第3話

 ヨハン商店街のちょうど中間付近にその喫茶店はあった。喫茶店の名は、『リポッソ』。以前は老夫婦が二人で経営していた店だが今は全く別の人が一人で経営しているらしい。


 店からはまだ距離があるが、ここからでも客の声が聞こえてくる。どうやら話が盛り上がっているようだ。ダニエルはちらりと横を歩いているヴィリーを見た。どう見ても不機嫌だ。せっかくのイケメンが台無しになっている。


 ダニエルはどうしたものかと眉をひそめた。悩んだ末、喫茶店の扉を開ける前に足を止めて振り向く。


「ヴィリーさん。申し訳ないのですが、ここで待っていてもらえませんか」


 ヴィリーの眉間に皺が寄る。「嫌です」とすぐに返された。ダニエルは溜息を吐きたいのを堪えた。


「それなら、できるだけ黙っていてください」

「……わかりました」


 渋々だがヴィリーは頷いた。不安だが仕方ない。ダニエルはドアノブに手を伸ばした。


 扉を開けば、軽やかな音が鳴る。ドアベルの音で来訪が伝わったようで、女性客と話していたマスターがこちらを向いた。


 サラサラストレートの黒髪に神秘的な黒目。珍しい色合いから一目で他国の人間だとわかった。中性的な容姿はまるで精巧に作られた人形のように整っている。


 ダニエルはなるほどと思った。これは人気がでるはずだ。喫茶店のメニューよりマスター目的で来る女性客の方が多いのではないだろうか。と、邪推してしまう。


 マスターがダニエルに向かって「いらっしゃいませ」と微笑む。ダニエルも微笑み返し、足を進めた。


 店内にはテーブル席とカウンター席があったが、ダニエルはカウンター席に座った。女性客達とは逆側の。ヴィリーもダニエルの隣に座る。先程の約束を守る気はあるようで黙っている。ただ、視線だけは剣呑としていた。


 ダニエルは慌ててメニュー表を手にしてヴィリーの視線を遮る。


「どれにします~?」

「僕は別に」

「僕らここにくるの初めてだから何がいいかわからないですよね〜。マスター! マスターのオススメをいただけますか?」


 ヴィリーの言葉を遮ってダニエルが話を進める。その違和感に気づいているのか否か、マスターは表情を変えずに「かしこまりました」とだけ答えた。


 誰も喋らない中、コーヒーの香りだけが濃くなる。

 機嫌の悪かったヴィリーはいつのまにかマスターの一挙一動に見惚れていた。それは、この場にいる他の客達も同じ。マスターの洗練された所作に、まるで一枚の絵画のような横顔に、目を奪われている。

 そんな中、ダニエルだけが注意深く、マスターを、ヴィリーを、女性客達を、店内を観ていた。


「どうぞ。私のオリジナルブレンドです」


 細く長く綺麗な指先が二人の前にコーヒーを置く。


「あ、ありがとうございます」


 ヴィリーとダニエルはほぼ同時にコーヒーに口をつけた。隣のヴィリーから「おいしい」という言葉が漏れ聞こえてくる。ダニエルも頷き返した。あまり期待していなかったのだが、コーヒーの味も想像以上だ。


 二人の反応にマスターが嬉しそうに微笑む。その微笑みを見た瞬間、自分の頬が熱くなるのが分かった。慌てて視線を逸らす。横のヴィリーも同じような反応をしていた。目が合い気まずそうに視線を逸らす。


 ダニエルは素知らぬ顔でもう一度マスターに視線を戻した。眼鏡が曇っていることに気づく。ハンカチを取り出し、俯きながらレンズを拭った。その際、ちらりとマスターに視線を向けた。


「え……」


 ダニエルの声は意外に響いたらしい。女性客に声をかけられていたマスターが振り向く。慌てて眼鏡をかけなおした。


「どうかされましたか?」

「いえ、あの……」


 話をするなら今がチャンスだとわかってはいるが、頭が混乱している。その時、女性客が持っている袋が目に入った。


「あの、あのクッキーもココで売っているんですか?」


 マスターがダニエルの視線の先を見て「ああ」と頷く。


「はい。こちらに」


 そう言って、棚からクッキーの入ったバスケットを持ってくる。数種類のクッキーがあり、どれも美味しそうだ。ダニエルはその中からプレーン味を指さした。


「ソレを一ついただけますか?」

「はい。帰りの際にお渡ししますね。そちらの方は」

「あ、彼は甘いものが苦手なので」

「そうですか」


 あっさりと頷いて引くマスター。その対応に好感を持った。

 しばらくコーヒーに舌鼓を打つ。その間にヴィリーは我に返ったらしく、再び苛立ち始めていた。ダニエルにも言いたいことがあるようで鋭い視線を飛ばしている。

 ここら辺が限界か。ちらりとヴィリーのカップに視線を向けた。空になっている。それならば、とダニエルは立ち上がった。


「会計をお願いします。彼の分と先程のクッキーの分を一緒に」

「かしこまりました」


 マスターからクッキーの袋を受け取り、支払いを済ませる。


「あの」

「行きましょうか」

「ちょっ」


 何かを言おうとしているヴィリーの腕を強引に引いて店を出る。

 しばらく歩いたところで手を放した。ヴィリーが腹立たしげにダニエルに詰め寄る。


「なんで何も聞こうとせずに出たんですか?!」


 そう言われることは予測していた。けれど、仕方ないのだ。


「聞こうとしなかったんではなく。聞けなかったんです」

「は?」

「あの場には僕ら以外にも人がいました」

「それがどうしたって言うんです」

「よく考えてください。そんな中で僕らがマスターを問い詰めたとして、正直に話してくれると思いますか?」

「それはっ」

「はぐらかされるか、否定されるか、の二択でしょう。最悪、出禁にされて二度と話を聞くことができなくなるかもしれません。それどころか、僕らが悪者にされるかもしれない」


 否定できないと思ったのだろうヴィリーが口を閉ざす。それでも、納得したくはないようで再び口を開いた。


「でも……あの喫茶店に行くようになってからアルマの様子がおかしくなったのは間違いないんです。僕が行かないでくれって言っても止めてくれなくて……今まではそんなことしなかったのに」

 それはつまり、アルマの気持ちがヴィリーではなくあのマスターに向くようになったと言いたいのだろうか。ないとは言えないが、問題はそこではない。

「でも、それだけではアルマさんが消えたことにあの人が関わっているかどうかはわかりません。他にも心当たりがあるんですか?」


 ヴィリーの顔が悔しげに歪み、そっぽを向く。


「それは、ありませんけど……」

 ダニエルは眉間に皺を寄せた。それではただの嫉妬じゃないか。

 気持ちを落ち着かせる為に一度息を吐き、笑顔を浮かべた。


「でしたら、尚更慎重に調べなければいけませんよ。もし、本当にあの人が関わっているのなら僕らが調べていることは決してバレてはいけませんから」


 ヴィリーがはっとした顔になる。

「そうですね。すみません。つい気持ちが急いてしまってそこまでは考えが及ばなくて」

「いえ。わかっていただけたのならよかったです。ああ、そうだ。一応お伝えしておきますと、店内にアルマさんの痕跡はとくにありませんでした。まあ、店内の魔道具を使うのはマスターだけでしょうからなくても当たり前なんですけど」

「そうですか。ただ、コーヒーを飲んでいただけじゃなかったんですね」

 最後は小声だったがしっかり聞こえた。が、ここは聞こえていないフリをする。


「今日はここまでにしておいて、次は客がいない時間帯を狙って話に行きましょう」

「そうですね!」


 力強く頷いたヴィリーを見送った後、ダニエルは踵を返す。

 早足で路地裏に入り、眼鏡を取り、鞄の中に入れていた帽子を深くかぶる。元々薄い気配をさらに薄くしてそのまま喫茶店の裏側へと向かった。スタッフの出入り口はそちらにある。


 喫茶店の二階は居住スペースになっているようだ。閉店時間を過ぎると、店の灯りが消え、二階の灯りがついた。ダニエルは息を殺し、その時を待った。

 どれくらい時間が経ったのか、二階の灯りも消え、扉が開く。


 闇に溶け込むような黒いロングコートを着たマスターが出てきた。マスターは裏路地を進み、『裏』商店街に入っていく。ダニエルはその後を追う。


 マスターはとある店の前で足を止めた。

 ダニエルはおやと片眉をあげる。マスターはそのまま店の中へと入っていった。ダニエルは少しの間悩んだ後、店の中へと入る。


 マスターが入った店はダニエルもよく行く居酒屋。古びた店の様子からは想像できないが、出て来る酒も料理も一級品。知る人ぞ知る名店だとダニエルは思っている。まさかココをマスターも知っているとは。

 マスターはカウンター席にいた。ダニエルはその隣に腰かける。そして、居酒屋の店主に「とりあえずいつものを」と声をかけた。


 店主は無言で頷くと大きな手でシェイカーを握り、その中にいくつかの液体を注ぎ、振った。出来上がった茶色の液体を氷が入ったグラスにそそぎ、さらに炭酸を加える。粗暴な外見とは裏腹にその手つきは丁寧だ。

 ダニエルは差し出されたそれに口をつけた。――――うん。やっぱり僕好みの味だ。


 隣から視線を感じ、いかにも今気づきましたというように視線を向ける。


「あれ……マスターもここの常連だったんですか?」


 マスターは一瞬息を呑み、視線を逸らした。けれど、次の瞬間にはしっかりと表情をつくってダニエルを見て微笑み返す。


「バレちゃいましたか。他のお客様には内緒にしていますので、秘密にしていただけますか?」

「もちろんです」

「ありがとうございます。あ、後ここではマスターと呼ぶのも止めてくださいね」

「それはかまいませんが、なんとおよびすれば?」

「エーリヒと」

「エーリヒさん」

「はい」


 にこりと微笑まれ、つい視線を逸らした。さすがにこの距離での笑顔は破壊力が凄い。


「ぼ、僕のことはダニエルと」

「ダニエルさん」

「はい」

「じゃあ、この出会いに乾杯を……ちなみにそのカクテルはダニエルさん専用ですか?」


 小声で聞かれ、頷き返す。


「エーリヒさんのもそうですよね?」

「はい。ダミアーノさんの作ってくれたこのカクテルは私の好みぴったりで……これを飲む為にここに通っていると言っても過言ではありません」

「わかります」

 微笑み合う二人。そんな二人の間を割るように、太い腕が伸びてきて、出来たての肉料理がのった皿をどん!と置いた。照れたダミアーノの誤魔化しだ。そのことをよくわかっている二人は再び目を合わせて、静かに笑みを零した。


「それにしても……驚かないんですね?」


 突然のダニエルの質問にエーリヒが固まる。

 薄暗い店内。顔を合わせたのは今日が初めて。特に眼鏡を外した姿を見せるのは今が初めて。エーリヒは言葉を選んでいるようだった。


「驚いていないわけではありません。ただ……容姿のことで色々言われるわずらわしさは私も理解しているつもりですから。ダニエルさんも同じ考えかはわかりませんが、わざわざ魔道具眼鏡で色を変えているところを見る限りあまり触れない方がいいのかなと勝手に判断しました」


 ダニエルは「なるほど」と呟いた。エーリヒがちらちらとダニエルに視線を向ける。それを無視して、手に持っていたカクテルを一気に飲み干した。お替りをダミアーノに求める。すぐにダミアーノは新しいカクテルを持ってきた。


 グラスを置く際に紙を添える。ダニエルは素知らぬ顔でそれを回収した。その瞬間をばっちり見ていたエーリヒの顔色が変わる。


「あ、あの」

「はい?」


 わざとらしく聞き返すと、エーリヒは意を決したような顔でダニエルを見つめた。

「もしかして、アルマさんの件ですか?」


 まさかエーリヒからその名が出て来るとは思わず目を瞬かせる。


「どうしていきなりアルマさんの名が? 何か知っているんですか?」


 エーリヒの顔が強張る。苦悶の表情を浮かべた後、口を開いた。


「先程一緒にきた方……アルマさんの彼氏ヴィリーさんですよね。最近、アルマさんは店にこなくなりました。そして、お二人が現れた。しかも、ヴィリーさんは私に何か言いたいことでもある様でした。それで、もしかして何かあったんじゃないかと……」


 ダニエルはじっとエーリヒを見つめたまま尋ねる。

「それだけじゃないですよね。何か心当たりがあるんじゃないですか?」


 ギクリとエーリヒが身体を揺らす。意外と嘘はつけない人らしい。黙り込むエーリヒにもう一度ダニエルは声をかけた。

「僕は『探偵』をしています」

「『探偵』……」

「はい。それで、ヴィリーさんからアルマさんを探してほしいと依頼されました」

「依頼……」


 考え込むエーリヒ。しばらくして、エーリヒは口を開いた。

「私からも依頼してよろしいでしょうか」


 ダニエルは目を瞬かせた。

「依頼ですか? アルマさんの捜索を?」


 エーリヒは少し首を傾げ、頷き返した。

「はい。ただ、依頼内容は少し違います。私がお願いしたいのはアルマさんを含めた『うちの常連客たちの捜索』です」


 ダニエルは息を呑んだ。

「それはつまり、エーリヒさんの店に通っている常連客複数人が行方不明になっているということですか?」

「そうです。最初はただうちの店にこなくなっただけだと思っていたんです。けれど、その子の友達や家族がうちを訪ねてきたことで違うとわかりました。でも、私には心当たりも無く」

「それでココに通っていたんですね」

「はい。あ、でも、この店が気に入っているっていうのは本当ですよ!」

「それはわかっていますよ」


 そうでなければ、ダミアーノが専用のカクテルを作るなんてしないはずだ。


 エーリヒは勢いよくダニエルに頭を下げた。

「どうか、彼女達を見つけてください!」


「お任せください」と返したいところだったが、ダニエルは言葉に詰まった。アルマ一人ならともかく複数人となるとダニエル一人の手には負えないかもしれない。

 ――――事情を説明して、警備隊の協力を仰いだほうがいいかもしれない。


 ダニエルの思考が読まれたのかエーリヒがずいっと身体を寄せてダニエルの手を握った。柔らかな手がダニエルの手を包み込む。一瞬ダニエルの気が逸れた。


「私が手伝えることならなんでもしますから!」


 エーリヒの瞳が迫る。ダニエルはその目にとらえられたように固まった。


 その瞬間、後頭部に痛みが走る。

「っ~!」

 痛い。痛いが、そのおかげで我に返ることができた。

 慌てて手を放し、エーリヒから距離を取る。頬が熱い。再び近づいてこようとするエーリヒに待ったをかけ、


「わ、わかりました!」


 考えるよりも先にそう言っていた。

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