第四話
わたしがヒガンと出会ったのは、静かな夜だった。
わたしは、二階のベランダで空を眺めていた。星々は、無限に続く黒い宇宙の中で、キラキラと瞬いていた。
「あ、流れ星!」
夜空で、小さな光が動いた。
しかし、それは流れ星ではなかった。光はどんどん大きくなっていく。否――
「こっちに向かって来てる⁉」
わたしはどうしていいか分からなかった。ただ立ち竦んでいた。光は猛スピードで、わたしの方に落ちてきて、そしてわたしは、それが人間の形をしていることに気付いた。
「人⁉」
地上に近づくにつれて、「それ」の落下速度はゆっくりになっていく。
わたしは、目の前に来た時に「それ」――全身から青白い光を放つ男の人――を、キャッチした。
わたしの腕の中で、彼は眼を開けた。
「こんばんは、我が姫」
それが、ヒガンからわたしへの、最初の言葉だった。
ヒガンは、わたしがかつて『大災厄』を起こした占星術師の生まれ変わりだと言った。そしてわたしにも『大災厄』を起こす
わたしは、人類を滅ぼすことを選んだ。『お別れの時』に、自らの手で辿り着くことを選んだ。
「俺たちを邪魔してくる奴もいるはずだ。そいつは『大災厄』を妨害してきたやつの生まれ変わりだ。そして『魔眼』を持っている。『魔眼』は転生しても引き継がれるんだ」
「つまり、わたしは前世で一度、そいつと会っているってこと?」
「そうなるな。あいつは『星落とし』を予知して、同じ血筋を引く家の子どもとして転生する。そういう魔法が、あいつの血筋に受け継がれているんだ」
わたしには、脅威には思えなかった。
「面白いじゃん。もし出会ったら、『久し振り』って、挨拶してやろ」
わたしにはヒガンがいる。
ヒガンはわたしに、占星術を教えてくれた。『星落とし』の手順を教えてくれた。かつて神と呼ばれた、世界のシステムについて教えてくれた。わたしを『壁外』の強盗から守ってくれた。逆に強盗を返り討ちにしてくれた。
ヒガンがいれば、恐れることなんて無い。
わたしたちは『お別れの時』へと、進んでいく。
『城壁都市』静岡市。その城門を出てすぐの『壁外』地域。ボロボロのアスファルト、廃墟と化したビル、崩れたブロック塀。そんなものが並ぶ空間に、枝岡藤乃はいた。
「おかしいわね。確かこの辺に……」
彼女はもう動かない魔力自動車たちが並ぶ間を彷徨っていた。その中に、移動用の自動車を隠していたのだ。
そして彼女は、目的の自動車を発見した。それは、ぐしゃぐしゃに破壊されていた。
「なるほど。そういうことなのね」
藤乃は眼鏡を外し、魔眼を起動した。
「『
電撃が狙ったのは、放置されて錆びついたバス停、否、バス停ではない! 光のヴェールが剥がれ、バス停は真の姿を現す。
「『ダイアモンドダスト』」
煌めく氷の粒が壁となり、電撃を防いだ。
「どうも、君影鈴蘭の四天王が一人『氷結』のコノハです。よろしく」
「幻覚魔法でバス停に扮していたのね、つまり、あなたは、氷属性に加えて光属性も使える」
「そうだ。よくワタシの幻覚を見破ったな。ああ、悪いけど、キミの移動手段は
藤乃は『
「どうしても、わたしを青木ヶ原に行かせないつもりね」
「その通り。ところで、朔也はどうした? いないようだが」
「彼はもう関係無い。元々、関係無かったのに、わたしが巻き込んでしまった。ここからはわたし一人で戦う!」
藤乃は『
「『ダイアモンドダスト』」
再び無数の氷の粒が壁として現れる。藤乃は構わず突入した。しかし『
「それは力押しで突破できる防御じゃあない」
「いいえ、やってみせる! 『
魔眼から放たれた雷属性の魔力が、氷の粒子を蹴散らす。
「もう一発!」
さらに発射された『
「『
藤乃は『
「『ダイアモンドダスト』」
「同じ手が通じるとでも?」
藤乃は氷の壁を跳び越え、空中から蹴りを叩き込む。しかしそのキックが捉えたのは、バス停だった。バス停は木端微塵になる。
「幻覚魔法か!」
『ダイアモンドダスト』で視界を遮った隙に、幻覚魔法を掛けたバス停と入れ替わったのだ。
「反撃といこうか。『レイザー・ショット』!」
「当たるか!」
藤乃はそれを避ける。しかし、光線は『ダイアモンドダスト』に反射して、背中から藤乃を貫く。
「ぐぅッ! この程度……! サンダー・ウィステ――つぅッ!」
『
「不味いッ……!」
藤乃は地に倒れ伏す。両手、両足、両目、肺、心臓。全身の魔導起点が、ナイフに刺されたかのような痛みを発していた。
「お前、急にどうした? ああ、なるほど。魔眼は魔力循環に過度な負担をかける。ここ最近、酷使してたんじゃあないのか?」
「まだ、この程度……!」
藤乃は立ち上がろうとするが、手足を突き刺す痛みがそれを阻む。
「やめておいた方がいい。そんな体調じゃあワタシには勝てないし、ワタシより強いヒガンに勝てるわけも無い。万が一、勝ったとしても、魔力循環が機能不全になって死ぬぞ」
「それでもわたしは戦う!」
「何故そこまでして戦おうとする?」
藤乃の顔は、痛みに歪み、しかしそれでも、前を見ていた。
「最初は、枝岡家に伝わる言い伝えこそが、わたしに課せられた使命で運命なんだと思って、ただそれに従っていた。昔のわたしは、あの屋敷が世界の全てだったから……。でも、今は違う! わたしには、守りたい人がいる! 守りたい明日がある! だから――!」
藤乃の叫びは、夏の空へと抜けていく。
空は、今日も青かった。今にも人類が滅びようとしているとは、到底、感じさせない青さだった。日の光で満ちていた。
その空の下。少女の声は、少年へと届いた。
「藤乃!」
俺は、倒れている藤乃へと駆け寄り、抱き上げる。
「朔也⁉ どうやってここに⁉ 閉じ込めたはず⁉」
「二階の窓、封じ忘れてただろ。俺が部屋で意識を取り戻した時、窓からの日差しが眩しかったんだ。それで気付いた。――なんであんなことを?」
藤乃は一度、目を閉じ、そして開いて答える。
「孔雀撫子と戦って、朔也が大怪我して、わたしは気付いたんだ。わたしは、朔也に傷ついて欲しくない! 死んで欲しくない! 当たり前のことでしょ! だからわたしは、あの日の夜、一人で戦うって決めた。あんな風に強い奴と戦って、朔也が死ぬのは嫌なの!」
俺は、藤乃の魔眼から流れる血液を指で拭う。
「それは俺も同じだ。藤乃に死んで欲しくない。人類を救っても、藤乃が死んだら意味がないんだ。同じ想いなんだ。だから、藤乃が嫌って言っても、俺は一緒に戦うぞ」
藤乃は微笑んだ。燃える屋敷の前で、二人で笑った、あの時のような笑みだった。
「意外とワガママ、なのね」
「そうだぜ」
俺は藤乃の身体をゆっくりと下ろして、敵の方を向く。そこにいたのは、髪の長い男――いや……
「姉さん……⁉」
そこにいたのは、佐倉このはだった。死んだはずの俺の姉――
「俺が殺したはず――」
「幻覚魔法だよ。入れ替わり手品の応用だ。キミや黒雲に教えただろう?」
「ちょ、ちょっと待ちなさい……!」
藤乃が口を挟む。
「コノハが女で、朔也の姉⁉ 一体どうなってるの⁉」
「ボクたちは姉弟なんだよ。佐倉このはと佐倉朔也。『壁外』じゃあ、佐倉姉弟なんて呼ばれていた。そしてこれは男装。気付かなかっただろう? こうやって、男装もできるし、動きやすいから戦闘では有利だし、別に全く羨ましくはないけど、巨乳死ね」
姉さんは藤乃に中指を立てる。そして、反対の手で、こっちに氷属性魔法を放ってくる。
「『アクア・サイクロン』!」
こちらも反撃するが、水属性魔法は凍り付いてしまい、冷たい魔力が俺にぶつかる。
「いつぁッ!」
火傷もまだ完全に癒えていないところに、冷気を喰らい、全身に刺すような痛みが走った。
「どうした朔也? 何故、水属性など使う? 氷属性には火属性だろう?」
倒れそうになるのを踏ん張って耐える。そして、姉さんの問いに答える。
「使えなくなった。あの日、姉さんを焼き殺して、吐いて、それから、俺は火属性を失った……」
「バカな。属性は一生涯、増えることも減ることも無い。それは、自分で封印しているだけだよ」
姉さんは、右手を、地に伏している藤乃に向ける。
「やれやれ。……朔也。これからボクは、藤乃ちゃんを氷属性魔法で攻撃する。――防いでみろ」
「は⁉」
「いくぞ! 『心音綺導』――『桜吹雪』ッ!」
姉さんの右手から、幾千もの、凍てつく桜の花弁が放たれる。氷属性の魔力は、世界を白く上書きするかのように、怒涛の勢いで、藤乃へと迫っていく。俺は――
「俺は――」
俺の炎は姉さんを焼いた。実際は幻覚だったとしても、確かに俺はそう実感した。
だけど――
「構うものか! 『心音綺導』――『桜火爛漫』ッ!」
俺は今を生きているんだ! 今、守りたい人がいるんだ!
俺は姉さんと藤乃の間に飛び込む。俺の両手から炎の桜花が噴き出す。
そして『心音綺導』同士は衝突した。炎熱と冷気、相反するエネルギーが相殺し合い、赤と白の魔力の花弁が、混ざり合って宙を舞う。
心臓の魔力を惜しみなく両手へと循環させる。
「あああああああああああッ!」
俺は咆哮した。
灼熱の桜が八重咲きに咲き狂った。凍える魔力が突き破られる。白い桜は散った。
姉さんを火属性の魔力が殴る。その身体は吹き飛ばされ、燃え上がった。
「姉さん!」
俺は姉さんに駆け寄って、水属性魔法で消火する。あの日、俺がしたかったこと。あの日、動揺してできなかったこと。今ようやっと、それをすることができた。
屈み込んで姉さんの生死を確認する。果たして、姉さんは生きていた。服は炭化し、身体は火傷していたが、それでも命は落としていなかった。
「朔也――」
煤けた顔で、姉さんは笑う。
「好きな人っていうのは、何を持っているかじゃあなくて『特別』ってことなんだと、ボクは思ってる。だからキミも、キミにとって『特別』な人のために、その力を――その炎を使って欲しい。ボクは――『特別』な弟が、強くて嬉しいよ」
そう言って、姉さんは目を閉じて、ぐったりとした。意識が途切れたようである。
取り敢えず、さらに状態がヤバそうな、藤乃の方に、俺は移動する。
「身体、大丈夫か?」
「こうして寝ていたら、少しは楽になったけど、まだ――きゃあ⁉」
その時だった。藤乃の言葉を遮るように、突風が吹いた。そして、何かが降ってきた。
「うおあッ⁉ なんだ⁉」
風が巻き起こした砂ぼこりが収まった時、落下地点にいたのは――
「この魔力、やっぱり朔也だったか。久し振りだな」
そこにいたのは、白詰黒雲だった。
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