第24話 中山君は運命の人?


『なぁ、中山知ってるか?良い匂いだと感じる相手は運命の人らしいぜ』

『急にどうした?』


 三限の授業が終わって間もない頃。

 私が先程まで使っていたシャーペンと消しゴムを筆箱に閉まっていると、隣から中山君と町田君の会話が聞こえてきました。

 そう。たまたま聞こえてきたのです。

 中山君と町田君が一体どんな会話をしているのか気になったというわけではありません。本当ですよ。

 

『いやぁ〜実は昨日たまたまネットで匂いについての記事を見てな。そんなことが書いてあったんだよ』

『はぁ〜なるほどな。どうせお前の好きな四季姫の誰から良い匂いがしたとかそんな話だろ』

『正解!今日春野さんと電車が一緒になった時、めっちゃ良い匂いがしたんだよ。つまり、春野さんは俺の運命の人ってことだよな!で、今日の放課後に告白してこようと思うんだけど、中山どこか良い感じにエモい場所知らね?』

 

 お二人が話していた内容を大まかに要約すると体臭について。

 自分が良い匂いだと感じる人は運命の相手だというものでした。

 結構有名な話なので私も知っていました。


『せいぜいお前は明日俺と春野さんが付き合ったのを聞いて悔しがるんだな 』

『お、おい!』

 

 ただ、私は教室を慌ただしく飛び出して行った町田君とは違って盲目的に信じることは出来ません。

 だって、人間誰しも悪いところは幾つかある生き物なのですから。

 その中のたった一つが駄目なだけで、好きな人と上手くいかないと定められてしまうのはあまりにも残酷過ぎますし、そもそも世の中はそんな単純ではありません。

 人を好きになるためにはもっと沢山の要素が必要なはずですから。


『先程の話ってどこまで信憑性があるのでしょうか?』

『どこまでって匂いの話か?』

『はい。良い匂いと感じた人とならお付き合いしやすいのでしょうか?』


 ただ、中山君がどう思っているのか気になって。 

 町田君が飛び出して行った後、私はついつい中山君に質問をしてしまいました。

 決してあわよくば中山君の匂いが嗅いでみたいだとか邪な理由ではありません。

 純粋な興味です。


『しやすいと思うぞ』


 質問に対する中山君の答えは賛成的でした。

 正直に言って意外です。

 中山君は何となくこういった迷信のようなものは信じないタイプだと思っていましたから。


『それは良い匂いだと初対面の印象が良いからですか?』

『それもある。だけど、多分この話の良い匂いってずっと嗅いでたくなる心地よい匂いのことを指してるはずだ。だから、出会った後もプラス材料として働き続ける。これってかなりのアドバンテージじゃね?』

『なるほど。それはかなり有利と言えますね』


 けれど、全面的に信じているわけではなく自分なりに考えた上でのものなようで、中山君の答えには説得力がありました。

 

『まぁ、自分は良い匂いだと思ってても結局相手が良い匂いだと思ってなかったら意味ないんだけどな』

『ッ!?』


 そして、最後に消えていった町田君の方を見つめながら中山君は呆れた声で締めくくりました。

 彼からしたら何気ない一言だったのでしょう。

 

『アハハハ、それもそうですね』


 ですが、私の心にはグサっと刺さって。

 もしかしたら、中山君に臭いと思われている。または、これから思われるかもしれないと思うと気持ちが萎えてしまい、私は乾いた笑みを浮かべることしか出来ませんでした。

 それからは当初の目的から離れていくような会話をしていると、ある時『ねぇねぇ、二人とも何の話しているの?』と美琴ちゃんが私達の会話に飛び込んできたのです。


『町田君が良い匂いだと感じる人は運命の人だと言ってて、それから匂いについて色々と話していたんです』


 私が何について話していたのか伝えると、『ふ〜ん』と声を上げる美琴ちゃん。

 その後、中山君の方に背を向け私にだけニヤニヤとした顔を向けてきて、嫌な予感がしました。


『へぇ〜、匂いの相性ねぇ〜。たーちゃん。ちょっと嗅いでもいい?』


 美琴ちゃんは蛇のように滑らかに私に抱きつくと耳元でそんなことを呟いてきます。


『えっ!?えっと、美琴ちゃんになら構いませんけど……』


 勝手に中山君の方に行くと思っていただけに、私の方にやって来たのは少し拍子抜けしてしまって。

 私はうっかり許可を出してしまったのです。

 ですが、すぐに私は中山君の存在を思い出し、固まりました。


(ここで美琴ちゃんが変なこと言ったら不味くないですか!?)


 嗅ぐのなら中山君居ない場所でして欲しい。

 パニックになった私は美琴ちゃんと中山君に助けの視線を求めます。

 ですが、私の想いも虚しく美琴ちゃんは依然としてニヤケ顔のまま私の髪に顔を埋めました。


『うーん。ローズみたいなフローラルで良い匂いがするぅ〜』

『えっ!?あっ』


 美琴ちゃんの口から飛び出したのはプラスの感想。

 てっきり、臭いと言われるとばかり思っていた私はびっくりしました。

 ですが、驚愕の感情は瞬く間に友人を意地悪な人間だと疑ってしまった罪悪感と、紛らわしい顔をしないで欲しかったという怒りによって塗りつぶされて。

 訳が分からなくなった私は思わず両手で顔を覆うのでした。



 時は少し流れてその日の夜。

 私が自室で寛いでいると、不意にドアをトントントンっとノックされました。


『純香。ちょっといい?』

『いいよ』


 扉越しに聞こえてきた声は私にとって一番聞き馴染みのある声で、許可を出すとすぐに扉が開きました。

 部屋に入ってきたのはダークブラウンの長い髪の二つ結びを肩から下ろした美女。

 彼女の名前は田中たなか陽奈はるな

 私の二つ年上のお姉ちゃんで本物のお姫様。

 そんなお姉ちゃんは二組の洋服を両手に持っていました。


『こんな夜にごめんね。どうしても明日のデートに着て行く服の意見が欲しくって。ねぇ、純香どっちが良いかな?』


 気恥ずかしそうに服を掲げるお姉ちゃん。

 少し前までの常に自信満々だったお姉ちゃんからは考えられない行動です。

 けど、約二年前に彼氏さんと出会ってから変わりました。

 そのため、まだこんな悩める乙女のお姉ちゃんを見るのは慣れません。

 けれど、だからと言って嫌というわけではなくむしろ微笑ましくて、ついつい笑みを溢しながら『右側の方が春っぽくて私は良いと思うな』と私は右手に持っていた淡いピンクのブラウスを指差しました。


『そ、そう?でも、私にはちゃっと可愛過ぎない?』

『大丈夫。むしろ、普段着てないガーリッシュな服装だからこそ野田先輩をもっとメロメロに出来るから』

『……本当?ま、まぁ、純香がそう言うんならこれにしようかな。ありがとう』


 絶対相手によく思われたくて不安になっているお姉ちゃんを励ますと、ある程度落ち着いたのかお姉ちゃんはぎこちないながらも笑みを浮かべるのでした。


『そういえば、お姉ちゃんって何で野田先輩と付き合ったの?』


 服の話が一段落し、服を持っていそいそと退室するお姉ちゃん。

 その姿を見てふと疑問が湧き上がってきた私はお姉ちゃんにこんなことを尋ねました。

 すると、すぐにガァンとドアに何かがぶつかった音が聞こえてきました。


『ッ!?イッタァ〜!いきなりなんて事を聞いてくるのよ純香!?』


 下から聞こえてきた怒鳴り声に反応して、視線を下げると左足を押さえ涙目を浮かべるお姉ちゃんの姿があって。

 私は『ご、ごめん。そういえば聞いたことが無かったなって思って』とすぐに謝ると、お姉ちゃんはむくれながらも『まぁ、純香だから特別に許してあげる』と許してくれました。


『そ、それで、ナガレと付き合った理由だっけ?まぁ、その一緒にいて落ち着くからね』


 そして、優しいお姉ちゃんは私の問いに恥ずかしながらも答えてくれました。

 けれど、決め手としては弱いように私は感じて。


『何で落ち着くの?』

『な、何でって?えぇ、その私を特別扱いしないからかな?』

『それだけ?』

『それだけ!?他にも理由がいるの!?』

『うん、出来れば』


 珍しく私が何度も食い下がると、堪らずお姉ちゃん目を剥いていました。

 それでも、何とか私を納得させようと忙しなく視線を右往左往させながら必死に考え込むお姉ちゃん。

 数十秒が経過したところで、お姉ちゃんはようやく口を開きました。


『えっと、そうね。強いていうなら雰囲気というかその辺が心地良いからかな。なんかポワポワしてて、その、うぅ〜。なんて事を言わせるのよ!純香の意地悪!』


 ですが、自分で言っていて耐え切れなくなったらしく途中で言葉を区切り、ドタドタと自分の部屋へ逃げていくお姉ちゃん。

 そんなお姉ちゃんの様子を見てやり過ぎてしまったかと苦笑いを浮かべつつ、私は『……匂いってやっぱり大事なんだ』と感想を溢すのでした。



 ◇


『えっ?』


 次の日の早朝。

 いつものように私が電車に揺られていると、中山君の姿を偶々発見しました。

 自転車通学のはずの中山君が何故電車にいるのか?

 疑問が私の頭の中を埋め尽くしました。

 中山君にバレないよう視線を逸らし、理由を考えましたが中々良いものを思いつかず断念。

 たまたま今日はそういう日だったと割り切ることにしました。


(あっ、冷乃ちゃん)


 もう一度視線を中山君の方に戻すと少し奥の方に、冷乃ちゃんの姿を見つけました。

 別に同じ中学に通っていたので別に珍しいことではありません。

 通学途中何回も同じ電車に乗り合わせていたことがあります。

 けど、何となく今日は中山君と冷乃ちゃんが仲良くなる日になるかもしれない。

 そう思った私は気が付けば、目の前にやってきたばかりのお年を召した白髪の女性に『……お婆様良ければそこ空いているので座ってください』と声を掛けていました。

 席を譲ると大変感謝されましたが、何となく居心地の悪さを感じた私はすぐに別れを告げると扉の方へ移動。

 私はヒッソリと彼の隣まで行くと『中山君』と名前を呼びました。

 すると、ビクッと肩を跳ねさせる中山君。

 どうやら私の存在には気が付いていなかったようですね。


『……田中さんか。マジびっくりしたぁ』

『……ふふっ、中山君がいるのを見かけたのでつい。ドッキリ大成功ですね』


 驚いたようにこちらを見つめる中山君とは反対に、私の方は口元が緩ませます。

 すると、中山君は何故か上を向き、次いで咳き込み始めました。

 私のニヤケ顔が可笑しかったのか不安になりましたが、中山君曰くただ咽せてしまっただけらしく内心で胸を撫で下ろします。

 

 ガタンッ。


『っ!?』


 しかし、丁度気が緩んだタイミングで電車が動き出し、碌に踏ん張ることも出来なかった私は体勢を崩してしまいました。


(倒れる!)


 転ぶ時特有の浮遊感を感じた私は反射的に目を瞑り、衝撃に備えます。

 ですが、その後『あっぶ!』という声が上から聞こえてきて、身体が引き寄せられました。

 私は何が起きたのか分からず目を開けるとそこには男子の制服があって。

 中山君に抱き寄せられたのだと察した私は頭が真っ白になってすぐに固まりました。

 どれほどそうしていたでしょうか?

 自分でも良く分かりません。

 ただ、ある時石鹸のような爽やかな匂いが鼻を掠めたとこで少しだけ落ち着きを取り戻しました。

 その後も、何度か息を吸い話せるようになったたころでようやく私は『……ありがとうございます』と中山くんにお礼を告げました。


『……い、いやお礼を言われるほどのことでは。というか、すまん。こんなことになってしまって。嫌だったよな。すぐ離れる』

『あっ。……いえ、その、別に嫌だったとは思ってないです。私のために動いてくれたことは分かってますから』


 中山君は私の声を聞くやいなや、慌てたように背中に回していた手を離し距離を取りました。

 その際、先程までずっと感じていた石鹸の匂いが遠のき、あの匂いが中山君のものだったのだと理解させられました。

 落ち着いていたはずの鼓動がまた荒ぶり出したのを感じます。

 しかし、今は中山君が近くにいる。

 動揺している姿を見せるわけにはいかないと私は必死にいつも通りの自分を演じます。


『……いや、でも汗臭かっただろ。駅まで走ってきたばっかだから結構かいてるし。本当ごめん』

『……そんなことは。むしろ、石鹸みたいなの良い匂いがして、あっ、えっと。その、とにかく不快では無かったです。はい』


 けれど、私が気にしないようにしているのに中山君が申し訳なさそうにしながら匂いのことを言及してきたせいで、益々悪化。

 そのせいで、うっかり仮面が外れた私は思っていたことを口に出してしまったのです。

 もう何が何だか分かりません。

 恥ずかしくて死にそうです。


『……そうか。なら良かった』


 ただ、私の感想を聞いて中山君がホッとしたような声が上げていたのだけは唯一の救いでした。

 しかし、それだけでは私の方は臭いと思われていないのか?という不安だけは取り除くことが出来ませんでした。


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