九
厨房に向かう道すがら、凛玲は過去に想いを馳せた。
翠玉と凛玲は、同じ暗殺家系に生まれた。
違ったのは翠玉は本家であり、凛玲は分家であるということ。
遥か昔から、その暗殺一家は存在していた。人殺しを生業に、じわりじわりと裏で力をつけていった一族。
誰が作ったか知らないが、誰もが知っている
民謡のように、その一家はごく自然に、人々の暮らしに入り込んだ。
強く願うと現れるらしい、寒い北方に拠点があるなど、噂が噂を呼び、なにが正しいかなんて、本人たちにもよくわからないほどだ。
その一家が他の者と結びつき、子供を作る。その子供がまた子供を作り、やがてできたのが分家である、請負人だった。
請負人は、外で仕事を取ってくる、客引きのような存在。必ず依頼人に顔を晒すため、危険度が高い。
対する本家は実行人で、請負人が取ってきた仕事をこなす、暗殺技術の達人だ。
元は家族だけですべてこなしていたことを、分家ができたことで役割分担することになった。
しかし、分家はあくまで請負人で、実行人にはなれない。本家の人間に仕事を持ってくる、駒使いのような存在。だから顔を晒す捨て駒のような役も、分家が担うのだ。
同じ暗殺家系でも、翠玉は本家の人間であり、過酷ながら質の高い訓練を受けている。暗殺界では価値の高い血統だ。
加えて翠玉は、天才的な感覚の持ち主であるため、歴代で最も優秀な暗殺者だと言われていた。
しかし、そんな格差があるにも関わらず、翠玉はいつも凛玲に優しかった。
足がつかないよう、散り散りになって拠点を移動する一族だが、翠玉と凛玲はいつも一緒だった。
本家である実行人は、分家である請負人をバカにする者も多かった。
凛玲もその一人で、幼い頃よく本家の人間にいじめられた。そこでいつも助けてくれたのが翠玉だった。
凛玲は翠玉の強さに救われ、翠玉は凛玲の朗らかさに救われた。
生まれた時から辛いことばかりで、感覚が麻痺するのが当たり前の世界。
そんな中で僅かながらも人間らしい感情を残して生きられたのは、互いがいてくれたおかげだった。
凛玲は、ふと後宮の高い塀に目をやる。
まだ幼かった頃、翠玉がどこかの屋根の上で寝転んでいたのを思い出す。
凛玲の気配に気づくと、すぐに起き上がって振り向いてくれた。
白い月が浮かぶ暗闇の下、美しくも無邪気に笑う翠玉の姿が、凛玲の脳裏に蘇った。
あの塀を越えて、逃げ出してしまおうか。
全て投げ捨てて、自由の身に――などと、凛玲は青空を見上げながら、出来もしない絵空事を描く。
こんなことは絶対、翠玉には言えない。
言えば翠玉は、凛玲の願いを叶えようとしてしまうだろうから。
もし翠玉が、ここでの暮らしを嫌っていたなら、その道を選んでもよかったかもしれない。
女二人で愛の逃避行なんて、面白いかも。
だが、その選択肢はないと、凛玲は悟った。
先ほどの翠玉、暁嵐、司馬宇のやり取りを見て、翠玉はもうすっかりここに、居場所があるとわかったのだ。
国の主に愛され、その側近にも認められている。必要とされている。
偽りの自分ではなく、本来の……暗殺者である自身を晒してもなお、人を惹きつける力が、翠玉にはあるのだ。
「……やっぱり、すごいなぁ、翠玉は」
凛玲は寂しげに、ポツリと彼女の名を口にする。
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