第五話
【教えて! ブーゲンヴィリア教授】
皆さんお待ちかね『教えて! ブーゲンヴィリア教授』のコーナーだ。今回は『魔術』について解説していこう。魔術とは、魔法の種類のことだ。西洋魔法は三種類の魔術に分類される。
まず純粋魔術。魔力そのものを扱って、相手にぶつけて攻撃したり、盾にしたりする、最も
続いて自然魔術。これは魔力をその属性の物体に流すことで、その物体を操作できるという魔術だ。火属性なら炎を、氷属性なら氷を操れる。回復や身体能力強化も自然魔術に含まれる。ぶっちゃけると、回復や身体強化は特殊な魔法だから分類するのが難しくて、学会で色々揉めた挙句、自然魔術になったという経緯がある。実際、草や水、光属性を持っていれば、自然魔術を習得していなくても治癒魔法が使える人もいる。汎用性が高い一方で、操作できる物体が近くになければ使えないという弱点もある。主な流派はスピリット、ウィザード、アルケミストだ。
最後に錬成魔術。これは魔力からその属性の物体を錬成する魔術だ。火属性なら炎を、氷属性なら氷を作り出せる。元々は錬金術と呼ばれていて、魔法学会は魔術と認めていなかったんだが、これまた色々揉めた挙句、十七世紀に学会は正式に魔術認定をした。魔力から炎を作り出すくらいなら、同じ量の火属性の魔力をぶつけた方が強いので、破壊力は高くない。歴史的な経緯もあって、他の魔術より一段低く見られることもある。しかし、何も無いところから物体を作り出せるというのは、様々な場面で役に立つ。錬成魔術の長所は小回りが利くところだと言えるな。主な流派はアルケミストとメイガスだ。
さて、魔術についてよく分かっただろうか。ここまで話しといてナンだが、日常会話で魔法と魔術を区別して話す人はほとんどいないので、あんまり気にしないでいいぞ。
次回の『教えて! ブーゲンヴィリア教授』は、レモネードの最高な飲み方を解説する予定だ。楽しみにしていたまえ。
それじゃあ、また会おう!
ブーゲンヴィリア教授を
第二の刺客は、西焼津駅と藤枝駅の中間辺りで現れた。
今度は二人。男と女のコンビのようである。
「あの女……」
後部座席に座る姉さんが、窓から身を乗り出して言う。
「黒雲が話していた、佐倉姉弟を殺そうとしている女と特徴が一致するな」
「見覚えは?」
藤乃が訊く。
俺と姉さんは揃って首を横に振る。
「……話を聞いた時から、気になっていた」
姉さんは座り直すと言った。
「藤乃ちゃん、アクセル踏んで。突っ込むよ」
「えっ、でも、魔法で撃たれたら危険じゃ……」
「ボクがなんとかする!」
姉さんはドアを開けた。
「ちょ、このはさんッ⁉」
隣に座るゆやが手を伸ばしたが遅かった。
姉さんは走行する自動車から飛び降りた。
死ぬ、と思った。姉さんが死んでしまうと。
しかし実際はそうではなかった。姉さんは足元を凍らせると、車のドアに掴まって、スケートのように並走していた。
さらに姉さんは地面を蹴って加速すると、自動車の前に滑り出る。
「『雪桜』!」
姉さんは、魔法でこちらを狙っていた刺客二人に向けて、氷属性の純粋魔術を撃ち込んだ。
二人は両脇に躱して、道を開ける。
姉さんの
藤乃がアクセルを踏み込む。エンジンの重低音が響いた。刺客の男女の間を、自動車は堂々と通り抜けていく。
後ろを振り返ると、姉さんが氷上でターンして、刺客たちを遮るように向き直っているのが見えた。
目の前には、佐倉このはが立っていた。彼女の背後には、遠ざかっていく魔力自動車が見える。
姫奈は一つ、息を大きく吸った。
「無駄だぞ。俺たちの追跡を止めたところで、種田の仲間はまだいる。お前の弟たちは、そいつらにやられるだけだ」
隣に立つウルシがこのはに言った。
「わざわざ各個撃破されるような配置をするとは、キミたちの上司はバカだねぇ」
「俺は個人戦が好きなんでね。できればこいつも無しで
そう言って姫奈の方をちらりと見る。
姫奈は肩をすくめた。
「ま、気持ちは分からんでもないよ」
このはが言った。
「ボクもブーゲンヴィリア教授の隣で戦いたいとは思わない。平気で爆発に巻き込んできそうだからね」
自然体で立っているように見えて、このはには隙が無い。下手に攻撃を仕掛ければ、手痛い
「一応訊いておこうか。お前が佐倉このはだな?」
一方でウルシも、ただ喋っているように見せかけて、このはが攻撃を仕掛けてくるのを待っている。
「そうだ。ボクが佐倉このは。それでキミは?」
「俺はウルシ。……本当は白詰黒雲と
ウルシの視線が姫奈に向けられた。俺も名乗ったんだから、お前も名乗れと促すように。
「キミが黒雲の言っていた、佐倉姉弟を殺そうとしている人かい? 名前は?」
このはも問いかけてくる。
ここで馬鹿正直に名乗るメリットは何一つ無い。だからウルシはバカだ。個人情報を敵に知られることは、百害あって一利なしだというのに。
――しかし、何かに突き動かされるように、姫奈は自らの名前を明かしてしまった。
「わたしは伊川姫奈。伊川姫奈だ」
一瞬の沈黙。
砂を含んだ風が、姫奈とこのはの間を吹き抜けていった。
このはが息を呑んだ。
「――――! 伊川⁉ まさかキミは……!」
「そうだ。佐倉姉弟の父、伊川ワタ。彼とその不倫相手の子供。わたしはキミの異母妹に当たる」
「――――」
流石のこのはも、虚を突かれたようだった。
「『ダークネス・ショット』!」
「『グランド・スピア』!」
その隙を狙って、ウルシが闇属性の、姫奈が地属性の魔法で攻撃する。
しかしこのはは、足元を凍らせると、スケートのように滑って攻撃を避ける。
「なるほど。ウルシくんはスピリット、姫奈ちゃんは黒雲の報告通りウィザードか」
使う魔法から、このはは二人の流派を言い当てる。
スピリット派は、主に自然魔術を使用する。火力不足を補うために、心音綺導に純粋魔術を採用することはあるが、それ以外で純粋魔術や錬成魔術――特に錬成魔術――を使用する魔術師はほぼいない。
ウィザード派は、純粋魔術をベースとし、そこに自然魔術を加えた組み合わせを使う魔術師が多い。自然魔術の代わりに錬成魔術を取り入れる魔術師もいて、スピリット派よりは流派内の多様性がある。このはもウィザード派である。
「もう一発! 『ダークネス・ショット』!」
「『エンジェル・アロー』!」
更なる攻撃。このはの体勢が崩れる。
――否。
それはスライディングだった。凍らせた地面を全身で滑るようにして、このはは攻撃を回避すると同時に、ウルシへと接近する。
「何ィッ⁉」
ウルシは次の魔法を準備しようとするが、間に合わない。そもそも、自然魔術は接近戦には向いていない。
そのまま、このはは
「『アブソリュート――」
しかし、直前で勢いを殺すと、後ろへ跳んだ。
直後、
手斧は空を斬り、このはは二、三歩離れたところに着地する。
「錬成魔術……だと……!」
このはの手から、きらきらと雪の結晶が舞い上がる。
「別に、スピリット派が錬成魔術を使っちゃいけないって決まりは無い。使う人があんまりいないだけでな」
ウルシは踏み込む。
「『エンジェル・アロー』!」
このはは距離を取ろうとするが、それを姫奈の魔法が阻む。
辛うじて、このはは身をよじって斧を避けた。
しかし無理な体勢では、次の魔法は避けられない。
「『ブラック・シャックル』」
錬成魔術によって、黒い手枷が生成される。
闇属性とは、闇そのもの、すなわち光の無い空間だけを支配する属性ではない。闇の
この黒い手枷も、闇の
「『ロック・ハンド』」
さらに姫奈が自然魔術でアスファルトを手の形にして、このはの足をがっしりと掴む。
「これで
ウルシがそう言った。
「とどめは、わたしにやらせて」
姫奈は言った。
その手に汗が滲む。
――わたしは巧く、やりおおせることができるだろうか。
「そうか、お前は佐倉姉弟を殺したいんだったな。いいだろう。その手で望みを果たせ」
ウルシが身を引く。
「……どうしてボクと朔也を?」
このはが問う。時間稼ぎのつもりだろうか。だが関係無い。
「……わたしは、キミたちが羨ましかった」
「――――」
「母親に引き取られて、キミたちは幸せな生活を送っていた! 姉弟で仲良く、支え合って生きていた! だがわたしは違う! 父も母も、碌でもない奴らだ! 食事もくれない! 服だって――下着すら――まともに買ってはくれない! そうでなければ、誰が戦闘時にスカートなんか穿いてくるもんか! わたしは、堕ろす金が無かったから、生まれることを許されただけだ! 誰も――誰も愛してなんかくれなかった!」
息を吸った。
「――わたしだって、祝福されて生まれてきたかった」
涙で視界が滲んだ。
嘘にまみれたこの身体の中で、この言葉だけが真実だった。
――そう言えば、今日はわたしの誕生日だった。
涙を振り払うように、語気を強める。
「だから、わたしはキミを殺す。こんなの
姫奈は肩の辺りまで右手を上げると、一気に振り下ろす。
「『アルティメット・スラッシュ』――ッ!」
肉体など容易く斬り裂く、三日月状の光の刃が放たれる。
「届けッ!」
「――――」
このはの、繋がれた両腕が動いた。
彼女は光の刃を、黒い手枷で受け止める。
「――あ」
傍で見ていた、ウルシがポカンと口を開けた。
光属性と闇属性は、相反する力を持つ。
黒い手枷が切断される。
このはは手枷を使って、そのまま刃を足元へ受け流す。
「バカ、姫奈なにやって!」
ウルシが怒鳴る。
「『イレイズ・ビーム』!」
姫奈はこのはに光線を
「『ダイアモンドダスト』」
このはは煌めく氷の粒を壁として展開する。
氷の壁に斜めに当たった光線は反射して、ウルシの腹を射抜いた。
「ぐおおおっ……! このクソボケがーッ!」
「『雪桜』!」
さらにそこに、このはの氷属性魔法が襲い掛かる。
強烈な冷気を帯びた魔力が、痛みに呻くウルシに吹き付け、全身を包み込み、覆い隠す。
「うわああああああああああッ!」
ウルシは叫んだ。やがてその声は止まった。
白い魔力が風に流れていく。ウルシの姿が露わになる。彼は氷漬けになって、彫像のように固まっていた。
「…………。どうやら、わたしたちの負けのようだ。この場はひとまず撤退するとしよう」
「待て、姫奈」
「なに? 早く朔也たちと合流しなくていいの? まだやり合うメリットはあまり無いんじゃあない?」
このはは足を掴んでいた石の手を凍らせて砕くと、姫奈へと近付いていく。
「姫奈。本当は、キミは味方なんじゃあないのか?」
「……わたしを侮辱しているの?」
「今回の戦い、偶然じゃあない。明らかにキミはボクに利する行為を行なっていた」
このはは少しの間、目を閉じる。そして、開く。
「思えば、黒雲と撫子を襲撃した時点でおかしかった。種田の行動に矛盾が生じるんだ。
種田は、結界で魔力の匂いを隠してまで、ボクたちと
一方で、キミに黒雲と撫子を襲撃させることは、二人に危機を気付かせる行為だ。黒雲と撫子が来たことで、ボクたちは優勢になった。種田にとって、これは大きなディスアドヴァンテージだ」
このはは、ゆっくりと姫奈へと近付く。姫奈は一歩、後退る。
「つまりだ。時系列で説明しよう。
キミはボクたちが襲われているのを知ると、黒雲と撫子のところへ急いで向かって、戦う振りをして危機を伝えた。その後に、キミを利用しようとした種田が接触してきた。キミは彼に協力すると言って、種田陣営に潜り込んだ。
順序が逆だったんだ。種田の仲間になった後、黒雲アンド撫子と戦ったのではなく、黒雲アンド撫子と戦った後、種田の仲間になった――振りをしたんだ」
「――――」
「キミは自らの意志で、ボクたちを助けてくれた。違うかな?」
沈黙が、二人の間に満ちた。
このはの魔力を帯びた風が、足元を吹き抜けていく。
「…………。――どうして」
やがて、姫奈が口を開いた。
「どうして、気付いちゃうかな……」
「キミが気付いて欲しかったからだよ」
このはは答える。
「キミは、名乗る必要は無かった。それなのに名乗ったのは、気付いて欲しかったからだ」
「あは――あはは――ははは――。そっか――。本当はそんな資格、無いのにね」
一滴の雫が、姫奈のまなじりから流れ落ちた。
「わたしが生まれたせいで、このはと朔也の両親は離婚した。わたしが家庭を壊した。わたしの誕生は、祝福されちゃいけないものなの。わたしが愛されないのは、当然のことなの。わたしなんて、生まれてこない方が良かったんだから」
それがたった一滴でも、一たび決壊してしまうと、涙は後から後から、ぼろぼろと零れ落ちた。
「小さな頃、父に殴られて、母に罵倒されて、苦しい時にね、どこかにいるという、お姉ちゃんとお兄ちゃんを思い浮かべた。いつか二人が助けに来てくれるって。わたしをこの家から連れ出してくれるって。そう信じて耐えた。でも、わたしにそんな
アスファルトに落ちた涙が、そこに僅かに残った魔力で、凍っていく。
「大きくなって、それを知った。わたしは生まれてはいけなかった子供。だからせめて、この
――姫奈の身体が、ふと温かくなった。
このはが、姫奈を抱きしめていた。
「――――!」
姫奈はもがいて、腕から逃れようとする。しかし、このははしっかりと姫奈を捉えて、放さなかった。
「生まれてきちゃいけない、なんてこと、あるもんか」
姫奈の耳元で、このはは囁いた。
「ありがとう。ボクたちを助けてくれてありがとう――。姫奈は、本当に
「わたしに、そんな資格無い。わたしが幸せになるなんて、許されない」
姫奈の硬い声。
しかし、このはは姫奈の頭を撫でる。
優しく、柔らかく、氷を溶かすように。
「そんなことはない。姫奈は幸せになっていいんだ。ボクが幸せにする」
「――――」
姫奈の動きが止まる。身体から力が抜けていく。
このはの身体に、ゆっくりと体重がかかっていく。
「新しい服も、下着も、ボクが買う。おいしいものも食べに行こう」
姫奈の目から、温かな涙が溢れる。
「……いいの? わたしなんかが――」
「いい。――姫奈は
「――――!」
姫奈の腕が、このはの身体をきつく掴んだ。
痛いほどにしっかりと、ぎゅっと、姫奈は腕に力を込める。
「――お姉ちゃん」
涙に濡れた声で、姫奈はそう言った。
「ああ。ボクがキミの、お姉ちゃんだ」
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん――」
幾度もそう繰り返しながら、姫奈は泣いた。
触れ合った体温は温かかった。
日差しが、足元の氷を溶かしていく。
――そう言えば、今日はわたしの誕生日だった。
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