第五話

 俺と藤乃は、地面にうつ伏せになり、背中に針を刺されていた。と、言っても、攻撃されたわけではない。針治療というやつである。

「鋼属性に治癒魔法があったなんて、知らなかったわ」

「黒雲のオリジナル魔法だからな。俺も初めて見た時はびっくりした」

 黒雲のおかげで、ダメージが急速に回復していく。

 治療を受けながら、俺たちは今までのことを説明した。

「ふんふん。なるほどねぇ。このはが生きていたとは。それに、キミにもまた会えた。良かったよ、本当に。キミたち姉弟がいなくなって、ちょっと寂しかったんだぜ」

 俺たちの隣に座っていた黒雲は、こちらから顔を背けて上を向いた。一瞬、ちらりと見えたその瞳は、涙ぐんでいるように見えた。

「全く、生きてるなら、俺の治療を受けていけばいいものを。一体どこへ消えたのやら」

 黒雲が治療しようとした時にはもう、地面に倒れていたはずの姉さんはいなくなっていた。あれは気絶した振りだったらしい。相変わらずトリッキーなことをする。

「それにしても、朔也が『壁外』では有名な魔術師だったなんてね。道理でね。やけに戦闘に慣れているし、魔力量も多いと思ってたのよ」

「黙っててごめん」

「気にしてないわ。わたしも、自分のことは、あんまり話してないし」

 まだ藤乃と、こうやって喋っていたいが、そろそろ起き上がって、世界を救わなければならない。

「なあ、黒雲、もう充分回復した。この針抜いていいか?」

「いや、もうちょいだ。その針には、俺の魔力の半分が入っている」

「へぇー。…………え⁉ 半分⁉」

 黒雲は俺を見下ろす。天頂近くに上った太陽が、彼の顔を、逆光になるように照らしていた。

「二人で半分だから、それぞれ二十五パーセントずつだ。回復に使った分やロスもあるから、そっくりそのままというわけにはいかないが、キミたちの魔力が、かなり底上げされるはずだ。四天王とやらにも多分、対応できるだろう」

 藤乃も黒雲を見上げて言う。

「半分も他人に魔力をあげていいの⁉」

「俺一人が強くても意味が無いからな。俺は攻撃力の低い風属性と鋼属性だし、純粋魔術は使えない。だから、強行突破は苦手だ。足止めとか多人数戦に弱いんだよ。敵もそれを分かってるはずだ。だから恐らく、姫と直接戦って、儀式を止めるのは、キミたちの役目になるだろう」

 黒雲は、俺と藤乃に鋭い笑顔を向けた。

 それを見て、俺も思わず笑みが零れた。

「相変わらず、合理的だが無茶苦茶な作戦だな。変わってなくて安心したよ」

「移動手段はどうするのかしら? わたしの魔力自動車は破壊されてしまったのだけど」

 藤乃は身体を捻って、潰れた自動車を指差した。

 黒雲はもう動かないそれをちらりと見た後、問題無いといった調子で言った。

「俺と佐倉姉弟が『壁外』で使ってた大型魔力二輪車、まだ三台とも取っておいてあるぜ」

「わたし、大型二輪は運転できないのだけど……」

 黒雲は立ち上がって応える。

「それはもう、タンデムしかないぜ」



 

 というわけで、俺の後ろに、藤乃が乗ることになった。

 『壁外』の大通りを、黒雲の後について疾走する。無法地帯なので、法定速度は当然無い。道を遮ろうとする者も、黒雲の姿を見ると、尻尾をまいて逃げ出す。

 風化したアスファルト、久し振りだけど変わらないエンジン音。

 照りつける日差し、すり抜けていく風。

 硬いシート、俺の身体を掴んでいる藤乃。

「こんな状況だけど!」

 風と炎の騒音に負けないように、藤乃が声を張り上げる。

「なんだか! 爽快!」

 大声で返す。

「俺もだ!」

 信じられないくらい、順調な道程だった。なんの妨害も無く、俺たちはあっさりと、青木ヶ原樹海の遊歩道の入り口まで辿り着いた。樹海と言っても『大災厄』前にある程度、観光コースが整備されているのである。遊歩道から外れると迷ってしまうが、普通に観光する分には問題無い。もっとも『大災厄』後の現在は、わざわざ危険な『壁外』を抜けてまで、観光しにくる人はいないだろうが。

 白線のかすれた駐車場に二輪車を止める。流石に樹海の中は、二輪車では移動できない。

「どうやら、順調なのもここまでのようだな」

 黒雲が言った。彼の視線の先には――

「孔雀撫子……!」

 藤乃がその名を口にする。その声は僅かに震えていた。

「ここは俺が戦おう」

 黒雲が一歩、前に出た。

「頼む……!」

 俺は正直、火属性を取り戻した今でも、彼女には勝てる気がしない。『心音綺導』に通常魔法で勝つなんて、黒雲以外にはできないと思っていた。

「任せろ」

 黒雲は即答した。

 だが、時間経過で多少回復しているとはいえ、魔力が約半分の黒雲が、撫子に勝てるのだろうか? いや、魔力が十全にあっても……。

 黒雲は日本刀を錬成する。

「だからキミたちは、先へ行け」

 黒雲が日本刀を振った。空気を斬り裂く音が響いた。

「……! 分かった。信じてるぜ」

 俺は黒雲に背を向ける。

「行きましょう!」

 藤乃がそう言った。俺と藤乃は、一緒に駆けだした。



 

 黒雲と撫子は対峙する。

「キミが白詰黒雲? 並々ならぬ強さなんだって? ねぇ、わたしを殺してよ。わたしは抵抗するけど、それすら打ち破って、わたしを無理矢理、殺してよ。わたしの『白馬の王子様』になってよ」

「なるほどねぇ。これが自殺願望ならぬ被殺願望……。まあいいぜ。やることは変わらない。「『虎落風笛もがりぶえ』!」

 黒雲は魔法で風の刃を飛ばす。

「『蒼炎』!」

「『迎撃風むかいかぜ』!」

 風の刃は青い炎に飲み込まれ、その青い炎は暴風に阻まれる。

「『突撃風とっぷう』!」

 風の壁にぶつかり、弾け散る青い炎の中を、螺旋の風を纏った黒雲が駆け抜ける。

「蒼え――」

「遅い! 『風舞太刀かまいたち』!」

 風を纏った日本刀が、撫子の身体を斬り裂いた。直後に『蒼炎』が発動し、撫子の手から青い炎が噴き出す。黒雲はバックステップでそれを躱した。

「うふふふふふふふふふふふふふ! いいよいいよ! ぶっ飛びそうな痛さだよぉ!」

 撫子は笑う。切り傷を抑える手が、真っ赤に染まっていた。途中で回避したので、黒雲の斬撃は踏み込みが浅くなってしまった。それでも、かなり傷は深いはずなのに、撫子は笑う。

「わたしも本気、出しちゃうよ。『大蒼爆炎』ッ!」

 撫子を中心に、青い炎の爆発が起こった。

「『迎撃風むかいかぜ』ッ!」

 黒雲は風の壁を作り出す。一瞬は、青い爆炎が防がれたように見えた。しかし――

「――その程度の防御じゃあ、守り切れないよ」

 大質量魔力爆発は『心音綺導』を防いだ魔法でさえも突破する。

 黒雲は青い炎に包まれた。

 やがて魔力が燃え尽き、青い炎は消える。陽炎で揺らぐ空気の中に、撫子は立っていた。

 黒雲もまた、立っていた。全身が焼け焦げていたが、それでも立っていた。

「なかなかやるな」

 赤熱し、ほとんど融解した鋼の壁を、黒雲は蹴り飛ばす。

「なるほど。咄嗟に障壁を錬成していたんだね。すごいよ。この一瞬で、そこまで強力な盾を錬成できるなんて。それに、この刀傷。うふふふふふふふふふ。すっごく痛い。」

 撫子がふらふらと身体を動かす度、黒雲のつけた傷から、足元へ血が流れ落ちる。

「うふふふふ。わたしが戦った中で、一番強いよ。ねぇ、どうしてそんなに強いの?」

「生き延びるためだ。俺の母は『壁外』のマフィアの構成員だった。俺は、そのマフィアの本部で、別のマフィアに襲撃されているまさにその最中に産まれた。母は出産直後に流れ弾の魔法で死んだ。それが、俺の初めて経験した戦いだ」

 黒雲は炭化した髪をかき上げる。

「それからも、俺は戦いに巻き込まれた――異常な頻度で。周囲の環境とか当時の『壁外』情勢とか、理由は色々あるが、一言でまとめるなら、俺は『運が悪い』んだ。やたらと戦いに巻き込まれて、だけど家族も仲間いなくて、一人で必死に戦って、気付いたら日本最強だとか呼ばれるようになっていた」

 撫子は首を傾げる。

「なんでちゃんと教えてくれるの?」

「おいおい、自分で訊いといてそれはないだろ。……確かになんでだろうな? 別にまともに答える必要は無かったな……」

 僅かに残った、足元の青い炎の残滓を、風が揺らした。

 撫子は、心臓の魔導起点を解放する。

「もうちょっと戦っていたいけど、きっとまた、鈴蘭ちゃんが怒るから……。ここで終わらせるね」

「それはどうかな。自分で言うのもナンだが――本気の俺は無敵だぜ」

 黒雲も心臓の魔導起点から、全身に魔力を循環させる。

「これがルナティック派最強の魔法! 『心音綺導』――『月火美人』ッ!」

 撫子の両手から炎が放出された。その色は、赤でも青でもなく、月の如き白――。純白の炎が、空気を焦がしながら、黒雲へと真っ直ぐに疾駆する。

「『心音綺導』――『月に叢雲、花に風』」

 黒雲は、静かに言った。彼の身体の周りの、空気の流れが変化する。

 黒雲は走り出す。空気抵抗がほとんどゼロへと変わっていた。さらに、自然魔術による身体強化が加算され、その速度は音速を上回っていた。

 黒雲は刀を構え、白い炎の荒波の中へ突入する。万物を焼き尽くす白の奔流は、しかし、黒雲の身体を捉えることはない。風に受け流され、彼の後方へとすり抜けていく。どれほど強大なちからも、極限まで洗練されたわざの前には無力であった。

 黒雲は炎を抜け、撫子の眼前へと到達した。そして、迷いも躊躇いも無く、日本刀を一閃した。

 撫子は地に倒れた。白い炎が消え去る。

 黒雲は残心の姿勢で立っていた。手にした日本刀から、真っ赤な血が滴っていた。

 撫子は、自身を見下ろす黒雲の姿を見て、笑った。

「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ! ああ、負けちゃった。やっと夢が叶うんだ。さあ、わたしを殺して」

 血溜まりが広がっていく。

 しかし黒雲は首を横に振った。

「それはできない」

「どうして⁉ どうして⁉」

 黒雲は魔力を分解し、錬成した日本刀を消した。

「殺す理由が無い。だから殺さない」

「じゃあ、わたしは……これから、どうすればいいの……?」

「どうするって、好きなようにすればいいんじゃあない?」

 黒雲は樹海へと立ち去る。

「好きなように……」

 撫子は呟いた。



 

 俺と藤乃は、遊歩道を離れ、儀式が行われる地点へと走っていた。

 その俺たちの前に、少年が立ち塞がった。

「僕が四天王。大橋心。『猛毒』の心です。よろしくお願いします」

「藤乃、ここは俺に任せろ」

「分かったわ」

 藤乃が先に行くのを、心は止めなかった。

「まあ、二対一では勝てませんからね。彼女はヒガンに任せるとしましょう」

 ヒガン――魔法を生身で防いだあの青年のことか。確かに彼は強いだろう。だが、今の藤乃は、黒雲の魔力で強化されている。それに、俺たちの最終目的は四天王を斃すことではなく、『星落とし』の儀式を止めることである。真っ向勝負をする必要は無い。だから、藤乃を先に行かせたのだ。

「僕は正直、四天王の中では一番弱いです」

 心は訊いてもいないのに語り出す。

「僕は毒属性と無属性。十二ある属性の中では弱い方です。火属性は勿論、氷属性や雷属性にも及ばない。――ですが、僕は四天王の中で、一番『厄介』です。あなたを永遠に足止めし続けます。僕をさっさと斃して藤乃さんに追いつこう、などという甘い考えは捨てた方がいいですよ」

「そこまで言われたら、やってみせるしかないな」

 藤乃の実力は信頼しているが、彼女一人で残りの敵と戦うのが、不安でないと言ったら噓になる。

 俺は、魔力の循環を開始する。

「行くぞ。瞬殺してやるぜ!」



 

 枝岡藤乃は、その視界に、鈴蘭とヒガンを捉えた。

 彼女たちは、魔法陣を完成させていた。『魔星鉱石』も設置され、後は儀式を起動するだけというところまで、準備を済ませていた。

「もう来たのか。ヒガン、頼むよ」

「了解したぜ、姫」

「だから指揮官だって言ってるでしょう」

 ヒガンは藤乃へと、大股で歩いて近づいていく。

「あら、あなたは戦わないのかしら?」

 藤乃は眼鏡を外しながら、鈴蘭を挑発する。

「指揮官は作戦を立てるのが仕事でね。実戦はしないものさ」

 鈴蘭は地上を這う木の根に座って、動かなかった。

「だから俺が相手だ」

 鬱蒼とした林冠を抜ける、僅かな木洩れ日が、藤乃とヒガンを照らす。

「『雷藤サンダー・ウィステリア』ッ!」

 魔力が空気中でスパークした。藤乃の放った電撃は、鈴蘭を狙っていた。しかし、その射線にヒガンが割り込む。ヒガンが腕を一振りすると、紫電の花は舞い散り、防がれてしまう。

「やめておけ。俺に魔法攻撃は効かない。この惑星上では、そういうテクスチャが適用されている」

「それはいいことを聞いた。『ドレスアップ』!」

 藤乃は『花嫁衣装ウェディングドレス』を錬成し、ヒガンへと殴りかかる。

「ぐぁッ!」

 その拳はヒガンの鳩尾を捉えた。彼に触れた部分の白藤の花は、しぼんで枯れていったが、確実にダメージは入っていた。

「やっぱり。魔法ではなく、直接殴ればいいのね」

「その通りだ。だが、俺も魔法を使えることを忘れるな! 『蒼炎』!」

 青い炎の激流が藤乃を襲う。

「うわぁッ!」

 藤乃は『花嫁衣装ウェディングドレス』によって強化された身体能力でそれを躱す。外れた炎は樹に当たり、燃え上がらせた。

「『連蒼弾炎』!」

 ヒガンの両手から、青い炎の弾が連続で発射される。藤乃は、樹を足場に空中を跳び回って回避する。

「いつまでも避けられると思うな!」

 しかし、外れた炎の弾丸が樹を燃やし、次第に足場が無くなっていく。

「マズい……!」

 とうとう藤乃は炎に囲まれてしまった。木洩れ日が、水面の光のように、あるいは涙を貯めた瞳のように、揺らいでいた。

「とどめだ! 『蒼炎』!」

 青い炎が宙を走る。そして――



 

 ――そして、俺がそこに飛び込んだ。水属性魔法で俺と藤乃の身体をカヴァーし、二人で周りの炎の中に突っ込む。『蒼炎』そのものは防げないが、それが樹に燃え移った炎なら耐えられる。

「朔也⁉ 『猛毒』の心ってやつはどうしたの?」

 炎を抜けたところで、藤乃に訊かれる。

「瞬殺してきた。思ったより『厄介』では無かったな」

「そんなはずは……! いくらなんでも、心くんがこんな短時間でにやられるわけが無い!」

 こちらの話を聞いていたようで、姫はバッと立ち上がった。

「自分でも驚いているよ」

 黒雲の魔力でブーストがかかっていたおかげだ。それに、ここ一年間、火属性が使えなくて、力任せの戦い方ができなかった影響で、テクニカルな戦術が身に付いたからかもしれない。

「――何より、俺は藤乃が心配だった。なんとしてでも、追いつきたかった」

 ――きっと、この想いが『特別』ということなのだろう。

 俺は――

「――藤乃を愛している。それが答えだ」

 そう、口に出さずにはいられなかった。

 溢れ出た想いを、この場で伝えずにはいられなかった。

 藤乃が何か言う前に、姫が口を開く。

「何を言っているんだ? 愛なんて幻想に過ぎない。やがては別離する。やがて必ず『お別れの時』が来る。どんな人間関係だってそうだ」

「幻想だろうと構わない」

 姫に返したのは藤乃だった。

「――例えそうだとしても、朔也が今、わたしの隣に来てくれたことに変わりはない。愛が幻想でも、それは現実だわ」

 藤乃は俺を、正面から見つめる。

「こんな時で、ロマンティックさは欠片も無いけど――。朔也、わたしも愛してる」

 藤乃は俺に口付けをした。

「んッ⁉」

 流石に急だった。心の準備ができていなかった。

 口移しに、藤乃の魔力が流れ込んでくるのを感じる。

 どれくらいの間、そうしていただろうか。実際は刹那だったのだろうが、俺は永遠と思える程に長かったと感じていた。藤乃の唇が離れる。一瞬だけ、キスの名残を示すように、二人を唾液の銀糸が繋いでいた。

「い、いきなり……⁉ ああ、ああ。なるほど。俺の作戦を理解したわけか」

「ええ。ヒガンに魔法攻撃は通じない。だから、いいアイデアだと思うわ」

 やはり、理屈は不明だが、魔法攻撃でダメージを与えられないのか。何となくそんな気がしていた。だから、その穴を突く作戦を立ててきた。

「お前らも姫も、一体、何をごちゃごちゃとやっているんだ?」

 ヒガンが言った。姫が応える。

「ああそうだった。愛がどうとか、そんな話は関係無い。ヒガン、二人まとめて殺しなさい!」

「オーケー! 『蒼炎』!」

「逃げるぞ!」

 藤乃と自分に、水の膜を纏わせて、周りの炎の中を突っ切って躱す。

「『雷藤サンダー・ウィステリア』!」

「『焔桜ほむらざくら』!」

 俺たちは魔法を放つ。しかし、狙いはヒガンではない。鈴蘭でもない。

「どこにエイムしてんだよ!」

 ヒガンは続けざまに青い炎を放ってくる。俺たちは走り回りながら、火属性と雷属性の魔法を連射する。

 しばらくそれが続いた後――

「ぐぅッ⁉」

 ヒガンは倒れた。

「なんで⁉ どうして⁉ ヒガン⁉」

 姫が慌てて駆け寄る。彼女は過呼吸になりかけていた。

「息が……。まさか、酸素が薄い⁉」

「その通りだぜ。そんな状況で、魔法を連発するから、ヒガンは倒れたんだ」

 俺はここに来る前に、一帯を、水のドームで覆っておいた。木洩れ日の光が変化していたのは、水のドームを日光が抜けるようになったからである。

 それによって、この辺りの空気は密閉された。そこで『蒼炎』や『焔桜』や『雷藤サンダー・ウィステリア』を連発して、周りの樹を燃やせばどうなるか。当然、酸素は減り、二酸化炭素が増えるはずである。

「なら、どうして、キミたちは無事なの⁉」

「さっきのあれだぜ。藤乃の魔力を俺は分け与えてもらったんだ。草属性の魔力だ。つまり、光合成だ」

 流石に若干、息苦しいが、問題にならない程度である。

「■■■■■」

 ヒガンの意識は朦朧としているようだった。姫がそこに駆け寄る。

「噓……。こんなところで終わりだなんてこと無いよね。しっかりしてよ。ねえヒガン、目を開けて!」

「いいや、ここで終わりだ」

 俺はヒガンと姫へ、近づいていく。

「佐倉朔也! どうしてキミが……! わたしや藤乃と違って、キミは生まれ変わりでもなんでもない。前世の宿縁も無い。なのにどうして……!」

「俺にとって、藤乃は『特別』なんだ。だから俺は戦う。生まれ変わりがどうとかは、よく分からないし、どうでもいい」

 その時、ヒガンが意識を取り戻した。

「せっかく、この地■上のシス■ムに合わ■た、テクスチャを■意したというのに……」

 彼の声は、まるでノイズが混じっているようだった。

「ヒガン、何を言って……」

「姫……。■はこの星の外から来■んだ。違う■ステムを持っ■■界から。人類を■すために……」

 ヒガンの姿が、まるで、ジグソーパズルがバラバラになるかのように、崩れていく。そして――

「なんだ、こいつは……⁉」

 俺は思わずそう呟いた。

 ヒガンのいた場所には、バケモノが代わりに現れた。

 ヒツジのようにぐるりと渦を巻く角。狼のような鼻面。そこに、多数の血走った眼球が無秩序に付いていた。胴体は肥大化し、右側には腕があるが、左側からは、代わりに細く尖った触手が幾本も伸びていた。下半身には、三本の腕と三本の足があり、それらが身体を支えていた。皮膚は岩石のような印象を受けた。高さは五メートルほどだろうか。

「地球外生命体ってことかしら。ヒガンの話を信じるならだけど……」

 藤乃がそう言う。

「信じざるを得ないようだな……」

 こんな姿を見せられたからには……。

 ヒガンの口から、黄色い靄が放出される。

 俺たちはそれを避けた。何か分からないが、当たるとヤバいことは確かだろう。

 ヒガンは、触手を蠢かせ、その先端で突き刺してくる。俺も藤乃も全て躱したが、呆然としていた姫は、そうはいかなかった。

「ぐひゅッ」

 触手が脊髄に刺さる。

「あ、ああ、身体が勝手に……!」

 姫はこちらに向けて、無属性の純粋魔術で攻撃してくる。予想外のことに、俺も藤乃も反応できなかった。二人とも弾き飛ばされる。

 姫も無事ではなかった。

「やめてやめてやめて……。身体の中で動かないで……! お願いだから! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛痛痛痛痛痛痛痛痛!」

 俺たちが立ち上がったところに、黄色い靄が吹きかけられた。躱せなかった。

 全身を痺れるような痛みが襲う。藤乃の『花嫁衣装ウェディングドレス』の白い花が散っていった。

「■■■■■!」

 しかし、靄はすぐ止まった。

 ヒガンの動きが、コマ送りをしているかのように、ぎこちなくなっていた。

「『焔桜』!」

 痺れて動かない身体を気合いで無理矢理動かし、純粋魔術を撃ち込むと、その身体が燃え上がる。

「どういうことだ……?」

 藤乃が、身体の痺れに顔をしかめながら答える。

「ヒガンは、この惑星のシステムに合わせたテクスチャを適用していると言っていた。あいつが人間の姿をしていたのは、地球上とは物理法則と違う世界から来たから、地球の物理法則に合わせる必要があったからなんだと思う」

「つまり、そのテクスチャが剥がれたから、低酸素状態でも行動できるようになった代わりに、地球上の物理法則に適応できなくなって、動きが止まったいるということか」

 藤乃は頷く。そして付け加える。

「それに、あいつの魔法無効は、テクスチャに付与された効果みたいなことを言っていた。化けの皮が剥がれた今、魔法は有効のようね」

 ヒガンの動きが元に戻る。黄色い靄と触手で攻撃してくるが、痺れが治っていた俺と藤乃はそれを避ける。

「なんでこんなことするの⁉ 嫌だよ! やめてよヒガン! ねえヒガン! ヒガン! わたしたち、仲間でしょう! ねえヒガン!」

 泣き喚く姫が放つ、無属性魔法も避ける。

 二人で走り回りながら、俺は言う。

「魔法が効くということは、さっきの『焔桜』のダメージの様子だと、二人で同時に『心音綺導』を当てれば、斃せるかもしれない」

「でも、隙が無いわ」

 躱すので精一杯だ。ヒガンは的確にこちらを狙ってくる。無数の目は常にこちらを捉えている。

「またさっきみたいに、動きが止まってくれるのを祈っているわけにもいかなそうね」

 藤乃の言う通りで、いつあの現象が起こるか分からないし、俺たちの体力も無限ではない。

「何か方法を――」

 俺がそう口にした、まさにその時だった。

「『蒼炎』!」

「『虎落風笛もがりぶえ』!」

 孔雀撫子と、白詰黒雲の放った魔法が、ヒガンを直撃した。その威力は、普段の二人からしたら、かなり弱かったが、ヒガンの動きを止めるには充分に強かった。

「鈴蘭ちゃんのバーカ! キモいっていった方がキモいんだよっ! バーカッ!」

 撫子が叫ぶ。

「藤乃! よく分からないが今しかない!」

 俺は心臓から魔力を両手へと集中させる。

「分かったわ!」

 しかし、藤乃の魔眼から、血が溢れ出る。藤乃は呻く。

「ふぐッ! こんな時に反動が……!」

「大丈夫か⁉」

 ヒガンに勝っても、魔眼の反動で死ぬかもしれないと、姉さんは言っていたらしい。

「大丈夫! 『心音綺導』は使えるし、反動で死ぬことも無い。だって、キミと約束したでしょ。和風の朝ご飯、作ってあげるって」

「そう――だったな」

 きっと、藤乃の作ったご飯は、美味しいのだろう。

「だからやるわ! 明日の朝を迎えるために! 『心音綺導』――『雷藤満開サンダー・ウィステリア・フル・ブルーム』ッ!」

「『心音綺導』――『桜火爛漫』ッ!」

 炎の桜と紫電の藤が混ざり合った。

 花弁は宙を彩り、ヒガンへと到達し、その身体を焼く。

 俺と藤乃の心臓の鼓動が、共鳴しているようだった。

 限界を超えた魔力が解き放たれ、魔法の花が咲き誇る。

 そして、俺たちが全ての魔力を使い切ったその時――

 ヒガンは倒れた。

 炭化した身体が、ボロボロと崩れていく。腕が、触手が、角が、次々と灰燼に帰していく。

「勝った……!」

 俺はそう言って、倒れた。俺ももう限界だった。

 二つの『心音綺導』の衝撃波で『星落とし』の魔法陣はぐちゃぐちゃになっていたので、儀式ももうできないだろう。

「やったんだわ、わたしたち。わたしと朔也……」

 藤乃も地面に倒れていた。彼女の右眼は閉じられていて、瞼の隙間から血が流れ出ていた。『花嫁衣装ウェディングドレス』もボロボロになっていた。しかし、藤乃は生きている。

 藤乃は笑った。俺も笑った。

 地面を覆う苔は、ひんやりとしていて、身体の熱を冷ましてくれるかのようだった。

 ヒガンの身体が揺らいだ。彼の姿が、人間のそれに戻った。

 姫は、ヒガンの身体にすがりつく。

「噓でしょ! ヒガン! さっきみたいに復活してよ!」

「――姫、もう無理だ。さよなら」

 ヒガンは灰となって崩れ去った。

「あ、ああ、あああ、ああああああああ」

 姫は泣き叫んだ。

「『お別れの時』なんて、本当は来て欲しくなかったんだ。やっと分かった。わたしはヒガンと一緒にいたかったんだ。それだけで、それだけで――ああああああ」

 姫は、やがて泣きやんで、立ち上がった。

「こうなったら、せめて、キミたちと、わたしだけでも地獄に送ってやる! この『魔星鉱石』で!」

 マズい! 『魔星鉱石』は、大量の魔力が溜まっていて、割れば大爆発する。しかし、俺も藤乃も、魔力、体力ともにゼロだし、撫子と黒雲も、俺たちより少しマシな程度で、戦闘でひどく傷ついている。姫は止められない!

 姫は魔力を手の魔導起点に集めると、ぐちゃぐちゃの魔法陣から『魔星鉱石』を――『魔星鉱石』を……?

「これは――オスミウムネコ……!」

 そう言う姫の手には、ネコのマスコットが握られていた。

「そうだよ。二人の『心音綺導』で目が眩んでいる間に、幻覚魔法でボクがすり替えておいた」

 姉さんが現れた。弾むような足取りで、姉さんは歩いてきた。

「コノハ……! 裏切っていたのか……! 一体いつから……⁉」

「最初からだよ。ボクは大事な弟のために、ずっと裏でコソコソ頑張っていたのさ」

 姉さんは呆然とオスミウムネコを握る鈴蘭に視線を向ける。

「鈴蘭ちゃん。やっぱりキミは、指揮官じゃあなくて、姫だと思うね。作戦を立てるのが指揮官じゃあない。作戦を実行するのが指揮官さ。黒雲みたいなのは極端だが、指揮官だとしても、体は張るんだよ。それに、ヒガンが勝手に言ってた、世界のシステムだの輪廻転生だのは、根拠が無いだろ。キミは、悪い宰相に騙されるお姫様だったのさ」

「そんな……そんな……ああああああああああ!」

 鈴蘭の絶叫は、樹々が焼け落ちた樹海に響き渡った。

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