第8話.聖女は「守ってください」とお願いするの

 その時、いきなり外からの喧騒が響いてきた。皆の反応は早かった。立ち上がり各々の武器を取る。ローランは柄に手をかけグレースを背にかばう。ヴィオラは先端が輪になった杖を、イヴァンは小剣を構える。


「ま、魔物が、現れた!!」


 入ってきた男が叫ぶと同じくして、皆が彼と正反対の方向に、つまり出口へと走り出す。


「ヴィオラ、俺より前にでるな!」

「ヒュー、早くして」


 ヒューがヴィオラを追いかけていく。出ていくローランをグレースが追いかける。


「……え?」


 食堂のみんなも続いて出口へ殺到する。仲間……に置いて行かれたアリスは呆然として、慌てて出口へ向かう。


(こういう時、どうすんの!?)


 食堂に隠れていたほうがいいのか、でもみんなが出て行ったってことは、外の方がいいよね? ていうか。


(まもの……魔物が出る世界なのーー!)


 そりゃ魔法とか剣があれば闘う世界なのはわかります。ワンファンは魔物を倒す世界です。でも、魔法も何もない私がどうするの? こういう時念じればその辺のラノベのように、コマンドじゃなくて――えーと何かフォログラム見たいのが出てくるの!?


 目を凝らしてもない!


 人がいなくなったけど、外では叫び声が聞こえてくる。阿鼻叫喚ということは――殺されているの? 消防、警察……なんてないよね。


 そっと半壊のドアから覗いて、アリスはそのまま腰を抜かした。本当に阿鼻叫喚だった。棍棒を持った二頭身の何かがたくさん歩んでいる。肌は翠色だろうか。バイキングのような鉄のヘルメットをかぶっているから、顔は見えない。


 人間より太ったそいつらが棍棒を振り回すと人間がつぶれていく。呆けてしまって……声も出なかった。


「……ぎ……が」


 そのうちの二体がアリスに気がつき、歩んでくる。何かを発声したけれど、それは人間の言葉じゃない。ただ、こちらを見て笑ったようだった。棍棒の先には血がついている。誰かを殺したみたい。


 もし、ラノベの世界に行ったらゴブリンを殺せるか、という話を昔友人としたことがある、アリスは殺せると言った。余裕だよ、そしてあっという間にLV99になっちゃうね、と。そんなことがよぎったけど。無理だ。


 そう言えば、奈良公園の鹿も餌を買ってみたら囲んできて怖かった。

 

 足が立てない。つかまっていたはずの木枠からも手が落ちている。こいつは

殺す楽しみを覚えている、気がつけばその化け物が棍棒を振り上げている。


(――ああ、これで目が覚めるのか、な)


 太陽が陰る、醜悪な化け物が、崩れる。緑色の体液が飛んでくる。呆然としていると、化け物の身体が緑色の液体の中に転がっていた。


「え……」


 まだ悲鳴は遠くで聴こえていたけれど、この辺りに化け物の姿はない。目の前には黒い布地をまとわりつけて、周囲を見渡したあと、アリスをのぞき込んだ男がいた。黒髪で、鮮やかな紅玉のような赤い目。黒の中に栄える血の色、こんな色彩は日本人でも外国人でもない。


 言葉が出てこない、日本語でいいのか。言葉が通じるのか、あまりにも綺麗すぎる。


「礼は?」

「……え」

「助けてもらい、礼もなしか」


 最初、驚いた。血の色だけど、深紅のルビーのようだ。あまりにも美しい赤い目の人が乱雑な言葉を吐く。彼の左手の抜身の剣は緑色の液体がしたたり落ちていた。彼が殺したのだ、怖い人だ。


 礼を言えと言われて慌てて口を開いたが、声は震えてうまく言葉が出てこない。


「あ、あり……が……ごめ……声がでなくて」

「――そんなか弱いふりをするな」


 呆然とした、普通は相手がこんな目にあって半泣きになれば仕方がないと思うものでしょ。慰めるどころか、つっこむ!?


「あ、ありがと……ございますっね!」


 アリスが怒りに任せて多少回るようになった口で言えば、相手は尊大に頷き剣の緑の血払い(血でいいの?)をして、鞘に納める。


「あちらもあらかた片付いたようだな」

「……」


 ざわめきが聞こえるものの、叫びはない。黒煙がみえているから、火事が出たのだろう。彼と同じ方向を見ていたアリスは、また視線を戻されたのを見て彼を見上げた。


「いつまで座っている、聖女」

「は?」


 彼は目に見えて大きくためいきをついた。


「早く立て、聖女。次期に王宮騎士団が来る。面倒なことになる前に街をでるぞ、聖女」

「でも、――」


 王宮騎士団が来たからって何? ローラン達のことも気になるし。というか、こんな目にあってどうして急がなきゃいけないの? あ、それに何で彼が聖女というのか。


 言葉が出てこないと、赤い目で彼は苛立たし気に睨む。


「頭が鈍いのか、聖女」


 なんか先ほどから聖女を連呼されているのだけど、強調されて馬鹿にされてるとしか思えない。


「それともおぶれとねだっているのか、聖女」


 ムカッとずっときていたけどね。コイツわざとだろう。


「聖女聖女と、聖女じゃないし! 王宮騎士団とか意味不明なんだから説明しなさい! それに頭が鈍いとかも失礼だし、礼をねだるのも図々しい。――だったらおぶりなさいよ」


 言われたことに一気に答える。全部覚えていて、全部答える。売られた喧嘩は買う。そうしなきゃナースはやってけない。病棟のサル山で舐められたらそのあとは、弱いやつと見下され面倒な仕事を押し付けられるのだ。


 赤目はしばらく目を見張り黙る。赤目と言い返さなかったのは、容姿を言うのはどんな喧嘩でもタブーだから。相手を大きく傷つけるかもしれないから。


「お前が聖女じゃないと思う理由は?」

「……」

「根拠は?」


 彼はじっと見ている。痛いほどに。だから見返す。互いににらみ合いだ。


「名前は、アリスよ」

「……」

「アリスよ、アリス。言ってみなさいよ。まさか人の名前は言えないとでも?」

「お前は聖女だ」

「平行線ね。じゃ、理由はいわない。さよなら、永遠に」

「まて」


 腕を掴む手を睨む。


「理由を言ってくれ…………アリス」


 すっごく間があったけど、ようやく呼んだ答えに自分も答える。


「私が聖女じゃないって言ったのは、何もできないから」


 赤目が驚きで揺れる。のぞき込んでいた目は赤黒く沈んでいたけれど、そうやって目を見開くと、茶色にも見える。でも赤い方が綺麗だ、まるでルビーみたい。嫌な奴なのに、アリスは余裕を取り戻して話す。


「お前は何もできないのか……だからあんな雑魚に」

「――悪かったわね。だから聖女だと勘違いしないで」

「いや、お前が否定しようと聖女だ。そして――聖女は最前列で戦う役目だ」


 アリスは、呆然として赤目を見つめ返す。この世界はみんなイケメンだけど彼もそう。自分の世界では、イケメンと付き合ったことはない、こんなイケメンに連れ去られようとしているけれど、嬉しくない。


「最前列……あの、ばけもの、みたいな」


 ちょっと待て! 聖女て、最後尾で守られる役でしょ、お姫様みたいな。騎士達に傅かれて、俺をお選びくださいて。目を閉じて杖からパーッと光をだして「みんな私のために頑張って!」と後ろから祈るだけでいいです。


「私、やっぱり聖女じゃない、間違えだと思う」

「――あれは最弱だ、街にはよく出る。ただの人間には恐れられているが、俺達は今後もっと恐ろしい魔物と戦う。聖女はパーティには不可欠だ」


 聞いちゃいねー! パーティ。パーティとかそのゲーム用語、やめて! 現実でもパーティでキライ。ノンアルコールのビッフェに参加するぐらいなら、友人とフレンチをランチで食べた方がいい。


(あれ、俺“達”?)


 複数形?

 じゃなくて、そうじゃない、あの魔物が……最弱? 


「パーティとか、最前列とか、色々無理、無理っ。私、街の人より弱いもの」

「魔法は? 回復魔法、神聖魔法、何も覚えていないのか?」

「知らないよ」


「そんな強大な魔力で? 今度お前は他の区画のパーティや魔物に狙われるぞ。訪れた街なんてお前を追いかける魔物にやられ、あっという間に壊滅だ」


 彼の方は硬い表情というより、睨みつけるような苦虫をかみつぶした顔でアリスをみている。だいたいその魔力って何よ。自分には何も感じない。みんなわかるの? 


「己を守る術が何もないのか」


「そう。だから――聖女なんて」

「ならば、俺が守ってやる」


 彼が屈んで空いている右手を差し出してくる。そういえば、先ほど左手で剣を持っていたから知ってるけど、彼は左利きなのだ。左利きの人って握手は左じゃなくて右なの?


 ぐっと決意したような顔は奥歯をかみしめているよう。嫌なことはたくさん言われたけれど、彼の強さは本物だ。それに、こんな風に言ってくれるイケメンは、これまで自分の人生ではなかった。イケメン……思わず体がふらりと前のめりになる。


 手を差し出しかけて、自分の手が土に汚れているのに気づいて、慌ててはらおうとする。ティッシュないかな。


「――ただし、『守ってください』と言え」


 ……え。

 かれは大真面目だった。むしろ顎をあげて尊大。口元はあがり赤目の奥にはどこか意地悪そうな光がチラリとしている。


 ……なにそれ。看護師間のマウント取りには慣れているアリスでも予想外の言葉。


「お願いしてみろ」

「……」


 する、しない? したらどうする? そもそもこの人味方なの?


「色々事情説明して。それから名前を呼んでくれる?」

「いいだろう」

「後、私は他に――誘われている人達がいるのだけど」


「聖女だからな」


 彼らにも意見を聞きたいけど。ローラン達には置いて行かれたしな。コイツしかいない?


「じゃあ……えっと、『まもって』」

「違う。俺が言った言葉と全然違う。阿呆なのか」

「――どっちが主人よ」


 彼は黙っているからアリスは仕方がなく口を開いた。その間が気まずいからなかなか口が開かない。あ。でもどうしようDV野郎だったら。


「私を守って頂戴」

「……」


「――お願いします」

「繋げて言え」


 偉そうだな。他に守ってくれる人はいないのか? 周りを見ても、みんなざわざわと片付けしてて、誰も見ていない。


「守ってください、おねがい、します」


 区切って言えば、ちょう、尊大に、顎だけで頷かれる。ホントに大丈夫か?

契約書が欲しいぐらい。


 でもこんな魔物だらけで、変な目にあって困っていたのもある。あまりにもモラハラが酷ければ逃げればいいだろう。切実だったのが本音。


「――ところであなたの名前は?」


 彼はアリスをじっと見たあと、片膝をついた。そして頭を下げて、右手をとりアリスの手の甲に額を当てた。あまりにも様になっていて、しかも男性にそんなことをされたことがないから胸が跳ねあがる。何を、されているの?


「喜んで、アリス。命を持ってこのイヴァンが守ろう、わが聖女よ」


 そして顔をあげた彼は、優しい笑みを浮かべていた。

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