第9話

 全く表舞台に出てこないルーデンドルフ公爵家の秘宝。その秘宝が突然メーベルト城を訪ねてきたかと思えば半ば強引に居座り、連日美貌の従者を連れ回して領地を観光している。


 さて、この状況をヨハンはどう考えているのだろうか。


 ダニエルはエーリヒと二人で朝食をとりながら、視線を一瞬だけ壁際で控えているヤンへ向けた。

 ――――わざわざヨハンの従者である彼を僕ら付きにしたのはおそらく監視の為。こちらの動きは全てヨハンに筒抜けだと考えていいはず。


 それなのにあの日以降ヨハンは動きを見せない。エーリヒへの接触も、顔を合わせることすらない。わざとエーリヒとの関係を匂わせたのが功を奏したのだろうか。それとも、ルーデンドルフ公爵家を敵に回すのはさすがにまずいと思ったのだろうか。……そんな性格には見えなかったけれど。


 ――――油断させて、という可能性もあるから気をつけないとな。


 ダニエルはナプキンで口元を拭くと、側で控えているヤンを手招いた。


「今日の予定についてなんだけど、買い物に行こうと思うんだ。家族へのお土産を買いに。食事の後すぐに出るからそのつもりで」

「かしこまりました。馬車の用意をしておきます」

「よろしくね」


 ほぼ毎日、同じようなやり取りをヤンとしている。病弱という設定ののスケジュールはわかりやすい。朝と夜はゆっくり部屋でリヒトと過ごし、日中はリヒトを連れて観光スポットにでかける。

 だからだろうか。当日の予定決めでもヤンは嫌な顔一つしない。それどころか、元々わかっていたかのような動きをして見せる。公爵家と比べてもなかなかに優秀な人材だ。


 文句のつけようもない待遇。でも、それもそろそろ終わりを迎える。観光スポットはほぼ全て回り終えてしまった。

 ――――ここからが本番だ。

 慎重に動く時期は過ぎた。リスクを冒してでも動かなければならない。


「リヒト~」

「はい?」

「僕、もうお腹いっぱいでこれ以上入りそうにないんだ。代わりにコレ食べてくれる?」

「もちろんです。よろこんでいただきます」


 差し出したデザートのプリンを見て、エーリヒの目がわかりやすく輝く。ここ数日一緒に過ごしてわかったことがある。エーリヒは食への関心がかなり高い。自分でも作るからかもしれない。


 一口一口味わいながら食べるエーリヒを見守りながら、ダニエルは食後のコーヒーに口をつけた。



 ◇



 馬車で移動すること十数分。ヨハン商店街に到着した。

 ダニエルの体調を考慮してか、馬車の乗り入れが可能なギリギリのところで降ろしてくれた。人々の視線が一気に集まる。メーベルト辺境伯家の紋章が描かれた馬車から見慣れない人物が降りてきたのだから当然のことだろう。


 ダニエルは緊張していた。いや、正しくは不安でいっぱい、だった。


 昨晩、エーリヒに今日の作戦予定について話した。どういう『目的』で、どういう『動き』をする予定なのか。そして、その際『気をつけないといけない』ことについても。


 最大の難関は『エーリヒの正体を誰にも気づかれないようにする』ことだ。エーリヒに渡している魔道具眼鏡の効果は目の色を変えるだけ。髪の色は染めただけだし、他は何も変えていない。元々の印象が薄いダニエルならともかく、変装していたとしても人を惹きつけてしまうエーリヒには難しいかもしれない。


 せめて、ヤンには気づかれないようにしないと。

 と、昨晩から気を張っているダニエルだが当の本人エーリヒは全く気にしていないらしい。


 ――――僕なんかよりよっぽど肝が据わっているよ。


 ダニエルが苦笑していると、エーリヒが不意にダニエルに顔を寄せた。


「大丈夫。こういうのは堂々としていた方がばれないものですから」

「う、うん」


 どうやら逆に心配されてしまったらしい。

 うるさい心臓を押さえ、歩き始める。エーリヒはダニエルの隣を、ヤンは二人の後ろをついて歩く。


 ダニエルは手あたり次第、店に入っていった。公爵家らしく、お金を持っていることをアピールするように散財して。


 貴族向けの宝石が並べられたケースを覗き込んで指さす。

「コレとコレ、あとソレももらおう」

「まあ! お買い上げありがとうございます~」


 高価なアクセサリーを値段も見ずに購入するダニエルお客様に店主は揉み手で答える。

 購入した商品はダニエルではなくエーリヒが受け取った。


「ありがとうございますマダム」

 先程までお客様にしか目が行っていなかった店主がエーリヒを見て固まる。

「あらやだすごいイケメン。……ちょっとお待ちいただけるかしら」

「もちろんです」


 早歩きで店の奥に下がったかと思えば、また早足で登場してくる。店主は鼻息荒くエーリヒに小箱を差し出した。


「これは?」

「あなたへのプレゼントですわ」

「? ですが私は」

「お代は結構です。その代わりそれをあなたにつけていただきたいの。特に社交場に出る時に」

「なるほど。かしこまりました。それでは、ありがたくちょうだいしておきますね。……素敵なプレゼントと素敵な出会いに感謝を」


 恭しく店主の手を取り口づけるエーリヒ。先程まで歩く広告塔を見るような目でエーリヒを見ていた店主が今は思春期の少女のように頬を赤らめている。


「リヒト。行くよ」

「はい。それでは失礼します」


 店を出て数歩歩いてから、ダニエルはじろりとエーリヒを見た。


「さすがにやりすぎじゃない?」

「そうですか? いつもこんなものじゃありませんでしたか?」

「違うよ。僕の従者はこんな気障ったらしくは……」

「さすがにエル様にはそんな振る舞いはしませんよ。エル様は特別ですから」

「……なら許す」

「ありがとうございます」


 ふふっと微笑むエーリヒに対して、不機嫌な顔をしながらも頬を赤らめ視線を逸らすダニエル。はたからみると痴話喧嘩に見えるだろう。


 ――――なるほどね。作戦か。……わかったところでむかつくものはむかつくけど。エーリヒの邪魔はできない。


「……小袋の方ちょうだい」

「今つけるんですか?」

「ううん。いいから」

「わかりました」


 手渡された小袋を大事に抱える。


「リヒト様」


 ヤンから名前を呼ばれ、エーリヒが振り向いた。


「どうしました?」

「荷物、お持ちしましょう」


 そういえば先程の買い物でエーリヒの両手が埋まってしまった。さすがヤン気が利く。

 しかし、エーリヒは首を横に振った。


「結構です。これも私の仕事ですから」


 にっこりと微笑んだエーリヒを見て、ヤンは無言で下がった。





 それにしても、と歩きながら考える。

 エーリヒの言う通り、ダニエルの心配は杞憂だったようだ。エーリヒやダニエルの正体に気づいた素振りを見せた者は誰もいなかった。変装やエーリヒの演技力のおかげもあるだろうが、なによりヤンの存在が大きいだろう。


 ちらりとヤンを見る。エーリヒには及ばずとも優れた容姿。一度見たらなかなか忘れられないだろう。ヤンは忙しいヨハンに代わり、時折組合との話し合いに参加している。つまり、少なくとも商店街の店主達はヤンの顔を知っているのだ。そのヤンが直々に案内している金払いの良いおそらく貴族お客様

 おかげでダニエル達はその正体を探られることもなく『領主のお客様』だと認識してもらえた。


「エル様。そろそろ休憩しませんか?」

「ん? ああ、そうだね。どこかで休憩を……あ、あそこは?」


 ダニエルが指さした先をヤンが見る。


「あそこは……リポッソですね。コーヒーと軽食を楽しめるカフェです」

「休憩にちょうどよさそうだね。あそこにしよう」


 店の扉を開くとベルの音が鳴った。カウンターの向こう側にいる男性を見てヤンが足を止める。


「初めてみる顔ですね。マスターはどちらに?」

「マスターは腕を骨折してしばらくの間休むことになりました。僕は臨時の雇われです」

「へえ。で、今日は店は開いているの?」

 ダニエルの問いにヴィリーはにこやかに頷き返す。

「お好きな席にどうぞ」と言いつつ、カウンター席ではなくテーブル席を手で示す。ダニエルはにこりと笑って、その席に座り、メニュー表を手にした。


「とりあえずコーヒーとケーキのセットをいただこうかな。リヒトとヤンはどうする?」

「私も同じもので」

「私は結構です」

「じゃあ、コーヒーとケーキのセットを三つ。あ。もしかして、ヤンってコーヒー飲めなかったりする?」

「……いえ。特に好き嫌いはありません」

「ならよかった。ここは僕がおごるから安心して」

「ありがとうございます」


 ヤンは諦めたように目を伏せ、口を閉じた。


「あ、そうだリヒト」

「なんでしょうエル様」

「片手出して」

「? はい」


 素直に右手を差し出すエーリヒ。ダニエルは小袋からブレスレットを取り出すとおもむろにそれをはめた。


「え?」

「あげる」


 メーベルト領でとれる宝石をあしらったブレスレット。その名も『幸福のブレスレット』。ヨハン商店街でもお土産人気ランキング上位に入るアイテムだ。宝石自体にはそれほどの価値はない。ただ、『つけていると幸せを招く』というジンクス付加価値がある。

 エーリヒが戸惑いの表情を浮かべ、ブレスレットとダニエルを交互に見た。


「よろしいのですか?」

「うん。リヒトの為に購入したものだからね。……もしかして気に入らなかった?」


 人気アイテムとはいえ、量産品。おそらく、あの店主からのプレゼントよりも安物だろう。

 別の物にした方がよかっただろうか。もっと高価な……一抹の不安がよぎった時、エーリヒはふるふると首を振った。


「そ、そんなことありません! ありがとうございます。大切にします」


 嬉しそうなエーリヒを見てダニエルは安堵した。




「おまたせしました」

「いい匂いだ。やっぱり休憩にはケーキとコーヒーだよねえ」


 コーヒーに口をつければ、苦みが口の中に広がる。美味しい。が、いつもとは味が少し違った。やっぱり入れる人が違うと味も変わるのだろうか。ケーキを一口食べる。こちらはいつもの味だ。自ずと口元が綻ぶ。


「美味しいですか?」

「ん? 美味しいよ。とても」

「そうですか」


 エーリヒが満足そうに笑みを浮かべ、自分の分に口をつける。

 この日の為にエーリヒとヴィリーには頑張ってもらった。エーリヒにはこっそり城を抜け出してもらい、ヴィリーにコーヒーの入れ方や店番の決まりなどを叩き込んでもらった。それだけじゃない。店で出すケーキも作ってもらったのだ。かなり無茶なお願いだったと思うが二人とも本当に頑張ってくれた。


 ヤンはダニエルとエーリヒが談笑している間、もくもくとケーキとコーヒーを消費していた。無表情で。淡々と。

 何を考えているかはわからないが、疑ってはいないだろう。

 三人とも食べ終わり、立ち上がる。


「ごちそうさま。美味しかったよ」

「ありがとうございます。ぜひ、またきてくださいね。次はマスターがいる時にでも」

「ああ」


 ヴィリーから握手を求められ、ダニエルが握り返す。

 店を出たダニエル達は数件店を見た後、メーベルト城へと戻った。


「ヤン。今日の夕食ヨハン卿はどうするって?」

「仕事が終わらないので申し訳ないが、今日もお二人でどうぞとのことです」

「そう。わかった」


 このやり取りもここ最近同じだ。ヨハンから直接情報を聞き出せたら、とも思うがある意味助かってもいる。できるだけエーリヒには会わせたくない。


 夕食後、人払いをしてダニエルは服の裾に忍ばせておいたメモ用紙を取り出した。ヴィリーから渡されたものだ。折りたたまれたメモ用紙を開き、エーリヒと一緒に覗き込む。

 ヴィリーからの近況報告書。


「結局、あの人は辞退したみたいですね」

「そうだね。強制しないのは本当らしい。でも、諦めてもいない」

「いったい何を考えているんでしょう……」


 あの日、ハンカチを貸してくれた女性。彼女はここでの仕事を辞退した。けれど、諦めきれないのかまだ彼女の周りをうろついているらしい。ヴィリーはどうするべきかと判断をダニエルに仰いでいる。


「どうするんですか?」

「うーん。正直、放っておいても大丈夫だと思う」

「本当に?」

「うん。もし、無理矢理連れ去られたとして連れて行かれるところは決まっているだろう?」

「あ。確かに」

「気になるのはどうしてそこまで彼女に執着するのかだね。すでに人手は足りているはずなのに。ただの求人目的じゃなさそうだ。何が目的なのか……それがわからない」

「そう、ですね」

「それに、もう僕らにも時間がない。これ以上引き延ばせない。多少危険を冒しても動かないと」

「私は何をすれば?」

「リヒトは何もしなくていいよ。僕が動くから。ただ、警戒は続けて。絶対に二人きりにならないように」

「警戒はもちろんですが、私だけ何もしないというのは……何か私にもできることはないですか?」


 エーリヒがじっとダニエルを見つめる。どうやら意志は固いらしい。


「……わかった。じゃあ、このリストに載っている人達を探して、いたら聞いてみてくれる? ただし、直接的な質問ではなく、遠回しに。質問の意図がバレないように。聞き出せる範囲でいいから」


 こくりと頷くエーリヒにダニエルは小声で囁いた。


 質問内容は二つ。

『一つ、ここで働き始めた理由』

『一つ、城の外にいる家族や恋人、友人について』



 潜入捜査の追い込みを始めたダニエルとエーリヒ。

 そんな二人の手助けをするように彼女は現れた。ヨハンに手を引かれ。


「あれ? あなた達は」

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