第一話
九月になったというのに、日差しは夏のままだった。
俺が住み込みで働いている「喫茶リユニオン」は、今日は定休日だった。
俺と藤乃と姉さんは、リユニオンのテラス席を借りていた。
パラソルが作る影の中で、俺たちは紅茶を飲んでいた。
「それで、鈴蘭は解放したんだな」
「ああ。危険性は無いと判断したよ」
俺の問いに答えたのが、姉さん――
「本当に大丈夫なのかしら?」
そう訊いたのは
「ああ。世界を滅ぼす力は、ヒガンに由来するものだ。彼が死んだ今、彼女はその辺の魔術師とさして変わらない。それに、世界を滅ぼそうなんて気力も失っているようだ」
「それならいいのだけれど……」
藤乃が何か続けようとした時だった。
突然、視界が明るくなった。パラソルが破壊されたのだ。
そして、人が降ってくる。女のようだった。長い黒髪が上方向へなびいていた。
彼女はテーブルに叩き付けられた。紅茶のカップが割れて飛び散る。
俺は椅子から跳び上がると、戦闘の準備をしつつ、テーブルから距離を取る。
空から降ってきたこの女が敵かもしれない。あるいは、空から人を落とすような危険人物がいるかもしれない。なんにせよ、異常な事態が起こっていることは確実だった。
「痛てて……」
女が、テーブルの上で起き上がる。彼女の顔の上半分は、黒い狐の面で覆われていた。
「なんだ……認識阻害の魔法か……?」
彼女の姿を上手く認識できなかった。髪が長い女ということは分かる。しかし、それ以上の情報が、頭に入ってこないのだ。身長も体格も、見たそばから忘れていってしまう。まるで、眠気で意識が朦朧としている時にする勉強のようだ。
「まさか、空中に出るとは……」
女は服をはたくと、辺りを見回した。
「あ……」
そして、仮面を手で押さえた。
俺たちに警戒を向けられていることに気付いたようだった。
日差しがじりじりと、俺の肌を焼く。汗が滴り落ちた。
「……す、すみません。降りますね」
やおら彼女はテーブルから降りた。
俺と同じく、テーブルから離れていた姉さんが問う。
「お嬢さん、何者……? ――いやそれよりも……」
姉さんが女から視線を逸らす。
その先には、いつの間にか、もう一人の女がいた。
整った容姿の女だった。身長は高い。一七二センチある姉さんよりは低いが。
そして、彼女から感じる魔力の匂いは――
「ヒガンにそっくりだ……」
――二ヶ月ほど前に斃した地球外生命体にそっくりだった。
「そうです」
狐面の女が口を開く。
「あの女はヒガンと同じく、宇宙から来た存在。生命を滅ぼすモノ。わたし達は
「ヒガンを殺した奴らか……ちょうどいい。
「ここまで来て、むざむざやられるかっ!」
炎の力を持った魔力に対して、
一瞬の拮抗。その後、
「おっとォ!」
「あなた方も手を貸してください!」
狐面の女はこちらを向く。
「――。分かった!」
藤乃と姉さんに目配せした後、代表して俺が応える。
「ヒガンのように完全無効化はできないが、この程度なら効くものか。 それからッ! 『インヴィジブル・ウェイヴ』!」
無属性は、不可視の力を司る属性だ。魔術学が未発達の時代には、サイコキネシス等の「超能力」であるとして、魔術とは別物扱いされてきた。
しかし、不可視といえども完全に知覚できないわけではない。それなりの魔術師なら、匂いや音、空気の乱れから魔力を感知できる。
「『ドレスアップ』!」
藤乃は『
俺も炎の壁で攻撃を防ぐと、火属性の魔法で藤乃を援護する。
藤乃が
藤乃のハイキックが、
「ぐっ!」
「あたしだって身体強化くらいできるさ!」
しかし藤乃は身を躱すと、
「触るなクソ女!」
女は身をよじるが、藤乃は腕をしっかりと捉えている。
「やあああああ!」
そのまま藤乃は
「面白い。やるじゃあないか!」
「いや、これまでだ。『バインディング・ウォーター』」
俺は魔法名を宣言する。すると、狐面の女が落ちてきた時に零れた紅茶が鎖の形を取ると動き出し、
「狐面の女が落ちてきた時に、俺は零れた紅茶に魔力を流しておいた。きっと役に立つと思って」
「予め魔力を準備しておいたからな。即座に作った魔法の鎖より、遥かに強力だ。さあ、姉さん、とどめを」
姉さんは右手を
「『
氷属性の魔力が、無数の白い花びらとなって放出された。
周囲の気温が下がるほどの冷気。
一ひら一ひらが必殺の花弁が、
「無駄だよ」
「藤乃ッ! 『フレイム・ウォール』!」
俺は咄嗟に藤乃の方に跳ぶと、炎の壁を作って防御する。
間一髪だった。炎の壁に
並々ならぬエネルギーによって、炎の壁は引きちぎられるように砕けていく。しかし、女との距離があったおかげか、なんとか防ぎきることができた。姉さんと狐面の女を確認すると、二人とも防御できたようだった。
爆発の中心に視線を移す。蒸発した魔力が煙幕のように漂っている。
一瞬の沈黙。
「■■■■■――!」
そして、咆哮が轟いた。煙が吹き飛ばされるように晴れていく。
そこにいたのは、異形の怪物だった。
高さは五メートルほどだ。
「なるほど、これが真の姿ってワケか」
ヒガンもテクスチャとやらが剥がれると、中身はバケモノだった。
「何あれ――?」
藤乃はそう口にする。俺にも分からなかった。魔力ではない。しかし、何らかのエネルギーがチャージされているようだった。
「とにかく避けるぞ!」
何だか分からないが、当たらなければどうということは無い。
俺と藤乃はそれぞれ左右に跳び退こうとして、しかし、勢い良く引き戻された。
お互いの身体がぶつかり合い、揃って呻き声を上げる。
「不味いッ! 避けられない――!」
――否、
これはそういう攻撃だ。着弾点に何らかの引力を発生させているのだ。
「くっ」
藤乃が、眼帯の上から右眼を押さえる。今は無い魔眼を探すように。
「■■■■■――!」
「『フレイム・ウォール』!」
「『
火属性の魔力の壁と、藤蔓で編まれた壁が出現する。
それらは一瞬、光線の勢いを減衰させた。しかし、急ごしらえの防御魔法では、すぐに打ち破られてしまう。
その時、俺達の左手にいた、狐面の女が跳んだ。
「『レイザー・ショット』!」
しかし、姉さんが放ったビームが右腕の動きを逸らす。
狐面の女は俺たちの前に着地すると、即座に炎の壁を作り出した。
「魔法名の宣言無しでこれほどの壁を……」
感嘆の声が洩れ出るほど、それは強力な壁だった。魔法というものは、通常、魔法名を宣言することで、その効果を増す。呪文を詠唱すれば、さらにその効果は強くなる。(もっとも、戦闘中に詠唱する暇は
今、狐面の女は、魔法名の宣言すらせずに強固な壁を作り出した。宣言する時間が無いと判断した
しかし、
「させない……させるものか!」
狐面の女は両手を突き出し、必死に壁を維持する。
「これ以上――――傷つけるな――ッ!」
彼女の体内で、大量の魔力が循環を始める。
「我は盾となる。我は炎となる。焦がせ、痕を残せ、信じよ! 『フレイム・ウォール』――!」
呪文を詠唱し、魔法名を宣言することで、壁を更なる魔力で補強する。
「■■■■■――!」
「ああああああああ!」
狐面の女も叫ぶ。
光線と魔力がぶつかり合いで生じた衝撃波が、アスファルトにヒビを走らせる。
煌々と燃える炎が、狐面の女の背後に長い影を伸ばす。彼女の長い髪がためいている。俺と藤乃は、気付けば互いの手をきつく握り合っていた。そして、狐面の女の背中を見つめていた。
衝突は永遠に思えるほどの時間続いた。そして――
「――――」
狐面の女が腕を下ろした。
炎の壁が消える。光線も全てのエネルギーを失い、消滅していた。
「なんとか……防げた……」
狐面の女は息を吐いた。
空は青かった。小さな雲がいくつも、風に乗って流れていた。
「■■■■■」
狐面の女は黙っていた。
その時、突風が吹いた。思わず腕で顔を覆う。
「この風は――!」
知っている魔力の匂いだった。
男が、俺たちと
「よっ、こんちはー」
その男から、軽い調子の挨拶が投げかけられた。
空気を操作することで、彼は無事に着地していた。
「黒雲……!」
藤乃が彼の名前を口にする。
「わたしもいるよー」
黒雲に抱っこされた体勢のまま、孔雀撫子が手を振った。
黒雲は、風属性の魔法を利用した跳躍で、長距離を移動することができる。人ひとりくらいなら抱えて跳ぶこともできる。
「白詰黒雲か……。流石に分が悪いな。この場は一旦、引くとしよう」
「……おっとそうだ。あたしの名前はキヨミ。お前たちを殺す者の名だ。覚えておくがいい」
彼女はそれだけ言うと、油断無く、俺たちから視線を逸らさないまま、後ろ歩きで門の中に消えていった。
彼女がいなくなると、揺らいでいた空間もすぐに元に戻った。
「――――」
狐面の女がこちらを振り向いた。
彼女は俺と藤乃の無事を確かめると、微笑んだ。そして、倒れた。
「うおっと!」
俺は慌てて立ち上がると、狐面の女の身体を支える。藤乃も手を貸してくれた。
狐の面越しに見える少女の目は閉じられていた。魔力を短時間に使い過ぎたせいか、気絶しているようだった。
藤乃も狐面の女を覗き込んだ。それから、俺と顔を見合わせた。
「これからどうする?」
藤乃が訊いた。
「答えは決まってるさ。この子に手を貸す。何か厄介事に巻き込まれてるみたいだからな」
俺はそう言った。
「そうね。そうでなくっちゃ」
藤乃は笑った。
狐面の女はすぅすぅと、柔らかな寝息を立てていた。
少女が一人、血塗れで路地裏に倒れていた。左肩から右の腰にかけてばっさりと斬られていて、そこから血液がどくどくと流れ出ていた。最も大きいその斬り傷以外にも、いくつか傷はあり、彼女の身体は傷だらけだった。
「くっ……。わたしとしたことが、ここまでやられるとはね……」
少女は治癒魔法を自らに使用しているが、傷が深く、致命傷でこそないものの、回復には時間がかかりそうだった。
仰向けに倒れている少女の身体に、影が差した。人の影である。
――男性が、少女を見下ろすように立っていた。
「あなたがいがわ
男性が問う。――外見からして、二十代前半くらいだろうか。姫奈はそう思った。
「なんで知ってる……?」
姫奈と呼ばれた少女は問い返す。
「占星術、そして情報網です」
「ぐぁ――ッ!」
姫奈は立ち上がろうとしたが、身体の痛みに阻まれた。
「動かない方がいいですよ。……そんなに警戒しないでください。僕はあなたの敵じゃあないですよ。あなたが手を貸してくれるというのなら、その傷も強力な治癒魔法を使って、あっという間に治してあげましょう」
「――――」
姫奈は黙って、男性に伺うような視線を向ける。
男性は、しゃがみ込んで、姫奈に顔を近付けた。
――佐倉姉弟を、殺したいのでしょう?
そして、そう囁いた。
「――――!」
姫奈の目が見開かれる。
「……知っていますよ。調べましたから。佐倉姉弟は、
「――――ふふ」
姫奈は嗤った。
彼女の目には、敗北して地に伏せ、死を待つ
彼女はその姿を嘲笑った。
そして、姫奈は手を差し出した。
「あなた、名前は?」
男性はその手を取ると、彼女の上半身を引っ張り起こした。
「
「ええ、こちらこそよろしく」
「さて、手を組むにあたって、何か他に質問はありますか?」
種田に訊かれて、姫奈は少し考えると、太腿の間に手を下ろし、スカートを押さえた。
「…………パンツ、見てないでしょうね?」
「見てませんよ」
種田は正直に答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます