四
「凛玲――!」
翠玉が呼ぶと、背中を向けていた凛玲がピクッと反応した。
しかし、彼女はそれ以上動かない。竹でできた物干し竿の前に立ち止まったままだ。
翠玉は思わず凛玲に駆け寄ると、その手首を掴んで建物の後ろに連れ込んだ。
人目を避けた場所で向かい合う二人だが、凛玲は俯いたままで翠玉を見ようとしない。
翠玉はそんな凛玲の顔を覗き込むように話しかける。
「凛玲……どうしたの、急に、私の女官を辞めてしまうなんて」
凛玲はしばらくぼんやりとしたような、空虚な顔をしていた。
だが不意に、パッと顔を上げるとニコッと微笑んだ。
「特に理由はないですよ、ただ、翠風様は人気のある皇妃様なので、翠風様のお世話をしたい女官はたくさんいますから……代わってあげようと思っただけです」
本音を隠す、不自然で固い表情に、二人きりなのに妙に丁寧な言葉遣い。
明らかに今までの様子とは違う凛玲に、翠玉の胸がざわついた。
「そんなの、私になんの断りもなく?」
「……申し訳ありません、女官ごときが皇妃様の許可も取らず、勝手なことをして」
恭しく頭を下げる凛玲に、翠玉は言いようのない寂しさを覚える。
ずいぶん距離を感じさせる、凛玲の態度。まるで本当に、ただの皇妃と女官になったようだ。
「そんなこと言ってるんじゃないわ、わかってるでしょ、どうして、そんな……」
綺麗な顔を苦しげに歪め、声を荒げる翠玉に、凛玲はそっと手を伸ばした。
そして少し距離を詰めると、耳元でコソッと言う。
「大きな声を出さないで、誰が聞いてるかわからないよ」
以前と同じ凛玲の口調に、翠玉はやや冷静さを取り戻す。
翠玉と再び目が合った時には、凛玲は優しく微笑んでいた。
先ほどの貼り付けたような笑顔ではない、だが、今にも消え入りそうに、儚い笑顔だった。
「翠玉……あたし、もう、大丈夫だから」
ここに来てから、翠玉は一体何回、凛玲のこの言葉を聞いただろう。
その度に本当に辛そうにするくせに、凛玲は一度も翠玉に助けてとは言わなかった。
そんなことは、弱い者のすること。救いを乞うようにできていない、孤独な暗殺者たち。
それでも、翠玉は凛玲にだけは、頼ってほしいと願っていたのに。
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