第10話.聖女は何回もあなたの名を呼ぶの
「――無理するな。落ち着くまで、そうしていろ」
そう言ったイヴァンはメンバーに振り向く。
「先に行っててくれ。俺たちは後から行く」
「けれど――」
「いい」
端的に言い、それ以上の説明はない。困惑の気配が背中から感じる。イヴァンと二だけだけは少し不安。でも、このメンバーと馴染んでいるわけでもない、平気だよついていく、なんて言えなかった。
「もう少し――休みたい」
「だ、そうだ」
「わかった。先ほどの街からはなるべく離れたい。かといってアリスを別の区画の奴らにさらわれたくもない」
「――なら西の街のデジョンで」
「わかった」
(さらわれたくない)
自分達のモノにしておきたい。人として尊重されていない。本人を目の前にしての言葉に不審感がよぎるが、目の前の吐しゃ物に意識が囚われる。何も考えられない。
いきなりここに来て、混乱に襲われる。私。こんなところに来てしまってどうしたらいいの? 死んだの? 夢なの?
口の周りの濡れた感じも気持ち悪い。どうしよう、と思っていたら、彼が水筒を渡してくる。眺めていると、現物をそのままぐいと口元にもってくる。手で周辺はぬぐったけれど、今度はその手が汚い気がする。
横に顔を向け逸らすと受け取らないアリスに彼は眉根を寄せる。何気にイケメンだ。
整った眉はまっすぐに上がっていて、目はスッとしていて切れ長。不機嫌そうな顔がまたいい。イケメンにみっともないとこ見せたが、もうどうでもいい。
「――飲み口よごしちゃう」
「いい。やる」
アリスはありがとうといって受け取り、口をゆすぐ。それから水を流しながら手と水筒の口も洗う。一応綺麗にしたけれど、まあ汚れたものはいらないよね。でも、袋もないから私はこれをぶらぶら手に持って歩くのだろうか。
というか武器も何もない。
アリスが迷っていたら彼が手を差し出す。返せということだろうか。
「汚いよ、ちゃんと洗って返す」
どこで洗えばいいのかわからないけど。
「……」
彼は無言でそれを自分の手荷物の袋に入れた後、口を開く。
「持っててやる」
「ありがとう」
それは紐で口を結んだナップサックのよう。偉そうだけどけっこうフェミニストだ。そう言えば、グレースもヴィオラも手荷物がなかった、もしかして荷物は男性が持つものだろうか。
それともなんか見えない次元において物を持ち運べるとか?
「何を見ている?」
「ううん。――そう言えば女の子たちは荷物を持ってなかったなと」
「当たり前だ。あんな重いものを女達が持てるわけがない」
ヒューもローランも肩に雑のうを背負っていた。女の子は運ばない世界? でも闘う時は?
「闘う時は?」
「持つかその場に置く」
「……」
この世界、置き引きはないのか。違うゲームではアイテムを盗むモンスターもいたけど。
『私が持とうか』、という提案はやめておこう。これまで困っていないならいいか。
「そろそろいいなら行くぞ」
「あ、の――」
ふいっと向けられた背中に呼び掛ける。アリスも立ち上がりながら、足を踏み出す。街に向かうと行っていたし、いつまでも休んでいられない。
「なんで介抱してくれたの?」
普通、吐いている人の背に手を置ける人なんていない。慣れている看護師ぐらい。困惑か、混乱して遠巻きに見ているだけ。人に触れる人はいる、でも吐いている人には嫌悪感を抱く、他のメンバー達だってそうだった。
「何?」
振り向いて足を止める彼にもう一度問いかける。斜陽が彼の黒髪を照らす。急いでいるのは気配でわかる。でも、二人でいる時に聞いておきたい。
「普通、そんなこと自然にできない」
「普通は介抱する」
「……嫌悪感を抱くはず」
「――俺は守ってやると約束した」
そう。それだ、何故守るといったの?
「それも約束に入っているの?」
介抱することも? 正直、酔いつぶれた彼女の介抱をしない男性もいるけど。彼は返事をせず、背を向けた。
「――教会で会ったのは――あなた?」
背中に触れた手、背後に立たれた気配で思った。思ったといっても男性経験がないから、他の男性に近寄られたことはなく気配はしらない。あえて言うなら、その質量。
彼はアリスの正面に立ち、高い背で山のような存在感で見下ろしてくる。日本人離れをした背丈。太ってはいないのに一回りは大きい身体。プラスチックのような軽量素材のごつごつした鎧に似た衣装は、コミケで見かけるようなのに、その体格だと強そうで体にフィットしている。
「俺のものにするはずだった、聖女を」
「……なんで? え、それ私?それに、過去形?」
「……もういい」
「よくないよ、私でしょ?」
私、殴られたりしたんですけど。
「え、ちょっと、殴られたりしたし、ひどくない!?――キスは」
――は記憶違いかかもしれない。
「それに、門の前に捨てたのはあなた?」
「俺が連れ帰ったら不自然だろう」
だから、自分じゃないように拾わせたの? いや、なんで門前で倒れているとか説明しなきゃいけないし、そもそも外で寝てて低体温で死んじゃうとか考えてくれないのー!
「あなた、何を考えているの!?」
「あなたじゃない、イヴァンだ」
「知ってる」
(……ちょっと待って)
確か、イヴァンは魔王軍に裏切る時にハーフエルフのヴィオラを連れていくのだ。それを皆で助けに行くのに。
話が飛んでいる! というかそうだ、彼は“裏切る人間”なのだ。
「行くぞ。それともおぶわれたいか、聖女」
「――おぶって、と言えば?」
「しない」
ツンなイヴァンは背を向け、歩き出す。ガシャガシャと音をさせながら街道を歩きだして、慌ててアリスは後を追いかける。ボロの布靴は石ころだらけの道では底が痛くて、すぐに音をあげてしまいそう。歩くのは好きだけど、無理かも。
「区画は第四まで。それぞれ召喚した聖女を擁立しパーティとなる。最終的に残ったパーティが魔王討伐隊となる」
イヴァンが少し歩きながら説明を始める。そんな話は初めてきいた。なにそのトーナメント方式みたいなの。最後の生き残りパーティが魔王軍との決勝戦に出られます。さすがゲーム。
でも自分の知るワンファンにそんなシステムはない。
「みんなで倒せばいいじゃない」
そう言いかけて黙る。聖女やらなんやらが、あちこちで跋扈していてウザイだろう。それにローランとグレースは事情がある。まさかどの区画にも王女いないよね。
「他でのパーティでも役職は同じ? つまり王女とかなの?」
「区画によってさまざまだ。聖女だけが、異世界から呼ばれる」
なんて他力本願。でも、それがゲーム。没入感――あれ? まるでバーチャルなんとか?
「ちょっと待って。私が狙われるとか、魔法使えないとかって」
「聖女が出現していない区画、反対に魔法が優れている聖女を擁立している区画もある。うちは聖女がようやく表れたが、何もできないから吉と出るか凶と出るかが不明だ」
「私、そんな駒みたいに扱われたくないんですけど」
「お前みたいに、使えない聖女はありがたくない」
――失礼だな。使えないと思われているのなら、頑張りませんけどね。
「……が、狙われる。だから俺が――守る」
その間が困るんですけど。なんか甘い期待をしちゃそうだけど、その背は何も言わないから、もうそれ以上言わない。
それに足が痛くてたまらない。裸足で歩む足裏を鍛えている彼らならともかく、靴に慣れた現代人には無理だ。
「――次の街では、運動靴とジャージを買ってやる。それぐらいは養ってやる」
真面目な顔で言い切ってますけどね。ジャージって! ファンタジー世界でジャージ。おしゃれじゃない。ドレスやレオタードとは違う。しかも養ってやる、が偉そう。
(あれ? なんでジャージや運動靴?)
「これまでの召喚された聖女達が言っていた」
「……もしかして。会ったことあるの?」
彼が黙り、気まずい沈黙が降りる。会ったことあるのね。本当に聖女狙いみたいだ。ということはアリスではなくていいということ。利用されている可能性大。
キスは――かどわかし? 他の聖女に断られたのかな? この性格ではそうかも。いや、乙女ゲームでこういう突然のキスを好むプレイヤーはいるだろうし。
考えながら、ひょこひょこと歩くアリス振り返り、おもむろにイヴァンはふくらはぎを掴む。
「ひゃ」
慌ててバランスを崩しそうになり、思わず彼の腕を掴む。丸太みたい。しかも筋がいくつもある、なにこの筋肉。そして倒れそうになったアリスの背を彼は太い腕で支えた。
なんで反り返りし背を支えられるダンスみたいなんてアクロバティックな姿勢をさせられているの? でも倒れないのは彼が力強く支えているから。
「いたいいたい」
筋がいたいです。
「なんでこんなに出血している?」
ようやく気づいてくれた? でも靴底を見るのに、足を掴むな!
「こんなスリッパより薄い靴底で、外は歩けないよ」
「わかった、負ぶってやる」
「――平気です――」
でも痛いから、どうしよう。
「ただし、魔物と戦っていても騒ぐなよ」
彼が手に槍を出現させた。同時に、カエルを溶かしたようなどろどろの物体がアリス達を囲んでいた。
カエルを溶かしたというのは、粘液状、つまりゲームにでてくるようなスライムに頭半分の目と舌先だけが覗き、ついでにヒレがついた三本の手だけが地面についているというもの。カエルならば避ければいいけど、大きさが一メートルぐらい、つまり自分の身体の腰より上まである。
しかも五体! 後ろを振り向いて足がかくんと抜けそうになったアリスをイヴァンが掴む。
「騒ぐなと言っただろう」
騒いでない、気絶しそうになったの! そんな言葉には反論できなかった。声が出てこない、あえぐだけのアリスの腕に荷物を握らせる。
「俺の名を唱えていろ」
「……あ」
「イヴァンだ、イヴァン」
「…イ」
「イヴァン、お前の役目はそこで荷物を抱いていること、いいな」
「イ、イヴァン……」
「いい子だ、すぐに終わる」
彼の手がアリスの頭を撫でた、その直後彼の姿が視界から消えた。――飛んだのだ。
彼が腰に手をやると、その棒状のものが長くなり彼は槍をくりだす。目の前のカエルの眉間に命中させすぐに引き戻す。粘液を散らしながらその姿が消える前に、背後に迫る次のカエルを横払い。それが切れると上から襲い掛かるカエルを串刺しにして放り投げる。
それはアリスの上を飛んでいき、背後に落ちる。恐る恐る見ると、背後にいたカエルの上につぶれていた。彼は飛んでアリスの上を超え、カエルを踏みつぶし、そして残る二体をあっという間に倒していた。
アリスの下に来る時は、彼は槍を回転させ体液を払うと前と同じように短くして腰に戻す。
「あ、の……」
「名は何回唱えた?」
「え……」
「俺は唱えるように言ったはずだが」
呆然としていたし、呆然としていたし。
「なんだ、そんなこともできないのか」
尊大に言い放ち、呆れたという声音。え、それ気を紛らわすためじゃないの!? 優しさじゃないの?
「闘いの時に、魔法の詠唱ができるようになる練習だ」
「あ……なんなの!」
「荷物」
言われて握り締めていた雑袋から力を抜く。でも力が抜けない、体が震えている。彼が屈みこみ、アリスの指から一つずつ剥がし、自分の荷物を持ち上げる。
「足手まといにならずに済んだ。お前はこれから荷物持ちだ」
「――っ、なんなんよっ」
噛んだ。怒ろうとしても声が出てこない。病棟ではキチガイ同僚が突然切れて叫び出すことがある。医師が怒鳴り始めて、手に負えないこともある。
それに毅然として言い返すこともあるけど実は苦手。こうやって予測不能なことを言われると、呆然として後で怒りが沸いてくる。いまは、何も言えない。怖かったのに。でも、何も、どうしたらいいか。
「――怖かったな、偉かった」
そしてなぜかいきなり屈みこんで、頭を抱きしめてくるのは予想外だった。
頭が胸に当たっているのはなぜ? 硬質なプラスチック製の鎧かと思ったら、彼が纏うのは柔らかいコートのようだった。
「落ち着くまで、三分。こうしててやる」
……なぜ三分。でも背中と後頭部に手を当てられる。背中を何度か撫でる手に大きく息を吐く。
「だいたい、名を唱える練習とかって、本番で呪文じゃなくてあなたの名を唱えちゃったらどうするのよ」
あ、魔法って呪文なのかな? 言ってから気づいたけど、彼はそれには答えなかった。代わりにこう答えた。
「……唱えたらいい。その代わり何回呼んだか、後で言わせるぞ」
「あの……きを、つける」
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