第25話 中山君と遭遇


『ちょっと出かけてくるね。いってきます』

『車に気を付けるのよー』

『はーい』


 とある日の休日。

 身支度を整えた私は一人で家を出ました。

 向かう先は離れた場所にある大型ショッピングモール。

 近々誕生日を控えたお姉ちゃんへ渡すプレゼントを探しに行くのです。

 歩いて三分。

 駅に着いた普段使っている定期ではなく、代わりにICカードを使い改札を潜り学校とは反対方向に向かう電車に乗り込みました。

 道中は快適とは決して言い難かったです。

 何故なら──


(しばらく抱きしめていたってことは少なくとも臭いとは思われてませんよね?

 いや、でもでも我慢していた可能性も。

 いやいや、お姉ちゃんは良い匂いがするって男の子達から評判でしたし、同じ家に住んでて同じシャンプーを使ってるのですから臭くないはずです。

 ……そもそも体臭って遺伝で決まるものなのでしょうか?あぁ〜、もう!分かりません!)


──電車の中にいるとどうしても中山君に抱きしめられたことを思い出してしまうから。

 休日で人が多いことよりも、それに伴い車内が少し暑いことよりも、私としては中山君にどんな風に思われているのかが気になって仕方なかったのです。

 それほどまでに数日前に起きた出来事が私の脳裏に焼き付いていました。

 人によってはそんなに気になるなら「隣の席にいるんだからどう思っているのか聞けば良いじゃない?」という人もいるでしょう。

 ですが、私にはそんな度胸はありません。

 中山君の口からもしも『正直、ちょっと臭った』みたいなことを言われるかもしれないと思うと、どうしても尻込みしてしまったのです。

 だから、私が悶々としているの自業自得なのは分かっているのですが、お目当ての駅に着くまでの約十分はやけに長く感じました。

 電車降りてようやく解放されると思っていた私ですが、残念なことにショッピングモールに入ってもそれは変わりませんでした。

 

『ねぇねぇ、そこのお洒落な服を着たお姉さん。今ね、香水のお試しキャンペーン中でこの香水を使った感想を聞かせて欲しい──』

『そんなに私って臭いますか!?』

『──えっ、いや、花やかな甘い良い匂いがするけど』


『あの、二つ年上の姉に渡す誕生日プレゼントを探してるんですけど何かオススメのものはありますか?』

『そうですね。では、こちらのアロマなど如何でしょう?』

『そんなに私臭いますか!?』

『えっ、そんなことはありませんが。如何なさいましたか?』

『あっ、すいません。最近ちょっと色々ありまして』


 理由は簡単。

 ショッピングモールには匂いに関連する商品が多すぎるのです。

 そのため忘れようとしているのにどうしても頭に不安が過ってしまって、肝心のプレゼント探しは全く捗りませんでした。


『はぁ〜、駄目ですね。集中しないと』


 しかし、このままおめおめ帰ってしまっては本末転倒。

 また同じことの繰り返しになります。

 このことを強く自覚したところで私はパチンッと頬を叩き気合いを入れ、目の前にある雑貨と真剣に向き合いました。

 

『……これお姉ちゃんっぽい色してる。でも、こっちの方がイメージに合ってますかね?』


 雑念が入らぬよう目の前の商品を小さな声で品評していると、不意にパリンッと言う音が横から聞こえてきました。


『……イタッ』


 その瞬間、足に軽い痛みが走ります。

 すぐさま視線を下に向けると足の踵よりもやや上の方が切れていて、地面には陶器の破片が散らばっていました。

 さらに、視線をほんのわずか横にずらすとそこには地面に倒れ伏す小さな男の子がいて、顔を上げたかと思うとその瞳は潤んでいました。

 

「す、すいません!ウチの子のせいで」

「いえいえ、ちょっと掠っただけですからこれくらいどうってことありませんから。それよりお子さんに怪我はありませんか?」

「う、うん。僕は大丈夫。けど、お姉ちゃんに怪我させちゃだ。ごべん゛な゛さ゛い゛」


 私は彼が何とか泣かないよう明るく振る舞ってみたのですが、床に垂れてしまった私の血と母親の謝罪によって状況を把握してしまったらしく決壊。

 ポロポロと大粒の涙を流しながら男の子は私に謝ってきます。


『本当すいません!すいません!』


 お母さんの方も息子の反応で私が怪我をしたことを察したらしく青い顔で謝ってきます。


『うわぁ゛ーん!』

『いや、本当に大丈夫なので気にしないでください。私は大丈夫だから。よしよし、泣かないで。あっ、店員さんが来ましたよ』

『すいません!お待たせしました。すぐ片付けますね』

『あっ、私手伝います!こうき、ほら危ないからこっちに来なさい』

『う゛ん』


 注目されるのを嫌った私はなんとか二人が落ち着くよう宥めていると、店員さんがやって来ます。

 そのおかげで二人の注意が私から逸れてようやく一息が吐くことが出来ました。


『……足、結構血が出てますよ。とりあえずこれで拭いてください』

『ッ!?』

 

 胸を撫で下ろそうとしたタイミングで声を掛けられた私は、盛大に肩を跳ね上げます。

 後ろを振り向くと、そこにはフード付きの青いパーカーに黒のワイドパンツという普段よりもラフな姿の中山君が立っていました。


『……えっ?中山君』

『……田中さん!?』


 思わぬ遭遇に驚愕の声を上げる私。

 ですが、中山君も同じだったようで素っ頓狂な声を上げていました。

 しばらく無言のお見合いをしていると、中山君が『と、とりあえず、これで血を拭いた方がいい』と黒いハンカチを差し出してきます。

 ここで、私は親子には見せないようにしていた傷口を中山君に見られていたのだと今更ながらに理解しました。

 

『あ、ありがとうございます』


 中山くんが心配してくれた喜び半分と、誰が相手でも同じ行動していたというモヤモヤ半分を抱えたまま私は彼からハンカチを受け取りました。

 その際に、以前嗅いだ爽やかな中山君の匂いがしてドギマギしつつも、私はその場にしゃがんで血を拭くのでした。

 すると、頭上から『絆創膏みたいなの持ってるか?』とこちらを気遣う声が聞こえてきます。


『はい、いくつか常備しているので大丈夫です』


 中山君の優しさに甘えたい。

 そんな気持ちもありましたが、彼のハンカチを私の血で汚しているという現状を思うとここで甘えるのは非常に申し訳なくて。

 私はポーチにしまっていた少しくたびれた絆創膏を取り出し、傷口に貼るのでした。


『バイバイお姉ちゃん!』

『バイバイ』


 事故が起きたタイミングで怪我をしたところを見せていなかったからでしょう。

 また、それに加えて『男はそう簡単に涙を見せるんじゃねぇ。ほら、飴ちゃんだ。食ったらなんか元気が出てきただろ?いつまでも泣いてたら母ちゃんが不安になるぞ、笑え笑え』とアフターフォローをしてくれたのもあり、男の子の方はすっかり元気を取り戻しました。

 ですが、お母さんの方は簡単にはいかず未だに申し訳なさそうに頭を下げてきます。

 

『すいませんすいません。この度は本当にお世話になりました』

 

 私がどうしたものかと困ったように眉尻を下げていると、お母さんと目が合いました。

 そこでお相手の方は私が困っているのを察したらしく、また一段と申し訳なさそうな顔をして財布から一枚の紙を取り出しました。

 

『つまらないものですがお詫びの品です』

『商品券?しかも三千円分も!?もらえませんよ!別に私は大したことしてませんから』


 渡されたのはこのモール内でならどこでも使える三千円分の商品券。

 正直、今回の一件は軽い不幸な事故程度の認識で全く気にしていなかったので私は目を剥きました。

 私は慌てて返そうとすると手を抑えられて『そんなこと言わずに。これは彼氏さんとのデートを邪魔してしまったお詫びです。少ないですが楽しんで来てもらえると助かります』と、微笑みを浮かべられながらとんでもないことを言われたのです。


『ッ!?』


 当然のことに頭が真っ白になって固まりました。

 彼女は盛大な勘違いをしている。

 正さないといけない。

 それなのに何故か私の口から溢れたのは『あ、ありがとうございます』という考えていることとは全く程遠いものでした。



 

 


 

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