第8話 続 田中さんは良い匂い!


 平日の早朝。


「うげっ、マジかよ」


 今日も今日とて自転車で学校へ向かおうとしたところで、前輪の空気が完全に抜けていることに気が付いた。

 どうやら昨日の帰り道に何か尖ったものを轢いてしまったらしい。

 確認してみると小豆程度の石がタイヤに突き刺さっていた。


「はぁ〜。しゃーない。今日は電車で行くか」


 仕方なしに俺はタイヤから石を引く抜くと、籠に入れていた鞄を持って駆け出した。

 駅に着くと通勤ラッシュの時間帯もあり人で溢れかえっている。

 これがあるから電車は避けていたのだが、今日ばかりは贅沢なんて言っていられない。

 財布の奥底で眠っていたICカードを引っ張り出し改札を通るのだった。

 そして、ホームに降り人が一番少ない列に並ぶこと三分。電車が到着した。


(せまっ!)


 何とか身体をねじ込み乗り込む事に成功したのだが、代わりに殆ど身動きが取れなってしまう。

 これではスマホを使って暇を潰すことも出来ない。

 すぐに俺はスマホを諦め、窓の外を眺めて時間を潰す事にした。


「……お婆様良ければそこ空いているので座ってください」

「……おや、いいのかい?」

「……はい、私はもうすぐ降りますので」

「……ありがとう。悪いねぇ」

(んっ?あれ、田中さんじゃないか?)


 電車に揺られながらぼんやりと外を見ていると、窓ガラスの反射から田中さんと思わしき美少女がお婆さんに席を譲っているところが見えた。

 チラッと視線をそちらに向けてみれば間違いない俺が好きな田中さんだった。

 

(くそっ、一発で見抜けないとは情けねぇ!でも、やっぱ田中さんって良い子だよな。今日は体育と習字が重なって荷物重いのに)


 あいも変わらず田中さんの天使っぷりは健在で癒される。

 良い物を見せてくれたお礼に荷物を持って上げたいのだが、いかんせん距離が離れ過ぎていて難しい。


(近くに来てくれねぇかなぁ)


 ぼんやりとそんなことを考えていると駅に着いた。

 といっても、学校の最寄りの駅ではなくその二つ前。

 人の入れ替わりの邪魔にならないよう端に寄せてドアが閉まるのを待っていると「……中山君」と隣から名前を呼ばれる。


「っ!?」


 完全に不意を突かれる形だったため俺は体を大きく仰け反らせ、声のした方を向くと田中さんがいた。


「……田中さんか。マジびっくりしたぁ」

「……ふふっ、中山君がいるのを見かけたのでつい。ドッキリ大成功ですね」


 素直に驚いたことを白状すると、田中さんはまるで悪戯が成功した子供のようにはにかんだ。

 その破壊力は凄まじく思わず鼻血が出そうになったが、上を向くことで何とか耐える。


「かはっ!?こほっこほっ」

「うわあっ……だ、大丈夫ですか!?中山君」

「大丈夫だ。こほっ、ちょっと咽せただけだから」


 しかし、そのせいで血が器官支に入ってしまい盛大に咽せてしまった。


(情けねぇ)


 不甲斐ない姿を田中さんの前に晒してしまった事にやるせない気持ちを抱えたまま、口元を拭っていると電車が動き出す。

 それに伴い、電車が大きく揺れる。


「っ!?」


 壁にもたれかかっていたおかげで俺は何とも無かったが、田中さんは違った。

 俺の心配をしていたせいで吊り革から手を離しており、その場で大きくつんのめった。


「あっぶ!?」


 このままだと田中さんが誰かとぶつかって頭を打つかもしれない。

 そう思った俺は咄嗟に田中さんの背中に手を回し引き寄せる。

 その結果、田中さんが俺の胸に飛び込んできて胸の辺りでむにゅっと何か柔らかいものが潰れる。

 身体は当然硬直した。

 何故なら好きな子と不可抗力とはいえ抱きしめ合っているのだから。


「「………」」


 俺達の間に静寂が流れ、周囲の人の身動きする音や電車が揺れる音だけが響く。

 しかし、俺に聞こえているのはそれだけではなく爆発的に加速している心臓の鼓動が嫌なほど聞こえていた。

 正直、田中さんに聞かれていないか不安で仕方ない。

 でも、こんな幸運は二度と来ないかもしれないと思うと中々動き出せなくて。

 暫く固まっていると「……あ、ありがとうございます」と、ようやく田中さんの方が口を開いた。


「……い、いやお礼を言われるほどのことでは。というか、すまん。こんなことになってしまって。嫌だったよな。すぐ離れる」


 それを皮切りに俺の方もようやく動けるようになり、すぐさま謝罪し田中さんから離れた。


「あっ。……いえ、その、別に嫌だったとは思ってないです。私のために動いてくれたことは分かってますから」


 田中さんは俺のことを許してくれたが、目が少し泳いでいて本心から言っているのかは分からなかった。

 これはまだ何か謝った方が良いことがあるかもしれない。


「……いや、でも汗臭かっただろ。駅まで走ってきたばっかだから結構かいてるし。本当ごめん」

「……そんなことは。むしろ、石鹸みたいなの良い匂いがして、あっ、えっと、とにかく不快では無かったです。はい」

「……そうか。なら良かった」


 不安に駆られた俺は再度謝ると、予期せぬ返しが飛んできて俺はまた身体が熱くなるのを感じてそっぽを向くと再び静寂が訪れる。

 それは次の駅もその次も続き、学校の最寄駅に着いてからも変わらなかった。

 その間の記憶は曖昧で、正直殆どなにも覚えていなかったが、たった一つ覚えていたのは法水さんが昨日行っていた通り田中さんは薔薇のような甘くフローラルな良い匂いをしているということだけ。


『良い匂いだと感じる相手は運命の人らしいぜ?

『まぁ、自分は良い匂いだと思ってても結局相手が良い匂いだと思ってなかったら意味ないんだけどな』

『……そんなことは。むしろ、石鹸みたいなの良い匂いがして、あっ、えっと、とにかく不快では無かったです。はい』

「っ〜〜!?」


 学校へ向かう道すがら脳裏に昨日した話の内容と先程の田中さんの発言を思い出し、俺が悶絶したのは言うまでもないだろう。

 

 


 ◇


「あっ、たーちゃん!おはよう!今日は凄くご機嫌だけど何かあったの?」

「ふぇっ!?べ、別に何もなかったですよ」

「ぷっ、その反応絶対何あったやつでしょ」

「うん、すごく分かりやすいね。たーちゃんは」

「ううっ、本当に何も無かったんですってばぁ〜〜。……ふふっ」

「……だから隠せてないって」

「……普段しっかり者だけど意外とポンコツだよね、たーちゃん。これは当分このままかな」

 


 


 

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