夕さり街3

 ホロスケは、マリの前に立ちふさがるような位置で足を止めると、じっと二人を見つめた。

 その瞳は笑っているようでいて、どこか奥行きがなく、何かを隠している気配があった。


「……この先に、ルナさんがやってる店があるんだよ」

 声は柔らかく、けれどどこか誘導するような調子だった。

「外は冷えるし、君たちみたいな子どもが夜の街をうろつくには、少し厳しい空気だ。

 ……まあ、ここがそういう街ってことなんだけどね」


 アサギは足元に視線を落としながら、ホロスケの言葉に耳を傾けた。

 彼の声はどこか心地よさを含んでいて、妙に説得力があった。


「その店なら、暖かいよ。居心地もいい。ルナさんは……ちょっと特別な人でね。君たちにも、悪いようにはしないはずさ」


 マリは静かにホロスケの言葉を聞きながら、わずかに視線を細めた。

 その目は笑っていなかった。


「特別な人? 何が?」

 短く鋭く返すマリの声に、アサギは思わず目を向けた。

 普段のマリよりも、少し大人びた空気を感じる。


 ホロスケは肩をすくめるようにして、にやりと笑った。


「んー、そうだな。あの人はこの街の“外れ”に近い存在かな。ここにいながら、どこにも属していない。

 けど、それでも――いや、だからこそ、あそこは“安心して目を閉じられる場所”なんだよ」


 その言葉には、何か含みがあった。

 マリはすぐには返事をしなかった。

 代わりに、アサギの方に目をやる。彼はただ、マリの手をぎゅっと握っていた。

 その手に、迷いと少しの興味、そしてほんの少しの疲れがこもっていることに、マリは気づいていた。


 小さく息を吐く。


「……それなら。ほんの少しだけ、中を覗くだけよ」

 マリの声は低く、張り詰めた糸のようだった。

 明らかに警戒は解かれておらず、目には「すぐ引き返す」という意志が宿っていた。


 ホロスケはその反応を楽しむように片眉を上げ、軽快に手を叩いた。


「ほっほう、よしきた。なら善は急げってやつだ。こっちだよ、ついておいで」

 彼はひらりと踵を返すと、狭い路地の奥へとすいすい進み出した。


 アサギとマリは、少し距離を取りながらその後を歩き出す。

 ネオンの色が複雑に交差し、冷たい空気の中に不自然な熱気が漂っていた。

 音楽とざわめきが風に混じって流れてくる。まるで街そのものが生きているようだった。


 やがて、目の前に奇妙な看板が現れる。


 《IRIDESCENCE》


 虹色に揺らめくその文字は、他のどぎついネオンとは違い、どこか幻想的な光を放っていた。

 柔らかいようでいて、視界の隅に残る強い残光のような――。


「イリデ……せんす?」

 アサギは立ち止まりながら、つっかえるように看板の文字を読み上げた。


 先に扉を押さえていたホロスケが、くるりと振り返ってニヤリと笑う。


「イリデセント、って読むのさ。

 ――見る角度によって色が変わる、そんな意味だよ」


 そして、扉をゆっくりと開く。

 中から流れ出る音が、アサギたちの足元を震わせた。

 低いベースのような振動が、まるで地下から街全体を包んでいるかのようだった。


「さあ、おいで」

 ホロスケはひときわ軽い声で言った。

「ここが――夕さり街で、一番“居心地のいい場所”さ」


 アサギは、もう一度看板の文字を見上げた。

 “色を変える光”。

 まるで、この街そのもののような言葉だった。

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