夕さり街4
ホロスケの手が押し開いた扉の向こう――
そこに広がっていたのは、アサギの想像を遥かに超えた、色と音の渦だった。
夜の冷気を切り裂くような強烈なビート。
ステージ上では光の洪水のなか、ダンサーたちがしなやかに、どこか夢遊病者のように揺れ動いている。
空中を漂うカラフルな霧のような光、そのすべてが動き、震え、きらめいていた。
テーブルを縫うように人々が行き交い、笑い声や酔いどれた歌声が、空間に混ざっては泡のように弾けて消える。
天井ではミラーボールが、まるで惑星のように回転し、無数の破片となった光が壁や人の頬を照らしていた。
しかし、アサギの視線は騒がしさには奪われなかった。
むしろ、その真逆にある“静寂”に引き寄せられていた。
カウンターの奥。
店内の喧騒に一切乱されることなく、そこに佇んでいたのは、一人の女性。
淡く透けるような翅――翡翠色の羽根が肩から大きく伸びており、動くたび虹の粒をまとって揺れる。
彼女の存在は、まるで現実に差し込んだ夢の断片のようだった。
「……いらっしゃい」
低く、しかし深いところまで届くような声が、音楽の隙間をすり抜けて響く。
「ホロスケが連れてきたのね」
マリの表情がかすかに動く。
彼女の言葉に、初めから“来ることがわかっていた”ような響きが含まれていたからだ。
「私はルナ。この店のオーナー――いえ、支配人というほうがいいかしら」
ルナはそう言って、静かに微笑む。だが、その笑みにもまた、言葉では測れない深さがあった。
マリはアサギの手を握ったまま、しばらくルナを見つめ返していたが、やがて小さくうなずいた。
そしてそのまま、促されるようにソファ席へと足を向けた。
座った途端、アサギは不思議な静けさに包まれるのを感じた。
爆音が鳴り響いているはずなのに、ここだけ別の空気が流れている。
まるで、夢の中の居心地のよさ――それに近いものがあった。
ホロスケは少し離れた場所で、柱にもたれてこちらを眺めていた。
ニヤリと笑うその顔は軽薄そうに見えるのに、なぜか目だけは笑っていなかった。
カウンターからルナが歩み寄り、二つの湯気立つマグカップをテーブルに置く。
「子供のお客なんて、ほんとうに久しぶり。これでいいかしら」
彼女の指先がすべらせるようにマグを差し出す。
アサギはおそるおそる口をつけた。
温かい――甘くて、やわらかくて、白い光に包まれるような味がした。
「……おいしい……」
ほっとつぶやくと、体の奥に溜まっていた冷たさが少しずつ解けていく。
隣でマリも静かに飲みながら、ふと目を細める。
だがその視線は、目の前のルナにじっと注がれていた。
「この街で見るものはね、ほとんどが虚構でできてるのよ」
ルナがカップを手に取り、何気ない調子で言う。
「でも、たまに“本物”が紛れてるの。だから、よく目を凝らすことね――見極めなきゃいけない。どれが夢で、どれが真実か」
その言葉に、アサギはまた胸がざわつくのを感じた。
今、見ているものは本当に現実なのか――この感覚さえも、誰かが見せた“虚構”なのではないか。
マリの視線が鋭くなった。
その目は「余計なことは言わないで」と、はっきりと訴えていた。
手の指先がわずかに震え、いつでも立ち上がれるように体勢を整える。
ルナはそれに気づいていながら、あえて笑みを崩さなかった。
「ふふ……そんな怖い顔しないで、可愛いお嬢さん」
軽く笑って、場をなだめるように言うその声には、わずかに艶と毒を含んだ柔らかさがあった。
だが、マリの警戒は解けない。
アサギは、二人の間に見えない駆け引きが行われているのを感じながら、胸の奥に小さな緊張を忍ばせていた。
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