第3話 “さすがにソレは欲張りすぎだと思う”
緑のドアの先にあった『楽屋』に入った章吉は、その室内を一目見た瞬間、石像のように固まったまま立ち尽くしていた。
部屋の中は、この世界に引き込まれる前に章吉が住んでいた部屋と同じような家具が、同じように配置され、再現されていたのだ。
テレビの位置も、パスコンのデスクもベッドの位置も、本棚も、まるで先程まで謎の世界に居たということが嘘であったかのように感じられるほど、見事に再現されている。しかし、章吉の自室との違いは色々とあった。
普段なら脱ぎっぱなしで置いていた衣服や、食べ終えたカップ麺の容器、いつ書いたのか覚えていないメモ用紙が床やベッド、デスクやテーブルに散らばっていたのだが、それらはきれいに片付けられていた。
楽屋の外から見たときに、人が入ると消えていたドアは、楽屋の中ではそのまま残っている。
章吉は部屋の探索を始めた。まずはデスクの引き出しを一つずつ開ける。普段の自室なら使いかけのノートやペンが無造作に投げ込まれているはずだが、中は片付けられた部屋の中と同様、不気味なまでに整理されていた。
引き出しを閉め、ゴミ箱に近づく。その時、ふと章吉はゴミ箱の中を見てしまった。
「うわっ、なんだ……これ」
章吉は、喉に小骨でも掛かったかのような顔で声を出した。
外観こそは、ただの円筒状のゴミ箱で、章吉がずっと使っているものと同じような見た目だったものの、その中は底がなく、ただ何も見えない黒い空間が広がっている。
章吉はゴミ箱に手を伸ばし、恐る恐る指先を中に入れた。しかし、まるでそこが異次元の入り口であるかのように、何も触れることができない。
章吉はゴミ箱から一歩後ずさり、「なんか……、怖えな」と呟いて、ごくりと唾を飲み込んだ。
大きく深呼吸したあと章吉は、自室が再現されたこの『楽屋』の探索を進めていく。
ひと目みただけで分かる章吉の自室との差異は、部屋が片付いていることのほかにも幾つかある。
まずはテーブルの上に置かれている電子レンジ。これは電源コードが繋がっていないどころか、電源コードらしきものすら付いていない。
次に、章吉の自室にはなかった、入口のものとは別の、もう一つのドア。章吉がそのドアを開けてみると、そこはトイレ付の狭いシャワールームに繋がっていた。
「身だしなみは整えさせてくれるんだな」
章吉はシャワールームの中までは探索せず、そっとドアを閉めた。
そして部屋の隅に置かれている冷蔵庫。章吉が仕事に使っていた部屋には冷蔵庫が置かれていなかった。これも電子レンジと同様、電源コードが付いていない。
章吉は冷蔵庫のドアをゆっくりと開けた。しかし中には何も入っていなかった。
中段の引き出しも、冷凍室らしき引き出しも、すべて空だったのを確認した章吉は開いたそれらを順に閉める。
「あいつみたいに、『ジュースが飲みたい』とか『カツ丼が食べたい』って叫んでから開けると入ってるとか……。んなわけないか」
ふっと鼻で笑うような呼吸をしたあと、「まさか、ね」と呟き、もう一度冷蔵庫を開いた章吉は「……まじかよ」と言って目を丸くする。
そこにはペットボトル入りの炭酸飲料と、コンビニで売っているようなプラスチック容器に入ったカツ丼が置いてあった。カツ丼の容器には丁寧に割り箸も添えられている。
章吉はカツ丼を手に取った。
章吉の手に伝わる重みも、透明なプラスチックの蓋ごしに見える、とろりとした半熟卵に閉じられたカツも、雑に添えられた謎のピンク色の漬物も、まるで現実と変わらないカツ丼そのものだった。
章吉は電子レンジのあるテーブルへ移動し、カツ丼を入れて温めボタンを押した。
どこにもコードが繋がっていない電子レンジは強化ガラスのドアの中をオレンジ色の光で照らし、カツ丼をくるくると回す。その姿は、まるでステージに立つバレリーナのように優雅だった。
――チン。
章吉は温められたカツ丼の蓋を開けた。
カツ一切れと少量のご飯を箸で掴み、口元へ持っていき「フー、フー」と息を吹きかけてから、そのまま一気に口の中へ放り込んだ。
「うん。カツ丼だ」
ペットボトル入りの炭酸飲料も、ラベルこそ剥がされているものの、いつも章吉が愛飲しているドクターペッパーの味だった。
章吉は食べ終えた容器を、ゴミ箱の形をした真っ黒な空間に放り込む。
「上げ底っぷりまで見事に再現されていたな」
腹をさすりながら章吉はパソコンデスクの椅子に腰を下ろした。そしてノートとペンを手に取り、今後つくる番組のネタを雑に書き出す。
しばらくすると、汚い字で書きなぐる章吉の手がぴたりと止まった。
「……ん? 待てよ?」
章吉は、バっと立ち上がった。反動で椅子が大きく揺れて倒れる。
ドタドタと大きな足音をたてながら、章吉は冷蔵庫の前に立つ。
そして大きく息を吸い込んだ。
「きゃ……キャビアと、フォアグラと、トリュフが! 食べたああああああい!!」
章吉は、喉から大砲を撃ち出すような大声で叫んだ。これが現実世界の自室であれば、間違いなく隣の部屋の住人が壁を思いきり叩いていただろう。
そんなことはお構いなしに、クリスマスプレゼントの包装を開ける子どものようなキラキラとした笑顔を浮かべ、章吉は冷蔵庫のドアをガバっと開ける。
“さすがにソレは欲張りすぎだと思う”
冷蔵庫の中には一枚のメモが置いてあった。
章吉は目一杯の力を込めて乱暴に冷蔵庫を閉め、ベッドに倒れ込み枕に顔を埋めた。
「畜生、畜生」
「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
くぐもった章吉の叫びは、『楽屋』の静寂に吸い込まれ、誰にも届くことなくただ虚空に消えていった。
画面のなか(仮題) あああああ @agoa5aaaaa
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