インターローグ
インターローグ
ゆやたちが鈴蘭や心と協力し、キヨミと戦っていた頃。
静岡県藤枝市北部の山中。鬱蒼とした樹々に隠れるように、錆び付いたトタン小屋があった。ツタに覆われ、結界に護られたその小屋は、完璧に森の一部に擬態していた。
小屋の中には、二人の人間がいた。椅子に座って、手持ち無沙汰といった様子だった。
一人は、この時代の種田アサガオ。十三歳である。身長は未来の種田アサガオほど高くない。むしろ、同年代の男子と比べても低いくらいである。
もう一人は、三十代後半の男性、
「草浦さん」
アサガオが名前を呼んだ。声変わり前の少年に特有の高い声だった。
「そんな他人行儀な呼び方しないでくれよ。俺のことは気軽に『何でも屋のおじさん』と呼んでくれ」
それは、この数日で何度か繰り返されたやりとりだった。
「おじさん」
「なんだい?」
「僕はいつまで、ここに監禁されていればいいんだ?」
アサガオは、ゴミ箱に捨てられたカロリーバーの袋に視線をやる。数日前に未来の自分が現れ、この小屋に連れてこられてから、それしか食べていなかった。
「明日の午前十一時くらいまでかな。なんでも、十二時に『みそらのとびら』とやらは開くらしい。十二時ちょうどにキミを蓬莱橋まで連れていく。それまではキミをあらゆる危険から守る。それがおじさんの仕事だ」
草浦は脚を組んだ。粗末な木の椅子がギシリと音を立てた。
「逃げようなんて考えないでくれよ。金を貰ってる以上、プロとしてその分の働きはしなきゃならん。最悪、キミを怪我させなきゃならなくなる」
「僕を守る、ね。それは例え、白詰黒雲が来ても?」
草浦は困ったように眉を寄せた。
「そりゃ無理だ」
「はぁ……」
アサガオはため息を
「ところで」
アサガオは訊いた。
「おじさんは、大人の僕が世界を書き換えようとしているのは知ってるんだよね」
「ああ。ちょっと気になって訊いたら教えてくれたよ。隠すことでもないからってさ。――属性の無い世界ねぇ」
「それなのに、大人の僕に協力するの?」
草浦は答える。
「二十年だか三十年だか後の世界がどうなろうと、知ったこっちゃないね。大事なのは、種田が金を払ってくれるってことだ。金さえ払ってくれれば、おじさんは何でもやる。何でも屋だからな」
「ふーん」
「ところで、種田はなんで無属性だけの世界――『平等で正しい世界』だっけ――を創ろうとしているんだ?」
草浦が問う。
「それは知らない。大人の僕に訊いてくれ。……いや、でも、なんとなく分かる気がする」
「じゃあ、キミの予想を聞かせて欲しい」
「――僕の母は、無属性だけの魔術師だった」
唐突な言葉に、草浦はアサガオをまじまじと見つめる。
「父は、魔術師としては三流だったけど、火属性を含む、四つの属性の持ち主だった。
僕が母と暮らしていたのは幼い頃だから、はっきりとは覚えていない。覚えているのは、母は父にいつも酷いことをされていたということ。母は父には全く敵わなかった。残酷なまでの生まれ持った
そんな状況でも、母は僕を懸命に育ててくれた。暴力を振るう父から僕を守ってくれた。父の分まで働いて、家事もしてくれた。優しくて強い母だった。
両親が離婚したのは、僕が六歳の時だった。僕は父の方に引き取られた。多分、父はお金を稼いで、家事もしてくれて、ストレス発散のサンドバッグにもなる、母に代わる奴隷が欲しかったんだろう。そんなことのために、僕と母を引き離した。
父との生活は
頭を撫でてくれた温もり。僕に向けてくれた笑顔。その記憶が、僕に勇気をくれた。母が僕を護ってくれた」
アサガオは、言葉を切った。一度、息を吐いて吸う。
「関係無いことまで話したね。
……大人の僕はきっと、母のように、属性の格差で苦しめられる人がいなくなればいいと思っているんだと思う。そうすれば、みんなが幸せになれる。そう思っているんだと思う」
「なるほどな」
それきり、二人はしばらくの間、黙っていた。
ざわざわと、葉擦れの音が、外から聞こえてきた。
「母さん……」
アサガオが、ポツリと呟いた。
俯いて、テーブルの上に、指を組んだ両手を乗せていた。その指は、きつくきつく、組み合わされていた。
「会いたいのか?」
「離婚してからの七年間、ずっと、もう一度、会いたいと思っていた。だけど無理だった。どこに住んでるかも分からない」
「……よし、じゃあ、これからキミの母上に会いに行こう」
草浦は立ち上がって言った。
「へ……?」
アサガオの口から、そんな声が洩れる。
「無理だよ、そんなこと」
「俺を誰だと思っている。何でも屋のおじさんだぞ? 人探しってのは、何でも屋でも初歩の仕事だ」
「でも、ここから出るなって言われて……」
草浦は笑う。
「おじさんが依頼されたのは、期限までキミを守ることだ。そのための手段として、この小屋を種田に与えられたが、別に『ここで』キミを守れとは依頼されていない」
「……なんかそれ、ずるい言い訳じゃあないか?」
「いいか少年。『おじさん』ってのは、ずる賢い生き物なんだ。歳をとってくると、十代、二十代の頃のように
大真面目な口調で言う草浦に、アサガオは思わず吹き出した。
「なんだよ。俺は真剣に言ってるんだぞ。……まあいい。それで、どうするんだ、アサガオ。行くのか? 行かないのか?」
「行く。行きたい」
アサガオは答えた。
「僕は母さんに会いたい」
「よし。じゃあ決まりだ」
草浦は、小屋のドアを開けた。
薄暗い小屋の中に、樹々の葉の隙間を抜けた、僅かばかりの日の光が差し込む。
「さあ行こう!」
草浦は小屋を出る。アサガオも、走ってそれに続いた。
草浦の運転する自動車に乗って、アサガオは袋井市に来ていた。
アサガオの記憶が正しければ、彼の両親は離婚前に、この辺りに住んでいたはずである。
「いやしかし、袋井で助かった」
草浦の言葉に、後部座席のアサガオは首を傾げる。
「どういう意味?」
「袋井には、優秀な情報屋がいる。彼女に頼めばキミの母上も簡単に見つかるはずだ」
自動車は、ラーメン屋の駐車場に入っていく。
「この時間帯なら、情報屋はここに来るはずだ。常連だからな。俺らも飯にしよう」
既に日は落ち、辺りは暗かった。ラーメン屋の窓からは、温かな光が洩れ出ていた。
引き戸を開けて、ラーメン屋に入る。カランカランと、ベルが鳴った。
「いらっしゃい!」
そう言ったのは、老年の男性だった。カウンターの向こうでラーメンを作っているようだった。彼の動きは、老人とは思えないほどきびきびとしていた。
夕飯時だというのに、店の客は、一番奥のテーブルでラーメンを待っている、若い女性だけだった。女性は、四人掛けのテーブルに、一人で座っていた。
草浦は、迷うこと無く女性のいるテーブルに向かうと、その向かいに座った。
アサガオは草浦の隣に座る。
老年の女性が、二人分のお冷を持ってきてくれる。ラーメンを作る老爺の妻だろか。
「豚骨ラーメン一つ」
メニューも見ずに、草浦は注文した。
「同じものをもう一つ」
アサガオも注文する。
老婆が去った後、草浦は目の前の女性に話し掛ける。
「よう、情報屋」
情報屋の女は、顔を上げた。年齢は二十代後半くらいだろうか。ピンク色の丸型サングラスをかけていた。
「それで、今回の依頼は?」
情報屋は訊く。
「こいつの母親を探して欲しい」
草浦はアサガオを指差す。
「俺が地道に聞き込み調査をしてもいいんだが、今回はあんまり時間をかけたくなくてな」
「つまり、期限は
「そういうことだ」
老婆が、情報屋の前にラーメンを運んでくる。
「野菜ラーメンです」
情報屋は湯気を上げるラーメンには目もくれず、アサガオに向かって言った。
「それじゃあ少年。できる限り、キミの母親の情報を教えてくれ」
「分かりました。
まず名前は、種田 マユミ――」
「ちょっと待て。離婚したのなら、苗字が変わっているんじゃあないのか?」
草浦が遮る。
「ううん。種田は母の旧姓。父の死後、僕は母の苗字を名乗っている。あの男の苗字を名乗りたくないから」
「なるほどな」
草浦は頷いた。
アサガオは記憶を辿り、かつての住居のことや、その他、細々とした情報を女に伝えた。
伝え終わったところでちょうど、二人分の豚骨ラーメンが運ばれてきた。
草浦は「いただきます」と手を合わせると、ラーメンを啜りだした。情報屋も手を合わせ、割り箸を口と手を使って割ると、野菜ラーメンにようやっと手をつける。
アサガオもいただきますを言って、豚骨ラーメンを啜った。
塩気の効いたスープが、ほど良い硬さの麺に絡まっていた。チャーシューも肉厚だった。
しばらく、三人は無言でラーメンを食べ続けた。
情報屋は、サングラスが曇ることに途中で気付いて外した。
――ラーメン屋の常連なら、最初から気付けよ。アサガオはそう思った。
やがて、ラーメンを食べ終わった。
草浦はお冷を一口飲むと言った。
「それで、情報提供の対価はいくらだ?」
「このラーメンはキミの奢りだ。それでいい」
情報屋はそう言った。
「いいのか?」
「どうせ、
情報屋はアサガオをじろりと見た。
「わたしは金のある奴からたっぷり貰うことにしてんだ。金の無いやつから絞り取るなんて、非効率的だ」
「……すまん。この借りは必ず返す」
「期待しないで待っておくよ」
情報屋は、サングラスを掛け直した。
視線が、ピンクのレンズ越しに草浦へ向けられる。
「何でも屋。キミは『壁外』で生きるのに向いてないよ」
「はいはい。ありがたいご忠告、痛み入るよ」
草浦は立ち上がって、レジへと向かった。
アサガオも草浦についていった。
代金を払って店を出る。
外は静かだった。
「ラーメン、美味しかったか?」
草浦が訊いた。
「うん」
「だろ? ここはおじさんが知ってる中で一番だ」
草浦は車へと歩いていく。
「さーて。今日の寝床を探さなくちゃだな。ホテルが近くにあったはずだが……」
「……ありがとう、おじさん」
アサガオは、草浦の背中に向けて言った。
「なーに、礼には及ばないってことよ」
草浦はそう言った。
アサガオが目を覚ますと、知らない天井だった。
そう言えば、昨夜はホテルに泊まったんだと、思い出す。
軋むベッドで上体を起こした。
黄ばんだ壁に、養生テープが貼られている窓ガラス。
草浦は既に起きていた。彼の手には、紙切れがあった。
「おはよう、少年」
「おはようございます、おじさん」
「深夜二時頃に情報屋が来た。キミの母親の現住所が分かった」
草浦は単刀直入に言った。
「ほんと⁉」
思わず大きな声が出た。
「ああ。情報屋は、キミの断片的な記憶から、キミの両親の離婚前の住所を推理した。そこに行ってみると、キミの母上はまだ住んでいたそうだ。あっさり見つかって、情報屋の奴、拍子抜けしてたよ」
草浦は、住所の書かれた紙切れをひらひらさせた。
「早速、行こう!」
アサガオはベッドから下りる。床がギシギシと音を立てた。それに負けないくらい、心臓が高鳴っていた。
助手席に座ったアサガオは、ハンドルを握る草浦を見つめた。
「おじさん、本当にありがとう。おじさんのおかげで、やっと僕は母さんに会える」
「礼なら情報屋にでも言ってくれ」
「ううん。おじさんのおかげ。おじさん、本当はいい人だ」
草浦は押し黙った。
やがて、ぽつりと言った。
「俺は、いい人なんかじゃあない。所詮は、金で動く何でも屋だ。いい人でいるってのは難しい。『壁外』では、強くなくちゃ、いい人ではいられない。俺も、若い頃はいい人でありたいと思っていた。だけど、年をとって、ずる賢いおじさんになっちまった」
「…………」
「けどな、少年。お前と逢えて良かった。忘れてた
草浦は、一軒の家の前で自動車を停めた。
「さて、ここのはずだ」
アサガオは、窓から外を見た。
「……ここだ」
間違いない、と確信できた。その家は、記憶の中と、寸分違わない状態であった。
アサガオは、ドアに手を掛ける。
「なあ、アサガオ」
草浦が言った。アサガオの動きが止まる。
「種田との契約が完了して、全てが終わったら、俺と――」
言いかけて、草浦は
「――いや、なんでもない。
行ってこい、少年。お袋は大事にしろよ」
「うん!」
アサガオは、車を降りた。
小さな庭の付いた二階建ての家。少しくすんだ赤い屋根。
飛び石を渡って、玄関ポーチへ立つ。この動きも、身体が覚えていた。
チャイムを鳴らす。「はーい」と声がした。足音。そして、扉が開かれる。
「母さん……」
扉の隙間から見えたのは、確かに母の顔だった。少し歳はとっていたが、それでも、見間違えようがなかった。
「アサガオ……⁉」
扉が大きく開かれる。ふわりと、懐かしい香りがした。七年の月日が経っていても、母は、彼が誰かを、すぐに理解した。
「母さん……!」
アサガオの目から、涙が零れる。
アサガオは母の胸へ、ゆっくりと、吸い込まれるように飛び込んでいった。
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