第四話

 両親が離婚したのは、父の不倫が原因だった。俺が一歳になる頃で、季節はちょうど今くらいだったらしい。――当然ながら記憶に残っていないので、離婚の経緯は母から幾度か聞いた話を総合したものだ。

 不倫が発覚したのは、父が自白したからである。では、なぜ自白したかと言えば、不倫相手との間に子供ができたからである。子供は自白した時点で、出産間近だったらしい。父は俺たちより、不倫相手とその子供を取った。

 父は不倫以外の面でも、あまり人物とは言えなかったらしい。母は離婚に同意した。

 離婚後は、俺と姉さんは女手一つで育てられた。

 ちなみに、佐倉というのは母の姓である。

 『壁外』で二人の子供を抱えて生活していくのは、どれほど大変なことだったのだろうか。俺には想像することすらできない。

 しかし、苦労はあっても、けして不幸ではなかったと思う。

 苦しい生活ながらも、家族三人での暮らしは、ささやかな幸せに満ちていた。

 母は俺たちに、色々なことを教えてくれた。生きる術も、魔法の知識も、素敵な物語も。

 そんな日々は俺が十二歳の頃に終わりを迎えることになる。

 母が死んだ。病死だった。

 俺と姉さんは、二人で生きていかなければならなかった。

 三人で住んでいた家は引き払った。子供に維持できるものではなかった。

 『壁外』でも治安の悪い地域の、小さなアパート一室。俺たちがなんとか確保できた住居はそこだった。

 それからは、生きるためになんでもした。といっても、なんでもわけではない。

 子供の力には限界があったし、強盗などの、直接的に人を傷つけることは、どうしても心理的な抵抗があった。

 一般人からマフィアまで、様々な人たちから簡単な日雇いの仕事を受けて、その安い給金でなんとか食い繋いだ。

 何度か死にかけたこともあった。

 幸運だったのは、そんなその日暮らしの生活を続けて一年ほど経ったある日に、白詰黒雲と出逢ったことである。

 どういうわけか黒雲に気に入られた俺たちは、彼と行動を共にするようになった。

 それからの生活は、一気に楽になった。

 まず、死の危険が無くなった。その頃の黒雲はまだ日本最強と呼ばれていなかったし、戦闘力も今ほどではなかったが、それでも比類なき強さだった。彼の傍は『壁外』で最も安全な場所だった。

 経済的な心配も無くなった。黒雲は金に困ったら取り敢えずマフィアの事務所を襲撃して、金品を奪っていった。余談だが、黒雲はマフィアが嫌いなようである。両親がマフィアだったからだろうか。黒雲が時々マフィアを潰すおかげで、静岡県の『壁外』の治安は目に見えて良くなった。

 俺と姉さんも、黒雲の隣で戦うことで、魔法がどんどん上達していった。技能が身に付いたことで、仕事を選べるようになった。――『壁外』の困っている人を助けられるようなことをしよう。三人でそう決めた。

 そうやって二年ほど生活した後、俺たちは分かれることになった。しかしさらに一年後、鈴蘭やヒガンとの戦いを通じて再び集まることとなる。


 


 チーム佐倉が自動車で移動していたのに対して、チーム黒撫は、黒雲が運転する大型魔力二輪車の後ろに、撫子を乗せるという形で移動していた。

 大通りを通っていたし、日本最強と呼ばれる魔術師にちょっかいをかけようという命知らずは現れなかったため、二人は順調に進んでいた。

 市街地を抜け、山中に入る。旧藤枝市の北部、岡部と呼ばれる地域に入ったところで、道行きを遮る者が現れた。

「こんにちは、白詰さん、孔雀さん」

「喰らいなっ!」

 黒雲は気にせず魔力二輪車で突っ込んだ。

「ちょっ、危ない!」

 立ち塞がっていた男は、身を翻して二輪車を躱す。

 黒雲は二輪車をドリフトさせ、男の方に向き直る。

「わっ、わっ」

 乱暴な運転に、撫子は黒雲の身体からだにしがみついた。

「種田の仲間だな」

 黒雲は二輪車から降りると、確認する。

 しかし男性は首を振った。

「いいえ。仲間ではありません。僕が種田アサガオ本人です」

 風が強く吹いた。

 山の樹々がざわざわと揺れる。千切れた木の葉が宙を舞う。

 黒雲は目を細めた。

「えーっ⁉」

 撫子は素っ頓狂な声を上げてしまう。

「ラスボス直々のお出ましとはな」

 黒雲は種田の姿をじろじろと観察する。

 種田は四十歳になる男という話だった。しかし、とてもそうは見えない。外見は二十代前半くらいである。ゆやの話では『ナニカ』と契約して得た力で、老化を抑えているとのことだった。

「白詰さん。今からでもこちらに付きませんか? 日本最強の魔術師と戦うのはできれば避け――」

「『蒼炎』!」

 撫子の手から青い炎が放たれる。

「はぁ……」

 種田は嘆息すると、腕を振った。

「『アトリビュート・オーヴァーライド』」

 ――種田のそのチカラは、世界を書き換えるものだった。

 彼を起点として異空間が広がり、この世界を侵食していく。

 青かった空は色を失い、道路に引かれたセンターラインも風化するかのように色褪せていく。

 そして、青い炎も透き通り、空気に溶け込むように消えていく。否――

「属性を奪われた……」

 撫子が呟く。

 青い炎は無属性となり、単なる不可視の魔力の塊となってしまった。種田はそれをやすやすと弾く。

 黒雲は、出発前にゆやに説明されたことを思い出す。

「これがゆやの言っていた、種田の能力。あらゆる魔力を無属性に変える力……」

 ――属性の上書きアトリビュート・オーヴァーライド

「その通りです。僕の作り出すこの空間では、あらゆる属性は無属性に変換される。あなたたちの魔法は、全て無属性魔法になります。僕は元々、無属性の使用者です。これまで無属性魔法なんて使ったことないあなたたちは、果たして僕を上回ることができますか?」

 ――属性変換。それ自体は珍しい魔法ではないが、大掛かりな儀式が必要となるものである。そのため、戦闘で利用できるようなものではない。しかし種田は、それを一瞬で発動することができる。

「厄介だね……」

 撫子はそう言った。

「もう一度だけ訊きましょう」

 種田は悠然とした様子で問う。一度この空間へ取り込んでしまえば、恐れるものなど無いのである。

「僕の仲間になりませんか? あなたたちを斃すのは容易い。しかし、僕は無駄な労力は使いたくないんですよ」

 西日に背中から照らされて、種田の輪郭がぼうっと輝く。

「ゆやさん……でしたっけ? あの狐面の女性から聞いているでしょう? 僕の崇高なる計画を。この空間を、全世界に、永久的に広げるという計画を」

「……それのどこが崇高なんだ? そこはゆやから聞いていないんだが」

 黒雲が問い返した。種田は答える。

「属性は不平等である――そう感じたことはありませんか? 属性の中にも優劣がある。最優の火属性、それに続く地、雷、氷は高く評価される。その一方で、水属性は最も弱い属性とされ、長らく不遇の扱いを受けている。そしてその属性は、両親からの遺伝という、どうしようもない要素によって決まる。所有する属性の数も、一つから四つまで、人によって先天的に異なる。これが、差別の温床になっているとは思いませんか?」

「なるほど。全人類の保有属性が無属性一つになれば、差別は無くなると」

 黒雲の言葉を、種田は肯定する。

「そうです。これこそが、僕が目指す『平等で正しい世界』」

「だが、様々な属性の魔術師が分業することによって、文明は成り立っている。建築も、医療も、食料生産も、インフラの維持も……。それが無くなれば、文明は間違いなく崩壊する。治安も衛生環境も食料事情も悪化し、多くの人が命を落とすことになる」

 ――そうして人類の数はさらに減少し、遠からず絶滅するだろう。

 黒雲は、ゆやの言葉を反芻する。

 種田は言う。

「平等のためには、現在の構造を破壊する必要がある。破壊によって犠牲が生まれるのは当然で、それはやむを得ないことです。しかしその犠牲の後には理想の世界――『平等で正しい世界』が成り立つのです」

「わたしにはよく分かんない。けど、みんなが死ぬのはよくない! 『蒼炎』!」

 黙って聞いていた撫子が、魔法で種田を攻撃する。しかし種田の『アトリビュート・オーヴァーライド』によってそれは青い炎ではなく、不可視の力に変換されてしまう。

「分からないでしょうね! 火属性という、恵まれた属性を持って生まれたあなたにはッ!」

 種田は魔法で撫子の魔力をやすやすと跳ね返す。

「うわっと!」

 撫子はそれを避ける。

 魔力はそのまま飛んでいき、停めてあった二輪車にぶつかった。

 無属性に変換されているとはいえ、強大な撫子の魔力は、二輪車をバラバラに破壊した。

 飛散したパーツがアスファルトで跳ねる音を聞きながら、撫子は笑い出した。

「うふふふふふふふ。すごいじゃん。もしかしてキミなら、わたしを殺して……うふふふふふふ。どうしよう、勝ち目が見えないや。うふふふふ」

「――――」

 黒雲は撫子をちらりと見ると、種田に視線を戻す。黒雲の額から、一筋の汗が流れ落ちる。

 空は相変わらず、色を失ったままだった。

 種田は優雅にさえ見える動きで、右手を黒雲と撫子に向けた。

 「今度はこちらから攻撃しますよ! 『サイキック――」

「――『コズミック・ヴァイス』」

 魔法名を先に宣言したのは、黒雲だった。

「ぐがあッ⁉」

 不可視の力が種田を締め付ける。全身が圧迫されて鈍い痛みが走り、骨がミシミシと悲鳴を上げた。

「あああ――あああああ――!」

 種田は全身から魔力を放出する。それは普通の魔術師の出力を遥かに上回るものだった。しかしそれでも、黒雲の拘束を破ることはできなかった。

「抵抗はやめておけ。総魔力量も出力も、俺の方が上だ。無属性だけの世界になろうが、お前は俺に勝てない」

「なんだー。黒雲くんに勝てないのかー。じゃあいいやー」

 撫子の笑顔がすっと引いた。

「ぐうゥ……! 無属性の上級拘束魔法を、なぜお前があああ!」

「痛いだろう? 俺が喰らった中で最も痛かった無属性魔法を使ってるからな。……俺は喰らった魔法は全て覚えている。二度同じ魔法を喰らうのは嫌なんでね」

「まさか……! ……ぐおおおっ! 覚えているというのは――ッ⁉」

 種田は苦痛に歯を食いしばる。

「そうだ。魔力の強さも動きも全て覚えている。だからこうやって再現できている」

「ぬぐううッ! 無茶苦茶なァッ!」

 黒雲は、ポケットに手を突っ込んで、無造作に立ったまま、圧迫する力をさらに強めていく。

「平等という理想は悪くないと思う。だけど、やり方は乱暴でしかない。行き着く結果も碌なもんじゃあない。――だから、お前を殺す理由がある」

 黒雲は宣告した。

 山から吹きつける『壁外』の風は、秋の冷たさをはらんでいた。

「しかた……ゥ……ありません……。ぐがゥ……! ……ここは一時撤退します」

 種田の足元のアスファルトが波打つ。――否、空間そのものが波打っているのだ。

 波紋は円を描く。飛来者ヴィジターの使う空間転移のポータルと同種のものである。

 種田は足元へ沈み込むように消えていった。

 途端に、彩度を失っていた空間が元に戻る。

「逃がしたか……。なかなか厄介なやつだったな。久し振りに焦った」

 黒雲は腕で額の汗を拭う。

「……黒雲くんが焦ったのはさ、種田に負けそうだからじゃあないよね。黒雲くんは、自分が勝てるって分かってた」

 唐突に撫子が言った。

「……なんのことかな?」

 そう応えた黒雲を、隣に立つ撫子は見上げる。

「……黒雲くんが焦ったのは、種田がわたしを殺してくれる人――わたしの『白馬の王子様』になることじゃあないの? わたしが種田にられちゃうと思って、それで――」

 黒雲は頬に朱が差した。

「………………どうかな」

 黒雲はそれを隠すようにそっぽを向く。

「大丈夫だよ。黒雲くんはわたしの『白馬の王子様』じゃあないけれど、わたしはずっとついてくって決めたから。独りでどっかに行かないよ」

 撫子は黒雲の腕に抱きつく。

 黒雲の顔はますます赤く染まっていく。

「黒雲くん、可愛い」

 それを見て、撫子はそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る