかもしれない。

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