第三話

 いつだって、姉さんには敵わなかった。

 魔法でも、頭の回転でも、絵や歌の上手さですらも、姉さんには勝てなかった。

「どうだろうね。いつかキミが、ボクを超える日が来るかもしれないよ」

 姉さんは、自分のことを「ボク」と言った。

 父さんは幼い頃に離婚し、女手一つで姉弟を育てた母さんも早くに亡くなったので、俺と姉さんは、二人で力を合わせて『壁外』を生き抜いてきた。ずっと一緒だと思っていた。

 あの日、姉さんは突然『駿河組』に加入すると言い出した。俺は反対した。『駿河組』は、無法地帯の『壁外』ですら、正気と倫理観を疑われる組織だ。

 姉さんは、ついてこないなら、俺を殺すと言った。

 戦いになった。敵わないと分かっていた。だけど、姉さんが人の道を外れるのを、見過ごすことはできなかった。

 魔法を撃ち合い、傷つけ合い、そして、俺の放った火属性魔法が姉さんに直撃した。

 燃え上がりながら、姉さんは言った。

「――キミはもう、ボクより強い」

 俺は姉さんに勝ってしまった。

 火が消えた時、黒焦げになった死体だけが残っていた。

 俺は嘔吐した。何度も何度も嘔吐した。吐瀉物と一緒に、熱い何かが流れ出て、失われていくような気がした。


 


 各自昼食を済ませ、鈴蘭と、その四天王たち(三人になってしまったが)は、本拠地の円卓に集っていた。

 鈴蘭が口を開く。

「さて、いい知らせと悪い知らせがある。いい知らせの方から言おうか」

「いやそれ、選ばせてくれるやつでは?」

 心がツッコむ。

「いい知らせは、星の導きにより『星落とし』の儀式を行うのに相応しい場所と時間、そして、『魔星鉱石』の在りかが分かった」

 鈴蘭は地図を広げ、その一点を指差す。

「場所はここ。青木ヶ原樹海のこの位置だ。時間は明日の正午」

「つまり、あと約二十三時間で、人類は滅ぶということか」

「その通りだね、コノハくん。でも、そのためには『魔星鉱石』が必要だ。『星落とし』は、神の力を借りる魔法だ。神に我々の声を届けるためには、普通でない魔道具が必要なんだ」

 神とは、竜よりさらに過去の時代に地上にいた存在である。世界のシステムの具現化と呼ばれることもある。現代では「隠れてしまった」とされ、存在はするが、干渉はしてこないとされている。

「『魔星鉱石』を、コノハくんと心くんは取りに行って欲しい。浜松市の、とある魔道具収集家のコレクションの中だ。セキュリティはキミたち二人なら、簡単に突破できるだろう。ただし『魔星鉱石』には膨大な魔力がこもっている。割ってしまうと大爆発するから、そこは注意して欲しい。まあ、簡単に割れる物ではないが。わたしとヒガンはその間、儀式の他の準備をしている」

 鈴蘭の指示に二人は頷く。

「それで、悪い知らせっつーのは?」

 ヒガンの問いに、鈴蘭は答える。

「枝岡藤乃にこの本拠地がばれた」


 


 昼下がり、客も来なくて暇な時間に、突然、藤乃は声を発した。

「見えた!」

「どうした?」

 テーブルを拭いていた俺は、藤乃の立つカウンターを見た。

「わたしの魔眼は『星落とし』に対抗するためのもの。だから、占星術師が、『決定的な結果』を占いで導き出した時、そのヴィジョンが見える」

「『決定的な結果』?」

 雑巾を扱う手が止まる。

「鈴蘭は明日の正午、青木ヶ原樹海で『星落とし』の儀式を行う気だ」

「明日の正午⁉ 随分と急だな。それになんで樹海で?」

「占星術は、特殊な時間と場所を整える必要がある。明日は六月二十二日、つまり夏至の日。そして、青木ヶ原と言えば、特殊な磁場を持っている。恐らくその磁場が、儀式に丁度いいんじゃあないかしら」

 藤乃はエプロンを脱ぎだす。

「幸い、敵の本拠地の場所も見えた。マスターには悪いけど、店は抜けさせてもらうわ!」

「俺も行くぜ。場所はどこだ?」

 藤乃が口にしたそこは、意外と近かった。歩いていける距離だった。世界の未来を懸けた戦いの割には、まるでご近所付き合いみたいな距離感だった。


 


 敵の本拠地は、廃墟となったビルの地下二階にあった。

 薄暗い階段を降り、ドアの前に立つ。

「俺が開ける。敵が見えたら、容赦なく『雷藤サンダー・ウィステリア』を撃ち込んでくれ」

「分かったわ」

 藤乃は眼鏡を外し、魔眼を起動させる。

「いくぞ!」

 ドアを押し開ける。そこにいたのは――

「こんにちは。あなたたちは、わたしを殺してくれる『白馬の王子様』?」

 知らない少女だった。姫ではない。年齢は姫とそう変わらぬ、十代半ばくらいのようだが……。

 彼女は、円いテーブルの上に座っていた。

「キミは誰だ?」

 藤乃が訊く。

「わたしは、孔雀くじゃく 撫子なでしこ。『壁外』から来ました。あ、四天王じゃあないよ。わたしは鈴蘭ちゃんの『隠し玉』」

「随分と話してくれるじゃあないか」

 俺がそう言うと、撫子は口元を押さえた。

「あ、いけない! 余計なこと喋るなって言われてたんだった」

「おいおい。いいのかよそれで」

 俺はツッコミを入れつつ、持ってきたペットボトルの水を自然魔術で操作し、さり気なく自分の足元から、撫子の足元へと伸ばしていく。

「なあ、何故『星落とし』計画に協力する? 何故、人類を滅ぼそうとする?」

 気を逸らすために、話し掛ける。

「人類が滅びる? なんのこと? わたしは、お留守番を頼まれただけだよ。ここを守れたら、わたしを殺してくれるって鈴蘭ちゃんが約束してくれたんだ」

「『星落とし』を知らないのか……? それに殺して……? なんのことだ?」

 状況が読み取れない。

「わたしは、幼い頃から、殺されたいと思ってたんだ。急に襲われて、必死で抵抗して、だけど敵わず、わたしは殺されちゃう。寝る前にいつもそんな妄想をしてた。だけど、わたしは強過ぎるから……。でも、鈴蘭ちゃんが、わたしを殺せる強い人を紹介してくれるって。だから、頑張るんだ!」

 何を言っているんだ? 殺されたい……?

「そういや、他の奴らはどこだ?」

「そ、それはわたしも知らない。何も教えてもらってない」

 まあ、知っていたとしても、俺たちに教えてくれるわけが無い。だが、これで、彼女の足元に水が到達した。

「藤乃!」

「『縛藤バインディング・ウィステリア』ッ!」

 水の中を、藤乃の魔力が流れ、撫子の足元に、藤のツルを生成する。ツルは撫子の身体に絡みつき、彼女を拘束する。

「これが水属性と草属性のコンボだ」

 俺はそう言った。

 藤乃が金色の右眼で撫子を睨む。

「とどめ! 『雷藤サンダー・ウィステリア』ッ!」

 魔眼から雷属性の魔力が放出される。

「『蒼炎』」

 しかし、撫子の身体から、青い炎が湧き上がった。藤のツルが焼き尽くされ、撫子は電撃を回避する。

「うふふ。いい電撃魔法だね。当たったらヤバかったよ。うふふふふふ! わたしを殺してみてよ」

 俺は撫子に注意を払いつつ、藤乃に話し掛ける。

「あの青い炎はルナティック派の魔法だ」

 ルナティック派は、純粋魔術を主に使う魔術師の流派である。自然魔術中心のスピリット派は、火力を補うために、純粋魔術を採用することもあるが、ルナティック派は違う。純粋魔術以外を使用する『変わり者』はほぼいない。そして、純粋魔術しか使えないということは、火力によるゴリ押し以外の戦術が無いということ。火属性は、攻防両方に長ける、最優の属性と言われるが、こちらには水属性の俺がいる。状況は有利だ。

 藤乃も同じ結論に至ったようだ。

「ええ。防御は任せるわ。とっとと仕留めて、姫を探さないと」

 俺は再び前に出る。

「うふふふふふふふふふ。『蒼炎』」

 撫子が青い炎を放つ。

「『ミスト・バリケイド』!」

 流石に『心音綺導』は防げなかったが、通常魔法なら余裕で防げる。

 ――そのはずだった。

 霧の障壁は、一瞬で蒸発した。撫子の放出した魔力量は、俺のそれを遥かに上回っていた。

 咄嗟に藤乃を突き飛ばす。青い炎は俺だけに直撃する。

「がぁッ! 熱い! 熱い! 熱い!」

 熱い! 熱い! 熱い!

「うふふふふふふふふふふふふふふ! 赤い炎より、青い炎の方が、熱いんだよ」

 歪んだ視界の中で、歪んだ笑みを撫子は浮かべていた。

 有り得ない! 『心音綺導』を軽く凌駕する魔力を、いとも簡単に……!

「朔也ッ!」

 藤乃は『花嫁衣装ウェディングドレス』を展開する。そして――

「『心音綺導』! 『雷藤満開サンダー・ウィステリア・フル・ブルーム』ッ!」

 魔眼が金色に輝き、普段の『雷藤サンダー・ウィステリア』とは比べ物にならない量の、電気を帯びた魔力が、撫子へと叩き付けられる。

「『蒼炎』」

 撫子は、またしても、青い炎の魔法を、軽く手を振って放った。

 魔力同士が衝突する。その質量差は圧倒的で、青い炎が、雷の藤花を蹴散らしていく。

「うあああああああ!」

 しかし、藤乃は止まらない。炎の魔力の中を強行突破する。『花嫁衣装ウェディングドレス』が燃え上がるが気にも留めず、むしろ、その炎を拳に纏わせ、撫子へと叩き込む。

「ぐぇッ!」

 撫子の小柄な身体が吹っ飛ぶ。彼女は壁に叩き付けられ、そこでバウンドして顔面から地面に落ちる。

「『雷藤サンダー・ウィステリア』!」

 藤乃はさらに追撃する。

 撫子は起き上がり『蒼炎』で迎え撃つ。

「『雷藤サンダー・ウィステリア』! 『雷藤サンダー・ウィステリア』! 『雷藤サンダー・ウィステリア』!」

 一発では止められない青い炎を、『雷藤サンダー・ウィステリア』を連射することで、藤乃は防ごうとする。しかし、撫子の魔力の勢いは止まらず、藤乃の身体へと到達する。

「ぎあああああ!」

 身体が燃え上がり、悲鳴を上げる藤乃を、治癒魔法でなんとか動けるようになった俺が、水属性魔法で消火する。

「大丈夫か⁉」

 ぐらりと倒れ込む藤乃を支える。

 そこを撫子は攻撃してこなかった。鼻から血を流しながら、彼女はとろけるような笑みを浮かべていた。

「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ! お姉さん、強いね。わたしに一発当てるなんて。んっ、熱い。たまらない、興奮してきちゃった。うふふふふふふふ。でも、わたしを殺すには、力不足かな。うふふ。『白馬の王子様』は、キミたちじゃあなかったみたい」

「一時撤退するぞ」

 俺は腕の中の藤乃に言う。

「あいつ、ゴリ押ししか戦術が無いくせに、そのゴリ押しが強すぎる!」

「いいや、まだわたしは……ぐぅッ⁉」

 藤乃は右眼を手で押さえた。魔眼が、赤熱していた。

「不味い……! 『雷藤サンダー・ウィステリア』を連射し過ぎた。反動が……!」

 魔眼には反動があるのか……! いや今は、そんなことより――

「じゃあ、とどめ刺すね。『蒼炎』」

 撫子は、青い炎を手から放射する。不味い、避けられない!

 視界が青く染まった。これが、俺が最期に見る光景らしい。

 炎熱を感じる。だけど、その中でも、藤乃の体温だけは感じ取れた。

 そして、俺の意識は消失した。


 


 目覚めると、俺は自分の部屋のベッドの上にいた。

 バッと跳ね起きる。

「大丈夫かい?」

 ベッドの脇には、マスターがいた。

「俺は、死んだんじゃ……?」

「確かに酷い火傷だったけど、死ぬほどではないさ」

 どういうことだ? 撫子はとどめを刺さなかった……?

「そう言えば、なんで俺はここに戻って来れたんだ?」

「女の子がキミたちを運んできてくれたんだよ。名前は孔雀撫子ちゃんと言うらしい。キミの知り合いかい?」

 とどめを刺さないどころか、撫子は俺を助けた……? わけが分からない。

 カーテン越しに入る光が眩しい。

「今、何時だ?」

「九時だよ。キミは一日弱眠っていたんだ」

 そんなに経っていたのか! 不味い! 『星落とし』は今日の正午に行われるというのに。

 俺はベッドから飛び降りる。

「ぐぅッ」

 全身が痛むが、動けないほどではない。

 俺は部屋を飛び出す。

「藤乃! 無事か! 時間が無いぞ!」

 俺は藤乃の部屋の扉を勢いよく開く。

 しかし、そこはもぬけの殻だった。初めから、誰もいなかったかのようだった。焼け落ちた館から回収できた、僅かな私物さえ、無くなっていた。

「藤乃は……?」

 俺に追いついたマスターは、肩をすくめる。

「それが、まだ完全回復してないというのに、出て行ってしまったんだ。それも、面倒な置き土産を残してね。やれやれ」

「置き土産……?」

「まあ、自分の目で見るといい」

 俺はマスターに促され、一階に降りる。

 そしてそこで、窓という窓が、ツルに覆われているのを目撃した。

「扉もツルでロックされている」

 マスターは、ドアノブをガチャガチャといじってそれを示す。

「私たちは、閉じ込められたというわけさ」


 


「侵入者を殺さなかった⁉」

 本拠地に戻ってきた鈴蘭は、撫子の報告を聞いて、そう問い返した。

「どうして⁉」

「だ、だって、いずれ強くなって、わたしを殺してくれるかもしれないじゃん」

 鈴蘭は頭を抱える。

「いずれって、後、数時間で人類は滅ぶんだよ……」

「人を殺すのは良くないよ。『壁外』は無法地帯だけど、殺人鬼ばっかじゃあない。わたしは全部、峰打ちだよ」

 撫子は、基本的には、自分から攻撃しないし、戦った相手を殺すことも無い。

 勝利も殺害も、彼女の願望を満たさないからだ。

 他人に襲われ、全力で抵抗した上で、敗北して殺されたい。それが、幼い頃から抱き続けた、孔雀撫子の歪んだ願望であった。矛盾した欲求であった。

 しかし、その欲望を果たすには、彼女の「全力」は強過ぎた。

 ただ「殺されたい」というだけの願いだったら、実現は簡単だ。『壁外』の治安の悪いところを歩いていれば、強盗が襲ってくれる。一切の抵抗をしなければ、そいつらは易々と命を奪うだろう。

 だが、全力で抵抗する撫子を殺すとなると、その難易度は跳ね上がる。

 故に『白馬の王子様』。彼女の願望を叶えてくれる、都合のいい、しかし、けして実在することはない存在。

「それと、さっきから言ってる、人類が滅びるって、なんの話? わたし聞いてないよ」

 撫子が訊いた。

「これから殺されるキミには、関係の無い話」

「た、確かにそうだけど……。わたしは何に協力しているの? 危ないことなの? 殺し合いじゃあなくて、一方的に誰かを殺すことなの? 教えて。わたし、鈴蘭ちゃんのこと大好きだし、信じてるから」

 一瞬の沈黙が、部屋を満たす。そして――

「関係無いって言ってるでしょう! わたしにはわたしなりの『正しさ』があるの! キミは黙って従っていればいい。そもそも、殺されたいってなんなの⁉ キモいんだけど!」

 鈴蘭は怒鳴り声を叩き付けた。

「…………なんで」

 そう発した、撫子の目には涙が浮かんでいた。

「キモいって……なんでそんなこと言うの! 鈴蘭ちゃんは分かってくれてると思ってたのに! なんでみんなと同じこと言うの!」

 撫子は泣きながら言った。それに鈴蘭は、怒声を返す。

「分かるわけないじゃん! 『戦って殺されたい』? 意味分かんないよ! 普通にキモいよ!」

 鈴蘭は荒い息をしていたが、やがてそれを整える。

「聞く限りだと、藤乃も朔也もダメージが大きい。まともに戦えないはず。だから次は、白詰黒雲を殺して来なさい。いい? 『殺す』んだよ。指揮官の指示には従いなさい。お前みたいな奴の存在が許される場所なんて、わたしの所しか無いんだからね」

 撫子は、涙を流して、しゃくり上げていたが、やがて頷いた。

「うん。分かったよ……」

 撫子は部屋を出ていった。


 

 

 数分後、『魔星鉱石』を盗りに行った二人が帰ってきた。

「はいこれ。いや、セキュリティが意外と厄介で、だいぶ時間が掛かってしまったよ」

「確かに受け取ったよ、コノハくん。時間は大丈夫。まだ余裕はある。心くんも、お疲れ様」

「ありがとうございます」

 そこに、ヒガンも入ってくる。

「儀式の準備、完了したぜ。これで、地球の魔導起点の一つ、富士山に星を落とせる」

 人体には九つの魔導起点があり、地球にも九つの魔導起点が存在する。そして、それらが地球環境を保っている。一つでもそれが破壊されれば、生態系のバランスは無事では済まない。

 鈴蘭は、階段へ通じる扉を開けた。

「それでは行こうか。青木ヶ原樹海へ。『お別れの時』へ向かって」

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