夕さり街7

 ルナの声に導かれるように、ざわめきはようやく引いていった。

 けれど、好奇の目は消えなかった。

 客たちは少し距離をとっただけで、相変わらずアサギとマリをちらちらと視界の隅に捉え、何かを測るように囁き合っている。


 その視線が肌に触れるたび、アサギの内側では重たい鉛が静かに沈んでいく。

 胸の奥にじっとりと広がるその感覚に、彼は無意識に肩をすぼめ、息をひそめる。


 ――ここにいてはいけない。

 そう思えば思うほど、足元が地面に縫いとめられていくようだった。


 そんな彼の様子に気づいたのか、マリがそっと手を差し伸べてきた。

 アサギの手を、静かに、けれど確かに握る。

 冷えたその手のぬくもりに、アサギはようやく少しだけ呼吸を整えた。


「うん、大丈夫……」

 そう答える声には、まだ戸惑いがにじんでいた。

 大丈夫、と言い聞かせるほど、大丈夫じゃない現実がある。

 周囲の視線が強くなればなるほど、アサギの中の何かが軋んで、きしみ始めていた。


 そんな静かな緊張を割るように、ルナがふと口を開いた。

 その声は甘やかで、耳に心地よい響きを纏っていたが、そこに潜む温度は異様に冷たかった。


「この街に集まってくる人たちってね、顔の見えない相手には好き勝手言うの。

誰かが少しでも目立つと、すぐに好奇心や憶測で押し寄せてくる。

責任なんて最初から持ってないのに、ネットの断片みたいな噂を引っぱってきては、自分の物語を作り始めるの。

あなたみたいな“見つけたくなる子”が現れたら――みんな、もう夢中になるわよ」


 それは穏やかな毒だった。

 心配しているようでいて、言葉の端々にぞっとするほどの無関心と冷笑が滲んでいる。

 まるで「あなたがここにいるのは当然ではない」とでも言われているかのように。


 アサギは静かに目を伏せた。

 この人も、きっと何かを知っている。

 そして、ただの“店の人”ではない。


 マリもまた、視線を鋭く細めていた。

 ルナの言葉を疑っている。

 そう、彼女も何かを察している。


 ルナはそんな二人の気配に構うそぶりも見せず、にこやかに言葉を重ねた。


「ねえ、アサギくん」

 急に名前を呼ばれ、アサギはぴくりと反応する。

 その声はさりげなく軽やかで、けれど妙な重みがあった。


「あなた、口縄の郷から来たって言ってたわね。……テンさんとは、知り合いかしら?」


 その名前が落ちた瞬間、アサギの時間がふっと止まったように思えた。

 心臓の音が遠くなり、身体の奥にひんやりとした緊張が走る。


「……はい。テンさんとは、知っています」

 慎重に言葉を選びながら答えた声は、わずかに震えていた。

 どうして彼女がテンのことを? 

 その疑問が、心の奥に重たく沈んでいく。


 ルナはそんなアサギの反応を、楽しむように細い目をさらに細めた。


「そう……ふふふ。私も昔、テンさんには随分お世話になったのよ。

懐かしいわねぇ、あの頃。ちょっと不思議な人だったけど、すごく頼りになった。

あの人があなたを見送ったのなら……うん、わかる気がするわ」


 その言葉には一見、懐かしさと親しみがにじんでいた。

 けれど、どこかに鋭く尖った感触があった。

 まるで、彼女だけが知っている何かが背後にちらついているような――。


「だからね、アサギくん。私たち、きっと仲良くなれると思うの。

せっかくだし、もう少し……お話しましょう?」


 にこやかな笑み。柔らかな声。

 でもその“優しさ”の奥に、アサギは何かがざらりと這うのを感じていた。

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