第六話

「それで、これからどうする、お姉ちゃん?」

 取り敢えずウルシの氷の彫像はその辺の建物の柱に縛っておいて、溶けても動けないようにしておいた。

「そうだね。まずは朔也たちと合流かな。姫奈のことを紹介したいし」

 このはと姫奈はちょっとした段差に並んで腰掛けていた。

 日はそろそろ傾き出していた。

「朔也お兄ちゃん、納得してくれるかな……」

「ま、大丈夫でしょ」

 このはは立ち上がる。

「さ、行こっか」

 そして姫奈に手を差し出した。

 姫奈はその手を取った。

「――行かせるわけにはいきませんよ」

 空間が歪んだ。

 このはと姫奈は身構える。

 ポータルから現れたのは、種田だった。

「裏切り、ですか。そんなこと、許しませんよ」

 種田は一歩一歩、少女たちに近付いてくる。

「そもそも、ゆやさんたちと合流したところで無駄です。彼女たちは、キヨミと後二人が対応しています」

 ――何でも屋のおっさん、未知の人物X、未知の人物Yの内、誰か二人か。

 姫奈は脳内のリストと照らし合わせ、推測する。

 種田が立っているのは、西側、つまり、ゆやたちがいる方向である。合流したかったら、種田を斃すしかない。しかし――

「――アトリビュート・オーヴァーライド」

 このはは種田の能力の名を口にする。

 全ての属性を無属性に上書きする能力。これがある限り、今の二人には勝ち目が無い。

「僕の能力が見たいのですか。ならば――」

 種田が言い終わる前に、このはは頭に乗せていたサングラスを下ろすと、片手で姫奈の目を覆う。

「『フラッシュ』――ッ!」

 そしてこのはの空いている方の手から、閃光が放たれた。

「うっ⁉」

 種田の目が眩む。

 白い光が彼の視界を満たしていた。

 種田は、視力を失ったままでも、二人の方に走り寄ろうとする。

「待て! ――うぐっ!」

 しかし、痛みでその動きが止まる。

「くっ……。白詰黒雲……! 随分とやってくれましたね。自動回復が間に合っていない……!」

 やがて、視界が元に戻ると、そこには、このはと姫奈の姿は無かった。

「逃がしましたか。しかし、流石に僕の脇をすり抜けるなんてことは不可能。となれば、合流を遅らせることはできたはずです。ひとまずは良しとしましょう」

 種田は独り言ちる。

「伊川姫奈――裏切り者は必ず殺します」

 種田の長い影が、アスファルトに伸びていた。



 

 チーム黒撫とは、藤枝市の南西部、県道三八一号線の交差点で合流し、一緒に島田市へ入る予定だった。その合流地点まで来たのだが、二人の姿は見当たらない。

 その代わり、今度は三人の刺客が立っていた。

 運転席の藤乃と一瞬、顔を見合わせる。

 三人全員に、面識があったのだ。

 藤乃が自動車を停めた。

 俺は自動車を下りる。

 三人の内、一人は飛来者ヴィジターの女、キヨミ。そして二人は――

君影きみかげ 鈴蘭すずらんに、大橋おおはし こころか」

 三ヶ月ほど前に飛来者ヴィジターの男、ヒガンと手を組み、人類を滅ぼそうとした少女、君影鈴蘭と、その部下で、大橋理人の弟、大橋心であった。

 鈴蘭の髪はこの前戦った時より伸びていたが、どうも艶を失っているように見えた。顔にも生気が無い。しかし、目だけはぎらぎらと光っていた。心はこの前と特に変わりは無かった。

「君影鈴蘭、それに大橋心。また人類を滅ぼすつもりかしら?」

 そう訊く藤乃の声は刺々しかった。

「違う」

 鈴蘭が否定する。

「わたしはそんなこと、もうどうでもいい。わたしはわたしの目的のために、手を貸しているだけ」

 鈴蘭の目的……? 一体なんだろうか。

「まあ、なんにせよ斃すだけだ。藤乃、ゆや!」

「ええ。『ドレスアップ』!」

 藤乃は白藤の『花嫁衣装ウェディングドレス』を身に纏う。

「ふん。わたしは最初から本気でいくぜ!」

 キヨミの姿が変わる。人間の女性から、異形の怪物――飛来者ヴィジターの真の姿へと。

「■■■■■!」

 人からはかけ離れた声が響く。

「喰らえ――ッ!」

 そこに、ゆやが火球を撃ち込む。

「『サイキック・バレット』!」

 鈴蘭が無属性魔法で、不可視の弾丸を放つ。

 藤乃がそれを拳で受け止める。

「鳥葬にしてあげますよ!」

 心が毒属性魔法で操ったカラスが急降下してくる。

「『デトックス・ミスト』!」

 俺は解毒魔法を霧にしてばら撒く。

 カラスの動きが乱れた。

 鈴蘭が、無属性の錬成魔術で不可視の剣を錬成し、藤乃に斬りかかる。

 間合いの測れない斬撃を藤乃は難なく躱すと、鈴蘭に拳を叩き込む。

 不可視の剣と『花嫁衣装ウェディングドレス』を纏った肉体の、近距離ショートレンジの格闘戦が繰り広げられる。

 一方、俺と心は遠距離ロングレンジで魔法をち合っていた。

 魔術師であれば、誰でも魔力免疫を持っている。これは、体内に侵入した有害な魔力を無力化するものだ。毒属性魔法の効果も当然、魔力免疫の対象になる。優秀な魔術師であるほど、魔力免疫は強い。そのため毒属性魔法は、同格以上の魔術師には効かないのである。これが、毒属性が弱いと言われる理由である。

 しかし、いくら魔力免疫があるからといって、いくらでも毒属性魔法を無力化できるわけではない。魔力免疫にも限界はある。

 俺は心が錬成した毒液を避ける。多少は当たってしまうが、魔力免疫にはまだ余裕がある。

 一方こちらも、火属性の純粋魔術で攻撃する。錬成魔術ほど連射はできないが、その分、威力は強力だ。かすっただけでも火傷を負うので、心は大きく移動することを強いられる。

『大災厄』前は中古車販売店だったのだろう、放置された自動車が並んでいる中で、俺と心は魔法をち合う。

 俺は地面を転がって自動車を盾にする。その自動車のフロントガラス越しに、心の姿が見えた。

「『ハイドロプレッシャー』!」

 水属性魔法を中古車の正面に放つ。案の定、停車魔法が経年劣化していた自動車は、水属性の魔力に押され、後ろ向きに動き出す。後ろにいるのは、もちろん心である。

「――――ッ!」

 心が車の影から跳び出る。

「『焔桜ほむらざくら』!」

 そこに火属性の純粋魔術を撃ち込む。

 心が身体を捻るが、魔力は心の左半身に当たり、炎上させる。

「ぐうッ!」

 心は無属性魔法で消火を試みる。その隙に――

「ゆやッ!」

 藤乃の声が聞こえた。

 ゆやの方を向くと、彼女はキヨミのビームを喰らって吹き飛ばされていた。

 ゆやは数十メートル飛んでアスファルトに墜落し、バウンドしながら地面を転がる。やがて、地に伏したまま動かなくなった。

 キヨミの無数の眼が、ぎょろりとゆやを睨む。

「まずいッ!」

 藤乃が跳んで、キヨミに殴りかかる。

 その背後に、不可視の剣を持った鈴蘭が迫る。

 これまでは、俺が心と、藤乃が鈴蘭と、ゆやがキヨミと、それぞれ戦うことによって、三対三を維持していた。しかし、ゆやが打ち破られた今、その拮抗状態は崩れた。

 俺は鈴蘭の方に走ると、炎を放つ。

 鈴蘭は不可視の剣でそれを払う。

 炎をちながら、鈴蘭へと接近する。背後から飛んでくる毒液は直感で躱すが、無理がある。結構な数、当たってしまう。しかし仕方ない。全員に対処する余裕は無い。

「『アクア・ボール』!」

 火属性に混ぜて、水属性魔法を投げつける。

 鈴蘭は咄嗟にそれを不可視の剣で斬ってしまう。水属性の魔力は砕け、彼女の顔にかかる。

「うわッ!」

「『焔桜』!」

 視界を奪われたその隙に炎を撃ち込む。

 鈴蘭の身体からだは燃え上がり、よろよろと後退する。

 しかし、その時、キヨミの長い左腕が振るわれた。

 ぐわっと宙に浮く感覚。

 隣を見れば、藤乃も飛ばされていた。

 そこに、キヨミの鳥の頭のような形の腕から、散弾のように拡散するレーザーが放たれる。

 その黒い光に、全身のあちこちを貫かれる。

 血液を空中に飛び散らせながら、俺と藤乃は地面に落下した。

「ぐぅぅ……」

 藤乃が呻き声を上げる。

「ちょっと、ヤバいか……」

 痛みで身体が動かない。

 うつ伏せに倒れる俺の視界に、心が映った。

「終わりです。『心音綺導』――『大口魔神おおぐちまかみ』!」

 心の全身から、どろどろとした毒液が溢れ出す。

 どす黒いそれは、集まって一つの形を取った。

 ――巨大な狼。

 毒の狼は音も無く疾駆する。

 眼だけが赤く光っていた。

 そして、狼のあぎとが開かれる。

 黒い狼は目の前まで迫っていた。

 鋭い牙がいくつも見えた。

 狼は、倒れ伏す俺と藤乃を、一口に噛み砕いた――



 

 キヨミは、人間の姿のテクスチャを身に纏う。

 そこに心と、魔法で消火した鈴蘭が近付いていく。

「佐倉と枝岡を、確かに殺したんだろうなァ?」

 キヨミが心に問う。

「あれだけの毒液を浴びれば、確実に死んだでしょう。それより、ゆやはどうなんです? 致命傷は避けていたようですが」

「あれだけの傷なら出血多量だ。火属性のメイガス派では、碌な治癒魔法も使えまい。じきに死ぬ。それとも、近寄ってとどめを刺すか?」

「いえ。自爆でもされたらたまらないですから」

 心は首を横に振った。

「――それなら」

 鈴蘭が、射貫くような視線をキヨミに向けた。

「任務は完了したはずだ。そちらも約束を果たしてもらおう」

「約束?」

「忘れたとは言わせないぞ」

 キヨミは笑う。

「ああ。覚えているよ。。それが、キミたちが協力する条件だった」

 

 


 ゆやがこの時代に跳んでくる数日前。『壁外』のアパートの一室で、心は朝食を並べていた。

 簡単なスープとサラダ。シリアルに牛乳をかければ完成である。

 エプロンを外して、心は座布団に座る。背の低いテーブルの向こうには、鈴蘭が座っていた。

「いただきます」

 心が手を合わせる。

「……いただきます」

 鈴蘭も小さな声でそう言った。

 食事をしながら、心は話しかける。

「今日は午後から仕事で空けます。二十一時には帰ってくるつもりなので、それまで留守番よろしくお願いしますね」

「……ええ」

 鈴蘭はもそもそとサラダを食べる。

 アセビは、朔也と藤乃に敗北してから自信を喪失し、故郷に帰ってしまった。

 黒雲に負けた理人は、修行の旅に出ると言って、どこかに行ってしまった。

 鈴蘭の下に残ったのは、心だけであった。

 朝食が終わると、心は食器を洗う。

 理人には、旅に出る前に「指揮官を頼む」と言われていた。

 食器を洗い終えて戻ると、鈴蘭はテーブルの前で、まだぼんやりと座っていた。

「寝癖、ひどいですよ」

「……そう」

 心は鈴蘭を洗面所まで連れていくと、彼女の肩の辺りまで伸びた髪を、ブラシで整える。

 鈴蘭は鏡に映る自分を見つめていた。その瞳には光が感じられない。

 ヒガンを失ってから、鈴蘭はずっとこんな調子だった。

 ヒガンは鈴蘭を利用して、人類を滅ぼそうとしていた。

 全てが嘘だった。ヒガンにとって、鈴蘭は『星落とし』の儀式のための道具に過ぎなかった。知識を与えてくれたのも、守ってくれたのも、全ては人類を滅ぼすための手段だった。優しくしてくれたのは嘘だった。そもそも人間ですらなかった。

 人類を滅ぼすという目標を掲げ、これまでずっと二人で走ってきたつもりだった。

 けれど本当は、鈴蘭が独りで走らされているだけだった。

 鏡に映る自分の顔が、ひどく虚ろに見えた。鏡の中の自分がこちらに手を伸ばして、そのままぐいっと鏡の世界に引きずり込んでくれればいいのに。なんて思った。

 けれど――

 ――こんなに裏切られたのに、わたしはまだヒガンのことが好きだ。

 ピンポーンと、思考を斬り裂くようにチャイムの音がした。

「はーい」

 心が返事をする。

「ちょっと待っててくださいね」

 心がそう言って、洗面所を出ていく。

 なんとなく、鈴蘭もその後に続いた。

 玄関に立っていたのは、背の高い男性だった。

「大橋心さん。それに君影鈴蘭さん」

「どなたですか?」

 心が問う。

「僕は種田アサガオと言います。突然ですが、枝岡藤乃とその仲間たちを殺すのに、協力してくれませんか」

「――え?」

 突然のことに、心はそんな声しか出なかった。

「もちろん、タダでとは言いません。枝岡藤乃と佐倉朔也。その二人だけで結構です。僕の指示に従い、その二人を殺してくれたら、ヒガンさんを蘇らせてあげましょう」

「ヒガンを……! それは本当か⁉」

 鈴蘭が、心を押し退けるようにして、玄関口に出た。

「ええ。こちらにもヒガンさんと同種の地球外生命体、飛来者ヴィジターがいます。飛来者ヴィジター同士のリンクを使えば、ヒガンさんを蘇らせることは可能です」

「分かった! 協力する!」

 鈴蘭は即答した。

「鈴蘭さんが協力するというのなら、僕も従います」

 鈴蘭の後ろで、心は静かに言った。

「助かります。それでは、ついてきてください」

 こうして、種田に導かれて、鈴蘭と心は玄関を出た。



 

「藤乃と朔也は殺した。約束を果たしてもらおう、キヨミ」

「ああ、それは嘘だ」

 キヨミは事もなげに言った。

 鈴蘭の動きがピタリと止まる。まるで心臓すら止まってしまったかのようだ。

 県道三八一号線に、沈黙が満ちていた。

「嘘……?」

 鈴蘭の口から、絞り出すような声が出た。

「ああ、嘘だとも。死者は蘇らない。当たり前のことだ」

「そんな……。じゃあ、わたしは……」

「ああ。アンタの行動は無意味だ。――飛来者ヴィジターを蘇らせようとすること自体がな。我々に知性はあっても心は無い。ただ、人類を滅ぼすという使命のために活動する生命体、それが飛来者ヴィジターだ」

「キヨミ、お前ッ!」

 心がカラスを操り、キヨミにぶつけようとする。

 しかし、キヨミが腕を振った。カラスは全て撥ね飛ばされる。心も吹き飛ばされ、アスファルトに身体が擦り付けられた。

「ヒガンがアンタに感情らしきものを見せたとするのなら、それはアンタを効率良く支配するためだ。ヒガンはアンタのことをなんとも思っていない。そういう機能こころが無いからだ。だから、アンタが歩んできた道も、アンタとヒガンの思い出も、全てが無意味だ。空虚なんだよ、アンタは」

「そんなこと……」

 鈴蘭の目に涙が滲む。

!」

 彼女は叫んだ。

「わたしが空っぽなのも、ヒガンがわたしを利用していたことも、分かってるんだよ! だけど……だけど! 優しさ全てが嘘だったとしても! わたしがヒガンを愛おしいと想ったことは嘘じゃあない!」

 鈴蘭の手から、不可視の魔力が放たれる。至近距離だったので、キヨミは対応できなかった。

 魔力が直撃し、キヨミは呻き声を上げる。

「空っぽなわたしでも、この感情こころだけは捨てたくないッ!」

 鈴蘭は再び魔力を放つ。

 しかし、不意打ちに二度目は無い。キヨミはそれ以上の魔力で押し返す。

 鈴蘭の身体が、地面に叩き付けられた。

「アンタはもう不要だ。抹消する」

 キヨミは手を向ける。その手に魔力が集まっていく。

「させるかッ!」

 立ち上がった心が、鈴蘭とキヨミの間に割って入った。

「『サイキック・ショット』!」

 キヨミが純粋魔術を放つ。

「『インヴィジブル・ウォール』!」

 心は不可視の壁を錬成するが、それは簡単に壊され、魔力が彼に打ち付けられる。

「が――ッ!」

 衝撃で心は片膝を突く。

「二人まとめて、殺す」

 キヨミは先ほどよりさらに多くの魔力を、右手に集める。

「ああああああ!」

 心が立ち上がった。叫んで己を鼓舞し、体内の魔力循環を加速させる。しかし、魔力量の差は歴然だった。キヨミの攻撃を、心は防げない。全員がそれを分かっていた。

 それでもなお、心は、倒れそうになる身体を必死に支え、魔力を貯める。

「心くん、逃げて! どうして、わたしなんかのために!」

 傷だらけの身体で、鈴蘭が叫ぶ。

「そんなの、鈴蘭さんが好きだからに決まってるじゃあないですか!」

 心は、限界まで貯めた魔力で槍を錬成し、キヨミに叩き付ける。

 キヨミも無属性の魔力を、心へと放つ。

「わたしは、心くんの気持ちには応えられない! ヒガンのことを、わたしはきっと一生忘れられない! だから――」

 ――逃げて、と鈴蘭は言う。

 心は鈴蘭を振り返る。

「叶わない恋だからって、好きな人を見捨てる理由にはならない――ッ!」

 錬成魔術と純粋魔術、威力の差は歴然だった。

 心の錬成した不可視の槍はじわじわと削られ、キヨミの魔力は迫ってくる。

 ――そこに炎が燃え上がった。

 火属性の魔力はキヨミに命中し、彼女の身体を炎上させながら吹き飛ばす。

 キヨミの位置がずれたことで彼女の魔法の方向も逸れた。

 純粋魔術は明後日の方向に飛んでいき、アスファルトに当たって巨大なクレーターを作った。

「ゆや……さん」

 心の視線の先には、ゆやがいた。彼女には、ツタが絡みついている――否、ツタを錬成し、身体を支えているのだ。

「草属性……。隠していたのか。治癒魔法もそれで――」

 鈴蘭も、苦しげに立つゆやの姿を見つめる。

「どうして、僕たちを……」

 心が問う。

 ゆやは、仮面から覗く口元を歪ませる。苦痛に耐えながら、彼女は笑っていた。

「――わたしと心は、少し似ているから。

 わたしは、両親を救うために未来からやってきた。両親の生きられる未来に、わたしはいない。だけど、それでもいいって思うの。わたしは、助けたいから助けるんだから」

「ゆやさん……」

 心は、ゆやの名前を呟く。

 夕日が、ゆやと、心と、鈴蘭を照らす。その光は、燃え上がるように赤く、熱かった。

「手間をかけさせてくれるな。アンタたちのやっていることは、死を一分程度、先延ばしにしただけだ!」

 キヨミが立ち上がった。人間態から本来の異形へと、再び姿を変える。

「■■■■■――ッ!」

「負けない。わたしは絶対に!」

 ゆやは奥歯をぐっと噛んで、全身に力を込めた。



 

 ――意識が覚醒した。俺は心の『心音綺導』を喰らったはずである。しかし、まだ生きていた。

 身体を見れば、藤のツルが巻き付いていた。『心音綺導』が当たる直前に、藤乃が守ってくれたようだ。これが毒液を吸収して、ダメージが抑えられていた。

 酷く吐き気がする。魔力免疫でも無力化できないほどの猛毒が、全身に回っていた。

 幸い、キヨミたちは意識があることに気付いていないようである。

 藤乃の身体に触れ、水属性の治癒魔法をかける。同時に自分にも、治癒魔法を使う。

 吐き気が収まっていく。死ぬほどのダメージを負ったことなら数知れない。治癒魔法を使うのには慣れていた。

「ぅ……ん……」

 藤乃の瞼が、ゆっくりと開かれる。その顔は青白かった。

「目が覚めたか、藤乃。静かにしてくれ。まだ気付かれるわけにはいかない」

「わたし……は……」

 『花嫁衣装ウェディングドレス』の白藤の花は、ほとんど散っていた。茶色くしなびた花弁がちらほらと、藤乃の周りに散乱していた。

「ごめん……朔也」

 藤乃は、弱々しい声でそう言った。

「藤乃が謝ることじゃあない」

 藤乃は首を微かに横に振る。

「……違う。わたしが弱いから。弱くなってしまったから。魔眼も無くなってしまって……。わたしには、朔也の隣にいる資格、無いの――」

「藤乃」

 俺は、藤乃の手を握る。

 手を通して、治癒魔法を伝える。

「俺は、藤乃が強いから好きになったんじゃあない」

「え――」

「だから、これからも、一緒にいて欲しい」

 魔力を流し込む俺の手。それを、藤乃の手がぎゅっと握り返した。

「――ふふ、そっか」

 藤乃の顔が綻ぶ。

「そうよね。わたし、そんなことも忘れていたわ」

 藤乃が指を絡めてくる。

 俺は一層、魔力を彼女に伝える。

 藤乃は言った。

「朔也くん、もうちょっとだけ、わたしと頑張ってくれますか」

 俺は答える。

「もちろん。……あいつらも頑張ってるみたいだしな」



 

「『雷藤サンダー・ウィステリア』!」

 電光が閃いた。

 藤乃の右手から放たれた雷属性の魔力が、ゆやたちに狙いを定めていたキヨミに命中する。

 異形の怪物はその体勢を崩す。

「ふう。やればできるものね」

 藤乃は残心の姿勢でそう言った。

「■■■■■――⁉」

 キヨミの叫びは、混乱しているように聞こえた。

「――わたしは、強いから好きになるんじゃあない。好きだから、強くなるんだわ。

 朔也のためにも、わたしは負けない!」

「■■■■■――!」

 キヨミが体勢を立て直す。

 藤乃は、倒れている鈴蘭の方を向く。

「ここは、一時共闘といきましょう」

 鈴蘭は立ち上がる。

「分かった。わたしも種田には騙されたからね。一言、言ってやらないと気が済まない。でもあくまで『一時』――種田を斃すまでの仲間だからね」

「ええ。わたしも永続的というのはごめんこうむるわ」

「■■■■■!」

 キヨミが鳥の頭めいた形状の腕をこちらに向ける。

「『雷藤サンダー・ウィステリア』!」

 そこに、藤乃が雷撃を撃ち込む。高圧電流がキヨミの身体を流れ、体表には紫電がいくつも走った。

「ありったけの毒液を! 『ポイズン・ラッシュ』ッ!」

 さらに、心が毒液を無数の弾丸にして射出する。キヨミの身体に当たった毒液は、その体内へと侵入して、神経を攻撃する。

 電気と毒、二つの麻痺が、キヨミの動きを完全に止めた。

「朔也! ゆや!」

「鈴蘭さん!」

 藤乃と心の声に、俺たちは答える。

「『心音綺導』――『桜火爛漫』ッ!」

「『心音綺導』――『多重加速魔力砲』!」

 俺の赤い炎が、幾千の桜の花びらとなって宙を舞い、キヨミへと殺到する。

 鈴蘭の不可視の魔力が、多段階の加速を経て、音すら置き去りにする速さでキヨミへと着弾する。

 さらに、ゆやが空中へと跳び上がった。

「『心音綺導』――『狐の嫁入り』」

 狐の嫁入り――それは、天気雨の別名である。

 その名にたがわず、ゆやは火属性の魔力を、雨の如く無数の線としてキヨミの頭上から降り注がせた。

 魔力の線は、一本一本は細い。しかし、それは魔力が弱いことを意味しない。むしろ、魔力が線になるまで高密度で圧縮されているので、その温度は空気すら灼けつくほどの高温である。

 それが無数に降り注ぎ、キヨミの身体を貫いた。

 キヨミの身体は内部から発火し、燃え上がっていく。

 外部はと言えば、鈴蘭の魔力の衝撃で眼球は全て潰れ、俺の炎の桜が外皮を焼き尽くしていた。

 黒い炭のようになり、キヨミの身体はボロボロと崩れていく。

 やがて、その姿が揺らいだ。

 キヨミは人の形になった。

「ああ……わたしは……負けたのか……?」

 ヒトの声で、キヨミは問う。

 ゆやが答える。

「お前の負けだ」

「……そうか。だが、ただでは死なない!」

 キヨミが不可視の魔力をゆやに向けて放った。

「――――⁉」

 不意を突かれたゆやの反応が一瞬、遅れる。それでもゆやは何とか躱した。

 魔力がゆやの顔面すれすれを通り抜けてゆき、

 キヨミの身体は、灰になって、跡形も無く消え去った。

 俺と藤乃は、ゆやの素顔を見てしまった。

「あ――」

 ゆやの口からそんな声が零れ出る。

 俺は藤乃と顔を見合わせる。ゆやの素顔は、俺にも似ていたし、藤乃にも似ていた。それはつまり―― 

「どうやら、誤魔化しは効かないみたいだ」

 ゆやは息を吐き出した。そして、俺と藤乃に真正面から向き合った。

「わたしの口から言おう。――わたしは佐倉ゆや。佐倉朔也と佐倉藤乃の娘だ」

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