「……正直言って難しいわ。この私がやられたのだから……仮に暁嵐をやれたとしても、司馬宇がいる。その場で捕えられるか、逃げたところで、どこまでも追いかけてくる男よ、あれは」

「そっか……」


 凛玲は少し驚いた。

 いつも強気な翠玉が、こんな弱気なことを言うのは初めてだった。

 暗殺を行うには、請負人と実行人が二人一組になる。

 昔から翠玉をよく知っている凛玲だからこそ、今回の翠玉の微妙な変化に気づいた。

 翠玉はなにも嘘をついているわけではない。

 だが、暁嵐を殺す以外の道を、模索し始めていた。


「ごめんね、凛玲、あんなに完璧な情報を送ってくれたのに、失敗してしまって」

「ううん、翠風が失敗するなんて初めてじゃない、よほどすごい相手なんだよ……国のためにも、きっと、失ってはいけない人、なんだと思う」


 標的を殺すのを無理だと言う実行人に、標的

が死ぬべきではないと言う請負人。

 今まで機械のように人を殺めてきた二人が、初めて人間らしい感情を垣間見せていた。


「私たち、今、言っちゃいけないことを言ってるわね」

「そうだね、暗殺者なのに、おかしいね」


 暗殺の失敗は、依頼者との契約に反する。

 今回のように大きな任務になれば、手付金を返したからといって、一件落着にはならないだろう。

 なんせ標的が皇帝だったのだ、そんな大それたことを頼んだ人間は、暗殺者から情報が漏れるのを危惧するに違いない。

 そしてその場合、顔を合わせている請負人が狙われる。

 つまり、依頼人をなんとかしなければ、凛玲が危ないということだ。

 そんなことは、翠玉も凛玲も重々わかっている。


「大丈夫よ、凛玲……あんたは絶対に守ってみせるから」


 任務に失敗したのに、運良く助かった命を、翠玉は凛玲を助けるのに役立てたいと思った。

 翠玉の台詞に、凛玲の胸の内が熱くなる。

 自身も人間だったのだと感じる瞬間だ。

 二人は会うのはずいぶん久しぶりだが、手紙のやり取りはしていた。

 根城を持たない韻は、固定の住所がない。なので、翠玉からの手紙で、この時期にはここにいると、その都度、居場所を書いて教えていた。

 もちろん後宮の検閲に引っかからないよう、すべて隠語で書いてある。暗殺依頼も同じだ。

 翠玉は凛玲に、安心させるように微笑みかけた。


「ねえ、凛玲、なにか食べ物を用意してもらうことって、できるの?」

「えっ? う、うん、もちろんできるよ」

「私、実は朝からなにも食べてないのよね、それどころじゃなくて」


 衣の上から腹部を摩る仕草をする翠玉に、目を丸くして驚く凛玲。


「ええっ、そうだったの? それはお腹空くよねぇ」

「ふふ、うん、凛玲の顔を見たら、ちょっと安心してお腹空いてきちゃった、とびきり甘いものをお願い」


 悪戯っ子のようにねだる翠玉に、凛玲の緊張が解れる。

 そしてそれは、翠玉も同じだった。


「はいっ、お任せくださいませ、皇妃様」


 立ち上がって背筋を伸ばし、満面の笑みを浮かべる凛玲。

 殺伐とした環境の中で、二人だけは妙に馬が合った。

 だから翠玉も凛玲も、互いの無事を願っていた。唯一の、友のことを――。

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