第二話

「ん……、うう……」

 喫茶リユニオンのソファに寝かされていた、狐面の女が目を開いた。

「大丈夫?」

 藤乃の問いに、狐面の女は上半身を起こすと、頷いた。

「それで、キツネ娘さんや、状況を説明してもらおうか」

 狐面の女から少し離れたところに立っている黒雲がそう言った。

「分かった。……そうだな、巻き込んでしまった以上、わたしには説明する義務がある」

 狐面の女はソファから足を下ろし、座り直す。

「黒雲、まだ休ませた方が……」

 藤乃の言葉を狐面の女が遮る。

「問題無い。充分に回復した」

「まあ、取り敢えず、自己紹介からいこうじゃあないか。キミの名前は?」

 俺は狐面の女に訊く。

「わたしの名前はゆや。好きに呼んでくれていい」

 彼女はそう名乗った。

「俺は佐倉朔也だ。よろしく」

 俺に続いて、藤乃、姉さん、撫子も名乗る。そして最後に黒雲が名乗った。

「俺は白詰黒雲だ。……昔は他にも色々と名前があったが、今はこれが俺の名前だ」

 『大災厄』以後、戸籍制度は崩壊しているため――特に無法地帯の『壁外』において――好き勝手に名乗る者は少なくない。黒雲もその類であった。もっとも彼の場合は、その並々ならぬ魔力のせいで、名前を変えても同一人物だと簡単に分かったが。

「あなたがあの日本最強の魔術師、白詰黒雲さんか」

 ゆやは黒雲をちょっと見ると、狐の面に手をやった。

「その通り! 別に、最強を名乗った覚えは無いけどね。でもちょー強いよ!」

 黒雲の隣に立っている、撫子が腰に手を当てて勝手に返事をした。

「おいこら」

 黒雲がツッコミを入れる。

「ところで、何故あなたたちは、都合のいいタイミングで現れたんだ?」

 ゆやが訊く。それは俺も気になっていた。喫茶リユニオンの周りには、戦闘を隠すためか、魔力の匂いを遮断する結界が張られていた。黒雲といえども気付けないはずなのだが……。

「それについては、おいおい説明しよう。まずは、そっちの事情からだ」

 黒雲に促され、ゆやは口を開いた。

「単刀直入に言おう。わたしは二十七年後の未来から来た。人類は滅亡する」

 ――な、なんだって⁉

 ゆや以外の五人の声がシンクロした。



 

「種田アサガオという男だ。彼が人類を滅ぼそうとしている。彼は長い年月を掛け、密かに儀式の準備を進めていた。気付いた時には、もう手遅れだった」

 そこまで言って、ゆやは仮面を手で押さえた。

「……わたしの両親も、種田アサガオを止めようとしたが、返り討ちにされた。最早、彼の儀式を止めることは、時間的にも戦力的にも不可能になってしまった。だから、彼を止めるための『最後の手段』として、歴史改変を行うことにした」

「『最後の手段』……」

 俺はゆやの言葉を繰り返す。

「ええ。時間遡行魔法は一年前――おっと、この時代だと二十六年後だ――に開発されたばかりの魔法だ。さらに、これほど長い時間を遡ったことは前例が無い。失敗して時間の海を永久に彷徨うことになる可能性の方が遥かに高かった」

「……しかし、何故この時代に?」

 姉さんが問う。

「明日が、歴史のだから」

「分岐点? つまり明日『世界の滅亡』という方向へ歴史が向かう、何かが起こるってこと?」

 姉さんが質問を重ねる。

「そう。明日の正午『みそらのとびら』が開く。そして、この時代のアサガオが『とびら』の向こう側のに接触する」

「『みそらのとびら』……」

 藤乃が呟く。

「聞いたことがあるわ。古事記にも記されている、開けてはいけない扉。日本のどこかにあるとされる、根の国の天窓。まさか実在したとはね……。でも、ナニカって、何かしら?」

「それはわたしにも分からない。しかし恐らくは飛来者ヴィジターと同様の、いいえ、それ以上の力を持った地球外生命体だ。『みそらのとびら』は宇宙に繋がっている」

飛来者ヴィジター以上の力……」

 思わずそうこぼしていた。

 ヒガンやキヨミですらべらぼうに強いのに、それ以上の力を持った存在がいるとは……。

「順を追って説明する。

 明日『みそらのとびら』が開かれ、この時代の、若い頃のアサガオは、偶然それに接触し、その向こうにいるナニカと契約をして、魔法をも凌駕する力を得た。

 本来の歴史では、種田アサガオは、それから二十年以上もの間、力を隠し通した。巧妙に準備を進め、飛来者ヴィジターとも協力関係を築き、万全の状態が整ったところで、人類を滅ぼした」

 種田アサガオは、相当に慎重な人物のようだ。その慎重な準備が、ゆやや彼女の両親を追い詰めたのだろう。

「わたしはアサガオが接触する前に『みそらのとびら』を閉じるために、この時代に跳んだ。しかし、種田アサガオも――未来の種田アサガオのことだ。紛らわしいから、未来の種田アサガオを種田、この時代の種田アサガオをアサガオと呼ぶことにしよう――種田もわたしを追って、この時代に跳んでいた。わたしの魔力では『とびら』が開く一日前に一人で跳ぶのが限界だったが、種田は数日前に飛来者ヴィジターと共に跳んで、わたしを迎撃する準備を整えていた」

 段取りのいいやつだ。

「『みそらのとびら』を閉じる方法を知っているの? 数百年に一度『とびら』が開くのは、のようなもので、人間にはどうしようもないって、聞いたのだけれど」

 藤乃が訊く。

「ええ。わたしは閉じる魔法を知っている。だから『とびら』がある所までわたしを護衛して欲しい。アサガオの契約さえ妨害できれば、人類の滅亡という未来は回避される」

「……なるほど。二つ、質問がある」

 今度はこのはが訊く。

「第一に『とびら』を閉じるより、この時代のアサガオを殺した方が確実じゃあないのか?」

「それは難しい。種田のことだ、アサガオを既に保護しているに違いない。見つけ出すのは困難だろう。一方『とびら』は動かない。あれは決して動かせないものだ。幸いなことに。

 それに、元々の歴史では『とびら』は種田アサガオが契約したことで閉じたが、それが無くなれば、地球外生命体のいる世界に繋がる『とびら』が開いたままになる。その状態で放置したら、下手すると元々の歴史よりマズいことになるだろう。『みそらのとびら』を閉じることは、マストな条件だ」

「なるほど。では第二の質問だ。その閉じる魔法というのは、ボクたちは使えないのか? 一人を護衛して連れていくより、全員の内、誰か一人でも辿り着けばいい、という方が成功率は上がる」

 ゆやは少し沈黙し、それから答える。

「……できなくはない。だが、習得には数ヶ月は掛かってしまう。わたしには時間が無い。わたしの魔力では、この時代に留まれるのは長くても一週間だ。それ以上は、強制的に未来に送り返されてしまう」

「そうなの?」

 撫子が訊いた。

「ええ。というものが働いてしまう。世界をできる限り正常に保とうとする力だ。時間を超えるなど、本来あってはならないことだから、修正されてしまう」

「ふーん、分かった。なんか大変なんだね」

 撫子は本当に理解しているのだろうか……。

 俺は自分の意見を口にする。

「ま、そもそもグズグズしていたら、種田が過去の自分を開いた『とびら』に接触させてしまうだろう。ゆやのタイムリミットがあろうが無かろうが、あまり状況は変わらない」

 ――時間が無いという状況は。

「さて、そっちの事情は分かった」

 これまで黙って聞いていた、黒雲が口を開いた。

「次は俺が何故ここに来たかを手短に説明しよう。けして無駄な情報ではないはずだ」



 

 朔也たちが飛来者ヴィジターと戦闘をしていた頃、伊川姫奈は走っていた。

 喫茶リユニオンから少し離れた裏路地の曲がり角から飛び出す。するとそこには、手を繋いで散歩をしている男女の姿があった。

「はぁ……はぁ。見つけたぞ……!白詰黒雲、孔雀撫子……!」

 息を切らしながら姫奈は、二人の名前を口にした。

「キミ、どこかで会ったことが……?」

 姫奈の顔を見て、黒雲がそんなことを言う。

「さてね」

 姫奈は肯定とも否定ともつかない返事を返す。

「そんなことはどうでもいい。のんびりしている暇なんて無いんだから!」

 そう言って姫奈は、ブロック塀に手で触れ、魔力を流し込んだ。

「『コンクリート・コンフリクション』!」

 自然魔術でブロック塀を砕き、その破片を弾丸として、いくつも黒雲と撫子へと射出する。

「――――!」

 黒雲の右手に、日本刀が出現する。

 彼は飛んで来るブロック塀の破片を、その刀で斬る――のではなく、弾いて軌道を逸らした。

 必要最低限の動きで、黒雲は無数の弾丸を全て捌く。

「『エンジェル・アロー』!」

 姫奈はそこに、光の矢を撃ち込む。

 生半可な防御なら貫通してしまうほどの魔力。しかし黒雲は、左手に表面が鏡の盾を錬成すると、反射して光の矢を逸らした。

「……気のせいだったか。こんな魔法を使う人間は、俺の記憶に無い」

「さてね」

 さっきと同じ返事をする。

「撫子ちゃんはそこで待ってろ。何か妙な気がする」

 黒雲は撫子の方を一瞥した後、姫奈に向き直る。そして、盾を投げつけた。それから即座に自身も、風を纏って走り出す。

「『ロック・ハンド』!」

 姫奈はアスファルトを隆起させる。それは手の形をとって、盾をキャッチした。

 黒雲はその手を踏み台にすると、風属性魔法で加速して、姫奈の方へ跳び込んでくる。間合いが一気に詰められる。

「喰らいなッ!」

 姫奈が対処しようとするよりも速く、黒雲は刀を振りかざし、袈裟懸けに斬り付けた。

「がァッ!」

 姫奈の胴から噴き出た血液が、黒雲を濡らす。

 姫奈は傷口を押さえながら、バックステップで距離を取る。

 ――この程度の痛み、当然のことだ!

 自らを叱咤し、姫奈は再び『エンジェル・アロー』を放った。黒雲はそれを身を翻して避ける。

「お前の盾だろうが!」

 しかし姫奈は叫ぶ。アスファルトの手に、握っている盾を使って外れた光の矢を反射させ、黒雲の方へと飛ばした。

「ほう」

 黒雲は日本刀の刀身の腹で、それを反射する。軌道を再び曲げられた光の矢は、姫奈の腹部に直撃した。

「ぐァッ!」

 鋭い痛みが走る。そこに間髪入れず、無数の風の刃が襲い掛かる。

「『虎落風笛もがりぶえ』!」

 衣服と身体からだが斬り裂かれた。

 姫奈は膝を突く。全身から血液が零れているのが分かる。身体に力が入らない。もはや勝負はついていた。

「黒雲くん、殺しちゃダメだよ――」

 撫子が口を挟む。

「――強くなってわたしを殺しに来てくれるかもしれないでしょう?」

「……殺さないさ。殺す理由が無い。それに、何か妙だ。キミの目的はなんだ?」

「……ふふ……ははは、ははははは!」

 姫奈は笑い出した。

 ――この一言を言ったら、後には戻れない。

 姫奈には分かっていた。

 ――それでも、わたしはやらなくちゃいけない。いつまでも幼いゆめには縋っていられない。ここで戻れない道へと進むこと。それがわたしのなすべきことであり、わたしが受けるべき当然の罰でもあるのだから。

「――わたしの目的は、佐倉姉弟を殺すこと」

「何っ⁉」

 黒雲の声が強張る。

「しかし、直接この手で殺すのに拘泥するわけじゃあない。わたしは時間稼ぎだよ。佐倉姉弟は、わたしの仲間が殺しに行った。ほら、早く助けに行った方がいいんじゃあない? もう手遅れかもだけどね」

「――――! 撫子ちゃん、掴まれ! ぞ!」

 撫子を持ち上げると、黒雲は風属性の魔法を使って、空高く跳躍した。

 急上昇する黒雲と、その上の青い空を見上げながら、姫奈は高笑いする。

 その声は、姫奈自身の内側へと響いていた。



 

「――と、いう感じだ。佐倉姉弟、恨まれる心当たりは?」

「あり過ぎるな……」

 姉さんが腕を組む。

 『壁外』にいた頃は色々なことをした。そうでなければ、子供二人では『壁外』で生きていけなかった。――一応、俺たちなりの倫理の線引きはしていた。しかし『法律』という社会的な倫理の指針が『壁外』には無い以上、俺たちの倫理は、数多ある人それぞれの正義の内の一つに過ぎないというのは分かっている。

「まあ、その女の正体を考えていてもしかたない。それより、今後の計画だ」

 俺は切り替える。

「ゆや、その『みそらのとびら』ってのは、どこにあるんだ?」

「『壁外』の旧島田市南部、大井川の中州にある。ちょうど蓬莱橋の近くだ」

 ゆやはソファから立ち上がると、テーブルの上に姉さんが広げておいた地図の、一点を指した。

「ここか……」

 姉さんは地図をなぞって、そこまでの二つのルートを示す。

「行くとしたら、山側からと海側からの、二つのルートが考えられる」

「どっちがいいんだろうねー? 距離はほとんど同じに見えるけど」

 地図を見て首を傾げる撫子。

「どっちも、だろう」

 ゆやが言った。

「種田のことだ。恐らく既に、どちらのルートにも刺客を配置し、さらに『みそらのとびら』のある中州には自身が陣取って、最後の砦となっているに違いない」

「なるほど。飛来者ヴィジターは空間転移能力を持っている」

 姉さんは頷く。

「どちらかのルートの刺客を放置しておくと、中州に辿り着いて最終決戦をする時に、残った刺客を空間転移で連れてこられて、一度に大勢を相手するハメになる」

「それなら、二手に分かれて両方のルートの刺客を各個撃破、中州で合流して最終決戦というのがいいというわけね」

 藤乃はそう言った。

「どう分けるか……」

 俺はみんなを見回す。

「俺と撫子ちゃんで一チーム、残りで一チームでいいだろう」

 黒雲が提案する。

「ま、そうなるか」

 俺は納得だった。人数的にはアンバランスだが、戦力的にはちょうどいい塩梅だ。

「わたしは?」

 ゆやの問いに黒雲は答える。

 「キミはチーム佐倉だ。俺たちの目的は、キミを『みそらのとびら』のある中州へ送り届けることだ。そういうのは俺より朔也とかの方が得意だからな」

「任されたぜ」

 そんな言葉がつい口から出た。

「チーム黒撫が山側ルート、チーム佐倉が海側ルートでいいかな?」

 どちらを選んでも恐らく大して変わらないので、姉さんの言葉に異論は無かった。

 というか、黒撫ってなんだその妙な言い方は。

「さて、それじゃあ、最後に何か質問、疑問はあるかな?」

 姉さんが訊く。

 俺は一つあった。これから生死を共にするにあたって、知っておかなければならないことが。

「ゆや、その仮面はなんなんだ? なんのために正体を隠す?」

「詳しくは話せない」

 ゆやはきっぱりと言った。

「しかし、わたしの正体を知られると不味い。最悪『みそらのとびら』を閉じられなくなる可能性がある」

「正体を知られてはいけない理由すら、知られると支障があるということか……」

 ゆやの正体と、正体を知られてはいけない理由、両方ともゆやは隠さなければならないらしい。

「はい。申し訳ありませんが……」

「大丈夫だ。作戦に支障があるというのなら、しかたない」

 俺はそう言った。

 ゆやは少し黙った。それから、口を開く。

「……自分で言うのも変だが、怪しいとは思わないのか。素顔を明かせない、その理由も語れないというわたしのことを、あなたは本当に信じていいのか?」

 風に流される雲が、太陽の前を横切った。日の光が途絶え、喫茶リユニオンの中に陰と静寂が訪れた。

「――――ふふ」

 俺は笑った。

 雲が流れ、ゆっくりと光が戻ってくる。

「マジで変なことを言うんだな」

「え――」

 窓から差し込む日光が、黒い仮面の片側を照らした。その奥にある目が見開かれる。

「信じるとか、信じないとかじゃあない。ただ、放っておけないってだけだ。こうして出会ったのも、何かの縁だから」

「――――」

 光の中で、ゆやが微笑んだ。

「ありがとう、ございます……! ――改めてよろしくお願いします」

「ああ、よろしく」

 ――ゆやの笑顔は初めて見た、なんて思った。

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